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扉繋ぎのウォルト  作者: 三原雪
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10章-1 秘密の花園に咲く

 館の主が亡くなったと知らせを受けたとき最初に心に浮かんだのは、老齢だった主の冥福と、この庭を離れなければならないのかという郷愁にも似た思いだった。

 だから主亡き後もこの館と庭を守れることになったのは、レイギスにとって有難いことであり、亡き主の遺したものを守れることは光栄なことだった。

 百薔薇館。

 それがレイギスが奉公している館の名。その名の通り、名付けた当初は百の薔薇が咲き乱れる――もしくは咲き乱れるようにしたい館だったのだろう。

 亡き館の主はラッドという真っ白な兎で、使用人のレイギスにも礼節を忘れない紳士だった。世間的に見れば変わり者ではあったのだろう。何しろたった一つの扉しかないこの丘をわざわざ買い求め、自らの愛した薔薇を愛でるためだけに館とこの薔薇園を作り上げたのだから。家族は持たないのかと聞けば、薔薇が家族だと笑って答えたことすらあった。

 普段暮らしていたのは本邸と呼んでいた別の街にある屋敷で、その街で大きな商会の会長をやっていたらしい。百薔薇館には薔薇の見頃の時期に合わせてその間だけ休暇を取って滞在していた。それ以外の時期でもふらりと立ち寄ることはあったが、その時は自分に落ち度はないと分かってはいても薔薇が咲いていないことに恐縮したものだ。

 ――冬の枯れた庭を眺め初夏の満開を夢想するのも乙なもの。

 ラッドはそう口にしてはいたものの、レイギス達に顔を見せに来てくれていたのだろう。もちろん変わり者の主の事だ、それも本心ではあったのだろうが。

それでも――ラッドにはいつだってあの咲き誇る薔薇園を見て欲しい。

 今となっては千薔薇館どころか万薔薇館と称せるほどの規模にまで育った薔薇園。

 それを作り上げたのは庭師であったレイギスの亡き父と母、そして後を継いだレイギス自身だ。レイギスはまだ二十代の半ばだが、庭仕事は物心つく前から両親を手伝っており、両親が相次いで亡くなってからはレイギスが一人でこの庭を手入れしてきた。だからこれは自己満足の自慢も含まれるのだろうが、ここまで見事な薔薇園は二つとないと思っている。

 けれど今、その咲き誇る薔薇園を誰よりも待ち望んでくれた主はいない。

 主を亡くしてからこの庭の薔薇達は二回見頃を迎えた。いちばん喜んでくれるひとを迎えられなかった薔薇達は、どこか落胆して色褪せているように見えた。そして今、レイギス一人しかいないこの庭で、三回目を迎えようとしている。

 ふっくらと膨らんだ薔薇の蕾たちを眺め、水遣りの手を止めてふとレイギスは我に返る。

 ――自分はいつまでこの庭の庭師でいるのだろう――

 ラッドが亡くなった今、給金を貰っているわけではない。この庭にやってきた商会の者に、せめてこの遺産の処遇が決まるまでは世話をさせてくれと頼んだのだ。給金は出せないと渋られたがそれでもいいと押し切った。この庭の真価を見せられる初夏のあたりであれば話は違ったかもしれない。けれど庭の隅の裏手に小さな畑もあるし、売る用の薔薇も作るようにしたので、今でも生活するのに困ってはいなかった。レイギスの作る薔薇は形もよく華やかだと評判がよく、幸いにもいい値で売れた。

 むしろ今まで通り好きな庭仕事ができてこの館に住まわせてもらえているのだから、不平を述べるどころか感謝すべきだろう。

 だからこのままここで庭師を続ければいい。

 ――そうは思うのだが――

 主の寝室を使わず未だに使用人用の部屋のままなのは譲渡されたわけではなくあくまで管理を任されただけなので正しいとはいえ、ラッドのお気に入りだったテラスの揺り椅子に腰掛けるのさえ気が引ける。

 つまりレイギスは未だに亡き主に仕えているのだった。

 ――それが、このままでいいのかと。

 たった一人、誰も訪れない庭を、亡き主の為に守り続ける。

 ――空しさを、感じ出しているのだ。

 地に足がついてないとでも言おうか。

 せめてこの庭を一般に開放してしまおうかと考えたこともある。どうせ商会の者達も訃報を寄越して以降連絡はなく、放置しているような扉一つしかない僻地の遺産だ、それくらいは文句も言われまい。けれどそれもなかなか踏ん切りがつかなかった。

 思えばラッドは客をこの館に連れてきたことすらなかったのだ。いつもひとりでふらりと連絡もなく現れた。

 これだけ素晴らしいのだからもっとたくさんのひとに見てもらえばいいのにと、レイギスは子供の頃に父に不満げに溢したことがあった。その答えは大人になればいずれ分かると諭されるに終わったが、成程、確かに今の年齢になってみればその気持ちも分かるようにはなっていた。

 子供なら宝物は見せびらかして自慢したい。けれどそれが大人になれば、自分だけの世界で自分だけの宝物にするという選択肢も出てくるものだ。

 ――ラッドはきっと、自分だけの秘密の花園を気取っていたのだろう。

 その秘密を、自分は未だに守り続けている。

 その秘密の花園に。

 物音がした。

 足音だ。

 レイギスははっとしてそちらに視線を投げる。空になった如雨露が手から滑り落ちた。

 ラッドが帰ってきたと、そう思ってしまったのだ。

 けれど当然だがラッドではなかった。兎ではなく人間だ。

 薔薇の門をくぐって庭に入ってくる。

 ――なんて薔薇が似合う人なんだろう。

 それも赤。真紅の薔薇がよく似合う。

 レイギスは誰何するべき闖入者に、秘密を暴いた侵入者にまず見惚れていた。

 緩く波打つ金髪は腰まで届き、凛とした眼差しは深紫。蠱惑的な唇には真紅の薔薇色の口紅がよく似合うに違いない。すらりとした肢体が纏っているのは飾り気のない深紫のローブだったが、そのシンプルさは少しも彼女の美しさを損なってはいなかった。若い女性だが、それが何歳かとなると判断に困る。無垢な少女のようにも見えるし、妙齢の女性の艶やかさもあって、レイギスよりも年上の世慣れた女性の雰囲気も伺えた。それがまた魅力的なのだった。

 招かれざる客だというのに気後れした様子もない。

「君は誰だい? どうしてこの庭へ?」

 彼女はその問いには答えなかった。

 その代わり問い返してきた。

「真冬に咲く薔薇が見たくはない?」

 最後にラッドが百薔薇館を訪れたのは冬のはじめだった。花もなく葉も落ちた寂寥とした薔薇園。

 ――秘密の花園への未練があるとすれば、そう――

 主の最後に咲き誇る薔薇園を見せられなかったことだった。


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