3
レンとリンが叫んでいた。
分厚い窓硝子ごしに見るように・・・何の感情も湧かない。ねえ、そんな顔しないで。すぐ終わるから。
そうしたら、一緒に此処から出よう。そして全部忘れるんだ。
浴びせられた酷い言葉、向けられた冷たい視線、それら全部。
不思議なほど心の中は落ち着いていた。指先まで隅々に力が満ちて、どんな事でも出来そうで。
試しに窓の外の木に力を向けてみると、館の屋根を越す大木は、枝を揺らし地面に倒れた。
たいして面白いと思わなくて、今度は、と壁に取りすがり震えている人に目を向ける。
ゆるしてくれ、そう唇が動いたけど、許さないよ。
さあ・・・どんな方法で、苦痛を味わってもらおうか。
なんだかとても楽しくなって、いつの間にか笑っていた。結わえていた紐が解け、伸びた髪の毛が纏わりついて邪魔だった。
目の前の男は・・・僅かに目を瞠る。そうして呟いた言葉は。
ねえ・・・許しを乞わないの?
もう、いい、詰まらない。そうだ、この男がさっきしたように、押しつぶし、踏みにじってしまおう。
揮うための力を貯めた時・・・男の銀髪がきらりと光を弾いた。
あたし、シャールの髪の色、好きだな。とっても綺麗な銀色。
手触りも好き。
そう言って笑う少女。
「あなたがこんな風に力を使ったと知れば、悲しむ人が居るでしょう!」
レンの声が、はっきり聞こえた。
ああ・・・この力を揮ったら、きっとあの子は悲しむ。理由を理解してくれたとしても・・・もう二度と笑ってくれないだろう。
急速に熱が冷めるように、集めていた力が逃げてゆく。吹き荒れていた風も次第に収まってゆく。シャールを中心として、様々なものが散乱していた。主は目を見開いたまま、言葉も無い様子だった。
力の暴走は収まったらしい。彼に駆け寄ろうとして・・・鋭い声に制止された。
「来ないで!駄目だ、力が止められないっ・・・」
両腕で体を抱き、蹲るシャールの周りに、再び風が吹いた。レンは舌打ちをする。無理やり押さえ込んだ力が暴走を始めたらしい。
再び暴風が吹き荒れるのか・・・そして、それはいつ収まるのか。
リンは再びシャールに叫ぶ。
「シャールっ」
鋭い風の牙が、リンに向かう。反射的に後ろへとさがったリンの片袖をざっくりと引き裂き、肘の辺りから血を滲ませた。
「リンっ」
「平気よ、掠っただけ。ねえシャール、あたしたちに何が出来る?何をして欲しい?」
シャールはリンの問いかけに、首を振るばかりだった。青褪め大きく目を瞠る様子に、手を差し伸べたくとも、風の壁が立ち塞がり、届かない。
レンは届かない距離に苛立つ。叫ぼうと口を開きかけたとき、シャールの声が聞こえた。
「ごめんね、スティール」と。
それは、彼から何度も聞かされた・・・彼が大事に思っている少女の名。
こんな時でさえ、呼ぶのは彼女の名前か。
「ごめんね・・・」シャールはそればかりを繰り返す。そうして、部屋が大きく揺れ、立っているのが困難になった。レンは現れたものに驚いて目を見張った。床を突き破り現れたもの・・・それは、通常の何倍も太い茎の。
茨だった。緑の茨は生き物のようにうねり、シャールの周囲を取り囲んでいく。
「何よこれっ」
リンは悲鳴をあげながら、茨を引きちぎろうと手にしたナイフで薙いだ。けれど太い茎は容易く切り払えない。
しゅるしゅる・・・みるみるうちに内側にシャールを取り込み、茨の繭を形作ろうとしている。どくり、どくりと血管のように波打ちながら、彼の姿を隠してゆく。己の体を抱き、ちいさく蹲る彼を更に守るように。
「シャール!」
声の限り呼んでも、彼から返事は返らない。ただ、ごめんねと繰り返す声ばかりで。
自分たちは引き止める錘にさえならないのかと・・・力の足りなさを思い知る。
なす術もなく、茨の繭が出現した。風はいつしか止んでいた。奇妙な静けさの中、リンとレンは茨の繭を茫然と見上げていた・・・。
「・・・長老に知らせねば・・・」
呟いた声は、自分の声と思えぬほど、かすれていた。
ねえ・・・お願いだから。
百年のまどろみを、わたしに下さい。そうしたら。
また、笑えるように、なる気がするから。
