魔王を倒せば魔獣がいなくなると聞いていたのですが、魔王が母でした
王都を発ってから半年、俺たちはようやく魔王城の最奥までたどり着いた。
途中で何度魔獣に襲われたか、もう数えてもいない。食料が尽きかけたこともあれば、仲間の怪我で予定していた道を進めなくなったこともあり、一度など四方を魔獣に囲まれて本気で全滅を覚悟した。それでもここまで来たのは、魔王を倒せば魔獣による被害を終わらせられると信じていたからだ。
人間の国では、魔獣は魔族に従うものだと考えられている。
その魔族の頂点に立つのが魔王。
ならば魔王を倒せば、人々を苦しめる魔獣もいなくなる。
聖剣に選ばれた俺が勇者としてここへ送り出されたのも、そのためだった。
「テオ」
隣に立つ剣士に名前を呼ばれ、俺は目の前にある巨大な扉を見上げた。
「ああ」
ここまで一緒に来た仲間たちと顔を見合わせる。誰も引き返そうとは言わなかった。
俺は扉に手をかけた。
重い扉を押し開くと、その先には広い玉座の間があり、奥にある玉座には一人の女が座っていた。その両脇には数人の魔族らしき者たちが控えていたが、こちらへ襲いかかってくる様子はない。
玉座の女がゆっくりと立ち上がった。
「よくここまで来たわね、勇者」
俺は聖剣を抜いた。
ここまで来る間に何度も握ってきた剣だが、これを抜くのも今日で最後になるかもしれない。
「お前が魔王か」
「そうよ」
女が玉座から一歩前へ出る。
俺は聖剣を構え――その顔を見た。
「……母さん?」
剣先が下がった。
女も俺の顔をじっと見ている。
「……テオ?」
「母さん!?」
「テオ!?」
見間違いではなかった。
毎朝俺より少し早く起き、朝食を作り、仕事へ行くと言って家を出ていた母さんが、魔王城の玉座の前に立っている。
俺は聖剣を鞘へ戻した。
「なんで母さんがここにいるんだよ!」
「あなたこそ、なんでここにいるのよ!」
「魔王を倒しに来たんだよ!」
「魔王を?」
「そうだよ!」
「あら」
「あらじゃない!」
「だって魔王は母さんよ?私テオに倒されるの?」
後ろにいる仲間たちは何も言わず、玉座の周りにいた魔族たちも黙っている。つい先ほどまで人間と魔族の命運を懸けた戦いが始まろうとしていたはずなのに、誰もこの状況についてこられていないらしい。
俺だってついていけていない。
「ちょっと待って。テオ」
「何だよ」
「あなた、今までどこにいたの?」
「だから魔王を倒しに――」
「そうじゃなくて、半年も家に帰ってないでしょう」
母さんの声が低くなった。
嫌な予感がした。
「長く家を空けるなら、ちゃんと言っていきなさいって、いつも言ってるでしょう」
「言えなかったんだよ!」
「置き手紙くらいできるでしょう?」
「できなかったんだって! 聖剣に選ばれたその日に王城へ連れていかれたんだよ!」
「そうなの?」
「そのまま王城から出るのを禁止されて、魔王討伐のことが漏れないように連絡も禁止! 準備が終わったらそのまま出発!」
母さんが目を丸くした。
「勇者だったの?」
「今さら!?」
「だって知らなかったもの。ずっと冒険者をしていたでしょう?」
「してたよ!」
「また遠くの依頼を受けたのかと思ってたわ」
「半年帰ってこなかったんだぞ!?」
「長いとは思ってたわよ。帰ってきたら怒ろうと思ってたもの」
「先に心配してくれよ!」
「冒険者なんだから、長い依頼もあるでしょう」
確かにある。
これまでにも一月近く家を空けたことはあったし、そのたびに帰宅してから「次からは先に言いなさい」と怒られていた。
だからこそ今回は言いたかったのだ。言えなかっただけで。
「事情があったなら仕方ないわね」
「分かってくれたならいいよ。……じゃなくて!」
危うく納得するところだった。
「母さんこそ、なんで魔王なんだよ!」
「なんでって?」
「俺、聞いてないんだけど!」
「聞かれたことないもの」
「仕事は何してるのって聞いたことあるだろ!」
「働いてるって答えたでしょう?」
「魔王だとは聞いてない!」
「そこまで聞かれなかったもの」
「普通そこまで聞かなくても言うだろ!」
母さんは不思議そうな顔をしている。
どうやら本気で隠していたつもりはないらしい。
「じゃあ、母さんが毎朝『仕事に行ってくる』って出ていってたのは……」
「ここに来てたのよ」
「毎日?」
「ええ」
俺は王都からここまでの道のりを思い返した。
「……どうやって?」
「転移よ」
「…………」
王都を発って半年、険しい山を越え、魔獣の群れを避けるために何日も迂回し、仲間が怪我をすれば足を止め、それでも諦めずに進み続けて、俺たちは今日ようやくこの城へたどり着いた。
母さんにとっては毎朝の通勤だったらしい。
「テオ?」
「ちょっと待って」
「何?」
「俺たちの半年を振り返ってる」
「半年もかかったの?」
「かかったよ! 途中で何回魔獣に襲われたと思ってるんだ!」
「ああ。この辺りは多いものね」
「母さんがそれ言う?」
「何が?」
「何がって……」
俺は母さんを見る。
母さんも俺を見ている。
「魔王だろ?」
「そうよ?」
「だったら魔獣をどうにかしてくれよ」
「私に言われても困るわよ」
「なんでだよ」
「なんでって、魔獣でしょう?」
「だから魔王に言ってるんだけど」
「……?」
「……?」
何かがおかしい。
母さんの後ろにいる魔族たちも、揃って不思議そうな顔をしていた。
