百年の眠り 1
小ネタが終わりタイトルの中篇始まります。
ちょっと泣ける真面目なお話です。
眠り姫・・・どうか。
百年のまどろみを、わたしにください。
百年眠って目覚めた後に、もう一度、笑えるように。
「シャール、あたし、来たよっ。お願いだから目を覚ましてっ」
主の眠りを妨げるな。そんな意志すら感じられる茨がうねり・・・ざあっと蛇のように少女に向かっていく。
「シャール、あたしは此処に居るよ」
少女の柔らかな頬を、茨の棘が掠め、皮膚が破れる。細い腕にも足にも・・・見る間に傷が増えていくのに、少女は笑みさえ浮かべて、手を差し伸べる。緑の茨に囲まれ、眠る少年に向けて。
「ねえ、シャール・・・」
棘を持つ茨がするすると少女に巻き付き・・・腕や足や・・・喉元を締め付ける。
苦痛の表情を浮かべるどころか、指先の皮膚が破れ血が流れ出すのにも構わずに、少女は茨に触れた。
「あなたは何処に居るの?」
「最近・・・ちゃんと眠れていますか?」
え、と振り返ると、こちらを気遣う二対の・・・深い色の瞳とぶつかり、口ごもってしまう。よく似た顔が、同じ表情を浮かべてじっと見つめてくるのに、さて何と答えたものかと視線をそらした。
それが、問いに対する雄弁な答えになると気付かないまま。
「眠れてないのね?」
呆れたため息をついて、彼女が白い手のひらで触れてくる。目の下や、頬を撫でられて、思わず首を竦めた。
「大きな隈が出来てるわよ。それに、ちゃんと食べて無いでしょう、違う?」
誤魔化すと後で酷いわよ。嘘付こうとしても駄目よ、わかるんだから。
駄目押しをされては、諦めて大人しく頷くしか道は残されていない。確かに最近あまり眠れなかったし、食欲も無かったから・・・一人で食事をする時は、殆ど何も口にしなかった。
それでも眠気や空腹感は来ないので。
「体を壊しては元も子もないでしょう」
呆れたような声で呟かれて、視線が地に落ちる。自分なりに精一杯やっているつもりで、それが返って悪い結果になってしまうと、どんな言葉を返せばいいのか分からなくて・・・立ち竦んでしまう。
項垂れていると、「ほらほら、そんな暗い顔しないの!」とうにっと頬を引っ張られた。
「いたたたっ・・・何するの、リン」
容赦ない力で頬を抓られ、思わず涙目でしゃがみこむ。あら逃げられちゃったわとリン・・・リンドグレーンは何処か残念そうに呟いた。その横では、手加減しろよとリンの兄のレン・・・レンブラントが苦笑いを浮かべていた。好きなように使うがいいよと、長老から借り受けた双子の兄妹には、とても助けられているのだけど。
彼らからからかわれたり・・・優しい目を向けられたりすると、何とも言えない居心地のいいような悪いような、奇妙な気持ちになるのだった。
「私たちは、ただあなたの事が心配なんですよ。何度も言いましたけど、誰かの期待に応えようとか、変に思いつめないようにして下さいね。あなたは、あなたが出来る事をすればいいんですから」
「そうそう。今あなたがしている事こそ、他の人はしようとも思わなかったし、出来なかったことでしょう?もっと胸張ってなさいよ」
わかった?リンは鼻先に指を突きつけ、あちこち剥げかけている石畳を足音も高く歩いていく。
残されたレンと思わず顔を見合わせると、彼は目元に笑いを滲ませて・・・そうすると普段の怜悧な様子がほどけて、途端に雰囲気が柔らかくなる・・・大きな手を伸ばしてきた。
「わ、何するのさ」
「ここに丁度頭があったもので」
「これから人に会うんだよっ、あ~あ、頭、ぐしゃぐしゃになったじゃないか・・・」
彼から距離を置いて、鳥の巣のようになった髪の毛を手櫛で直していると、彼はまた笑った。
「そういう顔でいて下さいね。あんまりな顔では、人に会えないでしょう?」
特に今日会う相手は、一癖も二癖もある相手ですよ。
うん、と頷くと、彼はここまだ跳ねてますよと手を伸ばしてきた。大きな手が、今度は髪の毛を梳いていく。
伸びた髪を結わえる紐を一旦外し、梳き整えてくれた後、元通りに結んでくれた。髪の毛を撫でられるのは・・・内緒だけどかなり好きかも知れない。ついうっとりと目を閉じてしまうから。
多分、犬の姿でいた頃の名残なんだろうと思う。優しく触れてくれた、あの子の手を思い出すから。
「はい、出来ました。これが済んだら、一緒に食事をしませんか?昨日シチューを煮込んだんですよ」
「うん、ありがとう。楽しみだな。レンは料理上手だもんね」
「褒めてもらってアレですが、まあ、リンよりはマシという程度ですよ」
「リンが聞いたら怒るよ・・・あ」
彼らが今居る、路地の小道の向こう・・・大通りへ出る辺りで、リンが腰に手を当ててこちらを睨んでいた。
「もう、二人とも何やってんの!目的地は遠いんだから、日が暮れちゃうわよ!」
