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百年の眠り  作者: 水花
チカラノウタ
22/28

~風の知恵~

初めて会ったとき、なんて素直な目をしているんだろうって思ったわ。

野で生きる獣みたいな、嘘の無い瞳。

 今も・・・その目は変わらないのね。

 嘘を吐けない、吐くことを知らない目は、揺れる思い全て、映してしまうから。

 嬉しさも、喜びも、落胆も、そして・・・。

 渇望も。


 ふう、と重いため息をついて、ユキはテーブルの上の皿を重ねてゆく。

昼もだいぶ遅くなり、最後の客が支払いを済ませ、ごちそうさま、美味しかったよとの声を残して帰って行った。

 途端にさして広くない店の中には、外界と切り離されでもしたような静けさが満ちる。

 空の椅子やテーブルが並ぶ光景は、淋しささえ感じられそうで。

ヤツカと二人で切り盛りする小さな食堂は、幸いなことに常連客も出来、軌道に乗り始めていた。客たちは、よく食べ、よく飲み、そしてよく喋って帰ってゆく。店を出るときの腹がくちて満足そうな顔が、彼らにとっては何よりも嬉しいものだった。今日も代価以上に嬉しいものを受け取り、店を閉めた、そのはずなのに。

 客を見送った時の笑顔は。けれど近い過去を思い出すとじわじわと寂しい色にとって変わられる。

あれから、ほんの少し時間が、経っただけなのにね。

こんな・・・ふとした拍子に、心に冷たい色の・・・寂しい色の思いが混じりこむ。普段は日々の忙しさに取り紛れて忘れているけど・・・時々、深い水の底から浮かび上がる泡のように、思い出す。

そして、普段は忘れていることに罪悪感を抱いてしまう。

 ぱちん、ぱちん。浮かび上がった泡が弾けるたびに、胸の中に広がる苦い記憶。

「・・・・ユキ?どうかしたか?」

 そうヤツカから声を掛けられるまで、ユキは皿を片付ける手を止めたまま、ぼんやりしていたらしい。

厨房に引っ込んだはずのヤツカが傍に来たのさえ、気がつかなかったなんて。止めていた手を動かし、テーブルの上を片付けてゆく。

「あ~何でもないわ。ちょっとぼうっとしてただけで」

「・・・調子でも悪いのか?気分悪いなら、休んでろよ」

 途端に心配そうな顔つきで、今にも腕を伸ばし抱き上げようとするから、手をひらひら振って笑う。

「いやだ、大丈夫よ。ほんと、ぼんやりしちゃってただけ」

「そうか?なら、いいけどよ・・・」

 ヤツカの視線は、まろみを帯びたユキの腹に注がれている。紺色のスカートと、生成りのシャツ、その上のクリーム色のエプロンを押し上げる・・・ユキの胎の中で丸くなる子どもに。

心配でたまらないといった様子のそれに、ユキはため息をつきたくなったが、それは堪えておく。

逆効果になりかねないからだ。

 心配してくれるのは嬉しいけどねえ・・・。

 ユキに子どもが出来たと知った途端、一瞬茫然とし・・・その後、大声で何度も聞き返し、その挙句子どもが生まれるまで店に出るな、安静にしとけなど、ヤツカは言い放った。

 勿論そんな事、ユキが聞けるはずもなく・・・ヤツカとあわや大喧嘩になったのも、まだ記憶に新しい。

 具合が悪くなったらすぐ休むし、重いものは持たないようにするし、無理なんかしないからと、何度も何度も言って、ようやくヤツカに、“必要以上に過保護にしないこと”を約束させたのだ。

 それでも、時々ヤツカは約束を忘れたように手を伸ばしてくるから。

「大丈夫だってば」

 心配してくれるのは嬉しいけど、度が過ぎれば怒るわよ。そんな思いが伝わったのか、ヤツカはああ、と唸り、がしがしと頭をかいて、メシ、出来たぞ、食べようと言った。

「ありがと、じゃあこれ置いてくるわね・・・・あら?」

 ユキは皿を重ね、流し場に運ぼうと持ち上げた時だった。店の扉が静かに開き、ひょこりと銀色の頭が覗いたのだ。ヤツカも振り返り・・・そうして笑いながら扉の傍に佇む客人に近寄る。