「魔獣は魔族が従えているのではないのか?」
仲間の魔術師が聞いた
「誰から聞いたの、そんな話」
「え?」
「操えるわけないでしょう」
あっさり否定された。
「じゃあ、魔獣って何なんだよ」
「動物よ」
「動物?」
「普通の動物が、魔力の影響を長く受けて変異したもの。魔族が多く暮らしている土地はどうしても魔力が濃くなるから、この辺りには多いけど」
「魔族が作ってるんじゃないの?」
「作ってないわよ」
「従わせてもいない?」
「いないわよ」
「じゃあ魔族は襲われないのか?」
「襲われるわよ」
母さんは何を当たり前のことを聞いているのかという顔をしていた。
「この前も城の裏手に大きいのが出て大変だったのよ」
「魔王城に?」
「そう」
「魔獣が?」
「そうよ」
俺は何も言えなくなった。
ここへ来るまでの半年間、魔獣には何度も襲われた。そのたびに、魔王を倒せばこんな戦いも終わるのだと思って剣を振るってきた。
けれど、思い返してみれば妙なことがある。
「……俺たち、魔族と戦ったことあったか?」
振り返ると、仲間たちも顔を見合わせた。
「ないな」
「私も覚えがない」
「魔獣だけですね」
魔族領へ入ってからも、襲ってきたのは魔獣ばかりだった。遠くに人影を見たことは何度かあったが、向こうからこちらへ近づいてきたことすらない。
「じゃあ俺たち……」
俺は母さんを見る。
「何のために魔王を倒しに来たんだ?」
「私に聞かれても知らないわよ」
もっともだった。
そもそも母さんだ。
魔王だろうが何だろうが、斬れるはずがない。
「母さん」
「何?」
「俺とは戦わないよな?」
「当たり前でしょう」
「だよな」
「あなたは?」
「無理だよ」
「あら、ありがとう」
俺と母さんは同時に周囲を見た。
仲間たちはすでに武器を下ろしている。魔族たちも同じだった。
誰も戦う気がない。
「……一回、王様に報告してくる」
「そうした方がいいわね」
「魔獣のことも確認しないと」
「ええ。じゃあ送ってあげる」
「送る?」
「王城まで」
「どうやって」
「転移」
「……頼む」
もう何も言うまい。
母さんが片手を上げた次の瞬間、足元に魔法陣が広がった。
半年かけてたどり着いた魔王城から、俺たちは一瞬で王城へ戻った。
◇
「魔王は討伐できませんでした」
謁見の間で俺が報告すると、王はしばらく黙っていた。
魔王討伐へ送り出した勇者が、出発から半年後、何の前触れもなく仲間を連れて現れたのだから、驚くのも無理はない。
「……理由を聞こう」
「母でした」
「何がだ」
「魔王が」
王が黙った。
「俺の母でした」
「……お前の?」
「はい」
「母親が?」
「はい」
「魔王?」
「はい」
王は俺の後ろに並ぶ仲間たちを見た。
三人とも黙って頷いた。
「それで討伐できませんでした」
「……そうであろうな」
分かってもらえて助かる。
「それと、もう一つ報告があります」
「まだあるのか」
「魔族は魔獣を操っていないそうです」
王の眉が動いた。
「何?」
「魔獣は、魔族の魔力の影響で動物が変異したものだそうです。魔族も普通に襲われると」
「誰から聞いた」
「母から」
「魔王ではないか」
「魔王です」
王が額を押さえた。
その後、人間側でも改めて調査が行われた。
これまで魔獣による被害は数え切れないほど報告されていたが、魔族が魔獣を操っているところを実際に見た者はおらず、魔族そのものに襲われたという記録も驚くほど少なかった。
やがて魔族側からも使者が訪れ、人間と魔族は初めてまともに話し合うことになった。
互いに話してみれば、人間は魔獣を魔族の配下だと思い、魔族は人間がなぜ自分たちを敵視しているのかよく分かっていなかったらしい。
話し合いは一度では終わらなかったが、それでも剣を向け合うよりはずっと早かった。
最終的に人間と魔族は互いの領域を行き来することを認め、魔獣への対策でも協力することになった。
俺は魔王を倒せなかった。
けれど魔王を倒す必要そのものがなくなったのだから、勇者としての役目は果たしたことになるらしい。
そうして人間と魔族の和平が正式に結ばれた日のことだった。
「母さん」
「何?」
「ずっと聞こうと思ってたんだけど」
「なあに?」
「母さん、魔王なんだよな?」
「そうよ」
「ってことは、魔族なんだよな?」
「そうよ?」
そこで俺は、ようやく自分に関わる重大な問題に気づいた。
「じゃあ俺、半分魔族ってこと?」
母さんが首を傾げた。
「半分?」
「だって母さんが魔族なら、俺も半分は――」
「お父さんも魔族よ?」
「……え?」
聞き間違いかと思った。
「父さんも?」
「そうよ」
「人間じゃないの?」
「違うわよ」
「じゃあ俺……人間じゃなかったの!?」
「知らなかったの?」
「知らないよ!」
母さんは本気で驚いていた。
驚きたいのは俺の方だ。
「だって父さんも母さんも普通に人間みたいな姿してるだろ!」
「人間と姿の変わらない魔族なんて珍しくないわよ」
「そんなの知らないって!」
「村のみんなそうじゃない」
「……村?」
「村長さんも、パン屋さんも、あなたが小さい頃よく遊んでた子たちも、みんな魔族よ?」
「…………」
俺は二十年以上暮らしてきた故郷を思い浮かべた。
「俺、人間の村で育ったんじゃなかったの!?」
「魔族の村よ?」
初めて知った。