自宅の書斎で午後の読書を楽しんでいたクリードは、携帯電話の着信音に眉をひそめた。この着信音は、傍迷惑な従兄弟だからだ。折角の穏やかな休日が台無しじゃないかと、眼鏡を指で押し上げ、舌打ちしながら机の上に置かれた携帯を取り上げる。下らない用事なら即切ってやると思いながら通話ボタンを押した。
「・・・はい」
「あっミクちゃん、ちょっとモニター見て!今すぐっ」
「モニターだと・・・?何があったっ」
「いいから、早くっ」
ユージーンの声は、いつになく切羽詰ったものであり、緊急事態を悟ったクリードは素早くパソコンを立ち上げ、画面を切り替える。従兄弟の、自分に対するふざけた呼称を咎める事も忘れていた。
それよりも・・・今は次元管理官としての職務が優先されたからだ。
そして飛び込んできた数値に驚き、呻いた。
「なんだ、この異常値は。それも、とある一点が異常に高いぞ」
「理由はわからない。僕も気付いたのはついさっきだ。それまで、べた凪の海みたいだったのに、急に嵐が吹き荒れたみたいだ」
電話の向こうで、ユージーンは同じようにモニターを見ているのだろう。
モニターには、銀の界を形作る“力場”が映っていた。何年も監視を続けた結果、どの範囲内なら安全で、どこからが異常値かが、数値で測れるようになっていた。界にいくつかポイントを定め、その地点での数値を示している。その数値は時々変動するものの、王妃の死亡後、ある例外をのぞけば、概ね落ち着いていたのに。
コレって何だか、よそのお宅に、勝手に百葉箱設置するようなモンだよねえと、ユージーンは評した事がある。自分ちの方に、何か被害があったら困るから、アナタんちを監視させてね、って?何か酷くない?
確かに、それに同意する部分もある。この狭間の界や銀の界の住人が、気付かないのをいい事に、界のあちこちに密かに観測装置を仕掛けているのだから。クリードは連鎖的な界の崩壊を招くよりはマシだろうと割り切っていた。本国のやり方に、些か・・・否、かなり疑問はあるにせよ。
金の界に“観測装置”はない。金の君が治めている界は安定しており、彼らの監視は不要と見なされている。ただ、他の界と近接する付近だけは、定期的なチェックが入っていた。
「そして、見てよ。一点が異常に高いのもだけど、他の点も連鎖的に数値を上げている・・・このままだと、銀の界全体に広がる恐れがあるよ」
まるで、突如出現した病原体が、あちこちに転移し活性化する様にも似て。
ユージーンの指摘に、クリードは頭を抱えたが。決断は早かった。
「狭間の界での“力場”を強化し、銀へと落ち込むものが出ないようにする。異常値が収まるまでは監視の強化だ。常駐の奴に連絡してくれ」
「了解。それと本国にもしとくね。壊れかけの鍋の底に、ちゃんとフタしときなよってね」
本国との折衝はこっちに任せてね、ミクちゃん頑張り過ぎないようにねと、ユージーンはいつものように、軽口を叩いて、クリードが電話を叩ききる前に電話は向こうから切られた。
思わず舌打ちをして、クリードはモニターを見つめた。異常の兆候など無かった。狭間の界も金の界も安定しており、他の界からの影響といった、外部的要因は見当たらない。
それならば。
「シャールに、何かあったのか・・・?」
クリードはモニターを切り替え、パソコンに小さな部品を接続する。金の界へ連絡をするのは、職場でと決めていたのだが・・・緊急事態だ、仕方ないと思いながら・・・金の界へと通信を繋いだ。
「金の御方。おくつろぎ中の所申し訳ございませんが・・・お気づきでしょうか」
モニターごしにもわかる・・・光そのもののような、豪奢な金の髪の主は、ええ、と頷いた。
「銀の界の異変ね、こちらでも気付いているわよ。こっちにまで余波が飛んでいて、バランス保つのが大変だったら」
さっきからおおわらわよと髪の毛をかきあげる金の君に、手短にクリードは尋ねた。
「原因は・・・おわかりですか」
「シャールよ・・・あの子が、また暴走しかけたの。今は一旦落ち着いているけど、一度放たれた波が完全に消え去るまで、しばらくかかるわね」
「ええ・・・お忙しいところすみませんでした」
「いいえ。あなたも、しばらく大変ね」
それじゃ。短い言葉を残し、通信は終わった。原因はあの時と同じくシャールか。
力の暴走は止まったらしいが、影響は残る。しばらくは監視が必要かと、クリードはモニターを睨んでいた。