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扉繋ぎのウォルト  作者: 三原雪
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5章-2 緑の井戸

 旅びと二人をあの森まで連れて行く。

 まったく面倒なことになったものだと、宿屋に戻ったニックは溜息をついた。

 仲間たちの言っていた通り、ひとりになりたいときにあの扉の向こうまで行くというのは本当で、帰省中に行くつもりでもあった。

 けれどそう、ニックにとってあの場所はひとりで行きたい場所なのである。

 久々に故郷に戻ったのでまずは一杯と思ったのがまずかったのか。ひとりで店に入ったのに地元の仲間に見つかってしまった。――当然といえば当然だが。

 ニックはこの真昼の街を出て真逆の夜の街で職に就いたという、仲間内ではもちろん街でも珍しい存在である。帰省したともなれば話を聞きに、話の種にと仲間が集まってくるのはいつものことだった。

 またあの森でひとりになろうとわざわざ仕事先から帰省してきたというのに、そこまで思い至らなかったとはやはり自分の心は相当追い詰められているのだ。気弱なニックはそんなことを思う。

 とはいえ引き受けてしまったものは仕方ない。

 明日旅びとを案内して、森にはまた行き直せばいい。

 アルコールのおかげで思考も体も重い。とにかくもう寝ようとベッドに横になろうとすると、その上に紙の束を放り出したままだったのに気付く。

 無造作に広がった紙の上。そこにはランプの設計図が描かれていた。

「………………」

 ニックは苦い顔でそれを集め筒状に巻いて、近くに落ちていた紐で縛る。

 やはりこんな紙は置いてくるべきだった。

 ベッドの上から取り上げると、床に無造作に落そうとして躊躇し、結局テーブルの上に置いた。

 ようやくベッドの上に横になる。

 生まれたときから親しんできた真昼の街の夜。きっと今日はよく眠れるはずだ。そう期待したい。



 ニックとの待ち合わせは昨晩の酒場の前だった。昼――時刻という意味で昼にはまだ時間があるので、酒場はまだ準備中だ。

 宿屋の寝室は特殊な糸を織り込んだ遮光カーテンで暗くはできたのだが、明るい時分から寝るというのは昼寝をするみたいだし、起きたら既に太陽が高いというのは、どうにも寝過ごした感じがしてウォルトには馴染めない。

 ウォルトとラギが先に着き、少し待ったところでニックがとぼとぼとやってきた。

「すまないな、よろしく頼む」

「ちょっと案内するだけだから、期待とかしないでくれよ」

 気乗りはしていなそうだが諦めて開き直っているふうではある。あからさまに嫌がられたり迷惑がられたりしていないのは幸いか。ただ気弱そうな様子は彼の元の性格らしい。

「それじゃ行こうか」

 既に自己紹介は済ませてあるので、ニックを先頭に歩き出した。

 街の繁華街に位置した酒場からどんどん端の方へ向かっていく。

 それなりに歩いたところであれだろうかと思われる建物が見えてきた。

 ボロ家。

 そう呼ばれていたのがよくわかるボロ具合だった。

 この街は木組みの家がほとんどだが、このボロ家もその例に漏れない。折れた木組み、ひび割れの目立つ壁や割れた窓硝子、大半が落ちている屋根の煉瓦。

 左右に並ぶ家が普通にひとの手の入った住める家だけに、その落差が酷い。

「あれか?」

 ラギが不服そうに確認する。

「そうだ。あの中にある」

 あのボロ具合でも中には入れるらしい。

「扉を随分な扱いだな」

 ラギは大きなため息をついた。

「だから余計扉の向こうの扱いも酷くなるんだろうね。その方が勝手に出入りできて助かるけど」

 そう言ってニックは鍵などかかっていないボロ家の玄関を入る。入ってすぐは居間に当たるのだろうが、家具といえばテーブルが一つぽつんとあるだけ。外観と変わらない荒廃ぶりである。あまり床に埃が溜まっていないところを見ると、大したことないと言われつつもたまに出入りする者はいるのだろう。

