~星の群れ~
「とうに知っていたさ」
俺がそう言った時の、奴の顔は見ものだった。
王城のある街の一角の、通りから一本中に入った場所に、その食堂はあった。店はこぢんまりとしていて、切り盛りするのは料理を作る主人と、料理を運び、接客する妻、そして時折可愛らしい娘も手伝いに加わっている。
良心的な値段ながら、美味しくてそして、時折変わった料理が出てくると評判の店である。
昼飯時の忙しさが一段落した頃。食事をしている客は数人居るが、追加で注文は入ることはなかろうと、食堂の主、ヤツカは頭に巻いた色鮮やかな布を解いた。最近は治安もよくなったため、昼だけでなく夜も食堂を開ける。夜に備えて、遅い昼食を摂り、少し休もうかと、鍋を振りっぱなしで強張る腕を揉んだ。
厨房の奥、店にいる客の様子が見える位置に椅子を持っていき、腰を下ろす。妻のユキは一足先に昼食を済ませ、夜に使う食材の買出しに行っていた。さあ食べようかと肉団子と白菜のスープが入った皿を持ち上げたとき・・・涼やかな鈴の音が聞こえた。
店先に吊るした鈴が、来客を知らせる。ちりん、ちりんと鳴る鈴の音は、どんな喧騒もやすやすと突き抜けて耳に届く。けして大きくはない音であるが、清涼で凛としたその音を、ずっとヤツカは気に入っていた。
休憩はもう少し後か、仕方ないとヤツカはため息を殺し、再び布を頭に巻いて店に出る。
「へい、らっしゃい。何にしましょうか・・・と、おまえか」
やって来たのは、ヤツカのよく知る人物で。ここ十数年、家族ぐるみでつきあいのある人間だったから。
そんな気安い言葉が口をついて出た。
奴は口の端だけで笑って、ユキさんとスズはと尋ねてきた。
「ユキは買出し。スズは、友達の所だが」
何か用でもあるのかと尋ねようとして、途中止めになる。食事を終えた客が、立ち上がったからだ。
ちょっとそこらへ座っとけと身振りで示し、ヤツカは代金を受け取って、ありがとうございましたと客を送り出す。つられるように、残っていた他の客も席を立ち始めた。
美人の奥さんに見送られないのが残念だけどと言う常連客に、俺の見送りじゃ不満ですかいと軽口で返し、そうして最後の客を送り出した。クローズの札を表のドアノブにひっかけ、扉を閉める。・・・ちりん、と鈴が鳴った。
空のテーブル、空の椅子が並んだ店内は、さして広くないが、途端にがらんとした印象に変わる。
客で埋まっている時には、狭いとすら感じるのに。人と、話し声と、食器が触れ合う音。それらが無いこの場所は、空の箱のようにも見える。
外と店内を隔てるのは、一枚の扉。けれどその一枚で外のざわめきも人通りも、たちまち遠いものになる。
さて、とヤツカは頭の布をとき、油やソースが飛んで汚れた、前掛けのポケットにねじ込んだ。そして隅の席に腰掛けた来客に向き直る。頬杖をついて、ぼんやりと窓の外を眺めている様子の・・・白い、血の気の薄い顔を上から眺めおろして、眉をひそめた。丁度そのとき、視線に気付いてか顔を上げた奴と目が合う。
それをどう捉えたのか・・・花が萎れるように、表情が曇る。
「遅い時間にごめん・・・夜の仕込みがあるんだっけ。忙しいよね」
邪魔してごめん。早口に言って、腰を浮かせかけるから。細い肩を両手で掴んで、椅子に座らせた。
「そうじゃねえよ。仕込みくらいお前と話しながらでも出来る。それに今から昼飯兼休憩だ。つまり全然、忙しくない。だから、おまえもつきあえ」
