~空を指す~
ぽかんと目をまん丸にして、あたしを見上げるひと。
とてもじゃないけど、年だけでいうなら、あたしの父親でもおかしくない人っていうのが、信じられないくらいの、幼いと言ってもいいような表情を浮かべている。
予想外の言葉を聞かされて、言葉の意味をもう一度確かめるみたいな。
言葉の意味を何度も確かめる、子供みたいな。
あたしは笑い出しそうになるのを堪えた。だって、ここで笑ったら、全部おしまい。今までの関係を崩すかもしれない、そんな危険を承知の上で、言ったことが無駄になってしまう。
宝珠みたいに綺麗な目も、眩い銀の髪も、あたしが小さかった頃から全然変わらない。違うとすれば、髪の毛が、今は背中の真ん中辺りまで長く伸びていることくらいしか。
お前はちっとも変わらないなあ、俺は見ろ、こんなに白髪が増えてさあと、以前は黒々としていた髪に、だいぶ白いものが混じり始めた父さんに、この人はなんと言っていたっけ。
どうやら僕はそういう質みたいだね。仕方ないんだよと。
そう言って笑った・・・言葉の意味と、表情の意味。あのときわからなかった事が、今ならわかるわ。
そのうえで、あたしは言っているのに。
この人は・・・困惑した視線を上下左右に泳がせて、仕舞いにはあたしから視線を外してしまった。あたしが真っ直ぐに見つめているのに。俯く様子は、まるで物慣れない、途方にくれた子供のようですらあって、あたしは罪悪感なんて覚えてしまうけど。困らせるつもりじゃないけど・・・ねえ。
それでも。
「ねえ、あたし、まだ返事を聞いてないんだけど」
イエスかノーか、その二つしかないでしょ、答えてくれないの?返答をねだるあたしの言葉に、顔をあげて力なく微笑む。
「・・・僕は駄目だよ・・・」
「駄目ってなにが」
「君よりもだいぶ年上だし、君を生まれる前から知っているし、お父さんお母さんだって承知しないだろうし・・・」
並べ立てられる“理由”に、あたしは鼻で笑った。そんなの、は。
「理由になんないわ。ねえ、二つしかないでしょ?あたしが好きなら受け入れて。で、あたしが嫌いなら、どうぞ断ってくれていいわ。ね、至極簡単。何も難しいことなんてない」
難しく考える必要なんて無い。違うの?
追い詰められたような白い顔で立ち尽くす人の手を、あたしは取り上げる。細い白い指先を、体温を分けるように握りしめる。逃げ場なんか、作ってあげない。何か言いかけて、でも唇を噛み締める人は・・・それでもあたしの手を振り解きはしない。
ねえ・・・あたしを諦めさせる為の嘘も吐けないなんて。
それを知っていて、答えをねだるあたしが、きっと一番酷いのかもしれないけど。
「ねえ、もう一度言うわ。あたしはあなたが好きなの。あたしと一緒になって下さい」
返事はない。冷たくなった指先が震えていて、動揺を知らせる。あたしが握る程度の力なんて、あなたなら簡単に振り払えるはずでしょうに。しばらくして、掠れた声が呟く。
「・・・駄目だよ」
「それじゃ答えにならないわ。あたしが嫌い?」
「嫌いなはず、ないじゃないか」
「なら、あたしが好き?」
綺麗な目に、揺れる感情すべてを映して、あたしを見下ろす人。生まれたときからあたしを知っている、生まれたときから、あたしが知っている人。
返ってきた言葉は、なかば予想していたものだった。
「・・・生まれた時から知っていて、家族みたいにつきあってきたんだよ・・・嫌いなはず、ないじゃないか」
家族。その言葉で、あたしは気持ちを拒絶すらしてもらえないの。
それって、とても酷いわ。この人は酷い事を言っているって・・・気付いているのかしら。
あたしの気持ちは駄目だと言う。そして嫌いではないとも言う。
かといって、好きだとは言ってくれない。
酷いけど。・・・そうね、半分は予想していた答えだけど。なら、いいわ。
あたしは握った指先を持ち上げ・・・唇を落とす。途端に、慌てたようにあたしの名を呼んで、それでも指先を振り解こうとしない人は・・・顔を赤くしていた。
「あなたはあたしを、あくまで家族みたいにしか見られないっていうなら。あたしは、あなたがあたしをちゃんと好きになってもらうように行動するわ。家族じゃなくて、って意味でね」
これは、そのための宣言よと、にこりと笑ってみせる。好きになった人が、どんな人か・・・物心つく前から傍に居たあたしは知っている。あたしに隠した本心も多分。
でも、あたしが知っているってこと、まだこの人には言わない。言わない方が、きっと、いいのよ。
お願いだから・・・色んな事を諦めてしまわないで。
もっともっと、我侭に望んでくれていいのに。
そんな願いは綺麗に胸の奥に仕舞い込んで、あたしは勝気に笑ってみせるわ。
「スズ・・・きみ、何処でこんな口説き文句、覚えてきたの・・・?」
落ち着かなさげに・・・空いた手で、銀の髪をしきりにかきあげた後・・・諦めたようなため息とともに、ようやく笑ったひとに。
あたしは、何処でもないわよと、澄まして答えたのだった。