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扉繋ぎのウォルト  作者: 三原雪
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11章-3 額中の海

「私はクロエ。あなたは?」

「ウォルト」

「そう、ウォルトね」

 クロエはベンチの正面に移動してウォルトの隣にふわりと腰掛けた。

「患者には見えないから見舞客?」

「――ああ」

 見舞客の付き添いが正しいところだが、訂正するのも面倒なのでウォルトは肯定した。

「お見舞いはもう終わったの?」

「――――――――。

 見舞いに来たのは俺じゃない。見舞いに来るっていうから暇だしついてきた」

「ならあなたは見舞客じゃないのね」

 かえって面倒になった。

 弁解もないし言い訳も思いつかないのでどうしようか、いやそれ以前にこれで会話終了かも、それでもまぁいいかと思っていたら、クロエがやれやれとばかりに小さく一つ息をついた。

「この街に住んでるの? それとも旅の途中に寄ったの?」

 話題を変える。もちろんウォルトも元に戻すことなどしなかった。

「旅の途中」

「いつまでこの街にいる予定?」

「わからない。しばらくはいると思う」

 会話というより一問一答である。

 もう少し気の利いた返答はできないのかと、ウォルトは自分の口下手さに呆れる。

「なら私と同じね。出身はどちら? 私はヴェルン」

「―――――――」

 気の利いた答えどころではなかった。答えをそもそも持っていない。またウォルトは返答に窮してしまう。

「知らない。覚えてない」

 ウォルトは早口で答えた。

 眉をひそめるクロエ。

「―――そう、いいわよ。

 ならフィズマールに来る前にはどんな街にいたの?」

 これなら答えられるでしょと質問を変える。

 問われてウォルトは記憶を辿った。

 ここフィズマールに来る前に通った街――街。フィズマールのひとつ前は沼だった。乗れそうなほど大きなハスの葉が浮かぶ水面の上、沼に杭を打って敷かれた板の道を歩いた。その前は――

 今回のフィズマールへの移動では扉を多く通った分扉間ごとの移動は短く、あまり道中の様子は記憶に残っていない。残るほど滞在していなかった。

 沼の街道の先は街だったが、大して記憶に残っていないのでありふれた石造りの特徴のない街だったのだろう。

だからそれを答えにするのは躊躇われた。答える内容が平凡だとまた素っ気ない答えになってしまうように思えたのだ。

 この前ラギの扉案内について行って見た庭はとても美しかったが、それも街ではない。

 ああ――そうだ。

 思い出した。記憶の中からぽんと浮かび上がった。

 この前の扉案内について行ったときに通った街だ。

 白い小さな家が海沿いの斜面に建ち並んだ街。

 海の街なら夏の盛りに来たいところだったが、生憎と空気は肌寒かった。街は高台にあり、見下ろす海も見上げる空も寒々しい青。

 そして白塗りの壁も――くすんではいなかった。むしろ眩しいほどに真っ白だ。汚れなどない。何しろ今塗り替えている最中なのだから。

 特徴的な灰色の石を積んだ円錐屋根。その下は弧を描く白い壁で、部屋の中はきっと円形なのだろう。円錐屋根一つだけで見れば家として小振りだが、それをいくつか接して建てて一つの家をつくっているようだ。

 ぽこぽこと小さな円錐屋根が立ち並ぶ街並みは愛嬌がある。家だけでなく道までも曲がりくねって、街中が柔らかい曲線でできていた。

 その街の至る所で今、家の外壁の塗り替えが行われているのだ。

 どろりとした石灰を掬った鏝を壁に当てて、下から上に延ばす延ばす延ばす。

 曲面の壁だというのに凹凸なく石灰が延ばされていく。雨や砂埃で汚れた壁が、見事な手際の良さでどんどんと真白く塗り替えられていった。

「旅びとさんかい? もうちょっと遅い時期にくりゃ真っ白に塗り替え終わった後だったのにな」

 烏の左官屋が鏝と石灰の乗った板を片手に手を止めて話しかけてきた。

 白壁の前に立つ黒烏。清々しいまでの対比である。前掛けをしているとはいえ黒い羽根を白く汚してしまわないかとウォルトは心配したが、かえって汚れた個所が一目瞭然でいいのかもしれない。白鳩だったら少しくらい石灰のとばっちりをうけても気づけなそうだ。

