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扉繋ぎのウォルト  作者: 三原雪
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8章‐2 砂漠を越えるもの

 壁に手をつきながら足探り、真っ暗な螺旋階段を登っていく。光が届かないのだから目を凝らしても無駄だ。たまに壁に開けられた光採りの窓から強い日差しは差し込むが、光と闇の境は明確で、そこを過ぎればまたすぐに何も見えなくなった。

「光の魔術道具は宿に置いてきたからな」

 聞いてはいなかったが聞きたかったことを後ろからラギがわざわざ言ってきた。

「そう」

 ウォルトは短く素っ気なく返した。

 登る前に外から見上げたので、階段の一番上までの高さは分かっている。けれどこの螺旋階段と暗闇では、自分がどれくらい登ってきたのか見当もつかなかった。砂を固めた階段は一段一段高さもばらばらで登りにくく、徐々に体力を削っていく。

 それでも旅暮らしの身だ、息を切らす前に、出口が唐突に現れた。

 窓の横からの光ではなく、正面からの強い光。

 足が早まる。出口から頭を出せば強烈な日差しに目が眩む。足が止まったのは僅かの間。階段を駆け上るとそこはイルハンをぐるりと囲む外壁の上だった。

 手摺のない外壁の上。端の方は一段高くなっており、目を細めながらそのぎりぎりまで進む。そして見下ろした――見渡した。

日を遮るものが何もない。

 それはそうだ、眼下に望む街並みにはこの外壁より高い建物はないのだから。

長方形を形作る外壁の内側。砂を固めてできた箱のような家々はせいぜい二階まで。中心部に建つ一際大きく瀟洒な建物はこの街の首長の家か役所か、それでも三階までだろう。

 砂色の小振りな家々。その中に点在する大きな建物は飾り屋根や壁が青いタイルで装飾され、砂色の中でとても鮮やかに映えていた。砂色以外には青。その二色。それだけでできた街。

 いや、街だけではない。

 明るさに慣れてきた目で視線を上げる。

 息を飲む。

 ――世界が、この二色だった。

 雲のない空もあるのだと。

 快晴なんて言葉では足らない。視界に入る空、首を回して見回す空、そのどこにだって一片の霞もありはしない。

 青一色。地平線に向かう青のグラデーション。タイルと同じ、いやタイルの方がこの青を真似たのだろう。雲がないと空には高さを測るものがなく、遠近感が全くつかめない。この外壁に青い板を乗せたのだと言われても、外壁に登らなければ信じてしまったかもしれない。信じはしなくても気を緩めるとあまりに空が迫っていると錯覚して押し潰されそうになる。なんて杞憂だろうと笑えてくる。

そして空の下。外壁の向こうに広がるのは砂漠。幾つも丘を作りながらどこまでも続く砂の色。

 青と砂。

 たったそれだけだけれど、たったそれだけで十分だった。それだけで十分、こんなにも眩しいのにこんなにも目を見開きたくなる。

 全ての街の外壁がこのイルハンのもののように上に登れるわけではない。ここまで高さがあるとも限らない。けれどこの外壁は上にも登れて高さもある。まるでこの街が見てくださいと言わんばかりではないか。

