10章-2 秘密の花園に咲く
フィズマールのワイリー扉案内所。
ラギがそこで仕事を手伝うようになって数日が過ぎた。ウォルトはその間、街をふらついたり事務所の隅で仕事を眺めていたり、要するに暇を持て余していた。
今も事務所の隅の椅子に座って、ラギが客に応対しているのを何とはなしに眺めている。
始点と終点、一度きりの利用か定期的に使うのか、日数や扉の通行料はどこまで許容できるか、その他いくつか質問したうえで相談し、依頼主の希望に沿った経路を紙に書き出していく。
急ぎの依頼や扉案内屋が同行しなければ通れない扉を使う場合は直接道案内するが、その分料金も跳ね上がる。扉の通る順だけを教える依頼も多かった。
今のところそのような依頼ばかりだ。
――家族で景色のいいところに旅行に行きたいのだけれど、半日程度で移動できる場所にないだろうか?
今し方応対している客のように、そんな依頼も来る。
その客は上機嫌な顔で立ち上がりラギに礼を言う。おそらく家族の喜ぶ顔が目に浮かんでいるのだろう、浮足立った様子で帰っていった。
ラギが軽く一息つく。
ようやくやることができた。
ウォルトは客に出していたカップを下げると、奥の小さなキッチンに持って行って洗って元の戸棚に戻した。やること終了。
また暇になったと内心でぼやきつつ応接室に戻る。
するとそれに応じたかのように、椅子に戻らないうちにドアベルが鳴った。
「次もお前に任せる」
何やら資料作成だか整理に追われている手を止め、そう告げるワイリー。
案内所にはラギとワイリーの他に所員はいない。あと四名在籍しているらしいが、付添いが必要な道案内の依頼で皆出払っているのだ。ラギがいれば所内での道案内は回せると判断したのだろう。実際その通りである。
ラギがその頭の内に保持する情報量は、おそらくこのワイリー扉案内所――いやフィズマールの扉案内所の保持するそれより多いのだから。しかもその情報を検索するに必要な時間も桁違いに短いのだ。
「わかった」
ラギは不平もなく余裕が伺える様子で答えた。
案内所に入ってきたのは錆色の狼と、それに真っ白な兎だった。狼の方はその毛艶のなさが年経た賢さを漂わせていて理知的な印象を受けた。一方兎の方はと言えば、同じく若くはないが狼ほどではないし、理知的というよりも世話好きな街のおばさんというか。恰好からしてそんな感じでばらばらなので、どういう組み合わせなのか奇妙なふたり組だった。
――そんなふたりがどこに行こうとしているのだろう。
気になりはしたが、今はお茶を出さなければ。
たまにはこれくらい役に立ちたい。
ウォルトはキッチンに引き返した。
食器棚からカップと茶葉を出す。さすがに何度もやれば手際はよくなった。
お茶を淹れたカップをのせたトレイを手に応接室に戻る。
キッチンまで長々と話す兎の客の声が聞こえていたから、もう話は進んでいるだろう。このふたりがどこに行きたいのかやはり気になって、テーブルを挟んでラギの前に座る客達にカップを出しながら聞き耳を立てる。
話しているのはやはり兎の方だ。
「――でしょ?
それにほら、私扉案内屋に頼むのって初めてなのよ。この歳になって恥ずかしいわね、世間を知らない娘さんみたい、なんてあらやだおばさんが何言っちゃってんのかしら。ふふ」
全然進んでいなかった。
歯切れ良い話し方で嫌味はないものの、こういう長話は総じて男は苦手とするものである。ラギに目をやれば呆気にとられて口を挟みかねていた。
さらにウォルトがトレイをキッチンに片付けて戻ってきたところでようやく、
「あー、すまないキャシーさん。依頼の話をすすめてよろしいか?」
狼の方がキャシーというらしい兎に苦々しさが滲む声で割って入る。キャシーは長い耳をぴんと立てて、
「あらやだすみませんね、私ったらお喋り好きで。フィオルさんにまかせた方が話が上手く進むかしら。ほら、だって貴方、こういう交渉事って手馴れてるんでしょ?」
「そうしてください」
フィオルと呼ばれた狼がやれやれとばかりに同意した。
やっと話が進むようである。
ウォルトは応接室の隅で、このふたりはどこに行くのだろうと聞き耳を立てる。
「これをご覧ください」
そう言ってフィオルが懐から一枚の紙切れを取り出し、それをラギに差し出した。
受け取って目を通すラギ。
「その経路ね、どうも今は使えなくなっちゃってるみたいなのよ」
早くも口を挟むキャシー。
書いてある内容はどうやら目的の場所への道順のようだった。
「そのようですね。つまりはこの目的地への代替経路がご依頼ですか?」
「そうです」
ラギは目的地を読み上げた。
「――百薔薇館」
百の薔薇の館。
その館はきっと薔薇に囲まれているに違いない。
その咲き乱れる様はどんなに美しいだろう。
ウォルトは名前だけで期待を膨らませる。
「分かりました。詳しい条件を伺いましょう。
使えなくなった扉だけを迂回する経路をご依頼ですか? それとも始点と終点だけを変えずに新たに希望に沿った経路を探しますか?」
「扉だけを迂回してちょうだい。
できるだけこの道順の通りに通ってみたいのよ。ああけれど、最短だとどれくらい時間がかかるのか、時間だけなら聞くだけ聞いてもいいのかしら? けどそれなら始点はここじゃなくて――」
