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扉繋ぎのウォルト  作者: 三原雪
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3章-4 向日葵畑で待ってる

 ミシェルと段取りを決めたその後。

 ウォルトは向日葵畑の中を歩く。ミシェルの家は村の端にあり、向日葵畑に面しているそうだ。そこからデイヴィの振りをしたウォルトが出てくるというのがミシェルが考えた台本だった。

 振りと言っても格好もいつもの簡素な旅装そのまま。生成りのシャツに茶色のズボン、それに編上げのブーツ。作業着ですらない。どんな人物かもわからないので演技のしようもない。ラギには度々年齢の割に寡黙であまり表情がないと言われるが、そんな自分が振りをしてばれないのだろうか。やると言ったもののそれで不安がなくなるわけはない。

 村からさほど離れてはいないので、向日葵の隙間からちらちらと煉瓦の家が見える。お陰で気を付けていれば村から離れすぎる心配はなさそうだが、デイヴィの話を聞いた後だけに安心できない。

 背よりも高い向日葵が左右から後ろから迫ってくる。どこまでも続く。どこまでもどこまでもどこまでも。

 進まなければ。先へ、先へ。先へ――

 進み過ぎて戻ってこなかったデイヴィの心情が分かるような気がした。

「なぁラギ」

 横を歩くラギにウォルトは気を紛らわすため話かける。

「――お前だったら引き受けたか?」

 もしもデイヴィがラギと同じ黒髪黒眼であれば。おまけに長身痩躯、魔術師なのに魔術師らしくない普通の旅装、年齢の割に――人のことを言えないだろう――雰囲気が老成しているとしたら。

 自分からやると言っておいてこの科白だ。

 この迫ってくるような向日葵と夏の暑さにやられたのかもしれない。だからやるなんて答えてしまった。扉の向こうとこちらで季節が違うことは珍しくなく、それで体調を崩す旅びともよく聞く話だ。

「なんだ、もう後悔してるのか?」

 揶揄するように言うラギ。

「参考までに聞いただけだ。やめるわけじゃない」

 言い返したらかえって笑われた。言い返すんじゃなかった。

 それでも答えは返ってくる。

「これは悪意のある嘘じゃない。

 どんな嘘でも絶対に駄目だという奴は、過去に嘘で痛い目を見たか、極度の潔癖症か――それか嘘を抱え込む度量がない奴だ」

 問の直接の答ではなかったが、それは問の答よりもウォルトが欲しかった言葉だった。

 じきに目印に教えられていた青の布が向日葵に結ばれているのを見つける。向日葵畑に農作業に出たときのための、家の目印らしい。

 ウォルトはミシェルの台本をもう一度頭の中で確認する。

 腹を括ってウォルトはひとりで向日葵畑から身を出した。

 出したはずが、そこもまた向日葵畑だった。

 掌ほどの慎ましい花を咲かせる向日葵の庭。この村はどこまでも向日葵で埋め尽くされているらしい。草丈がウォルトの身長よりも低いので、その向こうの赤茶けたレンガ造りの家が見える。

 そしてその手前、この向日葵の庭の中ほどに四阿があるのが分かった。

 ウォルトはそこに向かう。

 木の柱を立てて板をのせただけの素人大工、簡素な四阿。

 その下にひとりの老婆がいた。

 髪はすっかり白くなって、日に焼けて骨張った顔には皺が深い。年月に削られてミシェルの面影は見当たらないが、彼女がレイチェルなのだろう。

 揺り椅子に深く腰掛けて、向日葵の中にぽっかりと空いた空間に静かに身を委ねている。膝の上には作りかけのレース編み。今は手を止めて休憩中のようだ。うたた寝でもしているのかと思ったが、目はうっすらと開かれているからどうだろう。その目に映るのは夢かうつつの向日葵か――あの日の思い出か。

 きっと自分はレイチェルは辛そうとか悲しそうな表情をしていると思っていたのだろう。

 だから彼女の穏やかな様子を見て内心驚いていた。

 声をかけるのが躊躇われるほど、静かで穏やかで。

 しかしウォルトが声をかける前に、不意にレイチェルがゆっくりと目を開けた。

 レイチェルはウォルトにゆっくりと気づくと驚きに満ちた顔でふらふら立ち上がる。その表情が喜びに変わっていくところを見ると、どうやら名乗る前に信じているのだろう――ウォルトをデイヴィだと。

