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波濤  作者: 河崎浩


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波濤(終わり)

【目次(終わり)】


(最終日)

(帰郷)

(最終日)


朝食を頂く広間には、既にフレデリック殿下が、彼の宿泊所から来ていて、スピックスと共に、リシリューや、侍一行を待ちわびていた。

この若者は興奮で昨夜はあまり眠れなかった。故に早起き。と言うのが実態で会った。

その一方、リシリューは、眞乘の決断が自身に不利な方向に向かう事を想定していた。

故に、如何に、その言を“巻き返すか”に頭を巡らせ、やはり昨晩、熟睡が出来なかった。

先頃、新大陸やアフリカで栽培され、水の種類に味が左右され難い、当地でも良く飲まれている、コーヒーに、温めたミルクを混ぜて、朝、飲む事で、頭が“すっきり”する習慣に、すっかり親しんでいた彼は、コーヒーを求めて、フレデリック等に続いて、広間にやって来た。

宗右衛門と儀輔、仁八は朝の稽古の為に、既に降りて来ていて、朝稽古に一区切りがついたので、儀輔、宗右衛門は、広間に入って来た。

彼等は、フレデリックとリシリューが広間の椅子の対極に座っている事が、可笑しかった。

宗右衛門は、台所から熱い湯と絞った手拭いを儀輔に渡し、自らも体の汗を拭き取っていた。

その間、仁八は台所で、リシリューが連れて来ていた料理人が仕度する朝餉の準備(監視)をしていた。

その様な時間が過ぎてやわら、この時間の主人公である眞乘が美亜を連れて階下に降りて来た。

彼等の足元は日本製の草履で在るので、靴音はしないが、ジンパチのぐずる声と雰囲気で、リシリュー、フレデリックとスピックスは、階上の三名を見上げ、目で追い始めた。両者の間に彼等が着座すると、甚八は、ジンパチ用の白湯と、拙い茶とコーヒーを両名にサーブし、笑いを押し殺す様に控えた。

儀輔は、眞乘達に相対する様に着座し、服部が起きて来るのを待っていた。

「やはり、変わらず、服部殿は最後なのですね」

朝の、最初の発声は、美亜であった。この単純なフランス語は、宗右衛門も理解出来『oui Madam』と答えた。

その様な中、リシリューが1杯目のコーヒーを飲み終えた頃合いに、服部は降りてきた。

「皆様。お待たせした様で、申し訳ない」

彼のオランダ語は、もうほぼネイティブであった。

「然らば、兼本殿の存念をお聞かせ頂きましょう」

フレデリックがやわら切り出した。

「しかしまだ朝食前ですわ、難しい話は朝食後に、なさっては?」

美亜の“尤もな”言葉が、受け入れたらしく、スピックスが、美亜の言葉を受け、殿下を制し、朝食のサーブが始まった。パンは、リシリューが持参した最後の、表面が、硬く中身は真っ白で、外観からは想像が付かぬほど柔らかいパンとバターであり。これは、当地の茶色いパンとは“別物”と思える位、何倍も旨い物であった。

今日は、味噌が切れたので、洋式のスープが供されたが、此のパンには、味噌スープではなく、やはり、フランス産の本物のオニオンスープと、当地から左程遠くはない“シャンティイ”と呼ばれる地域のバターの方が合う、と仁八も感じ始めていた。

『この味とも、今日でおさらばか』仁八は心の中で叫んでいた。

美亜のジンパチへの授乳も終わり。ジンパチが、欠伸をし始めたのを頃合いとして、侍が皆、掛けてあった、紋付きを羽織り、結論を出すための話し合いが始まった。


まずは服部が口火を切った。


「我が、徳川の訪問団の結論として、今回亡き上様、いや大御所様の意志を受け入れる事と云う結論に至った」

「従って、当オランダ王国に我が国の代表として、兼本殿を初代商館長として、当地に着任させる。これは我々で決めた“仮”決定事項である。期限に関しては未定である」

服部が全員を代表してオランダ語で宣言した。スピックスは微笑み、フレデリックと握手を交わした。

「なお、日本商館に関しての設営は、我国が為したのと同様に、貴国の責任で用意されたい。但し、費用負担に関しては、同様に兼本殿を通して、我国に請求をなさるが良い。価格に関しては、兼本殿の判断に任せ、商館の設えに関しては、貴国の我が国に対する思いがどの程度か?と言う基準で、兼本殿が、判断される事を我が方としては“了”としよう」