ラギが案内するのならついて行けるかと僅かばかり期待したのだが、挙げられる条件からするとそれは叶わなそうだった。自分達だけで行けるようにしたいので扉案内屋なしでも通れる経路を、なのでもちろん扉案内屋の案内により最短時間で目的地に着きたいという要望ではない。
まあいいか――とウォルトはあっさりと諦める。どのみち付添いならワイリーが他の所員に回すだろう。
ウォルトはあまり物事に執着しない。どうせその執着も記憶と共に消えるから。だから執着なんてしない。
執着しているのは――アドリヴェルテ。それだけ。
ラギは紙を取り出してキャシーとフィオルに道順などを説明していたが――そう、もう道順を導き出した――、それもしばらくして終わった。
「ありがとうございました、案内屋さん。本当にありがとね、これであのひとのこと少しでも知ることができるわ」
キャシーが深く感謝を述べる。
そして支払も終えたところでフィオルが切出した。
「さすが、〝扉の索引〟と呼ばれるだけのことはありますな。あっさりと代替経路を示された」
前置きとしての褒め言葉。
そして自分からは名乗らないラギの二つ名を当てて見せた。
「では、これは私からの依頼です。
私もこの百薔薇館には是非とも足を運びたいのですが、生憎仕事で忙しい身でしてね。 このフィズマールから百薔薇館まで、最短時間で貴方に案内していただきたい」
「私をご指名ですか?」
「そう。〝扉の索引〟ラギェンに道案内をしてもらいたい」
偽名を使うこともあるが、フィオルの確信を覆すことはできないと判断したのだろう、ラギはラギェンであることを否定しなかった。
「名乗ってはいないのによく私がラギェンだと分かりましたね。他の扉案内屋はワイリーの元に私がいるとは聞き知っていても、おいそれとは口にしないはずです」
「それも当然、そんなことをすれば自分の客を減らすことになりましょう。
――なに、私は商会の会長をしている身でしてね、扉案内屋には度々世話になるのですよ。だから〝扉の索引〟がフィズマールを拠点としているのではないかという噂や、その容貌くらいは聞き及んでいました。黒髪黒眼の人間の男とね。
それだけ知っていれば、あとはこうして貴殿が扉の経路を早々と答えるのを聞けば十分というものです」
「ではこれから答えは勿体ぶって出すことにしようか。わざと扉の索引を開くのも効果的かな?」
ラギは肩を竦めて苦笑した。
ここで言う扉の索引とはラギ自身ではなく、紙に記されたそれだろう。
けれど作業の手を止めたワイリーの鋭い視線から察するにそれは難しいに違いない。そんなことをしたらこの案内所の回転効率が下がってしまう。
「それで、貴方はただ私の扉案内屋としての技量を目の当たりにしたいだけの為に、百薔薇館までの道案内を依頼しようという訳ですか?」
「いえいえ、だけではありません。言ったではありませんか、私は忙しい身だと。予約が埋まっているのであればいつなら都合が付けられますか?
ラドル商会の現会長として百薔薇館には足を運びたい、けれど移動時間を節約したいのですよ。もちろん料金は割り増してくれて結構」
「本音は?」
ばっさりと切り捨てるラギ。フィオルは口の端を釣り上げ、むしろにやりと笑った。
「ラギェンは最も分厚い〝扉の索引〟をお持ちですが、一都市に拠点を設けて扉案内業を営んでいるわけではありません。根無し草で気が向いたら旅先で仕事を受けるだけです。当代のラギェンである貴殿もそれは同様ですが、不定期ではあってもここフィズマールで逗留している間にこうして仕事を受けていますからまだ依頼しやすい方なのでしょう。もっとも、名乗りはしないのであまり噂にはならないようですね。評判がいい案内屋がいると徐々に俎上に上がっても、その頃には貴殿はこの街を離れておられるのでしょう。
――ふむ、私もつられて前置きが長くなりましたな。ご勘弁を。
つまりは、金を払ってもできない経験が金を払ってできるのなら安い物ではないですか。
扉の索引ラギェンに案内してもらったという経験ができれば、商売相手とのつかみ話のいいネタになります」
さらにフィオルは笑っていない眼で笑うとまた口の端を釣り上げる。
「もっとも、相場の十倍二十倍を盛られて諦めたという話にしても落ちとしてはいいでしょう。もしくは扉を案内する気のない扉案内屋と締めるのもいいかもしれません」
ばん、と乱雑に、ワイリーがペンを机に置いた。漏れ聞こえた溜息が続く。
「ラギェン。ここから百薔薇館への移動時間は? 最短でだ」
「通行代が高くついてもいいのなら五時間」
「あら随分近いじゃないの」
感想を漏らすキャシー。
「それなら安心しろ。依頼主は金を惜しまんそうだからな。
――フィオルさん、まったく貴方は商人だ。けれどこちらも商売です、ラギェンに一日で稼いで貰う筈だった利益程度は色をつけさせてもらいますよ。
もちろん、明日の予定は空けられるのでしょうね?」
事実か脚色されたのか微妙な悪評を立てられるよりはマシだと判断したのだろう、ワイリーはため息交じりにそう提案したのだった。
「ええ、もちろん空けましょう。予定を調整します。
このあたりで扉案内が必要になった時は贔屓にさせてもらいますよ」
フィオルは満足そうに言った。




