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百年の眠り  作者: 水花
百年の眠り
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9


 途端にざわめきだす茨の海。鎌首をもたげた蛇のように、警戒し鋭い棘で威嚇する。スティールは障害のない草原を歩くような足取りで、さらに奥へと入る。

「シャール、あたし、来たよ。あたしの声、聞こえる?」

 茨がずるりと伸び、少女の足を薙ぎ払おうとする。すんでのところで飛びのくが、手のひらに走った痛みに顔をしかめた。別の茨が攻撃してきたのだ。

「スティール!」

 リルフィは思わず叫び、飛び立とうとしたが、もう・・・何処を飛んでも部屋の中には入れない程、茨が立ちふさがっていた。

「ねえ、シャールそこで眠っているの?いつか本で読んだ、茨姫みたいだね。王子様がキスするまで、目を覚まさなかった、お寝坊さんなお姫さま。ねえ・・・シャール、あなたは茨姫みたいに百年眠りたいの?」

 風を着る音が耳元で聞こえ、次の瞬間焼けるような痛みが右頬に走る。続いて、左頬にも、手の甲、腕や膝にまで。伸びては巻きつき・・・戻る茨によって、スティールは痛めつけられていた。

 茨の棘に傷つけられ、たちまち皮膚が裂けて血が珠のように溢れ出す。衣服で覆われた場所も、じわじわと赤い色を滲ませていた。

「スティール!」

 リルフィが悲鳴を上げた。それでもスティールはこの場から逃げようとは少しも思わなかった。ただ、シャールの元へ行くことだけを考えていた。

「ねえ。百年眠ったら、きっと起きた時びっくりするくらい、周りが変わっているだろうね。でもね。百年もシャールが眠ったら、あたしもうシャールに会えないじゃない、そんなのは嫌よ」

 ざあっと招きよせるように、引き込むように、茨がうねりながら伸びてくる。それを避けようとせず、両腕を高く差し伸べて、スティールは言った。

「ねえ、シャール・・・あたしは此処に居るよ」

 喉元や手首、腕や足に、身動きとれないほど巻きついた茨。呼吸が苦しくなったけれど、スティールは微笑みすら浮かべて、緑の繭に向かって話しかけた。

「あなたは何処に居るの?」



 来ないで


「シャール?あたしの声が聞こえる?」


来ないで


「・・・泣いているの?」


来ないで、君を傷つけてしまうから


「いいよ、傷なんてついても構わない。それよりも・・・泣きたいなら、気が済むまで泣いて?傍にいるから、どうか一人で泣かないで」


そばにいてくれる?


「うん、居るよ」


ずっと?


「・・・うん、居るよ」


嘘だ。


悲鳴のような叫びのあと、スティールの体に巻きついた茨が、さらに強く少女を締め付ける。息すらも出来ず、その苦しさに呻いた。茨が不穏に蠢き、荒れ狂い、波立つ海のような様子になる。

苦しさに涙目になりながら、スティールは茨の繭に向かって手を伸ばし続けた。

「シャール、嘘じゃないよ。あたしはあなたが大切だから」


ずっとなんて嘘。君には、僕より大事な人が居るんでしょう?君は僕を選ばないんだ・・・でも

そばに、いてくれるのなら


 シャールの悲痛な叫びと、それから、ぽつりと落とされた暗い声。それらを、遠くなる意識の隅で、スティールは感じていた・・・。

 

「スティール?いやあっ」

 茨が幾重にも少女に巻きつき、締め上げる。それをなす術もなく見守っていたリルフィであるが。

 ぐったりと腕を投げ出した少女を見るに及んで、悲鳴を上げた。次の瞬間にはジルファが制止するのも振り切り、部屋の中へと飛び込んだ。不思議なことに、荒れ狂う波のようだった茨は、襲いかかっては来ず、従順な葦のように揺れていた。

「スティール?」

 リルフィの、どこか心もとない声が、緑の向こうから聞こえた。ジルファは迷わず室内に足を踏み入れる。レンとリンもその後に続いた。

 丈高い茨をかき分け、緑の繭のすぐ近くまでたどり着いたとき、彼らが見たものは。

 茨に付着した鮮血の跡と、心細げに肩を震わせる、金色の鳥だったのだ。

「スティールが居ないの。もしかして・・・」

「ああ・・・君の想像通りだよ」

 ジルファも厳しい顔で茨の繭を見上げる。話が見えないリンが苛立ったように尋ねた。

「なに?一体何が起きたというの?」

ジルファは繭を指し・・・些か浮かない顔で答えた。

「どうやら、スティールはあの中に取り込まれたようだ」と。




 クリードは疲労の濃い顔で、モニターを見つめていた。狭間の界、銀の界、金の界・・・そして本国が属する界が、家庭用のパソコンモニターに映っている。彼は基本的に、自宅には“仕事”を持ち込まないが、今は非常事態ゆえ、仕事から帰った後も、こうしてもう一つの・・・言うなら、彼の“本職”を行っていた。

