最終章-8 アドリヴェルテ
「用意が出来たら呼びに来る」
アドリヴェルテが部屋を出て行き、ひとり残される。
つい一つ息を吐いた。
終わりが見えてきて気が抜けたのか。
ワイリーに頼まれた説得の依頼の終わり。それに――ウォルトとの旅の終わり。
ウォルトがいつ目覚めるか聞き忘れたが、それは自分がある程度回復するのとどちらが早いのだろう。まぁ挨拶もしないで出て行くほど薄情なつもりはないが。また気ままなひとり旅。それも悪くないだろう。
改めて部屋を見回せば、隅に自分の荷物が置いてあった。そこに着替えも入っているはずなので、上にシャツでも羽織ろうとベッドから立ち上がる。ふらつきはしたが何とか歩けた。補修だらけの継ぎ接ぎな魔法陣は、魔術師として晒したいものではないのである。
荷物に手を伸ばそうとして、ふと窓の外が視界に入った。バッグの中を探って シャツを取り出すと適当に羽織る。そしてあらためて窓辺へ。
空の端が赤い。夕暮れだ。
そしてその下はどこまでも続く針葉樹の森だった。ペン先のように尖った木々がどこまでも整然と並んでいる。
これが、ウォルトが――ラギが探し続けたアドリヴェルテの森なのか。
探していたのは森ではなくアドリヴェルテだったけれど、それでは扉を繋ぐ手掛かりにはできない。そこで数少ないアドリヴェルテの情報から、もしかしたら繋げられるかもしれないと可能性に賭けたのが森の中の城のイメージだった。
ただひとり、アドリヴェルテが棲む森。
蓋を開けてみればひとりでなかったわけだが――
とんとん、とドアがノックされた。
夕飯の準備にしては早すぎるだろう。
「どうぞ」
と応じると、入ってきたのはやはりアドリヴェルテではなく、この屋敷のもうひとりの住人、クリストファだった。ウォルトと同じ、アドリヴェルテの実験体。
「気が付いたんだね、よかったよ」
爽やかにクリストファは言う。
「お陰様でな」
ラギは無難に返しながら、ワイリーに押し付けられた頼まれ事のことを考えていた。
――扉の頻出の犯人を捜し出し止めること。
先延ばしにすることもない、今ここで話してしまおう。
クリストファとは大して言葉を交わしたことがないものの、気さくな印象なので説得はそう難しいことではないだろうと、ラギは安易に捉えていた。
「大怪我して転がり込んでくるなんて、一体何があったんだい?」
心配というよりは隠そうともしない好奇心でそう聞いてくる。
「襲われたんだ。俺じゃない、ウォルトの方がな。
おそらく扉を繋げるってばれたんだろう。その能力を利用してやろうって連中が出てくるかもしれないとは予想してたが、まさか逆に消そうなんて奴が出てくるとはな」
これで警戒心を抱いてもう扉は繋がないと言ってくれれば一件落着であるのだが。
けれど。
「そうなんだ。それは災難だったね」
クリストファは遠回しに自分の身が危ないと言われたことに気づいていないのか、それとも気づいても気にしていないだけなのか、まるで他人事のようにそう返した。
ならば直接的に言うだけのこと。体ごとクリストファに向き直り、クリストファを見据えて説得を試みる。
「クリストファ。ここ数か月の内にいくつも扉を繋いでいるのはお前だろう?」
「そうだね、扉ならいくつも繋いでる」
「あっさり認めたのは事情を知っている俺だからか? ――まぁいい。
繋ぐのはアドリヴェルテの命令か?」
「繋ぎたいから繋いでる。それだけ。アドリィに言われて繋ぐときは痕跡が残らないように繋がりを断っちゃうから、僕としてはあんまり繋いだ気がしないんだよね」
「……おい」
溜め息を吐かずにはいられない。口の端が引きつる。
眉目秀麗な顔をしてさらりと何を言いやがる!
それが原因で世間をどれだけ騒がせていると思っているのだ。
努めて冷静にラギは説得を続ける。
「止めてくれ、もう扉を繋ぐな。扉が世界に与える影響と自分に及ぼす危険性を考えてくれ」
するとクリストファは言った。軽く肩を竦め、変わらず軽い口調で。
「無理だよ。だって僕は扉を繋ぐために存在しているんだ。それなのに止めろなんて可笑しなことを言ってくれるじゃないか」
実験体であるクリストファに対して否定の言葉はすぐに出てこなかった。
代わりにその通りだなんて肯定の言葉が出そうになる。自分は――嫌になるほどどこまでも魔術師だ。
「ウォルトの話でも聞こうかと思ったんだけど、またにするよ」
ラギが言葉をかける前にクリストファは背を向ける。その背に掛ける上手い言葉も見つからず、ただ部屋を出て行くのを見送るしかなかった。




