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百年の眠り  作者: 水花
SS
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誰かの願いが叶う頃

次元管理官クリードとユージーンのある日の出来事。

 来客を知らせるチャイムの音が、クリードの居る二階の書斎まで聞こえてきたが、確か妻が居たはずだと思い、視線は再び読みかけの本に落ちる。休日の午後。窓越しの柔らかな光が板張りの床に落ちている。座り心地のいい椅子にゆったり腰掛け、珈琲の入ったカップを片手に、優雅で贅沢なひと時を楽しんでいた。

けれど、階段を上ってくる足音に、おやと首を傾げた。ドアがノックされ、妻が顔を覗かせた・・・その後ろに。

「あなた、ユージーンさんが来られましたよ」

 ああ、浮き世離れの時間は終わり、憂き世がやってきたか。クリードは本を閉じた。

 や、ひさしぶりだねと能天気な笑顔で挨拶をするその男の頭に、この本を振り下ろせたらどんなにか、とクリードはため息を押し殺した向こうで、思ったのだった。



「そんなに睨まなくってもいいでしょ、久しぶりだってのに」

「何が久しぶりなものか。この間通信したばかりだろう」

その時もロクでも無い話ばかり聞かされた気がするのは私の記憶違いかと再び睨んでも、ユージーンと呼ばれる男は、あれそうだったっけ~と笑って首を傾げるばかり。

 暖簾に腕押し糠に釘。馬耳東風とばかりにこちらの言い分はさらりと聞き流し、爆弾発言をさり気なく落とすのが特技の男。嫌な諺を自分に何度も体感させてくれる男は、さて今回はどんなロクでもない話をしにきたのやらと既に投げ遣りな気分になって、クリードは椅子に深々と座りなおした。

 クリードの書斎には、流石にソファセットまでは置いていないが、小さな丸いテーブルと椅子がある。部屋の三方を背の高い本棚が囲んでいる。そして、それぞれの本棚はぎっしりと本が詰まっている。入りきらない本は床に平積みしていた。妻には、お掃除が出来ないわと時々文句を言われるのだが、どの本にも愛着があるので、本を減らすのは非常に難しい。整理するのもひと苦労だ。本棚の一番下には、スティールが子どもの頃に読んでいた絵本もある。

どちらかといえば、客人が落ち着けるような部屋ではない。下の居間でお話なさったらとクリードの妻は勧めたのだが、そう気を遣う相手でなし此処のほうがいいんだとクリードは答え、ユージーンもお気遣いなくと言えば、彼女もあらそうと納得した。お茶とお茶菓子を運んできて、夫と客人に出すと、わたし、これからちょっと買い物に行ってきますけど、留守番よろしくお願いしますねと言い置いて出かけていった。

 急いで帰らなくていいとクリードは声をかけたが・・・それが妻への気遣いからだけではない事を・・・客人だけが知っていた。

 

客人はふふふと猫のように目を細めた。本棚に凭れて立ったままカップの中身を啜る。たまにしか・・・そう数年に一度くらいしか訪れない客人の好みを、彼女はちゃんと覚えてくれていて、そのことをさて彼に告げたものかとしばし迷った。ほんの瞬き一つの間のことであるが。

 それも眉間に縦皺を刻んで自分を睨みあげる彼を目にすれば、風に舞う木の葉のように躊躇いなど吹き飛んでしまう。

「さすがクリードの奥さんだねえ、僕の好みちゃんと覚えててくれたよ。ほんと、いい奥さんもらったよね」

「・・・・・・」

「あっ、そんなもの覚えなくていいのにって思ってない?酷い、この世界で二人きりの兄弟じゃないっ」

「・・・・私は弟を持った覚えは無いが」

「え~この界ではいちお、兄弟でしょ。そうすることに決めたでしょ。今更往生際の悪い」

「・・・今からでもその記載事項を抹消したい・・・」

 頭を抱えながらも、ああいかん、これでは相手のペースにはまってしまう、話がちっとも進まないじゃないかとクリードは気力を振り絞る。相手のペースに巻き込まれてはいけない。それは今での経験で、よおくわかっているはずじゃないか。

