第十話
……あぁ、何か、凄く疲れる。
昨日から、ホント、色々有り過ぎだ。
昔の夢を久し振りに見て。
村に魔物が襲ってきて、生贄に差し出されて。
そして、キツネに会えて。
目が覚めたら、魔王城にいて。
ヒロインに会って。
始まらなかった、恋が終わって。
ヘビに怯えて。
これまでの止まっていた人生が、一気に動き出したよう。
ぼんやりと、壁に凭れて膝を抱えたまま、チョコレートの甘い匂いに沈み込む。
疲れた。
窓の外はまだ曇り空。時間が良く分からない。朝だろうか、昼だろうか。
眠くはないけど、眠りたい。
素敵な日だったのだろうか。
あの行く先の無い村から抜け出せた。
前世から夢見ていた世界に来れた。
恋い焦がれる相手に出会えた。
散々な日だったのだろうか。
魔物への生贄として差し出された。
凍った瞳に射竦められた。
始まってもない恋が終わった。
どっちだろう。
頻繁に行き来をした感情が、心が、疲れている。
ぼんやりと部屋を眺めながら、膝を抱えた手の鱗を見つめながら、ぼうっと、眠りもせずに。
あぁ。
ほんの少し、ほんの少しだけ、期待してたのに。
……ううん、違う。
本当は物凄く期待していた。
だって、乙女ゲームの世界に転生するなんて、どこかで聞いた話で。
自分でも呆れるほど読み漁っていたその手の小説が、現実になったなんて。
そんなの、期待するに決まっている。しない方がおかしい。
だから、その分悲しさも大きいんだけど。
まだ、少し、期待している自分がいる。
村の襲撃は、勘違いしてるだけで本当は分岐イベントじゃないんじゃないか。
ヒロインはただのメイドで、ゲームのように恋愛をする気はないんじゃないか。
まだルートに入ったばかりだから、私に振り向かせることもできるんじゃないか。
だ、なんて。
本当、馬鹿みたいな思いが。
打ち消せど打ち消せど、浮かび上がり、脳裏を占めて、心を奪って。
そして期待に胸が高鳴りそうになった頃、手を覆う赤みがかった鱗が目に飛び込んでくる。
微細な鱗が、そして小さく歪な、尖った爪が。
そしてまた、心が沈む。
主人公の肌は、とても綺麗だった。滑らかで、すべすべとしていて、その上張りがあって。
対する私はどうだろう? 鱗に覆われ、ざらざらで、触るとまるで蜥蜴のようだ。
視界の端に流れる髪。
ふと、手に取って髪を眺める。長く伸ばした髪。手入れも出来ず、ぱさぱさで、枝毛がどうこうとか言ってる場合じゃないほど痛んでいる。けれど、それでも芯の通った、綺麗な黒髪。ヒロインは見惚れる紫色だったけれど、それでも、私の髪だって素敵な黒。
とく、と、胸が、高鳴った。
そうだ。
ここはもう、村じゃない。
お風呂にだって入れるだろう、まともな食事も、食べれるだろう。
そうしたら、私も、綺麗になれるだろうか。
綺麗になったら、何か変わるだろうか。
鱗に覆われた体だけど。
レヴィラトに、素敵だと思って貰えるだろうか。
彼に、振り向いて貰えるだろうか。
……もうっ!
「―――っ!」
ッ、と頭に走る鋭い痛み。涙が滲む目。
どうして、馬鹿なことばかり浮かぶんだろう。どうして、諦められないんだろう。
何でそんなに往生際が悪いんだ。もう結果は見えてるのに。
これ以上期待したくない。これ以上期待を裏切られたくない。
自分に沸いた怒りで、自分で、髪を抜いて。
手の中に握られた髪は、もうだらりと萎れてしまって、これ以上伸びることはない。
……違う。そうじゃない。手入れもしてないのに、こんなに伸びてくれたのに。
「っ…………」
色んなごちゃごちゃした感情で胸が一杯になって、頬を涙が流れた。
胸が詰まる。酷く一杯になった心が、更にきゅっ、と押し縮められて。
苦しい。悲しい。ごめんね。嫌だ。ダメ。もう良い。諦められない。諦めろ。
頭がまとまらない。心がまとまらない。
手の中の髪をぎゅっと握り締めて。張り裂けそうな胸に、体を縮こめて。
ごちゃごちゃな頭を整理し切れずに、ずっと、泣いていた。
暗い。
ここはどこだろう。
真っ暗な中に、私は立っている。
目を開けているのかどうか、自分でも分からないくらい、真っ暗。
けれど、不思議と不安は無い。
ただぼんやりと、何も分からないでいるだけ。
どこだろう、ここは。
何でここにいるんだろう。
私は何をしていたんだっけ。
暗闇を、眺めているのかどうかすら分からないけれど、ただ視界いっぱいに広げて。
そうしていると、どのくらい時間が経ったのか、急に後ろから音がした。
いや、音だろうか。良く分からない。ただ、暗い中、何かが私の注意を後ろへ向けたのだ。
慌てて振り向く。
すると、急に眩しい光が目に飛び込んできた。
光だ。明るい。
でも何故だろう、目は痛くない。
視界を白に塗り潰されているのに、私は目を開けたままだ。
白いだけ。
白いだけの、そんな光の中に、何かが見えてくる。
何だろう。
人影だろうか、ぼんやりと、輪郭が二つ。
身長差が結構ある。
一つは、背の高い、……男性の影だろうか?
