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5.寝起きの復讐者。

「おか~さ~ん!」

「蕾~!」


 それはまだ蕾が小さかった頃の記憶である。

 嬉しそうに走る蕾は、笑顔で両手を広げる母の胸へ飛び込んだ。甘い良い匂いが鼻から伝わってくる。

 優しい目をしたこの女性こそ、愛芽 稔梨みのり。蕾の母である。


「おかさんだいすき~! おかあさんは、つぼみのことすき~?」

「うふふっ。私も蕾が大好きよ」

「わ~い!」


 名家に生まれ厳格に育てられる事が決まっていた蕾に、気の許せる肉親以外の友達は居なかった。

 そんな幼い蕾にとって、稔梨は数少ない心を許せる存在だった。

 しかし、そんな幸せな生活は長くは続かなかった。


「せんそう……? おかさんどこかいっちゃうの?」

「蕾……良く聞いて。お母さんはこれから国の為に戦わなければいけないの、もう蕾のところには戻ってこられないかもしれない」

「え……? や! そんなのやぁ! いっしょにいてよおかあさん~! うぇええん……」

「ごめんなさい蕾……でも必ず戻ってくるとは約束できないの。ただ私の無事を祈っていてね。もし私が戻ってこなくても、国の為になる人間に育ちなさい」


 強く抱きしめられたその温もりが、蕾が母を感じる最後の機会となった。

 母の死を告げられたのは九年後。非情にも、蕾が12歳になった誕生日の日である。


「母が……死んだ? 戦争は終わった! 馬鹿を言うな!」

「その前日に敵の襲撃に遭い、戦死なされました。残念です。しかし、最後まで敵に立ち向かった勇敢な最後でありました」

「そ、んな……お母さん……お母さんっ……」


 連絡を持ってきた女性兵はそれだけ言うと、母の遺品である魅袴を蕾に手渡した。

 血に染まったそれを胸に抱いて、蕾は泣き崩れた。遺体は無かった。

 蕾はその日から、一日も欠かさなかった薙刀の稽古を止め、部屋に閉じこもった。

 国の為になるような人間に育ちなさい。母の教えを胸に強くなろうとした。

 教えを護っていれば母に再会できると信じて必死に頑張って来た。

 

 しかし……もうその母は二度と彼女の前に姿を現さない。


 そんな絶望していた蕾を変える出来事が起きたのは、母の戦死を告げられた二週間後の事である。


「お母さんが……戦死じゃない? どういうこと! 何を言っているの満姉さん!」


 真実を告げたのは、彼女の従姉妹、愛芽 みちるだった。彼女の父は稔梨の兄である。

 愛芽家に生まれた男は代々、分家として本家に忠義を尽くすのが生業である。

 満は幼き頃より蕾の母に仕え、蕾とは姉妹のような関係だった。


「音琵が稔梨様を殺したのよ!」

「音琵様……? 国の英雄が……何故……?」

「あの男は事あるごとに自分に意見する稔梨様が気に入らなかった。だから……」


 満の脳裏に記憶が蘇る。

 海を挟んだ向かい側の高い崖の上に見えるのは、傷ついた稔梨の姿。後ろは海。

 稔梨の前に立っていた音琵は鬼のような形相だった。その瞳は憎しみに満ちていた。


「その崖から……海の中へ突き落とした……?」

「間違いないわ。それもスカートを脱がし、辱めを与えた上であの男は……私も何度も上層部に真実を報告したのよ。でも、音琵は総司令の……咲玖様の信頼を盾にして……ただの戦死にしてしまったの」

「……音琵……音琵……音琵、音琵、音琵! 音琵! 音琵!」


 悔しそうに涙を流す満を見て、蕾はもう復讐者の顔をしていた。


「おとびぃいいいいいいいいいい! よくもお母さんをぉおおおおおお!」

「ん……起きた? うなされてたけど大丈夫?」

「ハァ……ハァ……布嗚……透? 布嗚透だと!? 貴様が何故地獄に!」


 蕾はベットから半身だけ起き上がると、叫び声を上げながら右手を突き出していた。

 肩で荒く息をして、心配そうにしている透が見えると、蕾は食いつくように身の乗りだして、四つん這いになる。


「へぇ。愛芽さんは死んだら地獄に落ちる気なの? ぷっ。変だよそれ、あはははっ!」

「なー!? 笑うな! 仇の息子とは言え、罪のない人間を私怨で殺そうとしたのだ! 地獄に落ちると思って何が悪い! それよりも答えろ! 何故貴様まで地獄に居るのだ!」