 画面を切り替えると、界の異常値を図る数値が示される。三界の境のポイントと、銀の界のポイントが現れ、それらは平生よりも高い数値で推移していた。暴風のように吹き荒れた力の波は落ち着いたものの、今度は波の余波がじくじくと界を、界境を苛んでいるようだ。

「まったく、何があったんだか・・・」

 クリードは眼鏡を外し、目元を押さえる。同じ次元管理官であり、傍迷惑な従兄弟から連絡を受けて以来、時間を見つけてはモニターを見ていたのだが。

 異常値は高止まりしたまま、時折不気味に波打っている。

 銀の界で王妃が残虐な振る舞いを行っている時でさえ、この状態が長く続いたことはかつてなかった。

 このまま高い圧力が続けば、狭間の界や金の界、果ては本国にまで影響が及ぶだろう。

 影響を回避すべく境を強化し、中和を図ってはいるものの、それがいつまで効果があるだろうか。

「それに加えて・・・まったく、何故ウチの娘は、厄介ごとに巻き込まれるんだか・・・」

 クリードの疲労を増す原因。それは金の君から受けた通信の内容だった。

『忙しい時にごめんなさいね。あのね、もう少ししたら銀で何か変化があると思うわ。それに対応する手はず、整えておいてね』

『それは・・・もしや貴女が、何か手を打ったのですか?』

『わたしが手出し出来ないって事、わかっているじゃない。あのね、落ち着いて聞いて頂戴。スティールがシャールの所に行ったの』

『・・・は、何ですと?』

『リルフィも、スティールにはとうとう、隠しておけなかったようよ。そして行くことを決めたのはあの子』

『あの子は・・・何故、危険を省みず行くんでしょう。貴女も止めて下さればよかったのに』

 搾り出すように呟いたクリードに、金の君は微笑んで、ただ、ごめんなさいねと言った。


クリードには、金の君が謝罪した理由がわかる。わかりたくもないが、と胸の内で呟きながら。

統治者の判断、という奴だろう・・・情を廃し、ただ効果的で効率的な方法を求める。少ない力で、最大限の効果を得ようとする。冷たい無機質な・・・剥き出しのエゴよりも醜くさえ写るモノ。

 それを、どうしても受け入れられなかったからこそ、クリードは家を出、本国を離れたのだった。

 大きくため息をついたとき、携帯電話が鳴った。着信音で従兄弟だとわかり、条件反射で顔を顰めたものの、すぐに出た。

「あっミクちゃん、お仕事お疲れ様」

「・・・お前は疲れている様子もないな」

「僕はいっつも元気だもん!でも心配してくれたの?嬉しいなっ」

「・・・用件無いんなら切るぞ」

「無かったら電話しちゃ駄目なの?」

「切ってやるっ」

「あ~待ってミクちゃん。ほんとにもう気が短いんだから。あのね、銀でますます変な波出てない?なんか力を一点に集めているみたいな、変な感じ」

「なんだと・・・?」

 モニターを見てクリードは呻く。いつの間に、と思った。見る間に力は一点に集中し・・・そして肥大化したまま、不気味に点滅している。

 その拍動すら聞こえる気がして、クリードは背筋に冷たいものが走るのを感じた。これか、と思い当たる。

 銀で、何か起こると思うわ。

「・・・少し前に、金の君から知らせがあった。銀で何か起こるだろうと」

「金の君は、この事態を予想してたってわけ?」

「スティールがな・・・銀へと行っているらしい。俺もさっき知らされて驚いた」

「ああ・・・じゃあ、多分スティールは、シャールと会えたんだろうね」

「そうだろう・・・事態はまだ、どう転ぶかわからないな」

 明滅する光。手出しできぬ世界。そう、どんな力があっても、定められた理を踏み越えられない・・・縛られた身では、焦りに身を焦がして待つしか出来ない。

 それは、金の君でも同じ事。わかっているけれど・・・。

「大丈夫だよ、ミクちゃん」

 電話の向こうで、落ち着いた声がする。いつもの軽い調子はなりを潜め、ゆっくり舞い降りる雪の花のような。

「大丈夫だよ、スティールは無事に帰ってくるよ。だってミクちゃんの子だもんね、どんな障害が立ちふさがっても、全部蹴り飛ばして戻ってくるよ」

 言い方に引っかかりはあるものの、従兄弟が自分を元気付けようとしてくれるのはわかったから。

 クリードも、ほっとため息をついて、焦る心を宥めたのだ。

「ああ・・・戻ってくるに決まってるさ」


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