天使様の言うとおり
澄み渡る秋空のような青い瞳に、艶やかな金髪。蝶よ花よと大切に育てられたがゆえの、シミひとつない白磁の肌に、ぷるんと果実がのったようなみずみずしいさくらんぼ色の唇。
幼い頃から自由で、誰からも愛され、守られて育ってきた姉は、その芸術的な美しさの他に、無邪気な一面もあった。
自分の望みを口にしたり、叶えられて当たり前。
そんな姉が、ちょっとこぼしただけのわがままが叶った時に見せる、僅かな笑みに添えられた口元のえくぼ。
完成された美の化身が、その一瞬だけ、ただの人間の少女になる瞬間。誰もが『天使』に恋に落ちる。
誰からも『天使の生まれ変わり』と称賛される姉のロザリアは、その愛らしい微笑みの裏で、生まれた時からこの邸のすべての中心だった。
妹であるベアトリス━━私は、自分でも笑えてしまうくらい、普通だ。姉のような美しさも、人ならざるもののごとき透明感も、何もない。同じ青い瞳、金髪、白い肌に、手入れされた唇。だが、明らかに姉とは違う、別のもの。
同じ家で同じように育ってきたからこそ、その違いは年齢と共に大きくなる。よくいえば、それは個性というものなのだろうが。
両親は、幼い頃から姉に夢中だ。
姉だけを愛し、慈愛に満ちた眼差しを向け、抱きしめた。
私に許されていたのは、姉が飽きて放り出した古いドレスを着ることと、彼女の気まぐれに振り回される両親の機嫌を取ることだけ。
幼い頃から「ロザリアは繊細なのだから、あなたが譲ってあげなさい」と言われ続けた。我慢することは、私にとって呼吸と同じくらい、当たり前の日常になっていた。
だが、私にもひとつだけ、胸を張れる希望がある。
次期女侯爵として、このセシル侯爵家を継ぐこと。そして、ブリッジマン伯爵家の次男であり、誠実で温かな人柄の婚約者、アーサーと家庭を築き、共に歩む未来だ。
ハーディ公爵家へ嫁ぐことが決まっている、姉の結婚式は3ヶ月後。少し時間の余裕はないけれど、私とアーサーの結婚はそのまた半年後に執り行われる予定だ。
本来ならば、長子である姉が後継として家を継ぐところを、有力公爵家たっての結婚の申し込みとあって、姉を花嫁として送り出すことが決まったのは、3年前。それによって、私が後継として繰り上がり、婿をとることになったのだ。
アーサーの第一印象は、朴訥とした人。
話してみると、互いに読書が趣味という共通点があった。実直で、穏やかに話す姿は、燃え上がる炎とは違う温もりを、私の胸にともした。
後継者としての教育は、生半可では続かない。
領地の管理、税制の勉強、外交の社交術━━遊びたい盛りの今のすべてを捧げ、日々研鑽に励んできた。いつかアーサーと二人で、領地を豊かにするという確かな夢があったからだ。
あの日、セシル侯爵家を激震させる報せが届くまでは。
「価値観や感性の違いで、公爵家との婚約は白紙になりました」
現セシル侯爵家当主である母が、ハーディ公爵家からの帰宅とともに、苦虫を噛み潰したような表情で告げた。
結婚式まであと3ヶ月という土壇場で、ロザリアは公爵家に婚約破棄を突きつけられたのだ。
無慈悲な公爵家の決定に、姉は崩れ落ち、母は拳を握りしめ、父は無言で視線を逸らした。
そして、私は━━納得していた。
我がまま放題に育ち、公爵家の厳格な規律に耐えかねて反発してばかりだと、姉自身から聞いていたのだ。そんな我が身の振る舞いを改めなかった結果であることは、目に見えていた。
社交界で誰からも愛されているという、天使の初めての挫折。
と、同時に。既に婚姻を広く知らしめてしまった、ハーディ公爵家、セシル侯爵家、双方にとっても、醜聞になる。
母がどんな策を講じて姉を守るのか、気になるところだった。こんなギリギリのタイミングでの破棄なのだから、姉自身の妻としての適性と評価が、大いに揺らぐ事態だ。