 ウォルトは今度は外壁に迫る砂漠を見ようと後ろを振り向いた。

 外壁の向こうはもう砂漠。イルハンは砂漠の中に埋もれるようにある。比喩ではなく、街中の地面より外の砂漠の方が砂が押し寄せて高くなっているのだ。

 砂しかない。

 岩もない。

 植物なんてもちろんない。

 けれどあまりに何もなさ過ぎてかえって不毛という印象はなかった。寂寥感もない。

 確かに植物が育たないのだから不毛の地だろう。だがここはもとよりそのための地ではない。青と砂だけで完結した世界にどうして異物を入れる必要がある。

 青い一枚のシンプルなグラデーション。それに対比するように砂はどこか幾何学的に稜線を生み出し、その斜面には砂紋を浮かび上がらせる。

「あの模様はどうやって現れるんだ?」

 ウォルトは傍に立つラギに問い掛けた。

 するとラギは軽く手をあげてその手に何かを掴んでいるかのように指を曲げると、いつも通りの何食わぬ顔で答えた。

「あれはこう指を立ててな、砂をひっかくんだ」

 ウォルトはわずかに眉をひそめた。

「あの模様はそこまで間隔が狭くないだろ」

「だから巨人の手なのさ」

「巨人?」

「ああそうさ。とてつもなく大きく街すらもひょいと跨ぐ、けれど目に見えない透明の巨人だ」

「――――――――」

「目に見えない。けれど巨大だから動けば風が起こる。その風が砂の上に跡を残す――波が砂浜に跡を残すようにな」

 きっと事実は最後の一言だけ。ラギは偶にこんな冗談を言う。

 そんな見えない巨人などいるわけないということくらいは、記憶のないウォルトにも察しはつく。

 ――けれど。この模様を見えない巨人が描いたというのも悪くない、と思った。

 ウォルトは砂漠の模様に空想の中で透明な巨人の手を重ねる。

 誰も足を踏み入れていない雪原に足跡を残したくなるように、まっさらな砂漠に模様を描いた巨人。きっと几帳面だから線にぶれがなく、熱中しやすいから目につく砂のキャンバスにどこまでも描き続けた。黙々と黙々と。

 足跡でもないだろうかと探すのは無粋だろうか――とウォルトは視線を巡らせる。

 ――するとあったのだ。

 足跡が。

 もちろん巨人のものではない。そこまで巨大ではなく、普通のひとの足の大きさだ。左手の方の外壁そばに、足跡ができている。

 さて。

 ウォルトは疑問に思う。

「この街に街道は繋がってるのか?」

 同じ扉の内側にある街や村を繋ぐのが街道。街道がないのなら外壁は閉ざされその壁に門の類はない。それが普通のはずだ。

 だから逆に言えば、外に出られるということは街道があるということになる。けれどこんな砂漠に道などあるのだろうか。無論、門がなくてもこうして外壁の上に登って飛び降りるなり縄を下ろして降りるなりはできるのだが。

「いや、イルハンは単独の街だ。イルハンに面した扉は全てこの街の中にある――ん?」

 そう答えるラギも、ウォルトの視線を追って気づいたらしい。

「外壁の外に足跡だと?」

 驚きと困惑の混じる声を上げるとラギは左の方、その足跡の方へ足早に歩き出した。ウォルトもそれに続く。

 足跡の真上まで来て見下ろすと、それは外壁から出てきたようにはじまっていた。外壁から出てきた足跡はさらに左に向かっている。

 ウォルトとラギもさらに左に追いかけると。

 出られないはずの外壁の向こうの砂漠。

 ――そこには人間の男が砂漠にキャンバスを広げていた。

「なぁ! そこの絵描き! おい!」

 大声で叫んだのはウォルトが驚いたことにラギである。外壁に膝をついて身を乗り出している。あまり目立つことは好まないはずだが、扉が関われば別だということは既に知っている。

 絵描きがその声にきょろきょろと辺りを見回し、上だと言うラギの声でようやく上を向いてこちらに気づいた。

「どうやって外に出た?」

 すぐにラギは問い掛ける。

 絵描きは答えるかどうか迷ったのか、間を空けて叫び返してきた。

「君達は遠くに行き過ぎたりはしないかい?」

 ウォルトにはすぐにはその意味が理解できなかったが、ラギはそうではなかったらしい。

「しない」

 ラギはすぐに否定した。

「俺達は扉探索屋じゃない。そんな命知らずなことはしない。だから話を聞かせて欲しい!」

 ここにきてようやくウォルトは絵描きが何を心配していたか気づく。遠くに行き過ぎて戻ってこないこと。

 絵描きは先程よりも長い間を空けてから叫んだ。

 ――それは閉じているはずの外壁の外に繋がる門の場所だった。

 ラギは短く礼だけは述べてすぐさま立ち上がると元来た方へ走り出す。

 行き先は聞くまでもなかった。

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