 何故自分の家でこんなに疲労困憊しなけりゃいけないんだと胸の内でグチを零しながら。

 それで、と咳払いを一つして、椅子ごとくるりと向き直る。

「・・・で、忙しいはずのお前が、通信ではなくわざわざ家まできた理由は何だ?ただ顔を見たかったからとか、手料理が食べたかったからというのは却下だ」

「え~顔見たかったからってのは駄目?」

「却下」

 取り付く島の無い声に、ユージーンは肩を竦めてみせた。

「酷いなあ。血縁の顔たまには見たいって思っただけなのに~・・・あれ、コレには反論ないね?血縁は間違いないモンね?正真正銘従兄弟だからね?」

「・・・いっそ、その事実を抹消したい・・・」

 あはは、そんなの、血を入れ換えたって無理だよとユージーンは笑った。血と縁で雁字搦めになった彼らの関係は、たとえ記録を消しても事実は残る。関係者の記憶に残る。それらから逃れる術は一つ。

 ことなる理が支配する場所へ行くこと。たとえば・・・図らずもクリードがこの界に居るような。

それで、と些か疲れた声で、クリードが言った。

「それで、本題は何だ?・・・時間はあまりないぞ、早く話せ」

 仁、とこの界の言葉とは・・・異なる響きで相手の名を呼べば、仁・・・ユージーンは分かってるよと答えた。

 もう少し会話を楽しんだっていいじゃないと、前置きしながら。

「相変わらずせっかちだねえ・・・ミクちゃんは」

「その呼び名はよせと何度も言ったろうっ」

「あ~はいはい、じゃ本題に入るね」

「お前は、人の話を聞けっ」



 何度も怒鳴ったせいでげほごほと咳き込むクリードを、仁はにやりと笑いながら見下ろした。

「ま~相変わらずマジメだねえ~。てきとーにしてないとハゲちゃうよ。皺増えるよ?」

「・・・お前はその適当さ加減のお陰で、嘘みたいに若いがな」

「適当さの賜物です!ミクちゃんもそうしてみなよ」

「その呼び名はやめろと言ってるのに、お前は聞かないな」

「う~ん、子どもの頃の習慣って、なかなか抜けないしね。いいじゃない、ミクちゃんて可愛くて」

「いいから本題。いくらお前が仕様も無い事に心血注ぐ奴でも、この世界の反対側から来るほど暇じゃああるまい?」

時として界を超えて冗談だけのためにやって来ることが、あったけれどそれはスルーして。

 仁は叶わないねと口の端をあげると、カップの中身を空にして、丸テーブルに置いた。

「つれないね。久しぶりに会ったっていうのに。まあいいや、じゃあ本題ね」

 仁はクリードの鼻先に人差し指を立てた。

「まず一つ。長老会は次元管理官の一時撤退を決定しました」

「・・・は、それは一体・・・」

「驚くのはわかるけど、最後まで聞いてね。で二つ目。それにより、派遣されていた次元管理官は皆本国へ帰還を始めてます。で、3つ目」

 クリードは目の前で立てられる仁の指を半ば茫然として見ていた。

仁は特に表情も変えず、いつも冗談を飛ばすときの顔とちっとも変わりなくて、クリードにはこれが性質の悪い冗談かそれとも事実なのか判断が出来ない。

 付き合いの長い自分ですら・・・そうなのだから、長老会の面々もこの男に対しては手を焼いているに違いないと思った。言動が建前なのか本音なのか・・・それとも、そのどちらでもないか、さっぱりわからないからだ。

