最終章-3 アドリヴェルテ
酒場から戻った明るい夜更け。闇に紛れることができないのが暮れない街の欠点だとワイリーは思う。
こっそりとアパートから抜け出した。ラギは結構酒を飲んでいたから簡単には目を覚まさないだろうし、ウォルトならどうにも言い包められるだろう。
アパートから少し離れた裏路地に入ると、そこの通りというより建物の隙間には表の店の荷物がいたる所に積み上げられていた。密会にはうってつけの場所である。
ワイリーがそこに着くと、密会の相手は既に来ていた。
相手の黒い狐はどうにも落ち着かず忙しない様子で、ワイリーの姿を認めるとあからさまにほっと肩を撫で下ろした。
「予定通り、これで最後の報告だ。――その様子だと何かあったようだな」
こちらも最終日で当たりを引いたか。
とはいえラギは扉の頻出の犯人は自分ではないと言っていたが――
扉繋ぎの能力があれば逃走など容易だ。エル・ワトランディ中の扉案内屋達に通達するのにも時間がかかる。ラギェンが扉頻出の件の犯人だと仮定していたワイリーは、ラギェンを問い詰めきれずに逃げられた場合に備え、先に証拠を押さえようと頻繁に外出しているウォルトに監視をつけていたのである。無目的に扉を繋ぐと考えるよりは依頼があって報酬と引き換えに繋ぐと考えた方が自然だ。ラギェンにずっと仕事を渡している以上、交渉もしくは交渉の伝達をするのはウォルトだろうと考えたのだ。
彼を監視すればそのうち依頼主と接触するのではないか。
その想定で監視を続けたが、今までの報告では何もなかった。ただ病院に行って話して帰ってくるだけだ。たまにふらっと寄り道もあったが、誰かと会っていた様子も手紙をやり取りしていた様子もなかった。
ラギの言葉通りなら何もなくて当然なのだが、それが今日、何かあったわけだ。冷静沈着さと堅い仕事振りを見込んで今回の仕事を回した彼を狼狽させる何かが。
彼には大金を払えば扉を繋いでやるという馬鹿馬鹿しい詐欺――実は詐欺ではないのだが――の現場を押さえたいと依頼している。
まさか監視役まで詐欺に引っかかることはないだろう、依頼主がよっぽどの大物だったか――
「何があった? 報告してくれ」
半ばその内容を予期しながらワイリーは促す。
すると監視役は堰を切ったように話し始めた。有能な彼にしては珍しい簡潔にまとめられていない報告だった。
そしてその報告はワイリーの予想を裏切った。
「あいつは今日もいつもと同じように例の娘の見舞いに行った。行ったんだ。今日も面会謝絶だからすぐに引き返すだろうと予想しながら、念の為俺は先回りして隣の病棟の屋上から病室のドアを監視していた。面会謝絶の病室に入った時は焦ったが、俺が声をかけるわけにもいかない、若気の至りだとそのまま監視した。するとどうだ! いつまでたっても出てこないじゃないか! 一時間ほどして医師と看護師が診察に部屋に入ったが、出てきたのも医師と看護師だけだった。あいつが見つからないはずがない。病室に隠れるところなんてないんだ! 足の高いベッドじゃ丸見えで下に隠れることもできない。それでも俺は待った。医師達を説き伏せたのかもしれない。さらに四時間後にまた巡回が来たがあいつは出てこなかった。おかしい。何かあると判断した俺は病室に行ってみることに決めた。誰も見ていないことを確認してこっそりと病室のドアを開けた。するとあいつはいないじゃないか! 俺がここまで移動している間にすれ違った可能性もある。けれど直感としか言えない何かが違うと言ったんだ。だから俺は娘が寝ていることを確認して病室を覗くだけじゃなく忍び込んだ。それですぐに気付いた。砂だ。細かな砂が床にうっすら積もってたんだ。しかもよくよく調べるとそれはドアの方から吹き込んでいる。おかしいだろう、ドアの向こうは廊下で直接外には面していないんだ。ここまで砂が入り込むはずはないし、あの砂の細かさ、浜辺や河原の砂だろう!」
ここでようやく監視役は言葉を切る。探るようにワイリーを見やる。話したことで幾分落ち着きを取り戻したようだった。
逆にワイリーは驚嘆を抑え込むのに必死だった。
力を持っていたのはウォルトの方だったとは!
