11章-5 額中の海
ワイリー扉案内所まで戻ると、ウォルトはドアを開けるなり言葉を出そうとして息を吸い込んだ。けれどそれを飲み込むしかないと寸でのところで気づいて飲み込み、走ってきたこともあってその場で大きく咳き込む。
客や他の所員がいるなかで言えるはずがない。
――扉を繋ぎたいなどと。
何事かと注目を浴びる。視線が助けを求めてさまようけれど、接客中のラギに自分の都合を押し付けるわけにはいかない。ラギの怪訝そうで物言いたげな視線を振り切り、ウォルトは何も言えずアパートに戻るしかなかった。
使わせてもらっている部屋に戻り、ウォルトはベッドにごろりと横になる。まだ息切れがする。すぐに起き上がってキッチンで水を飲む。またベッドの上に戻る。疲労した体からぐったりと力が抜ける。過剰に走り回っていた思考もそれでようやく足を止め、しばらくただ呼吸の音に意識と耳を傾けていた。
――あまり時間は経っていないと思う。
部屋のドアが開く音がした。続いて近づいてくる足音。ぼすんぎしり、ベッドに腰掛ける音。
ウォルトはいつの間にか閉じていた眼を開ける。
視界の隅にラギの姿があった。
――なんとなく、溜息が出る。不甲斐ない。
「仕事は?」
「片付けた。案内所はマイクひとりでしばらくどうにかなるだろう」
「――そう」
ラギは怒っているわけでもなく普段と変わらない調子で答えた。
ウォルトにとっては気まずい沈黙が流れる。
それに耐えきれず、ウォルトは自ら話を切り出した。クロエについては既にラギに話している。病院に入院している女の子。
フィズマールからカディアカロンまでは三日はかかる道程だと、昨晩ラギに教えられた。病人となればさらにかかる。今のクロエには厳しい道程だろう。
「――クロエの病気が悪化した。
だから――」
だから。
医療都市カディアカロンまで。
「扉を繋ぎたい。友達の為に」
勝手には繋がない。
だから繋ぐ前に希望を口にした。
早く何か言ってくれと、ウォルトは口にしないでラギに伝わりはしない催促をする。寝転がったままの姿勢ではラギの表情も伺うことはできない。
「――駄目だ」
その一言がウォルトの耳に届いた。いつも通りの落ち着き払ったラギの声が、少し硬いように聞こえた。硬いから反響する。
頭の中で何度か反響してようやく否定の意味だったと理解する。
――駄目だ。
どうしてと非難めいた感情を口にする前に、
「考えてもみろ」
ラギがそう言って淡々と説きはじめる。
「ここフィズマールからカディアカロンまで扉を繋ぐ。
フィズマール側なら今いる場所だ、人目のつかない場所を探すのは可能だろう。だがカディアカロン側はどうだ? 詳細な場所のイメージがなければ向こう側の扉の抜ける先は指定できない。そうだろう? 衆人環視の扉に繋がったらどうする? ひと気のない場所の扉とイメージしても、すぐに病院に行かなければいけない以上、同日の内にフィズマールからカディアカロンまで移動した事実は隠すことができない。病気の治療に行くのに医者に直近の治療内容を誤魔化せば本末転倒だろう。
――行きたかった場所に繋がる扉を偶然発見した。
それが病気の少女で行き先が医療都市であればなんて奇跡だと騒ぎ立てられる。奇跡で片づけられているうちはいい。そのあまりの都合のよさに故意に繋いだのではないかと疑われる可能性もある。疑うも何もそれが事実だがな。扉繋ぎが故意に起こせるとなればどれほど世に影響を与えるか、分からないわけではないだろう? 強引な手を使ってでもクロエから聞き出そうとする輩が現れないとも限らないし――それにクロエが事実を話さないとも限らない」
クロエがそんなこと――と出かかった反論をウォルトは飲みこんだ。その一点だけに反論できたからといって全てに反論できたことにはならないのだから。
ラギはさらに続けた。
「他の問題もある。
……何故このところワイリーが扉案内本来の仕事に手が回っていないのか、お前にはちゃんと話してなかったな」
話さなかったという後ろめたさからか、ラギの言葉は少し歯切れが悪かった。
「――新しい扉が見つかったんだろ。それくらい案内所にいれば分かる」
「……………。そうか。その通りだ」
答えてウォルトはようやく気付く。
新しい扉によって変わった、ひとの流れを整理する。
通行許可は誰に与えるか、通行料は、それを受け取るのは――
そういった扉間での交渉を取り持つのも、中継都市に拠点を持つ扉案内屋の仕事だ。
そう教えられてはいたけれど、自分のやろうとしていたことがそれに結び付いてはいなかった。
ラギがさらに説明を加える。
「カディアカロンはただの街じゃない。医療都市だ。それが中継都市のフィズマールと直結することになればどれほどの影響があるか、少しは想像してくれないか」
「――繋がりを断てばいい」
論破されるのだろうと分かっていながらウォルトは小声で吐き捨てた。
ラギはやはり詰まることなく答えを返す。
「それはあまりに短絡に過ぎるぞ。
扉が自然に発生することは確認されても、自然に消滅することは確認されていない。もしそれが確認されたとなればこの世界は大混乱だ」
厳しい語調で言われたその言葉にウォルトは返す言葉もない。
「――後始末が厄介な善意なんてするな。その時には有難うと感謝されてもそのうち有難迷惑に取って代わるぞ」
――扉繋ぎ。
奇跡を起こす力。通り過ぎてもなお爪痕を残す大嵐のような力。
――奇跡とはなんて不便なのだろう。
大きすぎて身動きが取れず、何もできやしない。
ラギが立ち上がったのが音とベッドの振動で分かった。足音が遠ざかる。その足音が止まる。
何かを躊躇うかのように黙してから、ラギは言った。
「やめとけ。
――誰にとっても最悪の結末になってもいいのか? ウォルト」
その声は微かに震えている気がした。
すぐに足音がして、ドアが閉まる音が続いた。
ウォルトは部屋にひとり残された。