「よう、最近顔見せなかったから、どうしたかと思ったぜ。あれ、お嬢ちゃんはどうした?」

 少年の後ろに紅茶色の髪の少女がいないのを見て、ヤツカが尋ねると。

「今日は用事あるからって。でも、ヤツカの新作お菓子楽しみにしてるからって言ってたよ」

 今度は一緒に来るよ。笑顔で言う彼だけど。

ユキは気がついていた。少女の事を尋ねられたとき、彼の宝石のような瞳が悲しげに曇ったことを。


 ああ、彼はとてもあの子のことが好きなのね。

 少女を紹介された時、ユキはすぐに気が付いた。一緒に居られることが、とても嬉しい。そんな思いが彼からは透けて見えた。ユキから見れば、幼いと言っていいような・・・彼と少女が他愛ない事で笑いあうさまは、まるで犬の兄弟がじゃれあっているのにも似ていた。それを微笑ましく思っていたのだけど。

 同じだけの思いが、相手から返る・・・それは奇跡に近いのかもね。



 まだ昼食べてないんだろ、食べていけよとヤツカは彼をテーブルの一つへ誘う。それを横目で見ながら、ユキは皿を流し場へ運び、まずヤツカと彼のための食事を運んだ。

「お待たせ。今日のお昼は鶏肉のクリームシチューとほうれん草のソテーよ。どうぞ」

 彼とヤツカの前に、それぞれ皿やパンを並べる。ああ腹減ったとヤツカは帽子代わりに巻いた鮮やかな橙色の布を解き、両腕を宙に伸ばした。鍋振りっぱなしで腕が痛いとぼやいている。

「繁盛してて、結構じゃない」

「お~まあな。そうだ、人手足りなくなったら、またお前に店の手伝い頼むかな」

「う~ん、それはいいんだけど。ふざけたカッコはしないからな」

 前スティールに笑われたじゃないかと、眉間に皺を寄せながら彼は答える。自分の食事を運びながら、ユキははてと考えた。あの異界の少女が笑った、彼の“ふざけた格好”?それって・・・・。

 自分の分の皿をテーブルに置き、ヤツカの隣に座って、ユキはぽんと両手を打ち鳴らした。

「ああ、思い出した、白いフリルのついたエプロンしてたことよね?」

「お嬢ちゃん、目丸くしてたかと思うと、涙流して笑ってたもんなあ」

 彼はますます不機嫌な顔になる。そのあと、うんでも似合うよ、可愛いと少女は言ったのだけど。

 彼にとって、“可愛い”はあまり嬉しくないらしい。

「ええ~あれ、可愛かったじゃない。またやりましょうよ~」

「やだ。スティールが笑うから」

 ぷいっとそっぽを向いて彼は答えた。あらら、もう“これが手伝いの正しい格好よ”なんて誤魔化されてはくれないのね、残念。

 なら・・・今度は何と言って、“素敵な”格好させようかしら?物慣れない上に、些か世間知らずな所がある彼を言い包めてしまう自分の事は綺麗に棚上げしてしまう。

 ユキの内心が聞こえたら、彼は顔を引きつらせていたに違いない。

「ま、とりあえずメシにしようや」

 にやりと笑うヤツカの顔を見て、ユキは気付いた。あらら・・・この人も“悪ふざけ”、諦めてないみたいね。

 ごめんなさいねと、シチューをすする彼に、ユキはこっそり思ったのだった。



“お店のお手伝いには、このエプロンをするのよ”フリルとレースのついた、しろいエプロンを彼に渡すと、

“そういうものなんですか?”首を傾げながらも、彼はそれをシャツとズボンの上から身につけた。

“ええと・・・何かヘンじゃないですか?”

“何でよ?”

“お客さんが、僕を見て笑っている気がするんですが・・・?”

“気のせいよ。よく働くねって、感心してくれてるのよ”

“そうですか・・・・?”

 首を傾げながらも、イチオウは納得してくれた彼だけど。

 彼に内緒で、この店を訪れた少女に、それは“悪ふざけ”であることを暴露されてしまったのだ。


 わたしたちがやっておいて、何だけど・・・ほんと、疑うって事を知らないのね。

それとも、知らないだけかしら。

 知らないから・・・そんな綺麗な目をしていられるのかしら。それなら。

 色んな事を知れば知るほど、あなたの目は曇っていくの?


