9章-2 青き古城の主
扉を七枚次々に抜けてフィズマールへは昼過ぎには到着した。昼と言ってもフィズマールは暮れ始めの街、一日中空の端が赤く染まっているので、時刻の上では昼過ぎという意味だ。さらに扉のこちらとあちらでは時刻が違うので、フィズマールの時刻で昼に到着したということである。ウォルトの体感では一日ほど移動した感覚だ。
単純に通る扉の数が少なければ近いという訳ではない。エル・ワトランディで一番多いのは外壁に囲まれた「街」だが、複数の街や村などを持つ「連合都市」、「国」もある。同じ扉の内側と言っても、それが国の話であれば次の扉まで国内を一日かけて移動ということもあるのだ。
そこまでを含めて最短距離や条件に合った目的地までの道程を示すのが、扉案内屋の仕事だった。ラギェンであれば扉の向こうの時刻まで考慮に入れて道程を導き出す。夜中だと管理の都合上通れない扉もあるからだ。
フィズマールは中継都市と称される街の一つで、街が有する扉の数は十を超える。移動の中継によく使われ、それを当てにした商売で成り立つ典型的な中継都市だ。扉案内屋が商売するのも中継都市が多い。夜が来ないフィズマールは中継都市の中でも著名でその便利さから利用者も多い。
背の高い石造りの建築が工場のようにずらりと並び、その隙間が石畳で埋められる。ウォルトとラギがフィズマールに着いて向かったのは、大通りから一歩裏に入った路地だった。この通りに他の街へ繋がる扉があるため、裏路地の割には人通りがある。その通りに面した建物の一つにラギとウォルトは向かった。
建物の一階は住居用ではなく店舗ばかりで、扉目当ての客向けの店が軒を連ねている。
その中の一軒の前でウォルトとラギは立ち止まった。
「閉業中――? おかしいな。今日は開業日のはずでそんな時間ではないはずだが」
ドアの上には「ワイリー扉案内所」と書かれた看板、そのドアには「閉業中」と書かれたプレートが下がっていた。
ラギがドアの把手に手を掛けて押してみるとそのまま前に開く。鍵は開いていた。
「ワイリー、いるのか?」
奥に声をかけ、ラギとウォルトは中に入る。
室内には手前に何組かの机と椅子、それを仕切る衝立。その奥に使い込まれた執務机。壁にはこのフィズマールの扉の一覧が貼られる。確かこの案内所には所員が何名かいたはずだが今はどの机も使われておらず、奥にただひとり、執務机に向かう険しい眼差しの鷹がいるだけだった。
鷹が顔を上げる。
「ラギェン!」
「ワイリー、いるじゃないか。久しぶりだな。またしばらく厄介になる」
鷹のワイリーは立ち上がって鷹揚にラギを迎えた。
「相変わらず唐突な奴だ。今回は随分無沙汰だったじゃないか、ラギェン」
「そうか? いつもと変わらないと思ったがな」
「そうさ。また路銀を貯めたら出ていくのか?」
「ああ、そのつもりだ。俺がずっとこの街にいても困るだろう」
「それを困らないようにするのが私の元締めとしての腕の見せ所だろう。お前がここに腰を下ろしてくれればお前目当てにくる旅びとも増える。フィズマールにとって不利益にはならないさ」
「そう上手くはいかないだろう。同業者のやっかみを買って居づらくなるだけさ」
談笑に興じるラギとワイリー。
ワイリーはフィズマールの扉案内屋の元締めで、フィズマールに滞在するときにはいつも厄介になっている。ラギとはウォルトと出会う前からの知り合いらしい。
ウォルトはラギの後ろから手持無沙汰にそれを眺めていた。
「お前は疲れただろうから少し寝とけ。仮眠程度にしないと今晩眠れなくなるぞ」
急に話を振られ、
「え、あ、ああ――」
咄嗟に曖昧に返す。
この事務所の上がワイリーのアパートで、フィズマールに滞在するときはいつもその空き部屋を使わせてもらっていた。よく聞いていなかったが今回もそうなのだろう。
「ラギは?」
「俺はいろいろ顔出してくる。戻ってきたと知らせなきゃ仕事が回ってこないからな」
「私も付き合おう。お前なら知らせれば一気に依頼が舞い込んでくるさ、難しい依頼ばかりがな。
――なんたってお前は〝扉の索引〟だ」
扉の索引。
ラギ――ラギェンの二つ名。最も多くの扉の知識を有し最も適した道程を出せる、最も有能な扉案内屋。資料や文献に頼らずその知識は全て頭の中に記憶され、その有能さは彼がその街で腰を据えて仕事をすればその街の同業者は廃業に追い込まれるとまで比喩される。
有能な魔術師でもあるラギのもう一つの顔――扉案内屋ラギェン。
「ウォルト、部屋は覚えているか?」
ラギに問われ、思い出してみる。
「大丈夫」
「そうか。戻ってきたら夕飯を食べに行こう」
「ああ」
ウォルト達は一緒に事務所の外に出て、ワイリーが鍵を閉める。
「今上の部屋を開けるよ。ラギはここで待っていてくれ」
そう言いながらワイリーが階段を上り、ウォルトはそれに続く。アパートの部屋の前で足を止め、ワイリーが鍵を開けて中に入った。
物が少なめで整頓されたリビングに通され、ぎろりとした視線でその奥のドアを示される。
「そこの部屋だ。いつもいつも急だからろくに部屋の換気も出てきていないが、それは勘弁してくれ。鍵はキッチンのテーブルの上に置いておく。もし出かけるときは鍵をかけて、鍵はポストに入れておくんだ」
「わかった。ありがとう」
ここで礼を述べるくらいの常識は弁えているつもりだ。
ワイリーのアパートは広く、いつもウォルトとラギに一部屋ずつ貸してくれる。けれどワイリーはひとり暮らしのようで家族を見たこともない。いつもウォルトが借りている部屋はベッドのサイズからして子供部屋だった。
言われた部屋に入ろうとしたところで――だからその言葉をウォルトに聞かせるつもりがあったのかは分からないが、吐き捨てるようにワイリーが言った。
「――まだあいつがお前を連れているとは思わなかった」
その声にウォルトは振り向くが、ワイリーは既に部屋を出た後だった。ドアを閉める音だけがそれに答えた。
「そうだよな――」
ウォルトは呟く。
魔術師としても、扉案内屋としても有能なラギをウォルトはウォルトだけの都合でずっと連れ回している。
いつまでもラギがウォルトに付き合ってくれる保証はないのだ。
ならば。
早く見つけなければ。
アドリヴェルテの森を。
そこに行けばきっと――
森。誰もいない森。たった一つの大きな建物。そこにただ一人で住んでいる。
そうだ、そんな条件に当てはまる場所など多いはずがない。繋ぎ続ければきっと見つかるはずではないか。
扉を繋ぐ。
そこはアパートの一室などではなく、青白く光る森の中だった。