しかし、自分の非を認めるどころか、姉はその美しい瞳に涙を溜めて、両親にすがりついた。
「そんなの納得できませんわ! 社交界で恥を晒すなんて耐えられない! 死にます! 私、これから死ぬわ!」
「馬鹿なことを言うんじゃありません!」
「死ぬわああああ! 結婚直前に婚約破棄されたなんて、恥ずかしくて生きていけないわああああ!!」
母がきつく、姉を抱きしめる。
私は何を見させられているのかと、凪いだ心で母と姉の寸劇を見守っていると、姉がとんでもないことを言い始めた。
「……そうだわ、私がアーサー様と結婚すればいいのよ。そうすれば、予定通り3ヶ月後に挙式できて、私の面目も保たれますもの!」
開いた口が塞がらなかった。あまりにも唐突で身勝手な主張。いくらなんでも、こればかりは両親も姉を嗜めるだろう━━そう信じた淡い期待は、次の瞬間、脆くも崩れ去った。
「……確かに、セシル侯爵家の体面を考えれば、それが最善かもしれんね」
「ええ、そうですわね。ロザリアが恥をかくなんて見過ごせません。アーサーをロザリアの婚約者にして、同時に後継者ももどしましょう。元々はロザリアのものだったのだから」
父と母は、示し合わせたようにあっさりと頷いたのだ。
アーサーとの婚約だけでなく、私が血の滲むような努力で守ってきた次期侯爵の地位までも、姉へ鞍替えすることがその場で決まってしまった。
「待ってください! どうして……っ!? 私はずっと、この家のために勉強を重ねてきたのです! アーサー様との婚約だって」
必死で訴えかける私に、母である現侯爵夫人は、心底不思議そうに首を傾げ、薄い唇を綻ばせた。
「何を怒っているの、ベアトリス? だってあなた、昔『たまには何にも縛られず自由に遊びたい』と言っていたでしょう? 夢が叶ってよかったじゃない」
「それは……以前にそう言ったかもしれませが……」
「でしょう? 家を継ぐということは、片手間でも嫌々でもできないの。その手の中に、多くの領民の生活をにぎっているのだから」
━━いつだったか、限界まで課題を詰め込まれ、疲れ果てて零したたった一度の愚痴。
母はそれを都合よく引っ張り出し、満足そうに微笑んでいる。
私のこれまでの努力も、アーサーと育んできた絆も、一体なんだったのか。
全ては、両親が愛する姉の面目を保つための、捨て石に過ぎなかったのだと、改めて思い知らされた瞬間だった。
とは言え、婚約者のすげ替えなど、我が家だけの気持ちでできるものではない。
日を改めて、対話の席を設けることになった。
アーサーはブリッジマン伯爵夫妻と共に、いつもの穏やかな笑みを浮かべながら来訪した。
「ベアトリス、ちょっと、ちょっと……」
応接間に向かうまでの僅かな時間。小声で呼ぶ声に引き寄せられるように、アーサーの元に行く。
「これ、この間、読みたいと言っていただろう?」
そっと差し出された包みには、先日のデートで話題になった人気作家の最新作があった。あまりに人気で、どこにも在庫がなく、手に入らなかったものだ。
「まあ、探し出すのは大変だったでしょう?」
「まあね。でも、きみのためなら……」
そう言って頬をほんのりと染める姿に、喜びを感じつつも、ふと考えてしまう。
私たちの絆は、きっと、大丈夫よね……? と。
話し合いは一方的に、母から通達という形で始まった。
磨き抜かれたマホガニーのテーブルを挟むように、両家が対面で座った。私は両親、姉に続いて端に座り、アーサーは両親から1人分空けて、わたしの目の前に来るように座った。
湯気を立てる紅茶と美しい磁器が並んでいる。
だが、誰も手をつけることなく、息の詰まるような沈黙が続いた。
「私は絶対に認めません。この婚約も、侯爵家の相続も……すべて私とアーサー様が積み重ねてきたものです!」