「仇の息子ね……。まずは落ち着いて、ここは医療室だよ。地獄じゃないよ」

「何……?」


 両手を大きく広げて、透はここが地獄ではないとアピールする。あるのは治療器具やベットである。

 蕾はそれを見て首を傾げると、透に視線を戻した。


「私は首を絞められるか折られるかされて、殺されたのではないのか? 確かに首に目掛けて手が……」

「えー……僕そんな酷いことするように見えるの? ちょっと落ち込むなそれ」

「あ、いや。そうは言ってないが……」


 どんよりとした影を背負い、椅子に座って頭を垂れた透の本気で落ち込んでいる様子を見て、蕾もなぜか言葉に詰まる。

 相手は憎くて仕方ない仇の息子である筈なのに、何故かその姿を見ても蕾の心に憎しみは沸いて来なかった。

 むしろ、落ち込ませてしまった事に罪悪感を感じてしまっていた。


「急に倒れそうになったから、抱き止めただけだよ」


 恐怖に声も出なかった教室の女子の姿を思い出して、透は苦笑いを見せる。


「そ、そうか、ありが……! 何故私が貴様に御礼を言わなくてはならんのだ!」

「礼を言ったり怒ったり面白いね愛芽さんは。ところで……」

 

 透はベットの上で立ち上がった蕾を見つめる。

 しかしその視線は、蕾の顔ではなく、下の方へと向けられていた。


「愛芽さん下着が見えてる」

「は? 貴様に下着を見られて何の問題があー!? あり過ぎるではないか!? み、見るなー!」


 蕾は魅仁一式を両手で押さえて、椅子に座る透の顔面を踏みつけるような蹴り右足で放った。

 彼女は完全に透が男である事を忘れていたのである。


「蹴るより大人しく寝た方が見えないから」

「あうっ……私の……見たくせに、報復に蹴らせても貰えないのか……もう嫌だこいつ」


 蹴りを簡単に片手で止められ、バランスを崩した蕾はそのままベットの仰向けに倒れた。

 恥ずかしさからか、蕾は両手で顔を覆い隠して首を左右に振っている。


「そろそろ質問させてね」


 話が出来ないと判断した透は、無視して話をする事にした。 


「僕が仇の息子ってどういうこと?」

「貴様……白を切る気か? 奴の息子なのに何も知らされてないのか?」

「いや、それがまったく知らない。ごめんね。教えてくれるかな?」

「うっ……い、いいだろう。コホンッ。では教えてやる。貴様の父親はな……」


 優しくにっこりと笑う透を見て、蕾は赤面しながら視線を逸らし、言い放った。


「私の母を戦争の混乱に乗じて殺したのだ!」

「え……?」


 言ってやったと表情を強くする蕾を見て透は考える。

 嘘を付いていないのは彼女の目を見れば判断出来る。

 しかし、父親がそんな事をする筈は無い。


「まだ情報不足で考えても分からないからいいや。もう暗いから一緒に帰ろうか、送るよ」

「貴様……頭おかしいのか? どうして敵に家まで送って貰わねばならない! 大体貴様は……」

「ちょっと黙って僕の話を聞いてくれるかな」

「な、何をすっ……」

 


 両肩に両手を置かれて、蕾は怒りの声を上げたが、直ぐに黙り込んだ。

 鼻先がぶつかる様な位置に、透の顔が近付いて来ていたのである。

 蕾の心臓が跳ね上がる。相手は女にしか見えないのに、鼓動が早くなる。

 凄く恥ずかしい格好になっている気がして、蕾は頬を赤く染めた。


「敵であろうがなかろうが、女の子が一人で夜歩きは駄目だよ。女に恨みを抱く男はそこら中に居るんだから、黙って僕に君を護らせてほしい、断ってもそうするから、いいね?」


 透は綺麗な澄んだ声で言うと、じっと答えを待つように、左目の視線を強くする

 蕾は胸の奥できゅーと何かが締め付けられるような感覚を覚え、黙って頷く事しか出来なかった。

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