12
「・・・という訳で、スティールは無事よ。シャールもね」
金の君は通信球ごしにクリードと話していた。彼は酷く疲れた顔をしていたが、安堵の表情を浮かべると、ありがとうございますと金の君に頭を下げる。
「ありがとうございます。こちらのモニターでも、界の異変は落ち着きつつあるとわかったんですが・・・詳しい事は何分わからないので」
安心しましたと言うクリードに、金の君は肩を竦める。
「それくらいさせてよね。ほんと、これくらいしか、わたしには出来ないもの」
「そんな事は・・・ところで、娘はいつ頃戻ってくるのでしょう?」
「さあ・・・長くてもあと一日くらいじゃない?シャールの目が覚めたら、きっとすぐ戻るわよ。なあに?」
クリードは渋い顔をしていた。
「もう三日も家を空けているわけですから・・・妻がとても心配しているんですよ」
シャールの具合が良くないから、あちらへ泊り込むと言ってあるんですがねとクリードは言う。シャールは元の飼い主の元、通信も届かず、移動手段も限られた僻地で暮らしていると妻には言ってあるのだ。
まあそうねと金の君は頷いた。
「当然だわね。ジルファには、出来るだけ早く戻るように、伝えておくわ」
ありがとうございますと言い、クリードは再び頭を下げる。金の君はひらひらと手を振り・・・通信は終わった。
「さて、どうにか銀の界も落ち着いてよかったわ・・・それにしても、あの花は」
金の君は、咲き誇った花を思い出す。純白、深紅、紫、黄、薄桃・・・様々な色で彩られた花々。
あれは多分・・・少年の心を写したものだろう。少年が少女に向ける純粋な思いや、葛藤や、奥底に隠した願いや・・・渇望や。焦りや悲しみ。それらを吸い取り、花は咲いた。少年は抱えた思いを、花という形で昇華したのだろうか。彼は己の心に、どう折り合いをつけたのだろう。それは、金の君にもわからないけれど。
「とても、美しいものを見せてもらったわ・・・」
ありがとうと彼女は密やかに呟く。
「長老会に顛末を報告しに行ってくるわ」
リンが言うのに、レンはそうだなと頷いた。繭から出てきたシャールは、力を使い果たしたのかまた眠ってしまった。そのため、シャールが繭から出れば、すぐにでもこの館を離れるつもりだった彼らも、未だこの館に留まっている。館の主は、シャールのために寝室を用意した。好きに使うがいいと案内された室内の・・・簡素ながら居心地のよい様子や、真っ白いリネン、柔らかそうな上掛けに、また目をみはる。
主の物言いと・・・行動との間に、違和感を感じるのはこんな時だ。それでも彼の体を休める方が先決と、益体も無い考えは放り投げたレンである。
今、眠るシャールの傍には、狭間の界から来た少女がついていた。長い紅茶色の髪の毛と、意志の強そうな目が印象的な少女。特別な力などないと言いながら・・・誰も出来ないことを為し遂げた。
向かい来る茨を恐れもせず、その細い身に受け・・・彼を眠りから引き戻した。
この茨も花も、おそらく数日のうちに枯れるだろう。レンは今、主の書斎に立っている。室内を埋め尽くしていた茨は、徐々に萎れ出している。色とりどりの花も根を絶たれ、まもなく花弁を散らしてゆくだろう。彼が無事だったことに安堵しながら・・・消しきれぬ無力感に打ちのめされていた。
「おや、此処にいたんだね。君たちも体を休めたらどうだい。ヨハンがお茶をいれてくれたよ」
ジルファが、今は灯りが灯され、明るくなった廊下の向こうからやって来た。金の鳥の姿は見えず、恐らくあの少女の所だろうと察しをつける。
「わたしたちは、別に・・・」
「休む必要はあるだろう?長い間気を張っていたんだから、自分で思っている以上に疲れているはずだよ。何、お茶を飲むくらいの間、長老がただって待ってくれるさ」
きっとね、とジルファが笑うので、リンはそうねと同意した。
「そうね、少し一息入れたいわ。そうしましょうよ、レン」
「ああ、そうだな・・・それにしても」
レンは枯れかけの茨を一筋手にし・・・自嘲気味に呟く。