 ラギが答える。

「長旅の身でね、それより塗り替え作業のほうが物珍しくていい。お前さんも見事な手並みじゃないか」

「ありがとよ。親方に聞かせてやりたいね」

「どこも一斉に塗り替えるんだな」

「おう、夏が来る前にな。気温の上がり始める前にやっちまわねぇと」

 白は光を反射する。この壁が熱を家から跳ね返すのだ。

 夏の気温が高いこの海沿いの街の家々は、そうやって涼を求めるのだという。

 まだ肌寒い春先。

 夏にはまだ遠いけれど、夏の支度はもう始まっていた。

 円錐屋根の街――

「カティッゾを通った」

「カティッゾ?」

 クロエが聞き返す。

「そう。白い小さな家がたくさんあった」

 どんなと問われたので、ウォルトはちゃんと説明する。あの白くて小さくて愛嬌のある街並みを。

「円錐屋根の家で、海が近かった。家の壁の塗り替えをしてた」

 相変わらずの感情に乏しい抑揚に欠けた話し方。

 それだけ話して口は止まった。

 これではあの街の魅力を全くもって伝えられていない。話したことは間違ってないし事実なのに、何だろう、要点はまとめたつもりだけれど、重要なことが伝わっていないのだ。

 ――ふーん、そう。

 なんてつまらなそうな言葉が返ってくるに決まっている。

 けれど。

「まぁ! 私、そこに行ってみたいわ!」

 あろうことかクロエは顔を輝かせてそう言ったのだ。

「本当に?」

 思わずウォルトは聞き返していた。

「だってとんがり屋根の小さなお家でしょ? それがたくさん並んでる街なんて可愛らしいじゃないの」

 クロエが頭の中で思い描くカティッゾはどんな街なのだろう。

 こんな簡潔に過ぎる説明だ、ウォルトの見た本物のカティッゾとはずいぶん異なるのだろう。それでも顔をほころばせてカティッゾに思いを馳せるクロエを見ていると、そんな野暮なことを指摘するなど思いつきはしなかった。

「ねぇ旅をして長いの? どれくらい?」

「――二、三年は経ってるかな」

「今よりももっと子供だった時から旅してるのね。すごい」

 二、三年前は自分は今より子供だっただろうかと疑問に思ったが、昔のことなどよく覚えていないのでそんなものだろうと特に気には留めなかった。

「ねぇもっと話してよ。他にどんなところに行ったの?」

 請われてウォルトは記憶を辿る。

 どこがいいだろう。

 ――どんなところならこんなふうに喜んでくれるだろう。

 けれどそれを選び出す前に。

「おーいウォルト。お待たせ」

 その声に視線を向ければ、マイクがお見舞いを終えてウォルトのもとにやってくるところだった。

 ウォルトはワイリーの案内所までの道程を思い出そうとしたが、覚えようとして通らなかった道だ、自力で戻れはしないだろう。ワイリーの案内所は有名らしいので道中で道を何度も尋ねれば辿り着けはするだろうけれど、そこまでの社会性がないことは自覚していた。

 ウォルトはベンチから立ち上がる。

「やぁ」

 マイクはクロエに気づくと気さくに挨拶をして話しかけた。

「ウォルトと友達になったのかい?」

 ――まさかこれくらいで。

 ウォルトはそう思ったけれど。

「そうよ。旅の話をしてもらったの」

 クロエはあっさりと肯定した。

 ウォルトは目を丸くする。

「ねぇウォルト。明日も来てよ。退屈してるの、話し相手になってくれないかしら?」

「――――。俺も退屈してるんだ」

 案内所までの帰り道で道程を記憶に刻んだ。


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