そしてもう一つは、背の低い、女性の影。
どんどん、光が明度を増していく。けれど何故だか、人影も彩度を増していく。
誰なんだろう。あれは、誰だ。
どんどん見えてくる、二人。
整った顔。綺麗な微笑みだけど、どこか油断ならない、そんな雰囲気がする、男性。
そして。
小さな、発育の悪い体。けれど心底嬉しそうな表情の、綺麗な黒髪の、鱗の生えた少女。
向かい合った二人は、互いに愛おしそうに見つめ合う。
白い光は、どんどん明るくなって。
「――――…………」
目を開けた。
夢だ。そう、夢だって、途中から気付いていた。
人影がはっきりする直前に、あぁ、これは私の夢なんだって。
夜見る夢であり、昼見る夢なんだ。
目に映るのは、ベッドの天蓋の内に描かれた緻密な絵。闇の中だからぼんやりと、けれどだからこそ神秘的に映っている。いつの間にベッドに寝たのだろう。泣いたまま寝てしまって、絨毯の上から運ばれたのだろうか。
ゆっくりと身を起こして。
「…………っ」
目に飛び込んだ、夢と同じ、人影。
――どきり、と。
心臓が高鳴る。
意識が一息に目覚めさせられる。
上体を上げた私に目を留めて、にっこりと穏やかに微笑む人物。
そう、紛れも無い。
闇の中だからぼんやりと、けれどだからこそまるで夢のように。
ベッドの足元の方に、キツネが立っていた。
「おはようございます。こんな時間ですが」
耳に馴染む、心地良い声。
静かな夜なのに、静かな部屋なのに、暴れる心臓がうるさすぎて、挨拶を返すことも忘れてしまう。
真っ白な頭の中。
何も言わない私に、彼は優しく微笑んで自己紹介をする。
「私はレヴィラトです。魔王様のお側仕えをさせて頂いています」
そう、レヴィラト。レヴィラト・シウォルテネア。
白銀の髪が顎のラインまで伸ばされ、黒とも言えない、不思議な光沢を持った目が部屋の暗さに鮮やかに。
彫刻のように整った顔。程良いバランスの長身に、洗練された姿勢と挙動が違和感なく収まっている。
そして、不自然な程完璧な表情。何を思い、何を考え、何を感じているのかが、いつでも一目で分かる、そんな表情。
暗い中で良く分からないが、どうやら青か、それに近い色の、落ち着いた服に身を包んでいる。
そんな、彼が。
私の目の前にいて、私に、微笑み掛けている。
いや、彼は、不思議そうな顔で軽く首を傾げた。
「もしかして、まだ疲れてますか? 眠り足りないのなら、無理をせずに朝まで眠ってください」
「っ…………」
必死に首を振った。違う、眠気ならもう吹き飛んでしまった。
答えたい。けれどやっぱり、口を開けない。
首を振って、けれど何も言えず俯くだけの私に、レヴィラトの優しい声がかかる。
「眠りたくないのでしたら、眠気覚ましのお茶を淹れましょうか」
今度は必死に頷いた。
どうやら初めから準備はしていたようで、ワゴンが部屋の足側の壁際に置かれている。
馬鹿、私の馬鹿、何で声が出ないんだ。
口をあの形にして、必死に呼吸を整え、息を出してみる。
けれど音にはならない。
「……――っ………」
お、落ち着いて。
もう一度、深呼吸。
大丈夫、レヴィラトと喋る喋らないは置いといて、いつものように、声を出すだけ。
よし。
「――――あ……」
「え?」
「あっ」
思っていたよりも部屋に大きく響いた「あ」の音に、お茶を淹れていたレヴィラトが振り返って、慌てて口を押えた。
「………う、えっと」
ヤバい、どうしよう。レヴィラトは不思議そうに首を傾げている。体温が上がって、何も考えられなくて、いや、意味の無いことばかりが浮かんで、結局言葉を発せない。恥ずかしい。凄く恥ずかしい。冷えていた筈の夜の空気だったのに、鱗の表面が一度にじわっと熱を持った。レヴィラトは小さく微笑んで、お茶を淹れる作業に戻る。
その時になってようやく、口が意味のある言葉を発した。
「わ、私、リュリスって言います!」