 テーブルの上にはランプが置かれていた。構造からするとオイルランプだろう。ニックは傍に置いてあったマッチでそれに火を灯す。

「向こうは夜なのか?」

 ラギが問うと、

「森に出るまでが暗いんだ」

 そう言ってランプの取っ手を持ち、ニックは階段下の納戸であろう扉の前に立った。

「ここがその扉だよ」

 そう言って扉を開ける。

 ――その先には夜よりも暗い真っ暗な闇がわだかまっていた。

 ニックがランプを片手に扉を抜ける。

 そのランプに照らされて分かる。

 剥き出しの地面。

 どうやら洞窟らしい。なるほど、これではランプは必需品だ。

 ニックに続いて入ってみると、穴の中は意外に広い。扉を抜けてすぐはちょっとした広場になっているらしい。

 振り向けば岩をくり抜いたような家というか部屋があり、よくこんなところにつくったものだと感心する。

「こっちだ」

 反響する声。その声に従って、ランプを持ったニックを先頭に一列になって進む。

「それほど距離もないし、危なくない道程だとは思うけど、足下には気を付けて」

 広場から狭い隧道に入る。

 入り口の光は扉を閉めたからもう消えた。出口の光もまだ見えない。光源はランプただ一つ。

 洞窟の中に森ということはないだろうから、洞窟を抜けた先に森があるのだろう。

 ランプの光だけを頼りに闇の、地の中を進む。

 押し潰されそうな圧迫感。息苦しさ。

 まだ――まだ見えないのか。出口は見えないのか。

 進み続けたその先に。

 光が見えた。

 足が速くなる。

 途切れた洞窟の終点。

 大したことないとさんざん言われたところで期待はしてしまう。

 光の先。

「足元に気を付けて。くれぐれも落ちないように頼むよ」

 ウォルトはそこで立ち止まる。ニックの再びの注意に視線を足下に向ければ、

「あんなところに――」

 不意打ちに息を飲む。目の前ではなく眼下に、切り立った足下のずっと下に、確かに森があった。

 明るさにまだ慣れない眼を細めて今度は頭上を見上げれば、剥き出しの大地が円形にくり抜かれ、丸い晴天が光を伸ばす。

 大地に巨大な丸い棒を突き立てて抜いたような、大きな大きな縦穴。穴の底は小さな村ならまるごと入る広さがあるかもしれない。ウォルトが抜けてきた洞窟はその縦穴の中ほどに繋がっていた。

 不自然なほどに円形で深く垂直に穴が空いているので、まるで井戸のようだとウォルトは思った。

 その穴の底から森が湧いているのだ。

 深い――深い森だった。

 少し日が天頂から傾けば途端に暗くなりそうな井戸の底。頭上からしか差し込まない光を逃してなるものかと木々は葉をぎっしりと隙間なく生い茂らせ、井戸の底を覆い隠す。

 この洞窟以外にも横穴があるのだろう、森の中に風が吹いているようで、ざわりざわりと水面が波打っていた。

 そして水面が光を反射するかのように、時折ちかちかと木々の間で何かが光るのだ。

 根を張れなさそうな固い地盤の穴の底に、忽然と湧いて出た森。

 なんて奇妙な光景なのだろう。

 穴の底、井戸底の森。

 緑を湛える井戸。

「――どこが大したことないだ。

 こんな緑の井戸、他のどこにもないんじゃないのか?」

 ウォルトは感嘆をぼそりと口にする。

 雄壮な光景、綺麗な情景、清廉たる風景。巨大な建造物に精緻な装飾。それならいくつも見てきた。消えた記憶の中にもあったはずだ。

 けれど――きっと。こんな光景、似たような光景ですら、消えてしまったどの記憶にもないだろう。

 だから。

 この科白を安心して口に出せる。

「こんな光景、はじめてみた」

 光景――いや、奇景か。

 何度見ても素晴らしい景色というのはある。

 それでも、一度目というのは特別なのだ。

 これは書き直された一度目ではない、本当の一度目。そのはずだ。

「この森を君は……君は、気に入ったかい?」

 ニックがおずおずとウォルトに声をかけてきた。ウォルトは振り向いて答える。

「ああ。いい景色だ。大したことないなんてないじゃないか」

「君は――随分真っ直ぐにものを言うんだな。散々大したことないって聞いていたはずなのに」

 ウォルトは視線を逸らした。

 そして呟くように言った。

「記憶なんて忘れる。

 だから――前に何か言われたとかじゃなくて、今俺がどう感じるかなんだ」

「―――――――――」

 ニックが黙り込んだので気になって、ウォルトはちらりとそちらに視線をやる。

 するとニックは丸くなった目で尻尾を上機嫌にぶんぶんと振っていた。

 それほど喜ばせるようなことを言ったのだろうかとウォルトが訝っていると、

「なあ、あの森には降りれないのか?」

 ラギがニックに問う。

 一拍遅れて尻尾を止めてからニックは答えた。

「ああ、降りれない。垂直の崖だし、高さもあるからね」

 それはそうかと納得しつつもやはりウォルトは落胆する。

 しかしニックは続けた。

「けど君になら――うん、そう、この森を褒めてくれたお礼だ。誰にも教えないのなら教えてあげるよ」

 もちろん断るはずがなかった。


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