服部は、ここ迄を一気に宣言した。

宗右衛門を含め侍全員が、今日は正装、紋付き袴姿であった。

リシリューは、ここ迄は、俯きながら、静かに服部の言葉を聞いていた。恰あたかも、この決定に観念したかの様に。

「ムッシュ服部。でムッシュ兼本の奥様の処遇は如何考えているのですか?」

俯きながらリシリューは、質問の言葉を発した。

「この件に関しては私から答えましょう」

フレデリックは、想定済みとばかりに答えを引き取った。

「リシリュー殿。彼女が貴国民である事は、承知しております。然るに、我が兄ともその処遇に関しては予め、私に一任する旨、承っております。で、結論から申し上げるならば、カソリックを国教に定めようとする王を戴く貴国に、同じ宗派の信徒を放置しておく事は、危険。と感じた場合、我国としては、兼本殿の奥方と云う事も鑑み、お子様共々、我国での生活を保証致します。貴殿の見解や如何に?」

「左様ですか殿下」

リシリューもこの回答は、想定済み、という前提で話を始め、その顔には笑みさえ湛えていた。

「まず、マダム兼本は、ムッシュ兼本の奥方であると同時に其の幼き御子様の母でも有られます、故にムッシュと別れて暮ら“させる”等と云う事は、毛頭考えておりません。

しかし、マダムは、ツールーズ(Toulouse)の街に執って欠かせない人材でもあります。

その点は、ツールーズの領主ビュルシャールからも、強く言付かっており、故に彼は、彼の配下の衛視達を私の護衛として貸し出してくれました。この街は、カソリックでもなくユグノー(プロテスタント)でもなく、領主は、非常に合理的かつ、世俗的な選択をする人物です。この実態、事実は、私以上に、ムッシュ兼本やマダムが存じ上げている事と存じます」

眞乘以下、侍は皆、頷かざるを得ない言葉であった。

「故に、カソリックの司教の“身分”では、ございますが、私マダム及び、ツールーズの関係者と、その領主ビュルシャールが、自由に貴国に入国できる権利を、殿下並びにオランダ国王名で保証して頂きたいのです。そして、出来れば、ムッシュ兼本が、我が国を自由に尋ねる事が可能な環境が整いましたらば、ムッシュが、気兼ねなく、我国を訪問できる証書を戴きたくお願い申し上げます。そう、私としては、貴国に日本の商館を設置する事、其処の初代館長が、ムッシュ兼本が就任する事に、何等異存を挟める立場には、無い事を十分に承知致しております」

此れは、リシリューが、フランス王国で、それなりの立場に立つと云う宣言に外ならなかった。その為の知恵を拝借する為の、相談を自由に、眞乘とさせて欲しい。と言う要望でもあった。

フィリップとスピックスは、顔を合わせ、一存で許可を出してよい物か迷っていたが、侍達は、現実的な提案と受け止めた。

「殿下、此処迄見込まれたのは、冥利に尽きる。と感じております。ただリシリュー殿、繰り返す様ですが、私の根本は、カソリックいや耶蘇の教え全般を、極端に言えば唾棄、忌むべき“教え”とも捉えております。宗教や神は、“救い”で有って、“権益の為”の“言い訳”であってはならない。この姿勢は変えませんぞ。構わぬな?」

最後は、上から目線での投げ掛けであったが、これは彼一流のレトリック(挑発)でもあった。

リシリューは、その様な眞乘の性格は、先刻承知とばかりに、短く

「勿論」

とウィンクをして見せた。

美亜が第二子を出産するまでの間、夫である眞乘と共に、当地で暮らす事が決まり、他の侍達は、残された僅かの期間、アムステルダムに赴き、オランダ国王のオラニエ公マウリッツ・ファン・ナッサウに国書を奉呈し、其の返書を戴いて、ロッテルダム港に帰って来た。

眞乘は別行動でリシリューと、彼の帰国直前まで、今後のフランスの在り方に関して、話し合いの場を持っていた。

別れの時間が、近づいて来た。


(帰郷)

オランダ船は、行きに使用した船より僅かに豪華な設えであったし、荷物も満載する関係上やや大ぶりの3本マストのガレオン船で有った。それ以外に、やや小振りの伴走船は二隻帰国の船に付き従った。

