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扉繋ぎのウォルト  作者: 三原雪
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4章-1 夜明けの硝子谷

 硝子谷に甲高い音が響いて、谷から板硝子が一枚また切り出された。

 縞猫のジェリオンはそれを仲間の切出工のハリーと共にゆっくりと硝子の崖から外すと、荷台の上に積み上げる。黒い布と板硝子が交互に重ねられたその荷台に新たにもう一枚重なった。刷毛で塵を払う。黒い布の上で、新たに切り出した板硝子に罅割れや欠け、傷など大きな問題がないかざっと確認する。

「状態は一級以上か」

「大きな歪曲もなさそうだ」

「この層は厚さも安定しているな。さっき切り出したのと同じだ」

「ああ。まだ何枚も取れるぞ」

 ざっと品質を確認したところで、ジェリオンは荷台の隅から黒い布を一枚取り出してその上に重ねた。

「よし、次だ」

 鑿と金槌を手に取り、ジェリオンはハリーに声をかけた。

 白く濁った硝子の崖は見上げれば首が痛くなるほどに高い。硝子谷に植物は根付かないので、真っ青な空以外は一面真っ白の白い谷。光の照り返しが強いお陰でゴーグルをしても作業中は瞳孔が糸のように細くなりっぱなしだ。

 崖の表面は砂埃で削り取られざらりとした質感だが、その表層の一枚をはがせばその下からは滑らかな硝子が現れる。層状の硝子が何枚も重なり合ってできたのがこのレグール硝子谷。層と層の間にごくわずかな隙間があり、層自体は透明なのだがそこに入り込んだ埃などのため、この硝子谷は白く濁って見えてしまうのだ。

 層状の硝子は板硝子として切り出すのに丁度いい。

 けれど――透明なのが硝子ではないのか。

 見てみたい。

 こんな曇った硝子谷ではなく、透き通った硝子谷を。

 切出工になって早十年。ようやく一人前と認められるようになった。仕事に不満があるわけではない。自分の切出しや加工の腕にだって自信はある。同僚は気さくでいい奴ばかりだし、親方も厳しいところはあるが話が分からないひとではない。

 それでも。

 この曇った硝子谷を見上げると溜息をつきたくなるのだ。

「ジェリオン、どうした? 何か問題か?」

 ハリーの声にジェリオンは意識を引き戻す。

 どうやら手が止まっていたらしい。うっかり鑿で硝子に亀裂を入れていないか確認するが、どうやらそれはないようで胸を撫で下ろす。

「いや。何でもない」

 今はこの白い硝子谷だ。答えてジェリオンは作業に意識を戻した。鑿の当て方や力加減を僅かでも間違えれば板硝子は使い物にならなくなる。切出すのにも技術が必要なのだ。

 硝子の谷に金槌が鑿を打つ音がこだまする。

 少し作業したところで、

「きりのいいところで休憩だ」

 親方の声が聞こえてきた。ジェリオンの耳が角度を変えてその声を受け尻尾がピンと立ち上がる。

 切出工達が了承の声を上げる。

「俺達もこれで終わろう」

 ジェリオンはすぐにハリーに声をかける。

 ある程度削ってしまうと途中で放置すれば硝子板が割れて落下する危険があるが、まだはじめたばかりだ。

「そうしよう」

 ハリーの言葉を聞き終わる前にジェリオンは道具を片付けていた。

 その様子に呆れた声で、

「ジェリオン、また行くつもりなのか?」

 とハリーが声をかける。

「ちゃんと休憩が終わるまでに戻るさ」

 走り出しながらジェリオンは答えた。


 ジェリオンはレグール硝子谷から扉を抜けて隣街に移動した。よくある規模のよくある石造りの街で、レグールから切り出した硝子加工の工場が多くあるくらいが特徴だ。

 途中で昼飯用のパンと飲み物を買うと、さらに隣街に繋がる扉の前でパンを齧りつつ、途切れ途切れに行き交うひとの往来を眺める。開いた片手で掲げる板切れには「セントルシア」の文字。ちらちらとそれに視線を投げかける者は今までにもいたが、ジェリオンに声をかけてくる者は誰もいなかった。

 この扉は民家の部屋の一室なので、寒い中外でじっと待たずに済むのは助かる。 この街にある硝子谷以外の扉はこことあと一か所、そちらの扉は屋外に面しているから、そこで待つ日はすぐに手や足先が冷えてしまう。それは直近だと昨日のことであり、この分だと明日のことにもなりそうだった。

