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「ねえ・・・あんた、何考えてるの?」
「なんのことかな?」
「はぐらかさないで。シャールを目覚めさせる可能性があるなんて言われたら、あの子が諦めるはず、ないじゃない。そりゃ、止められるなんて思わなかったけど」
「その可能性はあるだろう?互いが互いを深く思っているのは確かだし・・・何よりシャールはあの子が好きだから・・・他の誰の声は届かなくても、あの子の声は聞こえるかもしれない。理に縛られて、他の手は打てない私たちにとっては、彼らの絆という・・・一縷の望みにかけるしか、ないんじゃないか?」
「・・・わたし、もしあの子に何かあったら、あんたを許さないからね」
「・・・なんでそこに話題が飛ぶんだい?」
「あんたが何を考えて、どんな思惑があって、銀へ行っていたのか、わたしは知らない。そんな事はわたしには関係ないから。でも・・・あの子に何かあったら、わたしはずっと、あんたを許さないわ」
「おや、ずっと私の事を考えてくれるわけだね!それは嬉しいな・・・っと、こんな所で力使えば、折角眠ったスティールが起きてしまうよ?」
「あんたねえ、ふざけるなら、時と場合を選びなさいよっ」
「いや、ふざけたわけじゃあ、なくて本音なんだけどね・・・まあ兎も角、頼むからその力の刃は仕舞っておいてくれないか」
「ふざけたこと言わないのならね。で?言いたいことあるなら言いなさい。その上で、コレ仕舞うかどうか判断するわ」
「イチオウね、あの子を銀の界へ連れて行くのはどうかっていう判断は、金の君にも相談したことだよ?金の君もこの事態を憂えていたからね」
「ええ・・・銀の界から精霊たちが逃げ込んでいるようね」
「界の境界も曖昧になっているらしい。そうであっても、金の君自身で、銀に介入するわけにはいかないからね」
「わかってるわ。金の君がとても心を痛めているだろうことも、銀の界がこのまま行けば、酷く荒れてしまうだろうことも・・・それでもね。わたしは、あの子を危険な目に遭わせたくなかったのよ」
「だから、黙っていたのかい?シャールに異変が起きた時・・・すぐにスティールに話そうとしないから、君には君の考えがあるんだろうと思って、私も黙っていたんだけど」
「そうよ。シャールが自然に目覚めればいいと思ってた。それまで黙っていればいいとね。でも、無理な話だったようね。ホントにもう、あの子は何で自分から危ない事に頭を突っ込むんだろう。そりゃ他人の事も大事でしょうけど、もっと自分の事を大事にして欲しいわ。傍ではらはらするわたしの身にもなってもらいたいわ」
「あの子が自分だけを大事にするような子だったら、そもそも君は、こんなにあの子を大切に思わないだろう?仕方ないと笑うしかないだろうねえ。それに・・・もし、取り返しのつかない所まで事態が進んでから、あの子がシャールの事を知ったら・・・知らなかった事をあの子は後悔して自分を責めるよ」
「ええ、ほんとそうね。笑っていいわよ、わたしはあの子が大切なあまり、目が曇っていたようね・・・ほんと、そうならなくてよかった。でも、それとコレは別」
「なんだい、いきなり怖い顔をして。もちろん、どんな顔してたって、君は可愛いけどね」
「あああ~もう、あんたのその軽さがわたしには耐えられないってのっ。いいこと、スティールに傷一つでもついてみなさいっ。わたし、あんたの顔抉ってやるから覚えておきなさいっ」
「君が私にしてくれることなら、なんだって嬉しく受け取るよ」
「いいから、黙って寝なさいよっ」
「そう、これから銀へ行くのね。スティール、リルフィの三人で。わかったわ、何かあったら連絡して頂戴」