行きとは異なり、大きくアフリカ大陸南端を回りインド洋を突っ切る形で、オランダの支配するバタビア迄、約半年以上の航海が、四名の侍の前には立ちはだかっていた。

バタビアには三隻中一隻が、喜望峰を周回する際に難破し、残りの一隻も乗員の半数が既に亡くなっていた。

ジンパチや美亜が乗船していたら、彼等は確実に持たなかったろう事態は、容易に想像できる有様で、実際、宗右衛門は、バタビア到着時に体重が半減し、服部は歩く事すらできなかったので、彼等は療養の為、バタビアで一ヶ月以上の時間を要した。

帰国時、既に大御所と呼ばれた家康は無くなっていた。

藩主であった、政宗は、未だ健在で在り、二代将軍に執っては、亡き大御所に代わる唯一、将軍に説教が出来る人物に成っていた。

ただ、その政宗の命により派遣された支倉は、見所知れずになっていたが、帰国していたのは事実であった。

残念な事に、服部の上司である、服部半蔵は、前年に失脚しており、今は越後の村上氏に身柄を預けられていた。

結果、オランダに商館を設置し、其処に兼本眞乘が赴任している事実は、伊達のみが知る事実であり、幕府の知らぬ事態になってしまった。

江藤(儀輔)により齎された、南蛮の実態により、藩内世論は、海防の必要性を理解したが、海外から学ぶべき軍事上の技術は無く。大砲などの兵器は現状でも購入可能であるが、既に、それを活用すべき戦場が無くなっていた実情が、政宗以下藩内重臣に知れ渡り、村田仁八により、我国が如何に地味や文化に富んでいるか、という風説も、流布されるようになると、伊達をして、海外に進出する旨味を消していた。

金本宗右衛門は、眞乘の、推薦文(書状)もあり過去の経緯から、片倉家の臣下として、妻、金本紀野と共に城下に住居を与えられ、生活は安定していた。

村田仁八は、江藤家の第一の家臣として、元々の所領と縁以外に、シフン(四分)以下、江藤三八郎儀輔の所領地である、仙台の北陸前と、陸中の山間地で北上川に面した北側斜面を農地の管理が任されていた。

彼は、唯一生活の質を比較できる経験を積んでいたので、彼をして南蛮に対する興味は、全く失せていた。

その姿勢が、彼が、すぐさま通常の生活に戻る事が許された理由であった事は、本人は気付かずに居た。

政宗は、関ヶ原で、藩が加増され、結果、出来た宇和島藩を任せていた庶子ではあったが、長男の秀宗に対する、指導が巧く行っていなかった点や、現将軍のキリシタンに対する姿勢を敏感に読み取り、スペインに派遣し帰国させられた支倉は、冷遇し、武辺に長け、戦略的思考を持った、江藤は、優遇した。

しかし、最も頼りとしたかった、片倉の知恵袋と言われた兼本の事は、諦めざるを得ないと観念していた。

故に虎哉 宗乙亡き後、円福寺(後の瑞巌寺)の復興に専心していた早暁元三禅師に命じ、兼本のライバルでもあった江藤を専ら薫陶させ、片倉の配下に置いた。

そんな風に先代が落ち着いてき始めた時に、眞乘からの手紙、表題は“オランダ風説書”の第一便が、平戸に齎された。

当時の幕閣は、家康時代とは異なり、また島原や京都でのキリスト教徒への弾圧の余波も、冷めやらぬことから、伊達に対する兼本の書面の内容のみを重視した。

しかし、其処には、日本の事を思い、カソリックの王国スペイン・ポルトガルに対しては、とても注意しなければならない点や、今のフランスの国情を説明し、やはり一神教を信奉する民に対しては、須らく、とても否定的な見解が、綴られていたので、この手紙をして、伊達に対する“言いがかり”をつける事は、不可能と断ぜざるを得なかった。

故に本文は、そのまま伊達の手元に渡り、結果、彼の二人目の子供は、女児である事が、解った。

しかし私的内容の返書を書き送る事は、江藤や金本のみならず、全藩士、幕閣に対し厳に戒められ。又、幕府が、兼本の代わりの商館長を派遣するつもりも、また美亜を含む彼の妻子達の、貴国が許される気配は、更々無かった。


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