大方病弱で外に出られない娘の為に海か川でも見せてやったというところだろう。そして自分はその繋いだ先から、あるいは繋ぎなおして帰った。
〝アドリヴェルテの友人達〟のひとりに数えられる魔術師ラギ。
ラギならば扉繋ぎが可能なのだろうと、門外漢とはいえ、いや門外漢だからかその高名さに先入観を持ってしまった。
となればラギの言葉は虚偽ということになる。まったくやってくれる。
監視役は人為的な扉繋ぎを目の当たりにしたからこそのここまでの反応だったのだ。
「詐欺なんかではありませんでした。これは事実です。早急に対処すべきです!」
「分かっている。
――こちらで手を打つ」
「新たな扉の頻出の噂は私も耳にしています。それと何か関係があるのではないですか」
「守秘義務に徹しろ。詮索は禁じる。この事実の重要性も影響力も分かっているだろう。
昨日伝えたように監視は今日で終わりだ。明日にはふたりともこの街を出て行く。ご苦労だった」
懐から報酬の貨幣の詰まった袋を取り出し監視役に差し出す。そして取決めにはないもう一袋。口止め料だ。
「――受け取りました」
監視役のその言葉を聞くと、ワイリーはその場に背を向けようとする。
そこに、
「あの!」
監視役が声をかけて引き止めてきた。
ワイリーは立ち止まって振り返る。
「この件、いやあの少年を、貴方はどうするおつもりですか?」
「あの力をどう使うか気になりはするだろう。
だがこれ以上関わるな。可能ならば忘れろ。それも仕事のうちだ」
「しかし――」
「私利私欲の為に使わないことは約束する」
「そうでなければ使うというのですか!? あの力は世界に存在すらしてはいけません!」
「関わるなと言ったはずだ」
ぎろりと監視役を見据えると、ようやく口を閉じた。
ワイリーは今度こそ歩き出し、来た道を引き返した。
――これが扉繋ぎの能力を知った民衆の反応というものか――
ワイリー自身ですらしばらく冷静ではいられなかった。やはり公にすべきではない。これまで以上に慎重に極秘裏に進めなければ。
そして――ラギ。
お前はどこまで嘘を吐いた?
自分が扉を繋いでいないという言葉は確かに事実だ。ならば他の言葉は? 扉の頻出に関わっていないというのは事実か?
どう動けば虚偽でも事実でも対応できる? 対処できる?
酒場での会話を何度も記憶の中で繰り返す。他に手掛かりをと今日の夜、昼、朝、前日と、何かなかったか記憶を辿る。
そして今回ラギェンがフィズマールに到着した日にまで遡る。
思い返してみれば、扉頻出の話をするとすぐにラギェンはウォルトのいるアパートに引き返していった。
あの時のラギェンの行動、様子。
――あんなことをすれば自分達が新たな扉の頻出の犯人だと言っているようなものではないか。
そうだ、だから疑った。だがもしラギェンが犯人であればあんなミスをするだろうか。
少なくともその時点でラギェンに関わりはなく、連れのウォルトに対して疑念を抱いたからこそあの狼狽え様、急いで戻ったのではないのか。
あの無表情で利発そうにも見えないウォルトに、ラギェンを欺いて扉を繋ぐことができるとは思えない。
そうなると、ウォルトの他にも扉繋ぎの能力者がいるという言葉は信じてもいいのだろう。
ワイリーはほっと胸を撫で下ろした。
しかしすぐに気を引き締め直す。
ラギェンに頼んだ犯人捕獲はこれから。
今度こそ対応を間違えるな。
扉繋ぎ。
その力は存在するだけで安定と均衡を奪い世界を揺るがす。
――そして。
路地裏では明るい夜の中そこだけ闇に切り取られたかのように、まだひとり黒狐が立ち尽くしていた。




