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百年の眠り  作者: 水花
百年の眠り
19/28

10


「・・・あんた、此処にいたの」

 後ろからリンが来ているのはわかっていたけど、リルフィは振り向かなかった。声を掛けられても、じっと緑の繭を見上げていた。頑なな様子にリンがため息を零す。

「少しは休んだら?此処はあたしが替わるわよ」

リルフィは・・・金の鳥は壊れた扉に止まり、部屋の中を見つめている。茨で埋め尽くされた中には、拘束される恐れがあるため、少し離れた場所で見守り続けていた。

 茨の繭に取り込まれた少女を。何も出来なかったことがとても悔しくて、体を休めるどころじゃなかった。

「いい。眠れる気分じゃないし、それに・・・」

 リンも不安そうに、待ち焦がれるように繭を見つめている。シャールをとても心配している様子が伝わってきて、リルフィはそっとため息を零す。

 スティールに対する言葉には、心に蟠りがあるけれど・・・今は言い争う気になれないわ。

「スティールが戻ってきた時、すぐ手助けできるように、傍に居たいのよ」

 そう、とリンは頷いた。

 スティールを取り込んだ後、茨は不気味なほど大人しくなった。太い茎は呼吸するように明滅し、その光は繭へと集まってゆく。棘で覆われた茨の茎には、茎の太さに見合う、人の顔ほどもある大きな葉が茂り始めた。

 嵐の前の静けさだね。ジルファは相変わらずの飄々とした顔でそれを評す。

 その観察でもするような言葉に、リルフィは腹を立てたのだけど。それ以上に。

 茨姫は、一体何がしたいんだろうな。

 主の無神経な言葉に、思わず抉ってやろうと飛び掛ろうとし、すんでの所でジルファに止められた。

 それで、ますますジルファに怒りが向く結果になった。

 あんたこそ、一体何考えてるのとリルフィは言いたい。人を侮辱し見下す視線の裏で、何を考えているのと。

「シャール・・・あんたは、何をしたいのかしら」

 リルフィの呟きに、返る言葉は無かった。



 真っ暗だわ。自分の手も見えない。

 スティールは恐る恐る歩いていた。何かないか手で探っても、伸ばした手は空を掴まえるばかり。

 踏み出した先に、深い谷が待ち受けているかもしれない。暗闇は恐怖を増幅させる。それでも・・・爪先で地面を探りながら、一歩一歩進んでいた。彼の名前を呼びながら。

「シャール、何処に居るの?」

 あの時・・・茨が幾重も体に巻きついて、息が出来なくなった。そうして目の前が暗くなり、気がついたら真っ暗な空間に放り出されていた。此処は何処だろうと何も見えない恐怖で息苦しくなったけれど、遠くから微かに音が聞こえてきて・・・思い当たった。

 一定のリズムで刻まれる音。聞いていると安心する、生まれる前から聞いている音。

 鼓動だわ・・・茨も、息をするみたいに光が点滅して、拍動していた。

 ここはきっと、シャールが作った繭の中なんだと。

 スティールが目にした繭は、もちろんこんなに大きいはずはないけれど、それでもそれは確信だった。

「シャール、何処にいるの?」

 方向すらわからず、スティールは何度もシャールの名前を呼びながら歩き続ける。一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 ゆらり、と目の前の空間が揺れた。ぼうっと淡い光を纏いつかせ、現れたのは。

