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第八話

 豪華な扉は控え目にノックされたけれど、けれどそれきり何も無い。

 しばらく待っても何の言葉も聞こえて来ないし、再びノックされることもなくて、少し不安になる。

 あれ? 今私の部屋、ノックされたよね?

 もう一度耳を澄ませてみるけれど、やっぱり何も聞こえてこない。

 いや、幻聴ならそれで良いのだけど。

 けれど前世で、そして勿論今世でも初めてみるほど立派な扉を見ていると、何となく、嫌な予感がじわじわと滲み出てくる。物語のお姫様のベッドか、と突っ込みたくなるほど大きな天蓋付きのベッドに、部屋の至る所に施された綺麗な装飾。曇り空の光を柔らかに透らせる窓は、割ったらどうやって張り直すんだろうと馬鹿なことを考えてしまうくらい凝っているし。

 いや、つまるところ。

「…………どうぞ」

 まさかとは思いつつも、そう呟いてみた。

 すると。

 ――失礼致します、と扉越しに小さく聞こえた後。


カチャ


 と控え目に、扉が開いてそこから若い女性が入ってくる。

 ……うん。

 まさかであって欲しかった。幻聴であって欲しかった。

 返事が有るまで待機とか、私が気付かなかったらどうすると言うのだろうか。

 顔を俯かせた彼女が身に纏うのは、なるほど、ゲーム内で何度も目にした魔王城のメイド服。私はひょっとして客人扱いなのだろうか、別に礼を尽くさなくても良いのに。

 丁寧に扉を閉めた彼女は、1つ頭を下げると、目線を下に向けたまま、落ち着いた声で喋り出す。

「おくつろぎのところ失礼致します。カタレ様より接待を申し付かりましたので、御身の周りの案内をさせて頂きます。御用がありましたら、何なりとお申し付けください」

 鈴を転がしたような、透き通る声。

 彼女は、名乗らなかった。きっと、魔王城に数いるメイドの一人として、特段名を覚える必要が無いからだろう。

 けれど。

 初めて聞いた、その声。こんな声だったのかと、とてもしっくり来るな、と。

 見覚えのある、その髪。スチルも繊細だったけど、こうして見るとまるでお伽噺の夜空の様な、深い紫色。

 そして、す、と綺麗に上げられたその顔に、彼女の名が確信を持って脳裏に浮かぶ。

 デフォルトネームは、ミーナ・レディアナ。

「よろしくお願いします、リュリス様」

 そう、彼女は、私が前世やっていた乙女ゲーム、Lovillainsのヒロインその人だ。

 いきなりの出来事に一瞬思考が停止しかける。

 けれど落ち着いたその表情を見ていると、段々と頭が働き始めた。

 そうか、そうだ。

 あまりにも唐突で驚いてしまったけれど、しかし何てことは無い、至極当たり前ではないか。

 ここがゲームの世界だとすれば、攻略対象と同じに、ヒロインがいるのが当然である。何しろヒロインは世界にとってイレギュラーな存在では無く、ただ単にそこにいる人物の一人でしかないのだから。むしろイレギュラーは私の方。

 すると、ここにキツネがいようがいまいが、私に望みは無いのではないか? ゲーム内ですら攻略できなかった彼と、こんな体で、ヒロインに張り合って勝てるハズが無い。

 ……いや、何を考えてるんだ私は。別に彼女がキツネと恋に落ちると決まったわけではないし、そもそも彼女と張り合う以前に、私がキツネを振り向かせられる筈が無い。そんなことは分かってる。

 そうしてごちゃごちゃと頭の中を曇らせている内に、彼女は答えを待つのを止めて、そっと目を閉じて頭を下げてしまう。

「あ……ごめん、えっと、宜しく」

 機を逸した言葉に、ミーナは困った顔一つせずもう一度頷くと、それから「お茶を準備させて頂いても宜しいでしょうか?」と静かに問い掛けてきた。

 確かに喉は乾いてる。私がおずおずとお願いしますと言うと、ミーナは一礼して部屋を出て行った。

「…………反則じゃん」

 ぽつり、と濁った言葉が漏れる。肌も髪も綺麗で、物腰は丁寧だし、仕事も完璧だ。彼女が私に頭を下げているという現状が、酷く居心地が悪くて仕方が無い。私が彼女に仕えた方が、余程自然だ。