「え・・・でも」
「昼、まだなんだろ?今更何遠慮してんだ」
ちょっと待ってなと言い置いて、返事も聞かずに厨房に戻る。鍋に残っていた鳥肉とブロッコリーのシチューと、パン。サラダに果物。それらをテーブルに並べてやれば、俯いていた顔が綻んだ。
食べ物を見て、嬉しそうに出来るなら、まだマシだなと思う。
自分も厨房に置いた皿を持って来る。
「食べようぜ。俺もいい加減腹減った」
「・・・いただきます」
匙を手にした奴を見て、ヤツカはこっそりため息をついた。何だか手のかかる子供が、もう一人増えたみたいだなと。
他愛ない近況を話しながら、食事は済んだ。ヤツカは最近の新作料理の事や、店内を少し改装しようかと考えていることなどを。客は最近の界の様子や、これからもっと勉強できる場所を増やそうと考えているんだなどということを。
いつでも話せるような、話した傍から忘れてしまっても構わないような・・・優しい柔らかな話題ばかりを。
「ごちそうさま、おいしかった」
綺麗に空になった皿。結構な量があった料理はすべてなくなっていた。食べられるようなら少しは安心かとヤツカは思った。
「お粗末さまで。なんか飲むか」
「うん、ありがと、もらう」
皿を下げ流しに置いて、ヤツカは茶ではなくワインの瓶を手に取った。
まあ素面で言うのも聞くのも、ちょっとなあ。つきあいが長いとはいえ、言うのに何とも照れくさいと言うか・・・勢いがないと言えない言葉はあるし。
店内を覗けば、客はまたテーブルに頬杖をついて、ぼんやりとしていた。まったく、おせっかいだと思うが、性分なのは仕方ない。それに。ヤツカはまだ、苦い思いを抱いているから。
「ほら」
目の前に置かれたグラスに、きょとんと目が丸くなる。半分ほども注がれた、紅いそれは・・・。
「え、お酒?」
「たまにはいいだろ。見た目お前そんなだけど、年齢だけで言えば、いい年なのにな」
「いい年ってね」
苦笑しながらグラスを揺らす奴は、見た目年齢だけでいうなら娘のスズと変わりないくらいだ。けれど、中身が見た目に引きずられるのか・・・特にある事に関しちゃちっとも成長してないように思うのだ。
「そう言われたくなきゃ、ちゃんと飯くらい食え。最近マトモに喰ってないだろ」
「あ~・・・わかっちゃったんだ」
「分からない方がどうかしてる。あんな酷い顔色してて」
「他の人には何にも言われなかったのになあ・・・」
呟く奴の頭を、ぴんと指ではじいた。他人を見くびるなと。
「他の奴だって、気付かないわけあるか。でもお前はいい年したオトナだろ?自分で何とかするだろうし、しなけりゃ問答無用で食わせてやるくらい思ってて、様子見でもしてたんじゃないか?」
ああ多分そうかも、と力なく笑いながら答えた奴の頭には、思い当たる誰かが居ることを窺わせ、それにまた、安心する。
そう、あれから何年だ・・・十年以上が過ぎて、この界もだいぶ落ち着いている。
いつ自分の命が無くなるか、自分の大切な人が失われるか・・・常に脅え、“厄災”がわが身に降りかからないようにと息を潜めるようにして暮らしていた、あんな酷い時代を知らない子供たちが増えていて・・・それはとても幸せな事だとヤツカは思っている。
あんな、心をヤスリで削るような思いは二度としたくない。