「・・・シャール?わ、犬の姿のシャールだっ」

 銀の毛並みが美しい、すらりとした姿の犬がそこに居た。それはまぎれもなく、長い時間共に過ごした、家族としてのシャールの姿だったので。

 スティールはシャールに駆け寄り、両腕で頭に抱きつき、柔らかな毛並みに顔を埋めた。

「シャール、何処に居たの?あたし探していたんだよ・・・でもよかった、会えて」

 くうんとシャールは鼻を鳴らした。

「茨の繭に閉じこもったって聞いて・・・驚いたんだよ。ねえ、此処から出よう?皆とても心配して、待っているよ」

 シャールは答えない。

「シャール?なんで答えてくれないの?」

 スティールは銀の毛並みから顔をあげ、シャールの顔を正面から見た。綺麗な目は真っ直ぐに少女を映して・・・悲しそうに揺れている。もしかして、とスティールは思った。

「もしかして・・・シャール、喋れないの?」

 くうん、とシャールは是、と鳴いた。

「どうして?元の姿に、戻れないの?」

 くうんとシャールは鳴き・・・そして、いきなり歯を剥き出して唸り声をあげ、激しい威嚇を始めた。

 スティールが今まで見たこともないくらい、激しいものだった。

「シャール、一体どうしたの?何があるの?」

 その答えはすぐにわかった。シャールの視線の先がぐにゃりと歪み、そこから現れたもの。

 淡い光を体に纏わりつかせ、薄く微笑みすら浮かべた彼がいたから。スティールは口元を手で押さえ、目を見張る。あたしの傍にシャールが居るのに、何故、目の前にも。

「スティール、僕を呼んだ?」

 シャールが居るのだろう。優しい微笑を浮かべて、両手を伸ばし、彼は近づいてくる。暗闇も障害にならないのか、足取りに迷いはなかった。銀の髪の毛が肩につくほど伸び、表情も幼さが抜け、大人びた印象を与える。

 スティールと会わない間に、急速に彼が大人びたように見えて、スティールは少し寂しかった。

「シャール、だよね・・・・」

「何故そんなことを聞くの?僕はシャールだよ。まさか、もう僕の顔忘れちゃったの?」

「ううん、そんなはず、ないじゃない。何だかちょっとオトナになったみたいな感じがしたの」

 会話する間にも、犬のシャールの唸り声はやまない。それどころか、ますます激しくなってくる。どうしちゃったのとスティールは困り果てた。

「シャール、どうしたの、一体」

 途端に、“シャール”が顔を顰めた。

「何言うんだよ、スティール。シャールは僕だよ。それはただの犬じゃないか」

 スティールは自分の耳を疑った。そして、犬のシャールの首に腕を回し、“シャール”を見上げた。

「あたしはシャールを見間違えないわ。この子はシャールよ。あなたは誰なの?」

 “シャール”は顔を歪め、吐き捨てるように呟く。

「まったく・・・深く眠らせたつもりだったのに、邪魔するか」

 なんのこと、とスティールは首をかしげ・・・そして悲鳴を上げた。音もなく近づいた茨に、絡めとられたのだ。両腕、両足、腰、首・・・全てに巻きつかれ、身動きが取れない。抱きついていたはずのシャールから、力づくで引き離された。硬い地面に引き倒されたが、肘をついて半身を起こし、そして見た。

「きゃあああっ、シャールっ」

 犬のシャールは“シャール”に駆け寄り、吠え立てるが、“シャール”は煩そうに手を振った。すると別の場所から茨が現れ、銀の毛並みにびっしりと絡みつく。

 鋭い棘が刺さり、銀の毛並みにはたちまち血が滲み始めた。

「いやっ、シャール、お願いやめてよっ」

 苦しい息の下でさえ、シャールは威嚇をやめなかった。それが気に喰わないのか、“シャール”は目を酷薄に細め、笑った。

「ねえ、スティール、僕のこんな部分は要らないでしょ?あっても邪魔なだけだし、コレがあるから力だって抑制される。ない方が、僕はもっと強くなれるんだ」

 そうしたら、スティール。僕と一緒に居てくれる・・・ううん。

 さもいい考えだというように・・・無邪気に“シャール”は笑う。

 初めて見たような・・・今までで一番“幸せそうな”顔で。

「ずっと此処に居よう・・・二人で。そうしたら、誰も僕たちを傷つけないし、誰も傷つけることはない」

 うっとりと笑いながら、“シャール”はスティールの傍に跪いた。少女の乱れた紅茶色の髪の毛を指で梳き、一房を手にとって口付ける。スティールは茫然と“シャール”の顔を見つめていた。

