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扉繋ぎのウォルト  作者: 三原雪
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11章-6 額中の海

「今日にはワイリーの仕事も落ち着くんだろう?」

「ああ。午後からの会議で新たな扉の扱いに関する最終的な合意が得られるはずだ。内々での合意も根回しももう済んでいる。

 ラギェン、この時期にお前がフィズマールに来てくれて助かった。お陰で案内所を回すことができた」

「仕事を回してもらって感謝してるのはこちらもさ。

 路銀も十分貯まったことだし、その会議が終わればフィズマールを発つつもりだ」

「おいおい、相変わらず唐突な奴だな。せめて明日の朝にしてくれよ。

 別れの前に酒の一杯でもやろうじゃないか」

「いいだろう、なら明日の朝だ。

 ウォルトもそれでいいか?」

 クロエが面会謝絶と知った翌朝、ウォルト、ラギ、ワイリーで朝食をとりながら、アパートのキッチンでフィズマールを出て行く日が決まった。明日の朝。

 旅の予定にウォルトが異論を挟むことはない。

 だから今回もウォルトは頬張ったパンを飲み込むと頷いた。

 今日しかクロエの見舞いには行けない。

 今日は会えるだろうか。

 ワイリーと話すラギの声が、昨日のようにウォルトを説き伏せているように聞こえてならなかった。



 ウォルトは既に慣れたものとなった病院への道を歩く。この道も通るのはきっと今日で終わりだ。

 明日の朝にはフィズマールを離れるし、次に来た時に覚えていられるとも限らない。

クロエの事すら覚えているとも限らない。

 ――クロエがいるとも限らない。

 病院に着いてみればやはり昨日の今日、クロエは面会謝絶のままだった。

 ウォルトは目の前の閉められたドアを見つめる。

 ゆっくりと把手に手を伸ばす。

 力を込めて押してみれば、鍵はかかっておらず抵抗もなく開いた。

 一台だけのベッド。その上で、クロエは目を閉じて眠っていた。ここまで肌が青白かっただろうか。苦しそうにしているわけではないのに、その姿はとても弱々しく見えた。

 物音で目を覚ましたのか、ゆっくりとクロエが目を開いた。

「…ウォルト?」

 聞き逃しそうなか細い声。起き上がろうとしたのかわずかに身じろぎしたけれど、結局横になったまま。驚く表情をつくるのも辛いのか薄い反応だったが驚いたのは何となく伝わった。

 ウォルトは病室の中に一歩入ってドアを閉める。

 そしてその場でクロエを見つめて言った。誰か来たら咎められるし騒ぎになる。前置きもなく用件を切り出す。

「クロエ。

 今すぐに海を見たくはない?」

 病気が治ったら見に行きたいと言っていた海。

 ――まだ病気は治っていないけれど。

 自分なら、今、見せることができる。

 クロエは答えた。

「――…見たい。

 …私…きっと……治らないから」

「―――――――――」

 クロエの病状が実際どんなものかウォルトは知らない。だからただクロエが弱気になっているだけなのか、本当に治る見込みがないのかも分からない。

 けれど、クロエが見たいというのなら。

 ――ごめん、ラギ。

 友達と言ってくれたこと、自分の話を聞いてくれたこと、話し相手になってくれたこと。

 それらに報いる為になら、一度くらいラギとの約束をこっそり破るくらいはしていいかと思えたのだ。

 ――こんなことで報いられるかは分からないけれど、これが自分のできる精一杯だ。

 ウォルトは廊下に繋がっているはずのドアを開ける。

 ここで少しずつ開けて期待を昂らせるとか、もったいぶって間を開けるとか、そんな小細工ができるほど器用じゃない。

 一息に開けた。

 途端に流れ込む音は穏やかに繰り返される潮騒。ねっとりとしてひと肌に触れているような温度も湿度も高い空気。

 微かにざらついて砂をのせた風が扉を抜けて病室まで流れ込んだ。

 扉の向こうには。

 白い浜辺と輝く真っ青な海が広がっていた。

「―――――!!」

 目を丸くしたクロエが、ベッドから起き上がる力すらなさそうに見えたクロエが、ふらふらとながら上半身を起こして扉の向こうを見つめる。

 壁に大きな額縁をかけたような、扉で切り取られた病室の向こう側の海。質素な病室に今、一枚の大きな海の絵が掛けられていた。潮騒も届き、波が引いては寄せる、海を張り付けた海の絵。

 真っ白な病室の中に絵からの風がまた吹き込み、絵を食い入るように見つめる少女の黒髪と白いカーテンを揺らした。

「病気が治ったら海に行くといい」

 そう述べるとウォルトは浜辺に足を踏み出し、後ろ手に扉を閉め、繋がりを断った。

 ――奇跡はあるのねと、そう呟かれたクロエの言葉が、扉を閉める間際にすべりこんで聞こえた。

 こんな奇跡でも、クロエの為になっただろうか。

 目の前には視界いっぱいに広がる海。

 扉越しのベッドの上からでは海の広大さも雄大さも少ししか伝わらなかっただろう。

 ウォルトは靴と靴下を脱いで乾いた砂浜に放り出し、ズボンの裾を巻き上げた。

 寄せる波に足を浸す。踏みしめた足の指の間に砂が入り込んで少しくすぐったい。冷たい水が甲を撫でて心地良い。

 この水の感触も、眺めただけではわからない。

 だから、クロエもいつか来られるといい。

 ――奇跡はあるのだから。

「さよなら、クロエ」

 その呟かれた言葉は音量を上げた潮騒に紛れる。

 一際大きな波が来て、少し下がろうと後ろ向きに歩いたら砂浜に足を取られて転んでしまった。頭から波を被る。背中まで砂浜についてしまったので全身びしょ濡れだ。

「――――――――」

 ラギに何と言って誤魔化そう。

 全身を波に洗われる。たまに口に入る飛沫が塩辛い。

 ――まぁいいか。

 その時に考えよう。海に浸っていたらそんな結論が出た。

 起き上がると水を吸って重くなった服が肌に張り付く。苦労してひっぱりながらシャツを脱ぎ、ぎゅっと力任せに絞る。

 露わになったその背。

 その背には緻密な魔法陣が描かれていた。 



   ――額中の海 END――



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