同じ過ちを繰り返させないために、抑止力となるように、起こった出来事は伝えなければならないけれど・・・。
奴の近くにも、ちゃんと信頼できる誰かが居るって事は、とてもよい事だ。
もし・・・もしも何処かで奴が間違っても、それを諌めてくれる人が居ることは。
「オトナねえ・・・まあね、それだけ年、離れているのにねえ・・・」
困ったように呟き、ちらと目を上げてこちらの顔を窺ってくるから、なんだと眉をあげた。手の中のグラスを揺らし・・・一口ワインを飲んだ後、あのね、と漸く話し出す。
「あのね、ヤツカ・・・僕、スズにね・・・・」
言葉はそこで途切れ、待てど暮らせど続かない。唸りながら顔を赤くして、結局俯くから、やれやれとヤツカはからかうような口調で言ってやった。
「何だ、スズに押し倒されでもしたか」
「っ、なんてこと言うんだよっ。そうじゃなくて・・・結婚してって言われた」
「ほ~そうか」
「・・・驚かないの?」
赤い顔を片手で隠し、上目遣いに睨む奴は・・・全くどう見てもヤツカと同年代には見えない。どうかすると娘のスズよりも幼い部分が目に付いてしまうのだけど。
「とうに知っていたさ。スズが、お前を好きだってことくらい」
見てりゃわかる。気付かなかったのはお前くらいだと言ってやると、いっそ気の毒なくらい肩を落とす。
「野暮を承知でついでに聞くが、お前はなんて答えたんだ?」
答えを聞く前から予想はついていたが、尋ねてみると案の定首を横に振って答えた。
「僕は・・・駄目って言ったよ。嫌いじゃないけど、それは家族みたいに思ってるからって」
「で、あいつはそれで諦めるってか?」
「ううん・・・そんな言葉じゃ納得できないって。家族じゃない意味で好きになってもらうって言われたよ」
流石俺の娘と、ヤツカは内心喝采を送る。ヤツカにしてもユキを口説いて結婚するまで、色々紆余曲折があったのだ。一度断られたくらいで、引き下がったりはしなかった。
「いいんじゃないか。お前がスズの気持ちを受け入れられないってのは、お前の勝手だが、お前を振り向かせようとするのはスズの勝手だ。まあお前が迷惑で仕方ないって言うなら、それこそ仕方ないけどな」
そうなら、きっぱり断ってやれ、下手に期待は持たせるなよと言うと、迷惑とかじゃなくてさ、とグラスを手の中で揺らして、奴は遠い目をした。
「ちょっと思い出したんだ。僕があの子に好きだって言って・・・家族みたいに好きだって答えられた時のこと。それと同じ答えを、僕はスズにしたんだなあって。そしたら何だか自分が嫌になった」
家族だから・・・だから、特別な意味で好きになってもらえないの?ずっと傍に居たいのに。
そう泣きそうな目で、肩を震わせて痛々しい言葉を吐いた日は・・・幸いにもう遠い。
危なっかしい足取りに気をもみながらも、ちゃんと歩いて・・・こいつは今の場所に居るから。
「ふうん。それ、お嬢ちゃんに言われて、お前お嬢ちゃん嫌いになったか?」
「そんなわけ無いよ。嫌いになんてならない。ただ、悲しかったのを覚えているから」
スズには、そんな思いさせたくないのにと言う奴には悪いが、ヤツカは自分の娘を可愛がっているが、親莫迦ゆえの盲目にはならなかった。
アレは結構計算高いぞ?お前の答えも半ば予想済みだと見たぞ?
その上で告白したとなれば・・・あの娘なりに勝算ありと見てるんじゃないか?
