11章-4 額中の海
「私、海を見たことないの。だから海が見たい」
ベッドに腰掛けたクロエはそんなことを言った。
その横に置かれた椅子に腰かけるウォルトは、そういえばウォルトが最初に話したカティッゾも海沿いの街だったと思い出した。
ウォルトがクロエのもとに通うようになって一週間。クロエの病室で今日もウォルトは旅の話を聞かせていた。話は一日二か所ほど、勿体ぶるくらいがちょうどいいとクロエが決めた。ウォルトが話し終わると今度はクロエがその場所について感想などを話すのが定番だ。話の下手さは相変わらずだったが、それでもクロエはどれも楽しそうに聞いて、その場所を想像してうっとりと微笑んでくれた。
そのクロエが、哀しげに目を伏せて言ったのだ。クロエのそんな表情を目にするのははじめてだった。
「いいえ、私が見たことないものばかりよ。あなたの話を聞いてつくづくそれに気づかされたわ。
私は小さい頃から体が弱くてあまり外には出してもらえなかったの。だから家の中で本を読んでばかりだった。本の中では私はいろんなところに行けたけれど、それでもどうしたって本当に行けるわけないのよね。あなたの旅の話も同じ」
聞くだけでは、行ったことにはならないのだと。慰めにしかならないのだと。
ウォルトはなんと言葉を口にしていいか分からなかった。
そんなウォルトにクロエは取り繕うように軽く笑ってみせる。
「――言ったかしら。私はね、医療都市カディアカロンに行く途中なの。
そこで病気を治してもらうの。――つまりはそれしかもう手立てがないってことなんだけどね。しかもそこで治せるかどうかはまだ分からない」
クロエはまた俯きかけた顔を上げた。
「分からないけど、もし治ったなら――海を見に行きたい」
――行けるよ。
この能力を使えば今すぐに。
ウォルトは喉から出そうになった言葉をかろうじて飲み込んだ。
――勝手に扉を繋がない。
ラギとそう約束したのだから。
せめて明日は海の話をしよう。どこの海の話をしようか、どこがいいだろうと思い出しながら、ウォルトは案内所まで帰った。
そして翌日。
話す海は決めた。
日課のようにクロエの病室に向かうと、ウォルトはドアの前で立ち竦む。そこには面会謝絶の札が掛かっていた。
クロエの病状が悪化したのだ。
――違った。
繋ぐべきは海に繋がる扉ではなかった。
医療都市カディアカロンに繋がる扉だったのだ!
ドアの把手に手が伸びる。けれど触れることができずにその手は止まる。
――勝手に扉を繋がない。
そう約束した。まだ覚えている。
ウォルトは手をひっこめ踵を返すと走り出した。看護士か誰かに病院内は走るなと注意された気もするがそこまで気が回りはしない。
ラギのいる案内所まで、来た道を全力で引き返した。




