誰かの願いが叶うころ
「あ~どうしたらいいかなあ~・・・」
スティールはお気に入りのクッションに顔を埋め、とさりとベッドに寝転ぶ。独り言のそれに、返ってくる言葉は無かった。
スティールが学校から帰宅すると家には誰もいなかった。母親は買い物に行っているらしく、キッチンのテーブルの上にはメモと、皿に盛られたクッキーがあった。今日のおやつは全粒粉のクッキーです。食べ過ぎてご飯が入らないなんてこと、しないようにとの注意書きがあった。
スティールは小皿にクッキーを取り分け、少し考えてグラスに牛乳を注いだ。それらをトレイに入れて二階の自分の部屋に持っていった。
「ただいま~リル、ジルファさん」
部屋の隅と隅に居る、金色と青の鳥に帰宅の挨拶をすると彼らからも返事が返った。
「お帰り」
「お帰り。母上は出かけたようだよ」
「うん、そうみたいだね。メモがあったし」
何か買い忘れでもあったのかなあとスティールは首をかしげながらも、制服から部屋着に着替える。楽な格好になったところで、ベッドを背もたれにして、ふかふかのラグの上に座り込んだ。トレイも行儀が悪いかなと思いつつ床に直に置いた。
「ママの全粒粉クッキーだ~久しぶり」
一つ摘んで口に入れる。ドロップクッキーのそれはざっくりと素朴な見た目であり、その見た目どおりの素朴な・・・香ばしい味がした。スティールの母が作るそれには、オートミールも入っており、食物繊維も摂れるというスグレモノだ。
美味しいなと顔を綻ばせて・・・けれど次の瞬間スティールはむむむと顔をしかめる。
「なあに百面相してんのよ」
軽い羽音をたてて、リルフィがスティールの肩に止まる。
すると少女は、だって~と情けなさそうに眉を下げて新しいクッキーを手に取った。
「だって、おんなじ材料使ってるのに、ママとあたしじゃ、なんでこんなに出来上がりに差があるんだろうって」
「・・・ああ、アンタもこの間、同じの作ってたわね・・・で、確か」
「あ~見事なまでに、黒焦げになってたよねえ~」
あれはいっそ芸術的だったよと最後をジルファに締めくくられて、スティールはそれフォローになってないと上目遣いにジルファを睨んだ。
青い鳥は肩を竦めるように羽を広げる。
「ほう、フォローが欲しいのかい?」
「うううう・・・要らない。あたしの作るものがあんまり美味しくないって、あたしが一番わかってるもの」
「・・・スティール、悪いけどあたしもこと、コレに関しちゃフォローしてあげられないわ・・・」
仕方ないとスティールはため息をつく。そうして手に持っていたクッキーを一口かじる。さくさく、ほろっと口の中に零れた・・・小麦粉と砂糖とバターの塊の、なんと美味しいことか。
そして、なんと自分の作るものと差があることか。
「なんで家でも教えてもらってるし、学校のクラブでも作ってるのに、うまくいかないんだろう~」
・・・そりゃあ、ねえ。
ちろり、ちらり、と金の目と青い目が見交わされる。大抵の事では反目しあうリルフィとジルファだが、自分に対するふざけているとしか思えない口説き文句以外には・・・まあ穏当な対応をするリルフィであった。
彼らの視線での会話をもし少女が理解していたら、たいそう憤慨したに違いない。
「そりゃあ、ねえ・・・」
「人には向き不向きがあるっていうし」
「下手の横好きって言葉もあるし」
「好きこそもののって言葉もあるから、そのうち上手くなんじゃない?」
「あはは、それ投げやりに言ってるでしょ」
などなど。
「まあ、母親の美味しい料理食べなれてるだけに、味に対して理想が高いってのはあるんだろうけどね」
彼らの交わす“会話”にはちっとも気付かず、スティールはまたため息をこぼした。
「あ~あ、今度ローレンスに、クッキー作っていくねって約束したのになあ・・・」
ローレンス。
その名前に、鳥たちはまた無言で視線を交わした。
銀の界の元王子。狭間の界へと転生を果たした彼は、銀の界での記憶を抱いているはずだが・・・スティールと再会した後も、まだ蘇る気配は無い。今はローレンスという名前を持つ彼・・・この世界では誰もが知るような有名人であった・・・と、友人づきあいをするまでにはなっているが、当の彼が少女をどう思っているのか・・・リルフィとしては疑問だった。
彼のような社会的地位にある人間が、スティールのようなごくフツウの少女の傍にいる理由。
本当に極普通の友人づきあいがしたい?