けれど娘可愛さに、告げることはしない。代わりに言ったのは別のこと。
「聞くけどよ。お前が駄目って言うのは・・・“家族”って理由だけか?他にも何かあるのか?」
「・・・僕は、この厄介な血に、他の誰かを巻き込みたくないんだよ。母さんのように」
「そのために、降るような縁談も断り続けてるってわけか」
「好き好んで、僕みたいなのと結婚しようって人の気が知れないけどね」
「おい、俺の娘は好き好んでお前と結婚したいって言ったはずだがな」
「ごめん、言葉の綾だよ・・・でもね、僕は僕一人で終わらせた方がいいんだよ。後に続く何かを残したくない・・・それが不幸なら尚更」
あれから年月は過ぎ。生まれた赤ん坊が大きくなるほどの時間が過ぎたのに、こいつに付いた傷はまだ癒えてない。それを思い知らされる言葉に、出てくるのはため息しかない。
それは、自分も含めた・・・回りの不甲斐なさに対してだった。
「スズに、幸せになって欲しいんだ」
生まれたときから知っている、ヤツカの娘のことを・・・きっと年若い叔父か、兄のような気持ちで見守っていたのだろう。心から願う言葉に、親として嬉しいとは思うけれど。
「俺も勿論そう思うぜ。だがな、幸か不幸かなんざ、自分が決める事だ。回りから見たら不幸な事でも、本人にしたら幸福なことだってある。そりゃ親としちゃこんなふうに幸せになって欲しいって思い描く事はあるさ。だけどな・・・それは、言ってみれば親の勝手な願いなんだよな」
「・・・勝手な願い、なのかな・・・」
「そうだろうよ。だってスズの思う“幸せ”は、お前抜きにはないんだろうが、お前が描くスズの“幸せ”には、お前は居ない方がいいと思ってる。まあ・・・俺が言うのは何だがな、“家族”って理由だけで、あいつの気持ちをなかったものにするのは、止めといてやってくれや」
それだけは、俺からも頼むわと言った。
しばらくして、うん、と頷いた銀の頭を、力一杯くしゃくしゃにすると、途端に盛大な抗議の声が上がる。
「何するんだよっ」
「いや、丁度いい所に頭があったからな。ま、しばらく悩め青少年。今から枯れるには早いぞ」
なあ、俺は未だに後悔しているんだ。あの時、お前の手助けとなれなかった事を。だからどうか。
おまえこそ、幸せになってくれ。そうしたら、俺もやっと安心できる気がするから。
これも、俺の勝手な願いって奴なのかもしれないが。
冗談めかしたヤツカの物言いに呆れた顔をして、それでも反論は返って来なかった。
「じゃあ、ほんとご馳走さま。ユキさんにもよろしく」
「ユキだけにか?」
「~~~っ、スズにも、よろしくっ」
またねと扉を開けかけて・・・ああ、言い忘れてたと奴は振り返る。
「スティールが、今度子供連れて来るからって。新作お菓子楽しみにしてるって言ってたよ」
「わかった。腕振るうから楽しみにしといてくれって伝えてくれや」
「わかった・・・それじゃ」
ちりん・・・ちりん。澄んだ音色を響かせ、扉は閉まる。
外界から遮断されたように、店の中に静けさが満ちる。格子模様の布がかかったテーブルの上にも、厨房にも、午後の眠そうな光が落ち・・・水底へ沈められたように。
しかしそれは、束の間のこと。再び鈴の音が響いたかと思うと、大きな紙袋を抱えた娘が入ってきた。
いかにも重そうなそれを、テーブルの上に下ろす。
「ただいま~ああ重かった」
「どうしたんだソレ」
「そこで母さんと会ってね、持って帰って頂戴って頼まれたのよ。母さんもすぐ帰ってくると思うわ」
袋から覗く食材は、自分が頼んだ以上の量だが・・・まあいいだろう。ヤツカは頭に布を巻きつけると、腕を回しながらさて、と厨房に立った。
「仕込み始めるから、手伝ってくれるか」
「了解。あ、そうだ父さん、今度あたしにお菓子とか料理作るの教えてね」
「へ・・・お前作れるだろ?てか、作ってるだろ?」
「もう一度基本から叩き込むのよ。いいでしょ?」
「まあいいけどよ・・・」
呟きながら、ヤツカは大声で笑い出しそうになるのを堪えていた。
なあ・・・いつか笑い話にできるだろうか。こんな時もあったって。
波が立たないように、揺れないように・・・心を凍らせて深い場所に沈めたお前。
その氷を溶かし、目覚めさせる嵐が起こればいいと思っていたけど。
嵐は自分のすぐ傍に潜んでいたか。
「もし、スズの願いどおりになれば、俺はあいつから“お父さん”なんて呼ばれるようになるのか・・・?」
まあそれも面白そうだと、ヤツカは思ったのだった。
END
ご愛読ありがとうございましたー!!
次はようやく改稿の済んだ「きみのためにできること」を連載します。R15ですが、宜しかったら引き続き目を通していただけると嬉しいです。スティールとディーンが出会うことになった元の話になります。