「シャール、あなた、何を言っているか、わかっているの?」

「勿論わかっているよ。僕が居なくったって、それほど皆困らないじゃない。僕は君が居ればいいし・・・いい考えでしょう?」

 少女の頬をいとおしそうに撫で、“シャール”は無邪気に笑う。手は頬から顎、首を順に撫でていく。

 羽でくすぐるような触れ方に、スティールは身を捩った。

「や、何するの・・・ねえ、シャール、目を覚まして」

「スティール、僕の正気を疑ってるの?僕は正気だよ、この上もなくね。もっと早く決断すればよかった。そうすれば、心を煩わされることもなかったのにね」

でも、これからは幸せな夢を見られるんだ。うっとりと呟いた“シャール”に、スティールは叫んだ。

「何言うのよう。シャール、茨の繭のそばで、レンさんとリンさんが、とても心配そうな顔で立ってるの知ってる?二人ともあまり寝てないみたいな、疲れた顔してた。いつか、あたしに紹介してくれるって言ったよね。友達みたいなんだって、嬉しそうに言ったよね。そんな人たちを悲しませるの?」

「・・・彼らだって、すぐに僕の事なんか忘れるよ。時間が全て、押し流していく。どれほど強い思い出も、容赦なく押しやっていくよ。そういうものだろう?」

「たとえ・・・いつか忘れるのだとしても!今この時、シャールはあの二人をとても傷つけているんだよ?それをわかってる?いつか忘れるから・・・いつか悲しみも薄れるからって、今この時を蔑ろにしていいはず、ないじゃないっ」

 スティールは涙混じりに叫んだ。酷い言葉を淡々と話す“シャール”。それは一面の真実であっても・・・だからこそ、スティールは立ち向かわなければならなかった。

 “シャール”は冷めた目でスティールを見下ろし、面白くないなあと呟いた。

「いい考えだと思ったのに。賛成してくれないんだ・・・まあ、いいや、僕は僕の思うとおりにするよ」

 彼は立ち上がった。しゅるしゅると茨がスティールの体を這い登る。そのおぞましさに体中に鳥肌が立った。茨を振り払いたくても自由にならない腕では、それは叶わない。やがて茨は服の隙間から入り込み、素肌を直接這い始めた。茨が這うたび、棘が皮膚を傷つける。

 その痛みに、スティールは悲鳴をあげた。白い腕の内側や、太股の内側を・・・そして胸のふくらみを茨は這い・・・その度にスティールは身を捩り、のたうちまわった。

「いや・・・っ、やめてっ」

 “シャール”は綺麗な笑みを浮かべて、血を流し制止の声をあげる少女を見下ろしている。

 スティールは痛みに耐えながら、それでも訴えかける。

「シャール、お願いだから、目を覚ましてっ」

「目は冷めてるって言ったでしょう?・・・でもスティール、これから僕は眠るから。君も一緒に眠ろうよ」

 ねえ。これを飲んで?

 のびた茨の先には、小指の先程の小さな実がついていた。彼女の口元を這い回り、唇をこじ開け口の中に入り込もうとする。スティールは唇を噛み締め、顔を背けた。

「スティール・・・ねえ、僕がお願いしてるんだよ?聞いてくれないの?」

 悲しげに“シャール”は首を傾げる。スティールは心を決めた。たとえあの実を飲まされて、眠る結果になったとしても・・・自分に出来ることをすべて、やらなければ、と。

 スティールが口を開きかけた時。“シャール”の体が衝撃に倒れこんだ。犬のシャールが体に茨を巻きつかせたまま、飛び掛ったのだ。茨の拘束が緩む。その隙にスティールは口元の茨を振り払い、叫んだ。

「シャール、本当に眠れるの?リンさんやレンさん、長老さん、ヤツカさんにユキさん、それにスズ!皆、シャールがとっても楽しそうに話した人たちだよ!その人たちを悲しませて、シャールは眠りの中に逃げ込めるの?

それで、本当にいいの?」

 シャールに圧し掛かられたまま、“シャール”は目を見開き・・・呟いた。

 スズ、と。


スズは次の「チカラノウタ」に出てきます。ここでは名前のみの登場です。

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