廻らないコースター
瞬くと、シェーカーとバーテンと大体全部がぐるぐる廻っていた。
明日も仕事だというのに、平日の夜中に呼び出されてハシゴしていた。
三軒目のバーで日付が変わり、しっかりと飲み、酔いが廻った。
「ねえ、聞いてんの?」
憤然とした声の主、ミドリも廻っていた。
男っぽい物言いを直せば綺麗な部類に入るのに、と苦く笑う。
ちっとも色気がない。
三十半ばを過ぎて、それなりに肌も弛んできて、でも何でだろう、俺にはそんな彼女が魅力的に見えて仕方ない。
焼酎の入ったロックグラスを乱暴に置いてこちらを睨んでいる女を見て俺は笑う。
彼女があまりにもぐるぐる廻っているものだから、なんだか可笑しくなってクツクツと笑い声を上げた。
そして同じものが入っているグラスを煽ると、彼女と同じように乱暴な置き方をしてみた。
粗く砕かれた氷が焼酎によって角を削られ、丸みを帯び、店の照明をやわらかく反射させている。
「おかわり」
「じゃあ、おれも」
そういうと、廻るバーテンは手品のようにグラスを差し替えた。
その手際の良さが妙にツボにハマッて、俺は覚束ない仕草でバーテンにグラスをかざして見せた。
なんだか可笑しくて仕方ないのだ。
「あんたはいつもそうね」
ミドリは頬杖をつき、グラスに揺れる焼酎を見ながら言う。
「何が」
今度はグラスを彼女に掲げて笑う。
「わたしの真似ばっかりして、自分の気持ちをちっともださないじゃない」
「なんだよ、それ」
「だってそうじゃない」
ミドリは俺の目をしっかりと見据えた後、
「あんたここに来て、一杯でも自分の好きなお酒、頼んだ?」
と言った。
「ヘラヘラ笑って、私の真似ばかりじゃない」
答えないでいると、彼女は鼻息を荒くして焼酎を空にした。
廻らない頭を廻してみたが、スキナオサケってなんだっけ、という答えしか出てこない。
そもそも、俺に好きな酒なんてない。
ミドリが酒好きだから、一緒に飲んでいるだけだ。
そうでなければ、好き好んでこんな小洒落たバーになんかくるものか。
様々な種類の酒が置いてある棚に目を向けながら、ライムを齧った。
「都合が悪くなると渋い顔」
違う、これはライムが酸っぱくて・・・
「言ってるそばからヘラヘラ笑うし」
言い訳する前にツッコまれる。
「いい歳して、面白くもないのに笑わないで」
彼女はそう言って愉快そうに俺を見下している。
店内には珍しく、店舗の早いピアノソロが流れていた。
笑えないとなると、俺には一体、どんな顔ができるというのだ。
なんだか腹が立ってきた。
酒を煽る。
いくら廻っても同じ柄のコースターにイライラした。
そもそも、単なる飲み友達にづけづけとそんなことを言われる筋合いはないはずだ。
確かに俺はミドリに惚れている。
でも、そんなことはこれっぽっちも出していない。
それが大人の付き合いってやつじゃないのか。
お互い大人どおし、都合のよい関係を保とうとしてきただけじゃないか。
心臓の鼓動がドクドクと胸を打つのがわかる。
なんだか非常に腹が立ってきた。
「自分だって・・・呼んだらいつまでもホイホイ飛んで来るような男だと思うなよ、俺を」
と、俺はグラスを睨みつけた。
「なにそれ、どういう意味よ」
「お前はどうして俺が毎回毎回誘いを断りもせずに飲みに来てると思ってる」
「どうしてってそれは・・・」
そう言ってミドリが割りと真剣に考え出したものだから、俺のお腹の中の悪い虫が顔を出し、
「お前は、俺の気持ち、本当はわかっているんじゃないのか」
などと勢いで言ってしまった。
ホンネ半分、イタズラ半分で、だ。
「何よそれ、あんた、自分が何歳だと思っているの?」
思いのほか動揺しているミドリは、力ない声を上げた。
「三十六、お前と一緒だよ」
だから俺は、思い切り男前な声をだして真摯にそう答えてやった。
「・・・あんたの気持ちって、なによ」
ミドリは全く彼女らしくない声で呟いた。
重い沈黙が二人を包んだ。
二人で同じようなグラスの、同じような氷を睨んでいた。
バーテンが何も言わずに、やはり早業でグラスを変えていった。
またグラスには、よく冷やされた透明な液体が注がれていた。
なんだか悲しくなってきた。
俺は酒を持ち上げると、
「気になる?」
と努めて明るい声を上げた。
もちろん、満面の笑みを添えて。
ミドリは一瞬、怯えたような表情をした後、プッと噴き出した。
「あんたの気持ちなんて、しらないわよ」
彼女は少し怒ったような甘え声でグラスをぶつけてきた。
もう少し、この関係を続けたい。
その思いが、俺の気持ちを押しのけた。
俺は笑顔で心を隠す。
本当の気持ちを。
多くを望みすぎると、失うものも大きいという経験則に基づいて。
この関係が壊れるくらいなら、俺は嘘でも笑い続けよう。
飲みすぎて、本音を吐いて、イタイ思いをするほど若くはない。
お互いが一番傷つかない、つまらない関係を望んでいる。
じゃあ、このキモチってなんだっけ?
恋ってなんだっけ?
幸せって、なんだっけ。
俺は廻らないコースターを見て笑い続けた。