~かがり火~
「・・・ところでお前さん、身を固める気はないのかい」
全く・・・本当に欠片も今までの話題と関連しない話題が飛び出したので、返事も忘れて僕は皺深い顔に笑みを浮かべた、まるで好々爺といった人物を見つめてしまった。
胸の辺りまで伸びた白い髭を指先にくるくると巻きつけながら、どうなんだねと明るい色の瞳は問いかける。
あまりに意外で・・・あまりに予想外の事を聞かれたために、僕はしばらく茫然としていたらしい。
「何言うんですか。そんなこと、考えてもいませんよ。何故急に、そんな事言われるんですか?」
「いや、なに・・・」
老いて肉の落ちた腕が、テーブルの上に置かれた薄い冊子を取り上げ、まあ中を見ろと僕に差し出してくる。
同じような冊子が、何冊も積み重ねられていた。
「一体何ですか・・・これ、って・・・」
薄い割にはきちんと表装された冊子だなあ。そう思いながら開いた冊子にあったもの。それはこちらを向いて微笑んでいる、若い女性の肖像画と、氏素性や趣味などが書かれた紙だった。
目の前の好々爺は、ますます笑い皺を深くして、僕を見ている。まさかと思って、残りの冊子を開いてみると・・・やはり、というか。
開いても開いても、出てくるのは若い女性の肖像画と氏素性などばかり。最後の一冊を閉じて、僕は尋ねた。
「これを見て、僕にどうしろとおっしゃるんです?」
「おや、お気に召した子はいなかったかね。それじゃあ・・・」
何やら僕にとっては困る展開になりそうだったから、慌てて失礼かとは思いながら言葉を遮った。
「いえ、もう結構です!本当に、これは何のおつもりですか」
思わず語気を強めて言うと、おや、わからんのかねと惚けた顔で笑われた。
「もちろん、見合いのための釣書じゃよ」と。
「見合い・・・です、か?」
ああ、これが釣書と言う奴かと、他人事のように感想を言うと、ふううと心底呆れたため息が返ってきた。
「まったく、お前さんがそんなだから、周りが気を回すんじゃ」
もしくは、自ら売り込んでくるんじゃよと。
全く話が見えない。首を傾げていると、冊子を広げ、指差してきた。
「これは西の街の商人の娘、これは東の街の長老の孫、これは・・・」
「だから、何で僕が見合いの話が来るんですかっ」
悲鳴のような声を上げると、本当にわからんのかいと言われて・・・大きく首を縦に振る。
そうしたら・・・何故だか、またため息をつかれたけれど、それはさっきのものとは違うみたいだった。
「わからんのかい・・・?それは勿論、お前さんの血筋を残すためじゃよ」
「血、すじ・・・」
「界の安定の為と言う名分でな・・・煩く言い立てる者もおってな。他の者からじゃあお前さんが見もしないだろうと思ってか、皆この老いぼれに押し付けおったわ。まあ・・・よく翻る手のひらかと思わぬでもないが」
その釣書を持ってきた中には、ほんの数年前までお前さんをよく思ってなかった者もおるゆえな。
「別に・・・前どう思われていても、今ちゃんと僕を見てくれるなら、それはいいんですけど、でも」
僕は広げられた冊子を全て閉じて、もとのように積み重ねる。それを押しやって、言った。
「このお話は受けません。そう、皆様にはお伝え願えませんか」
お手数ですがというと、ほっほっほっと笑い声が返ってくる。
「そう面倒でもないさ。まあお前さんが断るじゃろうと思っとったからな、いい返事は期待せぬようにとは言っておった。まあこれに懲りず、話は次々持ち込まれるじゃろうがな」
それは覚悟しておけよと言われて、困惑する。何故今になって。その思いが表れていたのだろう、笑い声から一転、静かな声が、それはなと言った。
「それはな・・・この界もだいぶ落ち着いてきて、豊かになってきた。以前は君が直接支配していたが、それも長老会を中心とした制度に変わりつつある。そこで問題に・・・あるいは、注目されたのが、お前さんの立場じゃ」
わかるか?目で問われる。
僕が?目をみはり首を傾げて・・・腕を組んで考えても、さっぱりわからない。あっさり白旗をあげると、今回はもう少し考えてみなされや、頭は何のためのものなんじゃいと意地悪は言われなかった。
「それはな。銀の君の血筋に、己の血筋を混ぜること、或いは、己の血筋に、銀の君の血筋を取り込む事じゃよ」
僕は混乱した。銀の君の血筋はいまや僕一人。界を安定させる役目を司るのも僕一人だ。たとえば・・・金の界では界の初めからただ一人の金の君がその役目を担っている。ここ銀の界では、“君”の力は“血筋”によって伝えられるものとなり、歴代の“王”がその役目を担っていた。そして“王”は婚姻や血の珠などによって、“君”の力を他者に分ける事も出来る。
もしも僕が誰かと結婚すれば・・・その相手には“力”を分ける事が可能だし、また生まれてくる子どもには“君”の“力”が伝わるだろう。もしも・・・今僕に何かあれば、“君”の力が行き場を失い、界の安定が危うくなるかもしれない。
「それはもしかして・・・僕に何かあったとき、界が不安定になるかもしれないから、血筋を残せという事なんですか?」
その方がいくらかでもマシじゃと明るい色の瞳を細め、ふうと細い息をつく。
「全くお前さんはこちらの方面に本当に鈍いのじゃな。それがいい所であるんじゃが・・・こやつらはな。界の存在そのものを己が手に取り込みたいんじゃろう」
“君”の力を分け与えられ、或いは己の血筋に取り込みさえすれば、それが出来ると、本気で思うのが愚かしいがなと続けられた。
「お前さんは先の王や王妃と違って、権力には興味を示さんし、見た目が大人しくあるしな。御しやすいと思われたんじゃろうて。思い違いも甚だしいがな。覚えておるぞ、とんでもない嵐を何度起こしてくれた事か」
「何度って・・・精精二回か三回ですよ。その時はご迷惑おかけしました」
「おうそうじゃったかな・・・春を遅らせてくれた時には、私は長老会で吊るし上げを食ろうたんじゃわ。今思い出しても冷や汗がでそうなほどじゃ」
春を遅らせた・・・その件を言われると僕は謝るしかないのだけど、それだって一因はこの人にもあるんじゃないかと思う。この人の言葉で、僕はあの場に行ったのだし。ただ、いずれは会わねばならない人と会えたし、結果色々なことの・・・自分の、そしてあの場に居た他の人たちの転換点にはなったのだと思うから・・・その意味では感謝もしていた。
けれど。
僕は思わず笑った。だって。
「この血を己の血筋に取り込んでも・・・いい事はありませんよ。それどころか厄介ですよ。“君”の役目を担わされる・・・望むと望まざるとに係わらずね。己の娘や孫が可愛いなら、僕と結婚させようなんて思わない方がいい」
「お前さんは、ずっと一人身のまま過ごすつもりなのかね?」
さあと僕は答える。けれど・・・誰にも言った事はないけど、半ば心に決めていることがある。
それを見抜いてか、まるで孫でも見るような・・・優しい目をして、言われた言葉。
「お前さんに、あれこれ煩く言うつもりはないがの。ただの。諦めることだけは、してくれるなよ」
色々な事をな。
その言葉と、皺だらけの指先で頭を撫でられた事。
それを僕は、忘れられなかった。