8章-4 砂漠を越えるもの
「さて。どうやって外に出たかこれで教えたわけだけど、他に何か聞きたいことがあるのかな?」
「勿論だ」
「長くなりそうなら、ボクは道具が砂に埋もれないように片付けてこなきゃいけないんだけど、ボクはそうした方がいいかい?」
「なら貴方が描いている場所まで行こう。絵も見せてもらえるのなら見てみたい」
「それは助かる。まだ描き始めたばかりでよければどうぞ。ボクは描きかけを見られても気にしないから」
絵描きに先導され、ウォルトとラギは砂漠を歩き出す。踏み出す度に足が埋まって砂が崩れて歩きづらい。靴の中に砂が入るのは既に諦めた。
絵描きは慣れているのか平然とざくざくと砂漠の中を歩いていく。ラギも歩き方こそぎこちないが大して気にはなっていないようだった。それよりも意識に占めるものがあるからだろう。
歩きながら絵描きは名乗った。
「ボクはルジェール。絵描きさ」
「俺はラギ。こっちはウォルト。諸国漫遊の最中だ」
「それはいい」
ルジェールは子供のような喜色満面の顔全体で笑みを浮かべる。
「ボクも半分は旅をしている。それで半分は絵を描いているんだ。描きたい砂漠の一幕を求めて旅してるから、ずっと絵を描いているとも言えるけど」
「砂漠専門の絵描きという訳か?」
「そういうこと」
ルジェールというらしい絵描きは、よく日に焼けた小麦色の肌をした金髪の男だった。外見から中年に差し掛かる年齢だろうとは思うのだが、物腰や雰囲気、そういったものの中に時折少年のような顔がのぞく。
「それでこの外壁の門はどうして知っていたんだ?」
荷物のある場所に着く前にさっそくラギが切出す。
ルジェールはあっさりと答えた。
「宿屋のご主人から聞いたんだ」
「この街唯一の宿屋の、あの主人からか。
ここに門があるとだけ聞いたのか? どうやら放置されている門のようだが、何故だか聞いているか? 他にまつわる話は?」
いきなり質問攻めである。ルジェールも目を丸くした。
扉に関する知識が大してないウォルトには、そういう外壁もあるのだろうとさほど奇妙には思われなかった。だが膨大な扉の知識を有するラギにはこれが大層奇妙なことに映るらしい。
「たいそうあの門に興味があるんだね。けど扉探索屋でもない。けどちょっとした好奇心にしては熱が入ってる。どうしてそこまで知りたいか聞いてもいいかい?」
ラギは視線を切って逡巡してから答えた。どこまで事情を明かすか考えていたのだろう。ラギは自分が扉案内屋ラギェンであることをあまりひとには言わないのだ。
「外壁に門がある場合、必ずその門から延びる道があり、その道は別の扉を持つ地へと続いている。イルハンはその街一つで完結する単独の街だと言われているが、そのイルハンの外壁にこうして門がある。つまりイルハンは単独都市ではなく、この門を出て進んだ先に街や村、扉を有する場所がある可能性があるんだ。その可能性の正否が明らかになっているのなら、俺はその答えを知りたい」
「ふむ。質問の意図をはぐらかしたのはわざとかな?」
意外に鋭い。
ラギは苦笑して肩を竦めた。
「ばれたか。
俺は扉探索屋ではないが扉案内屋でね。自分の知らない扉の情報があるのなら手に入れたい。それが本音だ。もちろん、その情報を得る為に過剰な危険を冒すつもりはない」
「君にとって情報は使うものであって得るものではないってわけかい? いや言い過ぎだな、得るのは自分の役目ではない、というわけか。心底欲しがってはいるようだ」
「そうさ、だから俺に教えてくれるつもりはあるのかい?」
「いいよ。だいたいさっき宿屋のご主人って言っちゃったから、ボクが教えなくてもご主人に聞くつもりだろう」
そしてルジェールは話してくれた。
といってもあまり詳しい話ではなかったし、新たな扉の発見に繋がる話でもなかった。
あの門を抜けた先に扉があるという事実はない。けれどラギがそう分析したように、あの先には未発見の扉があるかもしれないと、昔のある時期に何組もの扉探索屋が調査に出て行ったらしい。けれど誰ひとりとして戻ってこなかった。だからイルハンの住民はあの門を封鎖し、また話題にすることも禁じた。これ以上無謀な挑戦者を出さないために。
「砂漠はご覧のとおりきつい環境だ。道中には目印にできるものがなくて、水も減っていくばかりで手に入らない。日中は日光を遮るものもない直の熱さに嫌になるけど、日が沈めば今度は寒さに震えるんだ。砂砂漠なら歩くのですらいつもより体力を使う。
それでもごく一部の幸運に恵まれた者はいるんだよ。
扉は見つけられなかったけど、代わりに砂漠の果てに緑柱石の鉱脈を見つけた者がいるのを知ってる。ある時期ってのも、きっとその鉱脈が発見された時期のことじゃないかな」
ウォルトは視線を足下から門の向いている方向へと向けた。
たった一握り――いや一つまみにも足らない幸運な者達。自分もその中に含まれると信じてあの門をくぐっていった探索者がいる。
けれど誰も帰ってはこなかった。
遠くまで行って帰ってこなかった話は他にも記憶に残っているけれど、ここまで具体的にあそこから出て行ったのだと聞かされたことはなかった。
――そして今、自分達は同じ場所から出てきたのだ。
戻ってこなかった扉探索屋達の隊列に自分も加わっている。じりじりと服を通して肌が焼けるほど熱いのに、ぞくりと背筋が凍った。
慌てて視線を反対側、街のある方へ向ける。大丈夫だ。まだ街がこんなにも大きくはっきり見えるから、まだ遠くに来すぎていない。
胸を撫で下ろして視線を歩く方向に戻すと、ルジェールがキャンバスと絵描き道具を広げている場所まで着いていた。
ウォルトは早速キャンバスを覗き込む。
本当にまだ描き始めたばかりだ。色はなく、木炭で下書きの黒い線が引かれているだけ。けれどどんな絵を描こうとしているのかは十分分かった。
砂漠と空の間に鎮座する外壁。その外壁にはあの門が口を開けている。そしてそこから続くいくつもの足跡が絵を見る者の側に迫りくる。キャンバスを抜けて砂漠の果てを目指す者達が、砂漠に跡を遺そうと砂を踏みしめているのだ。
素描でも、いや素描だからか上手さはよく分かる。いい絵だ。ともすれば死への旅路を踏み出す陰惨な絵になってしまうのに、その足跡には前に進む力強さが刻まれていた。
ウォルトは顔をあげて振り返り、もう一度、門へと続く砂漠の果てを見た。道などないその先、扉案内屋達が進んだその先を。
見えるのはただ空と砂。けれどそれ以外があると信じ、求めた者達がいる。
――新たな扉、新たな道を探す冒険者。
一攫千金狙いの向こう見ずだと往々にして揶揄される仕事ではある。けれどウォルトはラギから聞いて知っていた。彼らは決して向こう見ずでも無謀でもない。装備を整え鍛練し経験を積んで、調査をし情報を集めて、可能性を絞り込んでいく。そして最後には自分の足で信じた可能性を確かめに向かうのだ。
その仕事によって発見されたものは確かに存在する。中には金目当てではなく、未知の世界を冒険する、世界を開拓する、それが何よりの報酬という者もいるはずだ。
そんな彼らの通った道筋を少しでも辿れたのなら、それは光栄なことだった。