必死に声を張る私の指先は、悔しさと恐怖で小刻みに震えていた。まだ決定事項ではない。これはあくまでも我が家からの打診に過ぎず、伯爵家を招いての話し合いが始まったばかりだ。アーサーさえ断ってくれれば。二人で手を取り合って反対すれば、両親だって強引には進められないはずだ。
私は向かいに座るアーサーを見つめた。
しかし、彼の視線は私に向いていなかった。その瞳が捉えていたのは、私の隣で儚げに肩を揺らし、涙を零す姉だった。
「……アーサー様。私、本当にどうしたらいいか分からなくて……。まさか、結婚式まで3ヶ月となった今になって、婚約破棄などという恐ろしい行いがまかり通るとは。お願いですわ! 貴方だけが、私の最後の希望なのです……っ」
姉の長い睫毛から、ほろり、ほろりと真珠のような涙が伝い落ちる。金色の髪が柔らかに頬を撫で、背を丸める弱々しく可憐な姿は、まるで舞台でスポットライトを浴びる、悲劇のヒロインそのものだった。
濡れた睫毛をそのままに、甘く切ない視線を向けられた瞬間、アーサーの瞳にぽっと熱が灯ったのが見えた。微かな迷いすらも綺麗に霧散していくのが分かった。
「……ベアトリス」
名を呼ばれた瞬間、切れかかった絆に、ほんの僅かな期待を抱いてしまった。
アーサーが静かに立ち上がった。期待に胸を打ち震わせ、思わず彼を求めて腕をのばしたのも束の間。彼は私を抱き寄せるでもなく、通り過ぎようとして、鬱陶しそうに振り払った。
「あ……っ!?」
バランスを崩した私は、深い刺繍が施されたソファから床へと倒れ込んだ。硬い床に膝を打ちつけ、鈍い痛みが走る。だが、アーサーは振り返りもしない。姉の隣に寄り添うように腰を下ろすと、優しい手つきで、姉の華奢な手を包み込んだのだ。
「泣かないでください、ロザリア様。……わかりました。私が貴女の傷ついた心を包み込みましょう。セシル侯爵家と我が家の繋がりを守るためなら、私は喜んであなたの夫となります」
「アーサー様……! ありがとう、わたくし、わたくし……!」
うっとりとアーサーに身を預け、その体に腕をからみつける姉。その完璧な横顔に、勝利のえくぼが浮かんだのを、私は見逃さなかった。
怒りで息が詰まる。喉の奥が焼けつくように熱い。言いたいことは山ほどあるのに、言葉が一つも出てこない。
私は這いつくばったまま、向かい側に座るアーサーの父、伯爵へ助けを求める視線を送った。伯爵夫妻とは、婚約が決まった時から、実の親子のように親しくしていた間柄だった。しかし、伯爵は気まずそうに、紅茶のカップを口元へ運ぶだけだった。
「まあ……我が家としましては、長女様であろうと次女様であろうと、セシル侯爵家との縁組みであることに変わりはございません。息子の立場にも変わりはありませんから、すべてセシル侯爵家のご意向にお任せいたしますよ」
丸投げだった。彼らにとって大切なのは侯爵家との繋がりだけであり、その相手が誰かなど、どうでもよかったのだ。夫人も、それが当然とばかりに、姉のドレスの支度の話を始めた。
「アーサー……私との誓いは何だったの……? 私たちが二人で語り合った未来は……っ!」
しぼり出すような私の問いに、アーサーは振り向きもしない。姉がアーサーの胸に顔をうずめるのを見て、母は心底蔑むような溜め息をついた。
「見苦しいのよ、ベアトリス。困っている姉に手を差し伸べるどころか、嫉妬に狂って跡取りの地位に固執するなんて……なんて強欲で冷酷な子なのでしょう」
「ちが……っ! 違います! 私は……!」
「そうだな。ロザリアの可憐さと比べて、お前のその浅ましい執着心には失望したよ。お前に侯爵家を任せなくて正解だった」
父の冷酷な言葉が、上空から降ってきた。
━━これが、私の親なのか?
━━これが、私が愛し、支え合ってきたと思っていた婚約者なのか?