 ウォルトの方から近づいて、レイチェルの前で予定通りの科白を口にした。

「もしかしてレイチェルかい?」

「ああ――あなたなのね、デイヴィ」

 ウォルトは頷いた。

「ずっと…ずっと待っていたのよ……」

 レイチェルは力が抜けたように再びふらふらと椅子に座った。

「ああ、おかえりなさい。そうよ、私はレイチェル。ずっと待っていたのよ。だって貴方、私をひとり向日葵畑の中において行ってしまうんですもの」

 レイチェルの両の目から涙が流れる。

 ここでばれたらこの涙の意味が無くなる。

 ウォルトは緊張を押し込め努めて自然に次の科白を言う。

「ごめん、ずいぶん待たせたみたいだ。君はすっかりお婆ちゃんじゃないか」

 申し訳なさそうに、切なそうにというミシェルの指導通りにどこまで添えただろう。

「そうよ。貴方が待たせすぎなのがいけないの」

 泣き顔で意地悪っぽく笑ってレイチェルは言う。

「貴方がいない間に話したいことがたくさんできたのよ。ああもう何から話せばいいのかしら」

 そう言って楽しそうに戸惑う。誇らしそうに思い出の中で迷う。

 ――それだけの記憶を、この人は積み上げてきたのだ。

 記憶を積み重ねてきたことが――羨ましいと、これほどまでに思ったのは、はじめてかもしれない。

「私ね、今でこそこんなお婆ちゃんだけど、若い頃はそりゃあもてたのよ。

私が出店の番をしていたら、旅びとは列をつくって並んだわ。ほほ、同じものは他のひとも売っていたのにね」

 まるでその若い自分に戻ったかのように、レイチェルは生き生きと楽しそうに語る。きっと今のミシェルのような可愛らしくてお転婆な娘だったのだろう。

「結婚を申し込まれたのだって夫がはじめてじゃないわ。けど皆この村の人じゃないから断ったのよ。だって私、この村であなたを待たなきゃいけなかったから」

 デイヴィの家族はデイヴィを諦めて村を出て行った。それは仕方のないことだし、責めるのも酷だろう。

 けれどレイチェルはずっとデイヴィの帰りを待ち続けたのだ。

「デイヴィ。この四阿はね、貴方を待つには暑いだろうって夫が作ってくれたの。とっても優しい人よ。素敵な人。こうして貴方を待ち続けるのも許してくれた。

 ねぇデイヴィ。私の人生は幸せだったわ。いいえ最後にこうして貴方と会えたんですもの、幸せなんてものじゃないわ。なんて幸運に満ちていたのでしょう。

 この幸運が今度は貴方に降り注ぐように祈るわ」

「ありがとう、レイチェル。

 俺もいつか年寄りになった時、貴方みたいに昔を語れるようでありたい」

 それは台本にはなかった科白。

「そうなれるよう努力なさい。

 ――ああ、ついこんな外で長話をしてしまったわ。疲れたでしょう、私の家に寄ってちょうだい。ミシェルが向日葵茶を淹れてくれるわ。あ、ミシェルというのは私の孫よ。とってもいい子。夫も紹介したいわ」

「ありがたいけど遠慮しとく。俺は家族を捜さなきゃ」

 途端にレイチェルが顔を曇らせた。

「デイヴィ――貴方の家族は……」

「そうだろうと思ってたから言わなくていい。

 だから俺は捜しに行くんだ」

「そうね――そうなさい。無事に会えることを祈っているわ」

「ありがとう、レイチェル。

 ずっと待っててくれて、ありがとう」

「いいのよ。貴方と遊びまわるのはいつも楽しかったわ」

 そしてウォルトは別れを告げ、向日葵の庭を後にする。

 向日葵畑に引き返すのではなく家の方。家の陰に来たところでようやくウォルトは一息つく。

 ばれなかっただろうか。これでよかったのだろうか。

 ――それはレイチェルにしか分からないのだろう。

 ミシェルが家の壁に凭れウォルトを待っていた。何かあった時のためにここからこっそりと様子を窺っていたのだ。

 ミシェルの目が赤い。

「これでよかった?」

 ウォルトが小声で訊く。

「ありがとう」

 その言葉と共にミシェルはただ一つ気丈に頷いた。



 日が陰ってからレイチェルの夫が彼女を迎えに来た。夫はまだ農作業ができるくらいに元気だ。寡黙で気持ちに不器用だが優しいひと。

「帰ろう、レイチェル」

「そうね、帰りましょ。ちょっと手を貸してちょうだい」

 夫の手を借りてレイチェルは椅子から立ち上がる。

「聞いて。今日やっとデイヴィに会えたのよ」

「それは本当かい?」

 夫は目を丸くして驚いた。

「ふふ、本当よ。デイヴィとお話ししたの」

「――よかったな。

 これで向日葵畑で待つのは今日で終わりか?」

 レイチェルは少女のように笑って答えた。

「あら、私は貴方がこうして迎えに来てくれるのが好きだったのだけれど。もう迎えに来てはくれないのかしら」

 夫はそっけなく答えた。

「お前が待っているのなら迎えに行こう」

 長年寄り添ったレイチェルにはそれで十分だった。

「やっぱり貴方は優しいわ。けどミシェルが構ってくれなくて寂しがっているようだから、ちょっと控えようかしら。

 帰ったらもっと美味しい向日葵茶の淹れ方を教えてあげましょう」



   ――向日葵畑で待ってる END――


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