「ごめん、今行くよっ」
レンと顔を見合わせた後、小さく笑いあって・・・駆け出した。
人を拒絶するような高くそびえる門と、屋敷の周りを取り囲む、高く厚い壁。その二つだけでもこの屋敷の主の人となりは知れようというものだった。徹底的な拒絶、それしか感じない。すべてを拒む氷の壁のような。
まるで要塞ね。リンの言葉に、シャールも同感だった。厚い壁とそびえる門の二つで他を拒絶し、何を守ろうとしていたのだろうか。
そんなものでさえ防げぬ脅威が・・・かつては存在していたけれど。
脅威が突然去った今でも、門は閉ざされたままだという。
「何故、長老は、この館を訪れるよう、言ったんだろう」
閉ざされた門を見上げ、思わずシャールは呟いていた。
時々シャールは、リンとレンを貸してくれた長老に会いにいく。現状を話したり、請われるまま狭間の界の様子を話したりもする。ヤツカの新作お菓子をお裾分けしたときはいたく気に入ったようで、店の場所を聞かれた。
それから時々、ヤツカの店で食事をしていると話していた。あの坊主が食堂開いていたとはなと、空気の抜ける様な笑い声をたてて。
時々・・・どうしてその方法がいいと思ったのか、とか、何故上手く行かなかったのかわかるか、など問われて、答えに困ることもしばしばだったけれど。
学校って、こんな感じなのかなとシャールは思ったのだ。試験を受ける生徒って、こんな気分なのかもと、明日試験なんだ~どうしようと泣きそうな顔で机に向かっていた少女を思い出したりもする。
いつものようにお茶を飲み、お菓子を摘みながら話した後・・・おう、そうじゃったと長老は言った。
「そうそう、氷の館には行ったかね」と。
「氷の館・・・それは何処ですか」
「湖の傍にある館じゃよ。かなり大きな館で、目にしているはずじゃがのう。まあ、行ってみるがいいよ。そこの主はかなり偏屈じゃが、辺りの住民に対して大きな影響力を持っておった。館の主からの働きかけがあれば、元の住民も聞く耳を持つやもしれんな」
「ありがとうございます」
もし主が話を聞いてくれたら・・・事態はまた、一歩進むかもしれない。そう思うと嬉しくて、弾むように礼を言ったシャールに、長老はいやなにと手を振った後・・・ぽつんと言った。
「じゃが・・・お前さんにとって、辛い結果にならねばいいがの」
長い時間が経った後も・・・あやつは変わらぬままかと、長老は呟く。
首を傾げたシャールにはそれ以上何も答えなかった。
暇を請う時間になり、シャールは今度来た時に結果を話すことを約束したのだけど。扉を閉める間際、長老は言った。
「氷の館は・・・かつては、森の館と呼ばれていだんじゃよ」と。
立ち竦んでいても仕様が無い。シャールは門に付けられたノッカーを叩き、訪れを告げる。
「すみません、誰か居ませんか~」
館の中からいらえはない。重さすら感じるような沈黙が見えるようだ。もしくは厚い壁に阻まれて、聞こえていないのかもしれない。氷の館、と長老が言った館は、周りを鬱蒼と茂る木々に取り囲まれ、シャールたちが居る門の前でさえ、昼なお暗い。門へと続く道は途中から舗装が剥がれ落ち、枯葉や枯れ草が積もっていた。それらが腐食して、何とも言えない匂いを放っている。ここ数日、雨など降っていないのに、道はぬかるみ、歩くのに難儀をした。
じっとしていると、ひんやりとした湿気が、足元から這い登ってくるようだった。
「どうする?返事がないわね」
「この館の主は人嫌いだからな・・・門前払いを食わせる気なのかもしれないな」
「でも変ね。そんなこと長老さま、ご存知のはずでしょう。何故、わざわざ此処へ行けっておっしゃったのかしらね」
リンとレンはよく似た顔は、腑に落ちないと首を傾げる。
「何かお考えがあっての事だろうが・・・おや、誰か来るぞ」
「ほんとね」
門の向こうに人の気配を感じて、彼らは居住まいを正す。すぐに扉は内側から開いた。重い軋みをあげながら。
「どなたですか。当館に何用で」
顔色のわるい、痩せた老年の男が顔を出す。この館の家令だろうか、シャールたちを値踏みするような視線を投げてきた。
目的は何か、何をもたらしてくれるか、どれだけのモノを支払えばよいか・・・など、似たような視線をさんざん浴びてきて、いい加減慣れたつもりでも、あまり気分のいいものじゃない。
シャールは一歩前に進み出て、己の名と、訪問の目的を告げた。
「突然すみません。こちらの主にお目にかかって、お話がしたいんですが。街へと移り住んだ住民の事で」
主に尋ねて参ります、このままお待ちください。
一旦扉は閉じられた。そして、さほど待たされることなく、扉は再び開いた。
「主が会うと申しております・・・どうぞ」
そうして、彼らは氷の館に招き入れられたのだった。