 もうそろそろ仕事に戻らなければ。休憩時間が終わってしまう。

 ――今日も駄目だった。

 いつまで待てばいいのだろう。明日か。一月後か。一年後か。もしくは――

 待ち続けてそろそろ一か月になるだろうか。

 手元の板に視線を落とす。

 セントルシア硝子谷。

 噂で聞いたその谷。

 曇りのない硝子谷が見たい。

 溜息をつくと冷めたお茶の残りを飲み干して、ジェリオンはとぼとぼとその家を後にした。



 翌日の昼にジェリオンが向かったのは民家の玄関のような扉だった。既に顔なじみになってしまった門の守衛と挨拶を交わし、また今日も板切れを片手に立つ。

「この街は板硝子の仕入商しか来ない街だからな。お前さんもいい加減諦めて中継都市にまで行った方がいいんじゃないか?」

 そう言った守衛の意見に、ジェリオンは短く溜息をついて返す。

「そのほうが確実に扉案内屋を捜せるってわかってるんだけどね」

 扉案内屋。それは扉で繋がれたこのエル・ワトランディにおいて、目的の場所までの扉、道程を案内する仕事。

「最寄りの中継都市までほとんど丸一日だろ、往復で二日だ。今の硝子谷の気候が安定している時期じゃ、そんな二日連続休みなんてもらえないさ」

 だからこうしてセントルシアと地名を掲げ、扉案内屋が通りかかるのを待っているわけだ。扉案内屋は中継都市と呼ばれる扉を多く有する都市に拠点を持つものだが、扉の傍でこうして地名を掲げるのは、その中継都市以外で扉案内屋を捜そうとするときによく取られる手段だった。扉案内屋と言えども全ての土地、扉を把握しているわけではない。それほどまでにエル・ワトランディは複雑で広い。もし掲げられた地名に覚えがあれば、扉案内屋が声をかけるわけだ。その点、中継都市の扉案内屋の拠点まで行けば、何軒も案内屋を回れる上に案内屋も拠点にある資料に当たれるのでより確実ではある。

「酷暑期になるまで待つかなぁ」

 ついそんな後ろ向きな言葉が口をつく。大体急がなければならないわけでもないし、そもそも今すぐにセントルシアまでの道程が分かったところですぐに行けるわけでもない。仕事がある。

 酷暑期はレグールの気温が一番高くなる時期で、その時期は作業にならないので切出しも中止される。

 その時期に中継都市まで行った足でセントルシアに向かう。

 それが一番現実的なのだが――

 ひょっとしたら、と期待してしまうのだ。

 この街とその隣街、さらにその隣の一部くらいまでと、そのほか仕事の関係や遊び場などで幾つかなら、ジェリオンも扉を把握している。

 その把握していないもう一つ先の扉に、セントルシア――もしくはそれに隣する扉があるのではないかと、実はセントルシアまで一日で往復できるのではないかと、淡い期待を抱いてしまうのだ。

 と、その時扉が開いた。

 どうせまた駄目だろうと思う反面今度こそはと願いつつ、新たに扉を抜けてきた二人組に視線を送る。

 男の二人組。

 黒髪黒眼の方は見た目は二十代半ばほどだが、老成したというか年の割に妙に落ち着き払った雰囲気の男だった。茶髪青眼の方はさらに若く、十代半ばほど、少年と言える歳なのに少年らしさを感じない、寡黙そうな少年だ。

 年嵩の方がジェリオンの持つ板切れに視線をやり、わずかに目を見開いて立ち止まった!

「扉案内屋の方ですか!? セントルシアを知っていますか!?」

 ジェリオンは慌てて声をかける。

 男が答えを発するまでの長いようで短い間。

 男はひたすら待ち続けたジェリオンが文句も言いたくなるほどにそれはそれは大したこともなさそうに答えてくれた。

「ああ、知っている」

 ようやく見つけた。出会えた。

 すぐには言葉が出なくて、ひげを震わせながら大きくゆっくりと息を吐いた。休日はもちろん休憩時間の度に毎日扉に通ったのは無駄ではなかった。

「ここからセントルシアまでの道程を教えて欲しい。どれくらいの時間がかかる?」

 早口気味に問い質す。

「そうだな――」

 五日? 三日? 一日――半日?

 もし――もしかしたら。

 男は答えた。

「丸一日はかかるか」

 そこまでの幸運はなかった。

 ここは意外に近かったと思っておくべきなのだろう。それでも溜息をつくのは止められなかった。

 しかし男は続けたのだ。

「急ぎであれば一日で往復も可能だが」

 それを聞くなりジェリオンは掲げた板切れを高く掲げていた。

「行ける!」

 セントルシア硝子谷。

 透き通った曇りのない、本物の硝子谷を!

 今日の午後親方に願い出たとして、明日休ませてくれるだろうか。いや明日が無理でも三日後には一日休みがもらえることになっているから問題ない。

 ああ、その前に扉案内料はいくらかかるのだろう。どこまでなら許容できる?  幾ら貯め込んでいただろうか――と現実的な算段を立てるのであった。

「料金は幾らになる? 一日で往復した場合だ」

「そうだな――」

 男は連れのもう一人――ジェリオンはついその存在を忘れていた。ひょっとしたら今案内中の客だろうか――に顔を向け、

「ここで仕事入れてもいいか?」

 と問いかけた。

 あまり客相手の態度ではないが、今のやりとりに無関心そうなところを見ると扉案内屋の見習いというふうにも見えない。

 その少年は無表情にこくりと一つ頷いた。

 男はジェリオンに向きなおる。

「急ぐ方であればそれなりに料金に色を付けさせてもらうが――」

 男の提示した額は高い買い物ではあったが、セントルシアに行ける対価として出せない金額ではなかった。

「それでいい、頼むよ。セントルシアに連れて行ってくれ」

「交渉成立だ。

 俺は中継都市フィズマールを拠点とする扉案内屋、ラギェンだ」

 扉案内屋は身の保証、つまりは情報の保証として拠点とする中継都市を名乗りに入れる。

 フィズマールならジェリオンも聞いたことのある大手だ。

「ジェリオン、硝子の切出工だ。会えて嬉しいよ、よろしく頼む」

 ラギェンとジェリオンは握手を交わした。



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