それともきまぐれ?
それとも・・・恋愛対象としてみているの?
一時の恋の相手として見てるなら、許さないんだからと内心拳を握り締めるリルフィ。万が一そうなれば、鋭い嘴がローレンスを襲うことだろう。そしてそれを、ジルファも止めないに違いない。
「どうしよう~」
少女はクッションに顔を埋めると、背後のベッドに寝転んでしまったので、リルフィは少女の肩からひらりと舞い降りた。
「どうしよう~いつまでも持ってけないよう~」
その悩みじたいは微笑ましいものだけど・・・ねえ。リルフィはささやく。
「ねえ・・・あんたがクッキー食べさせたいのって、一体誰?・・・どちらなのかしら?」
「・・・・え?そりゃ・・・」
「ローレンス?それとも、ディーン?そうね、まだディーンの記憶は戻ってないものね・・・だから、ローレンスなの?」
スティールはリルフィの言っている意味が分からず、困惑する。どちらなんていわれても、ローレンスの中でディーンの記憶は眠っている。君と同じ時を生きたいんだと・・・強い意志を表す眼で言った彼の言葉と腕の強さを、彼女は覚えている。彼女もまた・・・彼と同じ時を、今度は他愛ない話をしながら生きたいと思ったのだ。
「誰って・・・彼は、今はローレンスでしょ?」
「そうね。ローレンスとして生きているわね。その彼に、ディーンだった頃の記憶なんて、要るのかしら?」
辛い思い出の多い記憶なんて・・・本来覚えてない他人の人生まで背負わせる必要なんて、あるのかしらね?
魂は同じでも、人格は違うわ。もし記憶が蘇ったところで、ローレンスは“ディーンだった頃の記憶を持つ”人に過ぎないのよ?ディーン自身じゃ、無い。
「リルフィ・・・なんて今頃、そんなこと言うの?」
「今だから言うのよ。一度よく考えなさい。記憶を抱いて転生するのは、ディーンの望みだった、でもそれは、転生後の人格であるローレンスには、関わりのないこと。折角新しい人生を歩んでいる彼に、前世を思い出させたとして・・・それは彼にとっていい事なのかしらね」
スティールは唇を噛んで俯いた。リルフィに言われるまで、ちっとも考えたことはなかった。ディーンにもう一度会いたい、それだけを思って探して・・・そうしてローレンスに出会った。ローレンスの中にあるはずのディーンの記憶は眠ったまま、揺り起こす術がわからずにいる。
ローレンスとは他愛ない話をしたり、お茶をしたり・・・友達のようなつきあいを続けているけど。
「・・・あたし、ローレンスに酷いことしてるのかなあ・・・」
知らず知らず、ディーンを重ねて見てる。彼だったら何と言ってくれるかとか・・・考えている。
でも、今居るのは、ディーンじゃない。
ローレンスだ。
「まあ自分の存在を素通りされるのは、嬉しくないだろうがね。酷いかどうかは、わからないが」
ジルファの言葉に、ますます下を向くスティール。あんた余計なこと言わないでよとばかりにリルフィは彼を睨み、それから少女に声をかける。
「わたしはね・・・一度言っておきたかっただけなの。あんたのその望みは・・・彼に何をもたらすのかって。それを考える必要もあるんじゃないかってね」
「・・・わかった」
スティールは小さく頷くとクッションをぎゅっと抱きしめた。
ディーンの願いは、少女と同じ時を生きること。
スティールの願いは、彼と他愛ない話をして・・・笑いあって過ごすこと。
スティールは、あ、と小さく声をあげた。自分の願いなら・・・半ば叶っている。
ローレンスと他愛ない話をして、時を過ごしているから・・・だけど。それは“ディーン”は知らない。
“ディーン”にこそ、他愛ない優しい時間を知って欲しかったのに・・・それは自分の我侭なんだろうかと。
「ごめんね・・・」
小さく呟かれた声は、誰に対してのものだったか、少女にもわからなかった。
願いが叶ったとして。
その“願い”が誰かを不幸にするなら・・・その“願い”は。
いっそ、消えた方が、いいの?