 そうだ、そもそも何で、私はこんな待遇を受けているのだろう。確か、村では私は生け贄としてキツネに捧げられた筈だ。村が魔物に襲われて、それを止める引き換えに、私が差し出された。それならどうして、今こうして未だに出る気が起きないベッドに横たわれているのか。それを考えると、何だかベッドに入っているのも申し訳ない気持ちになってくる。私なんかが使ったら、その、ベッドの価値を貶めてしまうような、そんな劣等まみれの妄想が沸き起こってくる。

 布団の中を、そろそろと移動してベッドの端へと辿り着き、裸足のまま上質な絨毯を踏んだ。

 ぼろきれの様だった汚れきった服は綺麗なそれに替わっていて、そして今更気づいたけれど、殴られたり蹴られたりした筈の場所が痛まなくなっている。

 分からない。私は何をしたのだろう。私は何をされるのだろう。どうしてこんな持て成しを受けているのだろう。


っ、っ


 再び、扉がノック。

 そして今度は直ぐに扉が開かれて、ワゴンと共にミーナが入室してきた。

思っていたよりもずっと早かった。ひょっとすると、準備はとっくに終わらせていたのかも知れない。

 静かに扉を閉めて、それから慣れた手付きでお茶を準備し始めるミーナ。再び体を巡る焦燥感。違う、私にはこんな扱いしなくて良い。けれど彼女の邪魔をすることも出来ず、代わりに疑問が口から漏れた。

「……ねぇ、何で、私が持て成されてるの?」

 あまりにもストレートな質問。言ってから後悔したけれど、ミーナは何でもないことのように答えた。

「ここが魔王城で、貴方様が魔族だからです、リュリス様」

 魔王城だから、魔族が持て成される。分かるようで、けれど全然納得できない理屈。チョコレートの香りがお茶の匂いに移ろっていく中、私は彼女の横顔を睨み付ける。

「貴方も魔族でしょ、ミーナ」

 と。

 どうしてか、その問いをした途端に彼女の手が一瞬揺らいだ。カチャ、とティースプーンとカップが耳触りな音を立てる。

 けれどすぐに、そんなこと無かったかのように落ち着いた答えが返ってきた。

「はい、私も魔族です。けれど同時に、魔王城で働かせて頂いているのです。全ての魔族は魔王城では歓迎されますが、彼等を歓迎する者達が何処かに必要でしょう?」

 そうして、お茶を淹れていた手を止めて、こちらを向いて。

 それから、今までのきっちりした姿に似合わず、小さな手を前で軽く組んだ彼女。

「……ですが、そうですね。失礼を承知で申しますが、リュリス様が今こうしているのは、今までの経験を考慮してのことだと思います」

 彼女の表情は明るくなかった。詳しい事情は知らないだろうけれど、それでもそれを知っているということが驚きだった。

「…………、そう。 ……いや、ううん、そうじゃなくて」

 聞きたいことはそうじゃない。

「………ねぇ、確か私、生け贄って言って村人の身代わりにされたんだけど」

「え?」

 完全に虚を突かれたという顔。あれ、そこの認識はしてないのか。けれど私が説明しようと口を開く前に、彼女の方が首を傾げて衝撃の言葉を発する。

「えっと……あの、生贄については存じ上げませんが、その、リュリス様が元々いらっしゃった村の住人なら、リュリス様救出に際して殲滅したと伺いました」

「は?」

 予想もしていなかった言葉に、今度は私の方が間抜けな顔を晒してしまった。

 何だって、殲滅? 救出?

 ……私を救出した時に、村の住人は殲滅された?