「私達は、結局何も出来なかった。彼の助けにならず、手をこまねいて見ているしかなかった。あの少女がいなかったら、一体どうなっていたことでしょうね」
「レン・・・」
リンが兄の名前を呼ぶ。彼女にしても思いは同じだった。するとジルファは首を振る。
「いいや、そうじゃないよ。君たちは確かに彼を救ったよ。君たちの存在も、確かに彼を引き戻す錘になっていた。もし・・・もしもスティールしか知らないあの子だったら、きっと戻って来なかった。スティールを取り込み、二人で閉じた世界へ行ったことだろう」
「私達も、幾らかは力になったと言われる。本当に、そう・・・でしょうか」
「そうだよ。まあ、シャールは、スティールに依存してる部分が大きいからねえ・・・だからこそ、私はスティールに賭けたんだけど。よくも悪くも、スティールは発端だよ。あの子が居たから、シャールはこの界へ戻ってきた。あの子を危険な目にあわせないためにね。あの子が居なかったら、シャールは銀の界には戻らず、もしかしたらこの界はさらに不安定になっていたかもしれないね」
もしもの話だけどとジルファは咲いていた花を摘む。まだ瑞々しさを残す薄桃色のそれをくるくると手の中で回した。
「まあ、シャールが不安定になるのは、あの子が原因の事も多いけどね」
そこへ、話題にしていたとうの少女が顔を出した。肩には金の鳥・・・リルフィを乗せている。
「何の話してるの?」
「いや別に。シャールの様子はどうだい?」
「よく眠っているよ。特に変わった様子はないみたい」
それはよかったとジルファは答える。深く眠って、酷使した体と搾り出した力を回復させた方がいいと。
それでね、と少女は首を傾げながら言った。
「ここのご主人が、ちょっと来て欲しいって言ってるんだけど・・・」
「はて、何のお話か聞いているかい?もしかして早く出てゆけとか言うのかな」
「さあ・・・来てくれればわかるからって」
彼らは顔を見合わせた。色々彼に対して思う所はあるし、特にリン、リルフィの女性陣からはその暴言で敵視されている彼だが、一応彼らは彼の屋敷に滞在しているわけで。
主の意向は一応聞きましょうかと、彼らはぞろぞろとスティールの後について行った。
その部屋は、ジルファやリルフィ、スティールが初めて主と対面した部屋の・・・真向かいにあった。
スティールが扉をノックした。
「あの、皆を連れてきましたけど」
「そうか・・・入るがいい」
扉が開き、室内に主の背中が見える。室内に入り、ジルファはほう、と声を上げた。
「これは、歴代のご当主と・・・そのご家族ですか」
この部屋は肖像画の間であるらしい。四方の壁一面に、厳しい顔つきの肖像画や、微笑む婦人の肖像、または幼い子どもとその両親らしき姿を描いた肖像画など・・・誠に多くの絵がかけられていた。
主は頷いた。
「そうだ。わが一族は古くからこの土地に住み、代を重ねてきた・・・この館じたい、初めてこの地に根を下ろして以来、改築を重ねて今に至るものだ」
まあ・・・それは横に置こうと主は言った。
「私には姉がいた。年が十ほども離れていたせいか、姉というより母代わりのようであったな。私達を産んだ母は早くに亡くなっており、父には館の主の務めがあったから」
主はゆっくりとある一枚の絵の前へ歩いていく。ジルファはほうと目を細め、ええっとスティールは声をあげた。あら・・・とリルフィは呟き、レンとリンの兄妹はあの女性は・・・まさかと言った。
「姉はいずれ何処かへ嫁ぐと、わかっていた。それでも親族であり館の跡継ぎ・・・あるいは主であれば、訪ねていくことは難しくない。そう思うことで、自分を納得させてもいた。まさか、姉があの方の元へ行くことになろうとは、思いもしなかったゆえな」
主は淡々と・・・感情を交えない声で話す。
「あなたは・・・姉上を引きとめたんですか?」
ジルファの問いかけに、主は微かに笑う。
「もちろん、引き止めたさ。しかし、姉の心は揺るがなかった。姉は館を出て行き、月満ちて男の子を産んだ。幸せであったならよかった・・・しかし、姉の最後は無残なものであったと言う」
主はうら若き女性が、薄桃色の花を持って微笑む、一枚の肖像画の前で足を止めた。
