10章-4 秘密の花園に咲く
これといった問題もなく、予定通りに旅路は進んだ。もちろん迷うことなどない。老齢であるフィオルも商会の仕事で出歩くことが多いらしく矍鑠としたものだったし、キャシーも染め物は力仕事なのか口数は多くても不平が出ることはなかった。
最後の扉を抜けると肌を刺す空気に身が竦んだ。冷たい。寒い。真冬だ。雪までちらついている。ウォルトは思わず両手で腕を擦った。
そして首を縮めながら周囲を見回す。
目の前に広がるのは広い庭園。落葉した背の低い木々が幾何学的に配置されて剪定され、足下からはじまる砂利で舗装された道が庭を真っ直ぐに貫く。その道を中心として木々は庭全体に及ぶ大きな左右対称の紋様を作り出す。
作為的に美しさを計算され配された庭。洗練された庭。
盛りの時期はさぞ華やかに違いない。
けれど今は冬。
その木に、道に、並べられた長椅子に、うっすら積もる白い雪。
色のない冬の庭にはひっそりとしてひと気がなく、空でさえ曇天で色彩を失っていた。色彩のない庭はあまりに寂しい。
――百薔薇館。
そう称される屋敷の庭なら、あの木々はきっと茨なのだろう。
薔薇ならやはり赤だろうか。茨はきっと深い緑の葉を茂らせている。
色彩のない庭に、ウォルトは空想の筆で色を入れた。
「いい庭ね。
冬なのは残念だけど、いいわ。だってまた見に来れるもの。なんたってラギェンさんに道順を教えてもらったのですからね。楽しみを後に取っておいたのだと思いましょ」
朗らかにキャシーが言った。それにフィオルも同意する。
「そうですな。しっかりと手入れされていることは分かります。
――どうやらここは建物の裏手のようです。表に回って庭師に挨拶に行きましょう」
この百薔薇館は今は庭師が一人で管理しているはずだという。
おそらく扉が繋がっていたのは館の勝手口か使用人用の裏口なのだろう。正面の玄関から入るため、館の壁に沿って歩き出す。
館の角を一つ曲がる。
積もった雪に足跡を残してもう一つの角を曲がる。
館の正面に出た。
示し合わせもせずに皆の足が止まった。
「これは――」
それは誰の声だったか。
目に飛び込んできたのは鮮烈な赤。
唐突な光景に、それが一体何なのかすぐには認識できなかった。一つだけでなく幾つも点在する。それこそ――百を超える。
それは白い雪の下に咲く、赤い薔薇だった。
――森の中の花園。
自然の美しさをそのまま残し、体裁だけを整えて庭にした。そんな庭。
館の裏にあった幾何学的な庭とはずいぶん趣が異なる。ただ、この自然の美しさを出すために、保つために、ひとの手が陰ながら入っているのだろう。
森の中の小径は咲き乱れる薔薇達の間を縫うように奥まで緩く蛇行して続いている。赤の一種類だけではなく、色、大きさ、形、さまざまな種類のものがあり目を飽きさせない。
雪の下で、初夏に咲くはずの薔薇が庭中で咲き誇っている。薔薇だけでなくこの庭をつくりだす草木全てが、青々と瑞々しい葉を茂らせていた。この重い灰色の雪空でさえ赤い色彩を引き立たせるには相応しい。
自然な庭――けれど今は恐ろしく不自然で――幻のようで。
音もなく振る雪が庭の静けさを際立たせ、この幻想的な光景を際立たせていた。こわごわと近づけば薔薇の香りが鼻をくすぐる。幻はなんて甘い。
「あらあらまぁまぁ! 狂い咲きかしらね。いいものが見れたわ。これは今日来て大正解だったわね!」
キャシーが興奮して言う。フィオルがそれを受け、
「けれどこれほど庭中が見事に狂い咲くなどあるのでしょうか?」
戸惑いが濃く怪訝を口にする。手放しで感嘆できないのは積み重ねた年月の常識故か。
「それとも冬に咲く、そんな品種があるのでしょうか」
フィオルは自分で提示したその可能性に、自分でふむと頷いた。
「是非うちで扱いたいものです。冬の庭は寂しくなりがちですが、この薔薇があればそれも華やかになりましょう」
小難しい顔になったがどこか舌なめずりをしそうな口元のフィオル。素直に称賛できないのは積み上げた利益の試算故か。
ふとウォルトは先程から何も言葉を発していないラギの顔を見上げた。
庭を凝視する黒い双眸。図書館で魔術書を相手にしている時のように横に引き結ばれた口。
困惑の入り混じった――険しい顔。
何かこの庭に気に入らないところがあるのだろうか。
その問いを口に出そうとしたところで音が聞こえた。つい意識がそちらに向く。
さくさくさくと、雪を踏みしめる音。
小径の奥からだ。
誰か――あるいは何かが――いる。
この館の主――今は亡き主か。自らの庭の狂い咲きを愛でに冥府から現世に蘇ったのだ。
庭師がいるはずと聞いてはいたけれど、この冬の薔薇の幻の中ではまずそれが思い当たった。
けれどそんなことはなく。
現れたのは話に聞いていた通り人間の男。エプロンに長靴、軍手、どうみても庭仕事の格好だった。




