最終章-10 アドリヴェルテ
食事の後、そろそろウォルトの処置が終わるからとアドリヴェルテに連れられて来たのは地下室だった。魔法器具や実験器具、様々な文献が一見乱雑に、だが整然と並べられた部屋を過ぎて、何もない部屋に入る。
石造りの部屋。物は何もない。
あるのは――壁、床、天井、六面に描かれた魔法陣。発光していることから魔術が発動中であるようだ。地下室に降りてくるときに使っていた魔術の光はこの部屋に入ったときに消した。それだけの十分な明るさがあった。
そして部屋の中央であり魔法陣の中央に横たわるウォルト。魔術文字や魔法陣が描かれた服に身を包んでいる。眠っているようで、あまり動かない表情が今は穏やかに見えた。
――こういう部屋は消し去りたい過去の記憶を揺さぶってくるから苦手だ。
アドリヴェルテが静かに告げる。
「人造の小人――ホムンクルス。それがウォルトの正体だ」
分かっていた。だから今更驚きはしなかった。
「確かにウォルトに能力を与えたんじゃなかったな。何しろあいつが扉繋ぎの能力そのものだ。生成過程で扉繋ぎを実現するための魔術がその体内に詰め込まれてる」
それは同じ実験体であるクリストファも同じだろう。だから自分の正体を理解しているクリストファにとって、扉を繋ぐことが全てだった。
「出会ってから今まで、あいつはまったく体が成長していない。見た目からすればまだ十分成長の余地があるってのにな。あの魔法陣に扉繋ぎの能力を持ってるんだ、その影響で成長を阻害されているんだろうと推測していたが――そもそも成長しなかったとはね。
ホムンクルスは本来もっと小さい。フラスコの中に入る大きさだ。それを魔術で強制的に成長させ、あの大きさにしたわけだ」
魔法陣の光がゆっくりと消えていく。完全に消えて真っ暗になると、アドリヴェルテはまた掌の上で魔力の光を灯し、それをふんわりと浮かび上がらせた。
ウォルトが目を開ける。視線をきょろきょろと動かしてラギの方に気づいた。
「ラギ!」
名を呼びながら跳ね起きる。その勢いのままラギの方に駆けてきた。ラギのシャツを掴んで畳み掛けて問う。
「怪我は!? 起きて平気なのか!?」
「ああ、お前のお陰だ。お前が扉を繋いでくれたからな」
「よかった……」
ウォルトの肩の力が抜けたところで、ラギは腰を屈めてウォルトと視線の高さを合わせた。まっすぐにウォルトを見据える。
「ウォルト、すまなかった。フィズマールに到着した初日、青い森に行ったときに、俺はアドリヴェルテの屋敷に来ていたんだ。そのことをずっと黙っていてすまなかった」
ウォルトは首を横に振る。
「俺こそごめん。俺のせいでラギに怪我させた」
「やりたくてやったんだ、気にするな。
それに俺はこうして助かった。もしお前が刺されたら俺は扉を繋げないからどうにもできなかっただろう。だからこれでよかったんだ」
するとウォルトは言った。いつも通りの表情らしい表情もない無表情で。
「それと俺が刺されたらラギより治すのが難しいからだろ。――アドリヴェルテから聞いた」
「そうか」
「俺にアドリヴェルテと会ったってすぐに言えなかったのも、だからだろ」
「――そうだ」
「――俺、ホムンクルスなんだな」
ウォルトはアドリヴェルテから聞いてそれが既に事実だと知っている。
それでもラギの口から答えなければならないし、答えるべきなのだ。あの雨の日、この少年を拾って世界中を連れ回した者として。
「そうだ」
ラギははっきりと断言した。
「そう。
それでも俺とまた旅を続けてくれる?」
その頼みにラギは目を見開いて驚く。
「お前はこの場所を、アドリヴェルテを捜していたんじゃないのか?」
記憶を削りながら世界中を探し回った。それほどまでに辿り着きたかった場所。自分の原点。
「俺にはその名前しか残ってなかったから、どうしても自分の事を知りたかった。