お気に入りのカウチに、何個もクッションを重ね、その上に長々と寝そべって金の君は通信球に映るジルファに言った。色鮮やかな布を幾重にも重ね、一番上には白地に袖口や裾に細かな刺繍を施した、ゆったりとした衣装を身にまとっている。光そのもののような金糸の髪は、結い上げもせず、背中に流していた。
通信球の向こうで、くすんだ金糸の髪の男は気遣うような視線を寄越してきた。
「かなりお疲れのようですな。まだ波は治まりませんか」
「そうね・・・揺れは収まったけれど、例えるなら、今度は地に引きずりこまれるような感じかしら。もがいてももがいても、底なし沼へと落ち込むような。それに抗うのも一苦労よ」
金の君はわずらわしげに髪をかきあげる。一時の混乱は治まったものの・・・今度はじわじわと体を蝕むような、悪い熱にかかったようなものだ。ジルファとリルフィからもたらされた情報によれば、銀の界の気候が狂い始めているとのこと。これでは、一時的な暴走より性質が悪いではないか。
一時も気が抜けない。それと言うのも・・・。金の君は唇を尖らせて、通信球の向こうへと文句を言った。
「あなたが、もう少し気をつけてくれていたら、この事態はなかったんじゃない?何か起こったにせよ、こうまで事態は悪化しなかったかもね」
「それを言われると、返す言葉もありませんね。仰るとおり、私の職務怠慢も原因の一つでしょうが、御方さま・・・どだい、無理があるでしょう。それまで何の覚悟も知識もなかったものに、力を背負わせ、界ひとつの命運を委ねるというのは、ね」
いくら、銀の界の崩壊を防ぐためとはいえ、銀の君の血筋が、最早あの少年しか残されていなかったとしても。
「わかっているわ。界がしばらく不安定になるだろうって事は折り込み済みだったわ。あの子はよくやってくれていると、常々わたしにしても、思っていたのよ・・・済まない事をしたとも思っていたわ」
あの少年の望みは、自分の生まれた界へ戻ることではない。あの少女とともに居ることだった。
知りながら・・・酷い事を背負わせたわ。それは自覚している。金の君の・・・界の統治者としての冷徹な部分は、あれは適切であったと判断を下した。元は一人の金の君であったジルファにしても、それは同じだろう。
たとえば・・・リルフィには見せない、見せようと思わない融けない氷のような部分を持っていること。大事な相手には見せたくないし、情の部分で悔やみもするけれど。
だからこそ。
「もう、あの子に何一つ、失わせるわけには行かないわ。・・・お願いね」
金の君自身は、どんなに助けたいと願っても、どれ程の力があっても、出来ないことだから。その後悔も焦慮も、もどかしさも・・・おそらく全て知っている相手に託す。
ジルファは胸に手を当て、優雅に一礼し答える。
「金の君におかれては・・・どうか愁いなきように。あの子たちの絆を信じましょう。貴女さまこそ、どうかお体にお気をつけ下さい」
通信が終わり、よく磨かれた通信球には、愁い顔の金の君自身が映っている。
金の君は、両手で軽く頬を叩いた。
「駄目ね、こんな顔してたら、どんどん辛気くさくなっちゃう。そう、笑うのよ・・・さて」
金の君は、勢いよくカウチから身を起こし、大理石で出来た床を裸足で歩く。
足首に幾重にもつけた、ほそい輪がしゃらりと音をたてた。
「チェスミー!界境の様子はどうかしら?まだゆがみが残っているの?」
彼女に呼びかけながら、金の君は白い手のひらを打ち鳴らす。
「ああ、そうだ、クリードにも伝えなきゃ。銀でちょっとした騒ぎが起こるかもって。スティールが行っているってことも、伝えるべきでしょうねえ」
頭を抱える彼の顔が思い浮かぶようだわ。ごめんなさいねと、彼女はひそりと呟いた。
「・・・レン、少しは休んだら?あんたずっと、ついてるじゃない。体、壊すわよ」
リンは扉の外で佇む兄のレンにそっと声をかける。シャールが此処・・・氷の館の、主の書斎で茨に閉じこもり、はや二月が過ぎようとしていた。