 

ごちそうさまでした、と言った彼に、お粗末さまとヤツカは返す。空になった皿にも、その言葉にも満足げに頷いていた。

彼はどんな時も人の目を見て話すので、気持ちが言葉以上に伝わってくる。

お茶でも入れるわねと、ユキは皿を重ね流し場へ持っていく。

僕も手伝いますよと彼はユキが持てなかった分を運んでくれた。ありがとうと言うと、彼は少し首を傾げて、それから、「・・・ええと、どういたしまして?」

「なんで疑問系なのかしら?」

「これで合っているかどうか、自信がなかったんで」

 うん、それで合っているわよと答えると、彼はよかったと笑う。そういう・・・人との関わり方に戸惑っている所も、人に馴れない野生の生き物のようだ。

 お茶入れるから、座ってヤツカと話でもしててねと言うと、はいと素直に頷いてテーブルへと戻った。

「いい子なのよ、ね・・・」

 薬缶を火にかけ、湯が沸くまでの間をユキは椅子に腰掛けて待つ。素直で一生懸命で・・・でも、何処か所在なさげな顔をする時があって、それがとても気になってはいた。

 知らない場所へ来てしまった、頼る者もいない、子どもみたいな。

 あの少女と一緒の時は、そんな様子は欠片もないのだけど。

 それに、ユキは安心すると同時に不安だった。

 ユキはそっと自分の腹を撫でる。日に日に、丸みを帯びていく腹部。確実に育ってゆく新しい命。それが自分の中にあると言うことに・・・変化してゆく体に日々感じているけれど。

 実のところ、ユキはまだ子どもを持つつもりではなかった。まだ混乱の痕はあちこちに残っていて、酷かった時期の揺り返しのように・・・目を覆うような酷い事件が起きたりもする。

 もう少し周りが落ち着いて。

 もう少し店が軌道に乗って。

 そうしたら・・・子どもを持とう。そんな風に内心では思っていたのだ。ヤツカが子ども欲しがっているのを知りながら、そう思っていたのだけど。

 だから、子どもが出来たと気付いた途端、まず感じたのは戸惑いと、こんなはずじゃなかったのにという思いだった。

「ごめんなさいね」

 ユキは歌うように呟く。ごめんなさいね、酷いことを思って。手は丸みを帯びた腹に当て。

 戸惑っていても時間とともに子どもは育つ。そしてあの・・・外見以上に幼い心の彼を見るにつけ、ユキは思ったのだった。

 今は駄目。もう少し後でなら。でも・・・いつならいいの?いつまで待てばいい?そんなの誰にもわからない。

 だから・・・今でなきゃ、駄目なのだ。時期を待っていても仕方ない。いつがいい時かなんて・・・後になってみないと分からない。

 重ねられてゆく時間が、問題を解決してくれればいいけれど。でも、そうでなかったら?

「あなたはきっと、今生まれてきたいのね」

 腹に手を当て話しかけると、そうよ、というような・・・いらえがあった気がした。


 お茶を飲みながらひとしきり色んな話をした。

「もう少し店が軌道に乗ってさ、周りが落ち着いたら、夜も店開けようかと思ってるんだ」

「へえ。じゃあ夜はお酒とか出すの?」

「まあそのつもり。酒とつまみと、かな。お前は?先の予定何か考えてるのか?」

「う~ん。そんな先の事なんて考えられないよ。来週またスティールと遊んで・・・とかくらい」

「あっ、あたしね、今一つ決めた事あるよ!なんと子どもの名前!」

「へっ?」

「え?」


 目を丸くする男たちに、ユキはにっこりと笑った。

「男の子でも女の子でも・・・この名前に決めたわ」

 いいわよねとヤツカに問うと、彼は頭をかきながら、まあいいけどよと諦めたように呟いた。


「どんな名前にしたんですか?」

 尋ねる彼に、ユキは人差し指を唇に当てた。

「・・・内緒」


 あなたの望みが叶えばいい。あなた自身すら、よくわかってないかもしれない望み、それをわたしは知っているけど。

でも、もしも叶わなくても。どうかその時は思い出して。

 ここに、わたしたちが居ることを。


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