 いや、だって私は確かに交渉の材料に使われたはずで、そして村人たちは避難していたはずだ。まぁ、避難したところで魔族に殺されない保証は無いが。

「……本当に?」

「はい。正確には二人程逃したとの報告でしたが、脱走者は今回の襲撃を広める道具ですから、考慮に入れずとも良いですよね?」

 可愛く首を傾げているが、内容は随分と凄絶だ。襲撃を広める道具として、二人見逃した。逆に言えば、生き残ったのは二人しかいないということになる。

 だとすると。

 …………私を受け取った後、キツネは村人を改めて皆殺しにしたということか。

 ……あぁ、そうだ。

 あの時、村の風景をスチルに重ねたけれど、そのイベントが確か魔族の子を迫害している村を襲う、みたいなイベントだったような。そのイベントが他に重要な役割を果たしているので、細かいところは覚えていないが。

 そう、重要な、ゲーム内ではそうでもないけど、プレイヤーにとっては凄く重要なイベントだった。

 即ち、ルート分岐を担ったイベントであるということ。

 村を襲うに際して、誰がその任務に赴くか。

 主人公の前に現れ、「お前も来い」とその任務に連れて行く人物こそが、これからヒロインと恋をする人物。

 そして、あの時村にいたのは。

 ず、と、お腹の底に、嫌な重さがかかる。

 ――あの時、村にいたのは、レヴィラト。

 つまり、キツネだった。

 ということは。

 そうか、そうなんだ。

 期待してたわけじゃないのに、胸が苦しくて仕方無い。

 彼女は、レヴィラトのルートを選んで、そして無事にルートに入れたんだ。

「気に病むことは有りません。元より、村への襲撃は、勇者に対する牽制として決定事項でしたので」

 顔色の悪い私をどう捉えたのか、見当外れなことを言ってくる。村人なんか欠片たりとも気にしていない。そうじゃない。

 ぐるぐると、お腹の中で渦巻く黒い感情。

 折角会えたのに。

 出会えたばかりなのに。

 どうして、こうなってしまうんだ。

 滑稽なことに、まだ直接話したことも、いや、それどころかゲームで攻略できたことすらないのに、いざ望みが絶たれたとなると苦しくて仕方が無い。

 私が喜んだのは、彼との恋を夢見たからだったのだろうか?

 そうかな、そうなのかも知れない。本当の彼を何一つ知らない私は、彼に正しく“恋”をしてたのだろう。そして未だに何一つ知らないまま、恋をしたまま。

 実体の無い、根拠すら無い、だからこそ冷め方も知れない。

 す、と目の前に淹れたての美味しそうなお茶が差し出される。

 いつの間に俯かせていた顔を上げると、真剣に私を心配している様子の、綺麗な顔がそこに有った。

「どうぞ、飲んでください。少し気分を落ち着ける効果も有りますから」

 眉を少し落としつつも、穏やかな笑みで。

「っ……、」

 手が、動いて。

 反射的にカップを払いのけてしまいそうになって、慌てて体を仰け反らせることに代える。

 ミーナは目を見開いて、驚いているようだった。

「あ、……え、っと」

 淹れたてのお茶の良い匂い。

 どきどきと脈打つ心臓。

 心配が驚きに変わってしまった、彼女の顔。

「……っ、要らないです! ごめんなさい!!」

 出処の知れぬ罪悪感に押されて、視線を床に向けて叫ぶ。

 身が竦むような、気まずい空気が紅茶の匂いを遠ざける。

 何をしてるんだろう、私は。

 頭の中が真っ白になりかけた、ところで。

 固まっていたミーナが、何も言わず、けれど穏やかに一礼して、それから大人しくワゴンの方へ歩いていった。

 本当に、何をしているんだろう、私は。

 先程よりも強く胸が痛み、自分を責める心の声が聞こえる。

 それでも、どうしても、飲みたくなかった。

 分からない、何故かは分からないけれど。

 彼女の淹れた紅茶を飲みたくなくて、そしてそんな自分が、醜くて仕方なかった。

 ワゴンにカップを置き、再び部屋の傍らに控えるミーナ。

 その姿を見たくなくて、蚊が鳴く様な声で、一人にして下さいと呟いた。

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