最終章-5 アドリヴェルテ
--刺される。
けれどその瞬間はいつまで経ってもやってこない。ゆっくり少しずつ恐々とウォルトは目を開けた。
顎をきつく引いて俯いていた視線。そこに飛び込んできた光景。言葉を無くす。ウォルトの足下にはラギがうずくまっていた。腹のあたりを押さえる手が真っ赤に染まり、滴って――血溜まりをつくる。
震える。叫び声が喉の奥で破裂した。目の前が、頭が真っ白になる。
ウォルトを庇ってラギが代わりに刺されたのだ!
「な、なんで……」
それはウォルトの声ではなかった。
その声にウォルトは顔を上げる。数歩離れた位置に立ち尽くしていたのは黒い狐だった。頭を何度も左右に振り、酷く動揺している。
「そんな、私は…〝扉の索引〟を……」
血で滑ったのか力が抜けたのか、その手から血に染まったナイフが滑り落ちる。
地面に突き刺さる音が小さく鋭く森に響いた。
その音に弾かれたように黒い狐は背を向けて走り出す。どこの誰かもわからない。目的も分からない。けれど追いかけることなど思いつきもしなかった。
「…う……」
ラギの呻き声にウォルトは呆然自失から引き戻され慌てて膝をつき、倒れそうになる体を支えて声をかける。
「ラギ、ラギ! どうして! いやだ、いやだ――」
どうしよう。どうすればいい? 何もわからない。いやだ。死んでしまう。
あああああああああああああああああ!
錯乱するウォルトの手をラギが弱々しく握った。
「…繋げ…」
その言葉にウォルトはようやく今自分がするべきこと、ラギを救う手段に思い至る。
扉を繋ぐのだ。
そうだ医療都市に繋げばいい。ひとの目など気にするものか。ウォルトには行った記憶がないから繋げないが、ラギなら行ったことがあるかもしれない。いや病院であればこの際医療都市でなくても、そうだフィズマールのあの病院だって――
繋ぐ扉のイメージを固めようとするとラギが握る手に力を込める。そして声を振り絞って言ったのだ。
「…繋ぐ先は…俺が…決め…る…」
「分かった」
言葉を発するのも辛いのではないかと思ったが、扉の知識ならラギに敵う訳がないのだ。ラギなら最適な場所を選んでくれる。
ウォルトはラギの体をできるだけ動かさないように膝をついたまま腕を伸ばし、ドアの把手を握った。
ラギが血の付いた手でドアに触れる。手が滑り落ちそうになる。
「……この知識を、…術を……誰にも託せず逝けるものか…!!」
そこには、その眼光には、血塗れの手には、死を目前にして剥き出しにされた恐ろしいまでの執念があった。
血の跡を引いただけでその手はドアに触れたまま持ちこたえる。
――死なせるわけにはいかない。
「繋ぐ先は?」
ウォルトが問う。
ラギが答える。
「…アドリヴェルテの森…ただ一つの屋敷、そこの玄関へ…!」
「―――――――!!」
ラギがどうしてそこを知っている!?
これだけの言葉で繋ごうとするならその場所に行ったことがなければ、自身の中に正確なイメージがなければ繋げない。
それなのに!
ラギにどういうことだと問い詰めたかった。
知っていたなら何で今まで黙っていた!!
けれどこんな傷を負った状態でできるはずがない。ウォルトは把手を回し、倒れ込むように扉を開けた。
そこは上品な内装の広い玄関。正面には大きな階段。
その階段の上に、金髪の綺麗な女性が立っていた。
「――アドリヴェルテ――」
その名が口から零れ落ちる。涙も零れ落ちた。




