7章-3 歌うオーケストリオン
白で統一された家具に淡い紫の壁紙。人形やぬいぐるみがあちこちに飾られている。家柄のいい令嬢の部屋。
そう――ベッドの上で寝そべって本を読んでいる御令嬢の。
戸惑ったのは一瞬。
――しまった――
ウォルトはすぐに状況を理解した。
――繋ぐつもりもなく扉を繋いでしまったのは今回が初めてではないのだから。
扉繋ぎには魔法陣も呪文もいらない。
あれはどうしても人前で扉を繋がなければならなくなった時に、扉繋ぎを魔術として誤魔化すための小細工だ。
魔術ではなく理論など無視した特異能力。
それがウォルトの起こす扉繋ぎ。自分の力の事なのにラギからそう教えられた。
「あら。あなたはどこの誰かしら?」
御令嬢が本から顔を上げて目を丸くして問う。
「えっと…、俺はウォルト」
「そう、ウォルト」
御令嬢はベッドから降りるとぱたぱたとウォルトに歩み寄ってくる。ウォルトは扉の向こうを覗かれてはまずいと慌てて扉を閉めた。そうしてから、問いに答えず扉の向こうに戻って繋がりを立ってしまえばよかったのだと後悔する。そうすればこの御令嬢も気のせいだったかと思ってくれたかもしれないのに、やはり自分はラギのように頭の回転が良くはない。
御令嬢はウォルトの前で立ち止まるとスカートの端をつまんで可愛らしく一礼してみせる。
「わたしはセシリア・ヘルヴィントよ。
わたしに何かご用かしら」
ヘルヴィント。
やはりそうだ。あのオーケストリオンを贈られる娘。
「ごめん、部屋を間違えたんだ。すぐに出ていく」
「まぁ。それは申し訳ないことをしたわ。ちゃんと案内もできないなんて、召使は何をやっているのかしら」
「あ、いや違うんだ。俺が勝手に出歩いたから」
「それなら礼儀がなっていないのはあなたの方かしら。訪問先で勝手に出歩くものではないわ。それに淑女の部屋に入るときはノックくらいするものよ」
まだ十歳にならないというのによく口が回るものだ。年上のウォルトよりよほどしっかりしている。だが高圧的ではなく傲慢さも感じない。この歳にしてその科白を口にできるだけの素養と品格を感じさせるからだろう。将来よき当主となるに違いない。
十歳の子供にあんな高価で大がかりな機械なんて――と思ったりもしたが、彼女になら相応しいのだろう。
きっとその価値を、その裏側にある職人の熱意と誇りを理解して大切にしてくれる。
「悪かった。次からは気を付ける。
――ちょっと早いけど。誕生日おめでとう、セシリア」
「まぁありがとう。祝ってくれてうれしいわ」
満面の笑みで彼女は礼を述べた。
「あなたの誕生日はいつかしら? そのときはわたしもお祝いするわ」
「――――――。覚えてないんだ」
セシリアは憐れむようなことはしないで、ただその大きな眼を丸くしただけだった。
そしてふわりと笑う。花のように、とはこういう笑みのことを指すのだろう。
「なら今日があなたの誕生日かもしれないのね。
誕生日おめでとう、ウォルト」
記憶のない自分に誕生日といわれてもぴんと来ないけれど、それでも――そのお祝いの言葉に込められた意味は知っているから。
「ありがとう、セシリア。
今日が……、あ――せめて一昨日から明後日くらいまでが俺の誕生日であることを願うよ。いや一月以内でもいい」
「なら三月以内でも、いいえ一年以内でも喜んでちょうだいな。花の一輪でも用意しておけばよかったわね。
家の誰かに用があるのでしょう? 召使を呼んで案内させるわ」
「いや、大丈夫だから。その――誰かに訊くよ」
扉繋ぎで騒ぎにならないうちにはやく元に戻さなければ。
ウォルトはセシリアに背を向けて扉の把手に手をかける。
そしてふと振り向いて口にした。
「君の誕生日には素晴らしい贈り物が用意されているから」
「それは楽しみね。それが何なのかは教えてくれないの?」
「先に知ってもつまらないんじゃないのか?」
「そうね。けどより上手く贈り物に喜んであげられるわ」
そういうものだろうか。
「教えてくれないの?」
再びねだる甘い声。小首をかしげる仕草。
――女は何歳でも女らしい。
「歌う機械」
抵抗する術なく扉に張り付いてつい一言呟くと、ウォルトは急いで扉を開けて身を滑らせてすぐに閉める。扉を繋ぎなおす。
「おや、忘れ物かい?」
カウンターのレンが譜面から顔をあげて声をかけてくる。ハルメニア・レシトンに戻ったのだ。
そして。
――誕生日おめでとう、ウォルト。
声が、花のような笑顔が、 記憶の中で再生される。
覚えていた。
忘れなかった。
代わりに他の記憶が消えているはずだ。
それでも、その言葉が消えなくてよかった。
「ウォルト?」
「なんでもない。
やっぱオーケストリオンを作る作業を見ていたくなっただけ。
せっかくの誕生日の贈り物に手を抜かれちゃ大変だからね」
ウォルトにしてはかなり珍しく口にした軽口。不覚にも歌う機械と言ってしまったのだから挫折されては沽券に係わる。
怒るどころかレンは笑って言った。
「そうしてくれ。アギールさんはちょっと行き詰ると納期も気にしないで完全に手を止めるからね。
納得いく作品に仕上げるために納期延ばしてもらうことはないわけじゃないけど、さすがに誕生日の贈り物じゃ間に合わせないと」
「それは大変だ。ラギも魔術に関しては手を抜いてくれないから」
ウォルトはレンの鼻歌を聞きながら、不愛想な顔に弾む足取りで工房に戻った。