色鮮やかだった応接間の風景から、急速に色彩が失われていく。シャンデリアの眩い光すら、私を嘲笑うガラスの破片に見えた。目の前にいる者たちが、人間の皮を被った底知れぬ化け物のように思えて、背筋に冷や汗が伝う。
返す言葉すら失い、私は冷たい床にへたり込んだまま、ただ呆然と彼らを見上げるしかなかった。
こうして私の唯一の希望であった婚約者と未来は、この手から取り上げられ、当然のように姉に譲り渡されたのだ。私の気持ちを踏みにじって。
あの日から、世界は灰色の孤独に包まれてしまった。
姉に婚約者を奪われた哀れな妹。
それが社交界での新しい肩書だった。
セシル侯爵家という高位の家柄に生まれながら、私に向けられる視線には、嘲笑と卑しい欲が混ざり合っていた。同世代の令嬢たちは扇の影でくすくすと私の惨めさを笑い、寄ってくる令息たちは「手頃に遊べる傷物の女」と足元を見て、甘い言葉で体を求めてくる。
そこに貴族としての誇りも、格式も、気品すらも存在しなかった。
来る日も来る日も、嘲笑と不躾な誘いに晒される日々。必死に次の結婚相手を探そうと足繁く夜会へ通っていたけれど、心も体も摩耗しきっていた。
━━もう、終わりにしよう。
今夜の王宮の舞踏会を最後に、無理に相手を探すのはやめよう。私は固く心に誓っていた。
姉が残る家から脱出するための、嫁ぎ先探しなど。ただでさえ傷のついてしまった私には、通常よりも何倍も難しいことだった。諦めよう。家庭教師として、どこかの貴族の家に雇われる未来だって悪くない。それが叶うだけの教養は備わっている。
私だけの、温かな家庭が欲しかった。その心残りは、いつか消えてなくなる。これまでそうだったように。
煌びやかな大広間を抜け出し、しつこく腕を絡めようとする男たちの手を振って、夜の静寂が満ちる王宮の庭園へと逃げ込んだ。
ひんやりとした夜風が、熱を持った頬を優しく撫でる。奥へ進むと、月光を受けて宝石のようにキラキラと輝く美しい水面が広がっていた。
東の国から贈られたという睡蓮の池だ。昼間であれば可憐な花々が咲き誇る様子を見られたのだろうが、夜の闇に包まれた今は、ただ月光が優しく水面を撫で、幻想的な光を散りばめている。その静けさだけに、荒んだ心がわずかに救われる気がした。
「失礼。先客がいたか」
不意に、背後から低く落ち着いた声が届いた。
振り返ると、月明かりの下に一人の令息が立っていた。上質な夜会服に身を包みながらも、その表情にはどこか色濃い疲労の色が滲んでいる。華やかな舞踏会から逃げ出してきた、自分と同じ身の置き所のない者。そう感じさせる雰囲気があった。
だが、その静寂は長くは続かなかった。
「おいおい、こんなところに隠れていたのか、ベアトリス嬢」
荒々しい足音とともに、先ほど舞踏会でしつこくまとわりついてきた令息が姿を現した。
「今夜こそ、俺の相手になってもらうぞ。来い!」
「やめてください……っ!」
拒絶する暇もなく、太い腕が私の手首と腰を強く掴み上げた。必死に抵抗し、身をよじらせるものの、男の力には到底敵わない。強引に暗がりへ引きずり込まれそうになった、その時。
「やめろ」
低く冷ややかな声が落ち、男の肩が強い力で掴まれた。
振り返った令息の眼差しは、凍てつく冬の刃のように鋭く、男を射抜いていた。月光を反射するその整った顔立ちは息を呑むほど美しく、恐ろしいほどの威圧感を放っている。
「あ、あなたは……! ……あなたには関係の無いことです、私とこの娘のことに、口を出さないでいただきたい」
男は一瞬怯みながらも、忌々しそうに吐き捨てた。しかし、見知らぬ令息の冷酷な瞳は揺るがない。
「目の前で、一人の令嬢が意にそぐわぬ関係を強いられているのを、見過ごせるわけがないだろう。その手を離せ」
「分からない人だな……女は口で何を言っても、脱いだらコロッと変わるんですよ。もっと、もっと、とね」