「これは決定ではなく、噂もしくは1及び2から類推される事だけどね~ここから導き出されることといえば・・・わかるよね、深玖里」

 ミクリ、と小さい頃の呼び名でなく、本名を呼んだ仁に、クリード・・・深玖里はああ、と頷いた。

「次元管理官を廃止するって動きか・・・」

「まあね~本国の長老会もイロイロあるからね。それぞれの思惑絡んでごちゃごちゃで、みっともないったら」

 仁は椅子に腰掛けると足を組み、テーブルの上の皿からきつね色に焼けたマフィンを取り上げた。

「うん、おいし~奥さんお菓子も上手で羨ましいな。まあ廃止って事にはならないんじゃないかな?ウチも反対するだろうし、ミクちゃんちも反対するでしょ?」

「結城と城戸が反対にまわるとしても、他は?」

「そりゃ、引き込むに決まってんでしょ?」

 正攻法でも勿論口説くけど、それで聞かなけりゃ弱み掴んで揺さぶるよ勿論でしょ?

「・・・ほどほどにしとけよ」

 長老会の面々が気の毒になるような・・・仁の表情だったので、深玖里はそっと顔を背けた。


「それにしても・・・銀の界もこちらも些か不安定な折に、管理官全員帰還か・・・痛いな」

 深玖里が思わず呟くと、はや3個目のマフィンに手を伸ばす仁はそうだねえと頷いた。

「絶対こっちがあげた報告書なんか、まともに見てないって。見てりゃ危なくて、術者引き上げなんて芸当できやしないって。ところで」

「なんだ」

「銀の界の元王子・・・こっちに転生してるんだって?誰なのかわかったの?」

「ああ・・・お前も知る有名人だ。ローレンス・シュバルツ」

「ほう・・・それは盲点・・・というか、転生というのは時間を遡れるものなのかねえ」

「界が異なるからな。理に触れないから可能だそうだ」

「ふうん・・・じゃあ、もう一人の王子は何処に転生したんだろうな・・・というかなあ」

「なんだ」

「転生といってもね・・・こんな短い期間での転生だろう?ロクに魂を休める間もない。ついた傷は癒されず、それを抱えたまま次の人生を送ることになりやしないかな~と思うんだよね」

 そうだなと深玖里は同意した。特にローレンスは前世の記憶を抱いたまま転生したという。それは今の人格に傷をつけかねないと・・・転生する前の王子は知っていたのだろうか。

「まあ僕らには知りようが無いことではあるけど・・・さて」

 仁は身軽く立ち上がる。窓の外は橙色の光が満ち、夕焼けの空が広がっている。

「僕はそろそろ戻るよ」

「ああ、小太郎にもよろしく」

「しばらく一人で頑張ってね~あはは、大変だけど」

「・・・全然励ましてないな・・・」



 妻は買い物から戻ってないらしく、キッチンには居ない。その方がよかったクリードは内心安心した。

 ほてほてと背後からついてくる、この界における“弟”は、あれれ、挨拶くらいしたかったのになとさも残念そうに言った。

 いつロクでもないことを言うかと、こちらは冷や汗をかいているというのに。

 玄関先まで見送りに出たとき・・・間が悪くスティールが帰ってきた。

「パパ、ただいま~って、あれ、ユージーンおじさん、来てたの?」

「お帰り。久しぶりだね、元気そうでなにより」

「えへへ~おじさんも元気?今日は晩御飯食べていけるんでしょ?」

「ごめんね~もう帰らないといけないんだ。また今度ゆっくり来るよ」

「ほんと?じゃあ今度ゆっくり来てね」

 娘の背後で、深々とため息をついた父の姿を、娘だけが知らなかった・・・。


 ちょっとそこまで送ってくるよと、クリードとユージーンは連れ立って歩いていた。

 玄関先で出来る話ではないからだ。クリードが家族にすら自分の本当の仕事をひた隠しにしているというのに、この男は自分の努力など軽く無視するようににこにこ笑いながら現れる。回りの者の苦労を思いやってしまうクリードだったが。