「姉の名はリーディア。この肖像画は、姉が18の頃に描かせたものだ」
やっぱり、とスティールが呟く。彼女は以前、一時この世に帰ってきたリーディアに会っている。そして何より・・・。
「今のシャールと、よく似ているわ」
リルフィがしげしげと見て言った。
「そう・・・だから私は驚いたさ。あの少年が初めて現れた時は。実のところ、君たちが来る事は知らされていた。最長老から文が来たから・・・お前さんのただ一人の血縁が来る。追い払わずとり合えず会ってくれ、とね」
そのためか、とレンは腑に落ちた。人嫌いで有名な氷の館の主が、突然の訪問者に扉を開いた理由を。
酷い言葉を投げながらも・・・何処か気遣う様子を見せたのも。
「もう姉は居ない。そして彼はただ一人の血縁だ。私としても力にならねばと思いはしたのだよ・・・だが。姉と余りに似た彼を見ていると・・・思い出してしまった。王妃の手のものによって無残な最期を遂げた父を。私の傍を去り、遠くへ行ってしまった姉を・・・姉を恋いながらも憎んだ日々を・・・ありありと思い出してしまった」
ジルファはようやく主の行動がわかった気がした。彼はあまりに深く姉を愛したがゆえに・・・遠くへ去った姉、自分の手の届かない遠くへ行った姉を、憎んでしまったのだろう。その思いを抱えたままで年月を過ごし・・・そして、若い頃の姉によく似た・・・姉の子どもが現れた。いまだ塞がらぬ傷口の痛みが、彼にあのような酷い言動を取らせたのだろうか。
ただ・・・リルフィとリンは、いまだ厳しい顔つきで主を睨んでいる。どんな理由があったにせよ、あんたの暴言を簡単に許すわけにはいかないわ。彼女らの目はそう言っていた。
項垂れる主を前に、さてどういったものかとジルファは思案した。しかし。
「もういいよ。あなたは、シャールのお母さんがとても好きだったんだよね?あなたの言葉は、確かにとても酷いものだったけど・・・でも、ちゃんと話せば、シャールはわかってくれるよ?だから、もう顔をあげて」
「あのような酷い言葉を吐いた私を、許してくれるというのか」
「うん・・・もう、いいの。ちゃんとシャールと話をしてね。それにあなたはシャールのたった一人の血縁だもの。シャールもきっと、喜ぶと思うの」
ところで、あなたの名前、なんていうの?あたし知らなくてと言うスティールに、主は名乗った。
「私の名はラシードという。スティールと言ったな。私の、そなたへ向けた無礼な発言の数々を、どうか許してくれるか」
「うん、ラシードさん。シャールにもちゃんと話したら、許してくれると思うよ」
「済まない・・・っ」
目の前で繰り広げられる光景を、どうにも直視できなくてジルファはそっと視線を逸らす。やれやれシャールに強力な後ろ盾も出来そうだし、これで一件落着かなと思っていた。ふと気付くと、レンとリンの兄妹も、どこか苦笑気味に少女と主の遣り取りを眺めていた。
レンと視線が合うと、彼はちいさく肩を竦めて見せる。
ジルファはまた少し安心した。シャールはどうも思いつめるから、傍にいる人間はあまり物事に拘らない・・・言ってみれば、いい意味の“適当さ”を持った人間が居ればいいのにと思っていたから。
リルフィは、やってらんないわとスティールの肩から飛び立ち、不本意だけどと断りを入れて、ジルファの肩に止まる。
肩にかかる重みと暖かさを嬉しく思いながら・・・ジルファはふと窓の外を見た。
青く澄んだ空が・・・どこまでも広がっていた。
「ああ、ところでスティール、君家に連絡した?」
「はっ・・・いやああ忘れてた!3日も繭の中に居たなんてっ。どうしよう~っ」
「まあどうにかなるでしょう~」
賑やかな声が、氷の館に響き渡り、それはかたく閉ざされた館の扉が開いた、合図のようだった。
眠り姫・・・僕にはもう、百年の眠りは要らないよ。
あの子に言おうとした言葉は、僕自身で抱いてゆくから。
百年間・・・夜毎の眠りの中でゆっくり結晶化して。
そうして輝く石になる。
だから・・・茨の鎧も眠りも・・・夢の中に置いてゆく。それらにこそ、告げるよ。
『さよなら』
END