けどもう知ったんだ。アドリヴェルテの作り出したホムンクルスで、扉を繋ぐために作り出された存在なんだってな。自分を知れた。だからここにきてよかったって思ってる。ラギにも本当にすごく感謝してる。
けどそれでもアドリヴェルテの実験体だった自分の記憶はないんだ。俺の記憶は全てラギとの旅の記憶なんだ。
だから、このまま旅を続けたい」
ここまで多弁に話すウォルトははじめて見たかもしれない。それほどに旅を続けたいと望んでくれているのだ。
ラギに断る理由はない。
けれど躊躇う理由はあった。ウォルトはもともとアドリヴェルテのものだからだ。
ラギはアドリヴェルテを見やる。するとアドリヴェルテはウォルトに向かって言った。
「行くといい。私は魔術師だから、どうしてもお前を実験体としてしか扱えない。今更実験体には戻れないだろう」
だからあの時アドリヴェルテは会わない方がいいと言った。
その言葉には、実験体ではなく人に対しての温情が感じられる気がした。
数日後、ラギの傷が回復したのでウォルトとラギはアドリヴェルテの屋敷を出て行くことになった。
屋敷にある扉の前で、クリストファはアドリヴェルテと共にウォルトとラギを見送る。
会釈だけの挨拶をしてウォルトは扉を抜けて行った。
また会おうくらい社交辞令でも言ってくれればいいのにとクリストファは思う。
「お前はこれでよかったのか? 私の元にいるままで」
アドリヴェルテの問いにクリストファは肩を竦めて答えた。
「勝手に扉を繋いじゃ駄目になったのはつまらないけどね。けどまぁ実験に付き合うのも嫌じゃないし」
ウォルトと違って意識が覚醒した瞬間から全て記憶に残っている。自分がホムンクルスだということも最初から知っていた。アドリヴェルテとの実験の日々も覚えている。そこがウォルトとの違いだろうかとクリストファは分析するが、あまり深く考えるつもりもない。
「そうか」
短くそう言ってアドリヴェルテは珍しく、ふっと柔らかく微笑んだ。
ラギがアドリヴェルテに別れと感謝の言葉を述べる。
「世話になったな。助かったよ。大した礼もできなくてすまない」
「礼をしたいのならまた寄ってくれ。魔術談義の続きをしよう」
「ならそのときまでに知識を増やしておくよ。
クリストファも達者でな」
こちらは社交辞令か本心か、挨拶を交わしてラギも扉を抜けていく。社交辞令だとしても、言われたクリストファは悪い気はしなかった。
扉を抜ける。
ウォルトは強い日差しに目を細めて息を飲む。吹き付ける風が強い。
眩暈がするほどの強烈な光線に晒される。光を遮るものが一切ないのだ。
果てしなく広がるのは段状に起伏のある大地。比較するもののないスケールの大きさに段の高さや幅の認識が狂う。階段のように一歩一段で上っていけそうな気すらする。赤茶けたその大地の上を真っ青な空が隙間なく覆う。その空に、大地の上に、疾風に引き千切られた雲が行く筋も棚引いて刻々と形を変え頭上を走り抜ける。
この地に溢れる躍動感。
いつまでも雲を目で追いかけていたくなる。
そして後を追いたくなる。
雲の向かう先、消失点の向こう側まで。
「これは目も開けてられないな」
内容は文句だが感嘆の色が濃いその声に振り向けば、ラギが目の上に手をかざしながら出てくるところだった。そしてウォルトも通ってきたその扉は、岩の隙間を利用してつくられた簡素な小屋のものだ。教わった他の場所に繋がるもう一つの扉も、きっと同じような小屋なのだろう。
旅の目的も目的地もない。
あえて挙げるなら旅の道中で扉の索引すら知らない扉が見つかれば重畳だ。
「行こう、ラギ」
「ああ」
ウォルトはラギの前を歩きだす。
雲の向かう方へ。
――世界を旅する。
――アドリヴェルテ END――
最後まで読んでくださった方に感謝です。