「なあミクちゃん」

「その呼び名はやめろ。ついでに此処ではクリードと呼べ」

「じゃあ深玖里。これが最後のチャンスだよ。本国に帰る?長老会は次元管理官を全員帰還させると決定した。例外は無い。だから・・・この界に永住すると認められた君も、帰ることができる。どうする?」

 その瞬間、クリードは腑に落ちた。ユージーンが・・・傍迷惑な従兄弟が自分に会いに来た訳を。おそらくその一言を言うために、帰還を急かす長老会をのらりくらり交わし、ここまで来たのだろうと。

 この界で伴侶を得、子どもまで為したクリードは、本国へ帰ることは出来ない。不安定な界の理を乱しかねない乱しかねないからだ。帰還どころか、危うく一生涯の幽閉という事態にもなりかねなかったのだが、狭間の界での常駐次元管理官として働くならという条件つきで、放免された。

 本国に帰りたいと思ったことはない。ただ、あちらに居る幾人かと直接会えないのだけが残念ではあった。

「私は帰らないよ。そう、あの時に決めた」

 うん、とユージーンは笑った。そう言うと思ってたと。なら何故来たと問うても・・・この男は煙に巻いて答えまい。だからクリードもあえて聞かなかった。

 少し歩いて、リニアの乗り場に出る。じゃあここでいいよとユージーンが言う。

「何かあったら連絡入れるから~まあミクちゃんのことだから無理しちゃうんだろうけど、無理しないでね」

「その呼び名はやめろ。結城の皆にもよろしく伝えてくれ」

「了解。んで、城戸の方にも伝えとくよ、元気でしてたよって」

 じゃあねとユージーンは手を振り、丁度来たリニアに乗り込んだ。何となく見送ってからクリードは家の方へ足を向ける。これからの事を考えると、ますます頭が痛くなりそうだった。

 まずは金の御方に連絡をして、数人で見ていた界のチェックポイントを一人で見る算段もして・・・それから。

「・・・あなた?」

 後ろから声をかけられて振り向くと、買い物に出かけた妻が居た。手には重そうに買い物袋を提げている。

「こんなところでどうしたの?ユージーンさんは?」

「今帰ったよ。見送りに出ていたんだ」

 重そうな袋を妻から受け取り、並んで歩き出した。

 まあと妻は声をあげる。

「ユージーンさんにも美味しいものを食べてもらおうと思ってましたのに・・・残念だわ」

 こんなことなら、マフィンだけじゃなく違うものも作っていればよかったわ。いいえ家に居て何か作ればよかったわとしきりに繰り返すので、クリードは何やら複雑な気分になる。

「お菓子がとても美味しかったと言っていたよ。今度ゆっくり来るそうだから、その時にでもご馳走してやってくれないか」

 ええ、もちろん腕を振るいますともと妻は言う。妻の顔をちらりと見て・・・言おうか言うまいか悩んだ後、クリードは言った。やはり、一度聞かねばどうにも落ち着かないと思ったからだった。

「一つ聞いていいかな・・・」

「あら、あなた、なんですか?」

「どうにも・・・お前やスティールは、あれが・・・ユージーンが来るのを、やけに楽しみにしてるなあと思うんだが・・・何故だい?」

 妻は目を丸くした後・・・くすくすと笑い出した。

「あなた、真剣な顔をして聞くかと思えば・・・まあ・・・」

 クリードはバツが悪くてふいと顔を逸らす。くすくす笑いながら、妻は腕を組んできた。そういえば此処最近は、並んで歩くことも、腕を組むこともなかったなあとクリードは思った。


「あのね、あなたとユージーンさんって、よく似てるでしょ?だから、若いときの貴方に会えたような気になるのよ」


 妻の返事に、ますます複雑な気持ちになったクリードだった・・・。



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