その間事態は悪化の一途を辿っているようにリンは思う。彼ら兄妹が、何度呼びかけても、シャールからは返事が無かった。触れようと伸ばす手は、人の腕ほどもある太い茨に威嚇され、届かない。
それを何度も繰り返すうち・・・茨はますます生い茂り、人の手を拒むようになった。いまや、壊れて閉じなくなった扉の傍に立ち、中を覗き込むくらいしか・・・出来ない。
誰も僕に近づかないで。もう何も聞きたくないし、見たくない。
そして・・・僕は誰かを傷つけたくない。
茨を見るたび・・・リンはそんなシャールの声が聞こえる気がする。
それを感じるたび、リンはとても悲しく、そして寂しくなるのだ。
お願い、どうか一人で閉じこもってしまわないで・・・伸ばした手を傷つけてもいいのに。
此処にわたしたちが居るのにと。
双子の兄は、濃い疲労の影を目元に落としながらも、首を縦には振らない。
「まだ大丈夫だ。時々は館の部屋で、休んでいるしな・・・それに、何かあったとき、傍に居ないとな。それより、長老がたは、何か言われていたか」
リンは首を横に振った。首の後ろで一つに結わえた長い夜色の髪が、波のようにうねる。
「何も。とりあえずは現状を観察し、変化があれば報告するようにと。長老さま方の関心は、シャールにじゃなくて、今やこの気候にあるようよ」
茨の繭にこもってしまった?結構なことじゃないか、銀の君の血筋とはいえ、我らがかつて銀の君や王妃にどれほど迷惑を蒙ったことか!
いっそ、この世の終わりまで眠っていてもらいたいな。界の維持さえ出来るのなら、いっそその方がいいさ。
今は暦が巡ったにも関わらず、一向に暖かくならない事の方が問題なんだ!些細な事を持ち込んでくるな。
ある長老たちは、いい厄介払いが出来たと、喜んでさえいた。リンが思わず声を上げかけた時、レンとリンをシャールに“貸し出した”長老が、手にした杖で、床をとん、とついた。さして大きくない音だったにも関わらず、欠席裁判の呈をなし始めた場が、一瞬にして静まり返る。
「静まれ、お前さんがた。あの少年の血筋が過去に何をしたにせよ、それを全てあの子に負わせるのは酷じゃないかね。長老としての発言にしては、いささか品を欠くものじゃろう。そうは思わんか?」
問われた長老はバツがわるそうに目を逸らす。他の長老も、視線を避けるようにある者は目を伏せ、ある者は目を逸らした。座の一番高い場所に座る・・・小柄な白い髭の長老・・・最長老の、物柔らかな中に隠された、鋭い視線に晒されるのを怯えるように。
さて、状況は変わらぬか、と最長老はリンに問いかけた。
「はい。それどころか、ますます彼を取り囲む茨は増えています。このままでは、茨はいずれ、氷の館全てを飲み込んでしまうでしょう」
「・・・毒の水の再来、かのう?いやはや、なんとか手を打たねばのう」
髭を捻りながらの最長老の言葉に、飛び上がったのは一人や二人ではない。拡がる毒の水の恐怖は、彼らにとっても、いまだ遠いものではなかった。いつ自分たちの住む土地が水に浸かり、命からがら逃げ出すようになるかと、眠るたびに恐れていたのだ。
それが・・・今度は緑の茨になって、襲い来るというのだろうかと。
再びざわめきだした座を、最長老の一喝が静めた。
「静まれい。浮き足立つでないわ。まったく、落ち着かないことよの。リンよ、長老会といっても、こんな有様だ。お前とレンには負担をかけるが、しばらくは二人で様子を見ていてくれんかの。何か起これば、すぐさま知らせてくれ」
リンは、わかりましたと深々と頭を下げ・・・表情を隠す。最長老さまにしても、リンやレンに、何も約束出来ない、それが今のシャールの立場だった。それを思うととても遣り切れない。
「わしらは、住民の不安を取り除く事に専念する。なあに、もし不作などになっても、住民の間で暴動など起こさせないさ。だから・・・」
最長老は豊かな髭を震わせ、飄々と笑った。
「少しくらい寝坊したって構わんから、また顔をだすようにと、あの坊主に伝えてくれんか」