ねっとりとした笑みを浮かべた男の言葉が終わるより早く、美貌の令息の顔に激怒の色が走った。
「貴様……!」
令息は強引に私を己の腕の中へと引き寄せ、男の顔面へ一閃、拳を叩き込んだ。鋭い衝撃音とともに男が地面へ転がり込む。
「恥を知れ!」
令息は倒れた男を一瞥することもなく、私の手を力強く握りしめた。大きな手のひらの温もりが、震える私の指先に伝わってくる。そのまま迷いのない足取りで、王宮の奥へと歩き出した。
どこへ行くつもりなのだろうか。
困惑と緊張に全身を強ばらせながらも、彼に引かれるまま、静かな廊下を進む。足が震えて上手く歩けない。私は必死に声を振り絞り、彼の背中に呼びかけた。
「あ……あの、助けていただいて、ありがとうございました。ですが、もう大丈夫ですので……ここで失礼いたします……」
私は立ち止まった。しっかりと握られていた手が、そっと離れた。
王宮の奥までは知らなくても、奥まで行くことのできる身分がいかほどかは理解している。彼は、きっと王族に縁をもつ程の高貴な立場の方なのだ。
私が一緒にいて、良い方ではない。
「わたくしは、セシル侯爵家の次女、ベアトリスでございます。この度は、危ないところを助けていただき、ありがとうございました。このお礼は、改めまして」
震える膝を折り、礼をしようとして足を踏み外しかけた私を、令息が抱きとめた。
「君が……セシル侯爵家のベアトリスだったのか……」
そして彼自身が差し伸べてくれた手は、私などが思っていたよりもずっと温かく、力強いものだった。
数日後。
セシル侯爵邸の扉を叩いたのは、王宮からの使者だった。
応接間に集められた家族の前で読み上げられたのは、国王陛下の名のもとに下された勅命――姉の元婚約者であるハーディ公爵令息・レオン様と、私、ベアトリスとの婚姻を命じるものだった。
姉は、その目玉がこぼれんばかりに目を見開くと、顔を真っ青に引き攣らせて叫んだ。
「なんで! どうしてよ……っ! レオン様!! わたくしを捨てて、なんでベアトリスなのおおお!?」
甲高い悲鳴を上げて悔しがる姉と、身を固くして言葉を失う両親。その気まずい沈黙の裏で、隠されていた真実が次々と明かされていった。
本当は最初から、公爵家が望んでいたのは次女である私だったのだ。
年齢が近く、素直で勤勉だと評判だった私との婚姻を、公爵家は打診していた。しかし、両親は「長女を差し置くわけにはいかない」と勝手に姉を差し出した。
同じ家で育った娘なら大差ないだろうと、公爵家も一度は了承したが……それが大きな間違いだった。
我が家で甘やかされ、取り巻きに囲まれて育った世間知らずで我がままな姉。
公爵家が、優秀な家庭教師を何人も手配しても、礼儀一つ身につけず、挙句の果てには公爵夫人の宝飾品を無遠慮にねだる始末。
公爵夫人が所有する宝飾品は、全てが夫人の持ち物ではない。夫人が個人資産で買ったものは極わずか。あとは夫である公爵閣下が、愛の証として、公爵家の財産から贈られたものや、公爵家に代々受け継がれてている家宝だ。
その意味も分からず、手当たり次第に宝飾品をねだる姉に、公爵家も堪忍袋の緒が切れた。セシル侯爵家にとって寝耳に水だった婚約破棄は、何年もかけて姉の人となりを見極め、温情をかけ続けた末に耐えかねて言い渡した、むしろ公爵家の最大限の誠意と理性によるものだったのだ。
そんな折り、姉が恥を晒さないために、私から婚約者と後継者の地位を奪ったという噂が、公爵家の耳に届く。
姉の無作法と我がままに辟易し、「もう二度とセシル家の娘などごめんだ」と固辞していたレオン様だったが、息子以上に姉に対して怒り狂った公爵夫人は、ここぞと鼻息を荒くした。嫌がる息子を強引にあちこちの夜会へ引きずり回し、私を捜索させていたのだ。