必要ないのに叫ぶ声。言ってから後悔した。レヴィラトが知らないわけがない。彼以外に、私の名前をミーナやセルルアに教えられる人物がいるだろうか。
けれどレヴィラトは、お湯を注いでから、こちらを向いてやっぱり綺麗に微笑んだ。
「えぇ。宜しくお願いします、リュリス様」
「っ……はい!」
だから叫び過ぎなんだって私! だなんて、遂に心の中まで叫び出す。あぁ、何て騒々しいんだと思いつつも、けれどまだ体は火照ったまま。慌ただしさと恥ずかしさで、頭が沸騰してしまいそうだ。
「いきなり連れて来られてびっくりしたでしょう? 本当なら昼の内に私から説明を入れるべきだったのですが、申し訳ありません。勇者に動きが有った物で、そちらの対応に追われてしまって」
「い、いえそんなっ! 全然大丈夫です!!」
全然大丈夫じゃない。キツネの言ってることを理解する前に、謝られたから慌ててそう答えただけで、言ってからゆっくりと理解していく。良かった、全然大丈夫ですで合ってたようだ。言葉遣いはともかくとして。
あぁ、今の私は物凄く挙動不審だろうな。それを意識すればするほど不審さが増していくのだけど。
「今更な説明で申し訳ありません」
彼は優雅に一礼すると、胸に手を当て、綺麗に微笑む。
「レヴィラトです。貴方を魔王城へ攫わせて頂きました」
色の薄い黒の瞳。それが、こちらを向いている。
「攫うのが遅くなってしまって、本当に申し訳ありません。ですが、これからは貴方を、この魔王城が、魔族全てが守ります。どうぞ、ご安心ください」
優しく微笑む。
私は、何も言えずに、ただ目を見開いて。
魔王城が、魔族全てが、私を守る。
そうなのか、と。
ようやく、本当にやっと、今回の出来事の意味が、すっ、と心に染み込む。
そう。
私は、助けられた。
魔族に、レヴィラトに、救ってもらったんだ。
偶然とか、幸運とかじゃなくて、救いたいと思われて救われたんだ。助けてもらったんだ。
なんて温かいんだろう。
どれほど心強いんだろうか。
忘れていた優しさが、胸をじんわりと滲ませ、そして視界をも。
「……っ………、っ……」
昨日から、本当に、泣いてばっかりだ。
もうそろそろ、私は乾涸びてしまうかもしれない。
そんな馬鹿な考えが浮かんで、「むはっ」と、泣きながら吹き出して、その変な声にまた笑いが込み上げた。
そのまま可笑しくて嬉しくて泣き笑いが続いて。
やがてすっかり治まった頃には、折角淹れてくれていた紅茶は、温くなってしまっていた。
レヴィラトが部屋を後にして、しばらく。
私は、ぼんやりと、ミーナの顔を思い浮かべていた。
あぁ。
彼女には申し訳ないけれど、もう分かった。
分かってしまった。
私は、諦められそうにない。
この恋を諦めるなんて、絶対に無理だ。
例え演技の上だとしても、例え心の内が違っていても、彼は私の鱗について何一つ触れなかったし、どんな表情も見せず、普通に接してくれた。
そのことが、本当に単純な私を、本当に単純に後押ししてくれてもいて。
「ごめん、ミーナ」
暗闇に向けて、呟く。
それから、自分の髪を手に取る。
「ごめんね」
昼間に抜いてしまったこと。今までお手入れできてなかったこと。
前世から引き摺った恋だ。
諦めるなんて、出来る筈もない。
精一杯努力するんだ。
ミーナと、頑張って張り合うんだ。
それで負けてしまったら。
……負けて、しまったら。
…………。
すごく情けないことに、こういう時にお決まりの、「潔く諦める」なんてことは、全然浮かばなかった。負けた時のことを考えようとしても、どうしても、彼との幸せな未来しか浮かんでこない。きっと、負けたら身を投げるんだろう。それくらい、諦めようがない。
だからまず、私が精一杯勝負できる、髪を綺麗にする。
そうしよう。
その為にはまず…………。
「……寝よう」
夜はしっかり寝よう、と、ベッドに横になった。
すごくワクワクしていて、結局寝るまでにしばらくかかってしまったけれど。