まさか、宴の喧騒から逃れた王宮の庭園で、奇跡的に私とレオン様が出会うことになるとは。
文句を言っていたはずのレオン様は、冷たい月光の下で佇む私の姿が、わがままな姉とは正反対の清廉な聖女のように思えたらしい。一言で言えば、「その時、恋に落ちた」と。
あの夜、私とレオン様は王太子殿下の私室で一時的に保護された。
王宮で王太子の侍従に呼び出され、王太子殿下にからかわれながらも、青い顔で震えていた私に寄り添い、そっと手に手を添えるレオン様の姿を見た公爵夫人は、物陰で盛大にガッツポーズを決めていたという。
「なんなら、そのままその不安げな手に唇を寄せなさい!」
と、さらに鼻息を荒くしながら。
やがて。公爵家と我が家との婚姻は、王家の後押しのもと滞りなく執り行われた。
ただし、事前にお披露目されていた花嫁の姿はそこにはない。代わりに、運命の出会いで結ばれたと噂される私が、満面の笑みを浮かべてレオン様の隣に立っていた。純白のウェディングドレスに身を包んだその姿は、真昼の太陽よりも輝かしい、まるで本物の聖女のようだったと、社交界で末永く語り継がれることになる。
一方、私から大切なものを奪い、願いの全てが叶ったはずの姉は、地獄のような日々に悶絶し、逃げ出しては連れ戻されるという繰り返し。
次期侯爵としての慣れぬ実務に悪戦苦闘し、頼りにしていた婚約者のアーサーも、最初から実務に携わる能力もなければ、その気概すらないと判明した。結婚までのカウントダウンの中、血の滲むような跡取り教育を力づくで叩き込まれ、どんなに泣き叫んでも、姉を甘やかす人はもういない。華やかな社交界からは完全に足が遠のいていた。
そして天使のような長女をもてはやし続けていた両親は、自分たちが築き上げた幸せな家庭が、ただの自己満足に過ぎなかったことを痛感していた。
その瞳の曇りが晴れた今となっては。
『天使のような』ロザリアなどと持ち上げていたのは、ごく限られた身内だけ。一歩外に出れば、世間が自分たちを愚かな親と嘲笑し続けていた現実に打ちのめされた。二人は身の置き所を失い、肩身の狭い思いで日々を過ごしながら、姉の教育に力を注いでいるという。
名を呼ばれて、振り振り返る。
「ベアトリスちゃん、お茶にしましょう!」
庭に出ていた私を、レオン様を押しのけるようにして、お義母さまが呼んでいた。
押しのけられたレオン様は、少し困ったような表情でお義母さまを見下ろし、私に手を差し出す。
この手は、私だけが取ることを許された手だ。
「薔薇はまだ少し早かったようです。その代わり、アスターが満開です」
私はレオン様に、切り取ったばかりの紫のアスターを差し出した。
「ベアトリス……そうじゃない……」
「ふふ、わかってます」
空いたままの手に、手を重ねる。太くて長い指が、しっかりと私の手を掴み、レオン様に導かれて歩き出した。
「今日は、かぼちゃのタルトを用意させたのよ? ベアトリスちゃん、好きでしょう?」
「はい。大好きです」
「ほーら、わたくしはちゃーんと、可愛いお嫁さんの大好きなものを知っているんだから!」
お義母さまは、時々、こうやって真っ直ぐに、私への好意を表現してくださる。まだ、少しくすぐったい。そして、ちょっとだけ、なぜかレオン様をライバル視している。
お義母さまは私からアスターを奪い取ると、空いたもう一つの手に、自分の手を重ねた。
私たちは3人手を繋いで、お義父さまの待つサロンに向かって、歩き続けた。
なろうっぽい、冷遇ものを書きたくなりました。
私にしては、後半にびっくり箱のないお話でした。
長さも、いつもよりも短め。
よろしくお願いしまーす。
2026.10.10
[日間]異世界〔恋愛〕 - 短編5位いただきました。
ありがとうございます。
※掲載後、言葉の微調整が入っています。




