波濤(オランダ編)
【目次(オランダ編)】
(オランダへ)
(リシリュー再び)
(八百万の神)
(アムステルダムにて)
(ロッテルダムにて)
【登場人物】
主人公:兼本甚八郎眞乘(藩主と直接目通りが適う召上・理論派、語学や理論に優れ拳法が出来る。体がデカイ、朝鮮語など各国語が使える、頭脳派)
主人公2:江藤三八郎儀輔(一番座で足軽・鉄砲組頭/武闘派、剣術と兵法(用兵)のに優れる。)
副主人公:金本宗右衛門(帰化朝鮮人で元白丁身分。ソウォン、眞乘の配下で士分となる)
村田仁八:伊達藩の眞乘麾下の足軽大将(剣や武術も達者で、料理や刀の修理もできる)
服部稲造(服部半蔵・伊賀者)
ミア(眞乘のフランス人妻)
モリスコ=ニハル (スペイン語morisco)キリスト教に改宗したイスラム教徒を指す名称。
領主ビュルシャール(ツールーズの領主)
リシリュー(後のフランス宰相ルイ13世の育ての親、カソリック司教から枢機卿になるがプラグマティスト)
フランス国王ルイ13世
王立海軍大佐サー・ウィリアム・マコーミック
ジェームズ1世 (イングランド王)
海軍大尉(Lieutenant)ケビン・ギルバート
海軍中尉フォークス(故ガイ・フォークスの甥・ロンドン子)
ロバート・セシル (二代ソールズベリー伯)。父は国王秘書長官/大蔵卿
フランシスベーコン(ジェームズ1世の助言者であり、経験主義者でありながら、現実的な選択を好む哲学者)
東インド会社のオランダ人スペックス
フレデリック・ヘンドリック:オランダ総督、オラニエ公。ウィレム1世の末子で、マウリッツの異母弟。
徳川家康
服部半蔵
伊達政宗
(オランダへ)
いよいよ旅立ちの時が訪れた。ブリストル港に停泊していたイングランド海軍の快速艇は、帆を上げると音もなく離岸して行った。岸壁にはセシル、その妻と子供たちが眞乘達との別れを惜しむかの様に佇んでいたが、やがて藻屑の様に見えなくなった。
艇長は、マコーミック以下、彼の信頼できる部下と言うより儀輔の弟子が進んで務めていた。早朝ブリストルを出港した船は、夕刻迄には、ネーデルランドのロッテルダムに到着していた。
既に、東インド会社経由で、彼等の存在を知り、日本政府(幕府)からの依頼で、帰国の便宜を図る取り決めが行き渡っていたので、彼等の上陸は、すんなりと認められた。しかし彼等をエスコートして来たマーコ―ミック以下イングランド海軍は下船の許可が下りず、当時オランダの最強と言われていた、マスケット銃兵が、この、ほぼ武装をしていないクルーザーの周囲に、三重に配置されていた。
侍達は、『正に信長公の長篠の戦の様じゃ』と、此の蟻も這い出る隙間さへ許さない兵の配置に感嘆した。
其処へ眞乘とも面識がある、東インド会社のオランダ人スペックスが待っていた
「大丈夫でしたか?」
久々の日本語の出迎えに、服織は思わず
「忝い(かたじけない)」
と日本語で応答し、スペックスは『にやり』と笑みを漏らした。
老獪なスペックスは、この侍の集団の中で誰が最も上に立つ者かも把握していた様で、眞乘の前に立ち
「お疲れ様です、こちらで貴方をお持ちになっている御婦人がいます」
と眞乘の手を引いて導いた。美亜とジンパチが、そこには居た。思わず眞乘は
「何故じゃ?」
と呟かずにはいられなかった。
「我々とリシュリュー公の関係を見縊らないで頂きたい。我々は、貴方方の情報は、ほぼ時を置かずに司教からの私信により、得ておりました。そして、このご夫人が貴方にとってどの様な方かも、よく存じ上げております」
スペックスの日本語は、澱みが無かった。
「国王閣下への我が幕府からの答礼書をこれに持参しております」
眞乘の前に進み出た服部は、背にした行李を卸し、その中から袱紗に包んだ、黒塗りに金字で葵の御門が描かれた桐箱をスペックスに奉呈した。
儀輔以下、伊達藩の皆は、苦々しくその模様を眺めていたが、当の眞乘は、何の事は無い風情であった。
「確かに承りました。本、奉書は、確実にオラニエ公に奉呈いたします。
ご安心ください」
と、スペックスは、服部に答えたが、その目は『兼本甚八郎眞乘』を逃す事は、無かった。
そして、その様なスペックスの姿勢は、服部を落胆させたが、兼本の、今迄の言質と、己を比らぶれば、これは、致し方の無い事と、自身を納得させるしかなかった。
儀輔は、この服部の表情を見逃さなかったが、一方でネーデルランド軍のマスケット銃兵、その外側に構える自国の長槍よりも長い槍を持って構えるパイク兵の集団の護身用の刀と用(兵)法が気になっていた。仁八も同様で、パイクと呼ばれる長槍の材質。特に先端部と彼等の刀に対して、興味深く眺めていた。
これはこの兵団を指揮するネーデルランド軍側も同じで、既に日本刀の鋭さや、日本の侍の実戦経験の豊富さを常識として知っていた、一部は、東インド会社の傭兵出身であった彼等は、此の中で誰が最も強そうか?鵜の目・鷹の目で彼等を観察していた。
そう彼等の、三重に配置されていたマスケット銃兵の隊列は、当時のネーデルランドで進んでいた、世界各国に対する戦術研究の一助でもあった。
ジンパチを抱く美亜の陰には、親方と、その女房が控えていた。
親方は仁八を見つけると、一目散に向かって行き抱擁をした。
勿論、親方は、仁八の『其れ』を知っているので、前夜にしっかり入浴し体臭は、消していた。
「彼ら夫婦は、我々と同じプロテスタントですから、リシュリュー公の命により、彼等が、兼本様の奥方の護衛として遣わされて来たのです」
仁八に向かい、スペックスは、流暢な日本語で説明した。仁八の心は『これで掴んだな。』スペックスは、心の中で呟いた。
彼は等しく、侍全員の素行と特徴を既に完璧に把握していた。
ロッテルダム郊外に設えられていたゲストハウスに、一行は日本への旅立ちの準備が整う迄、逗留する事を求められた。残念ながら、自身に帰る術が無い彼等は、この申し出に従うしかなかったが。これはネーデルランド側の思惑の影がある事を儀輔は感じていた。
スペックス等、日本への“渡航経験”のある軍人や商人により、設えられていたその館には、日本式の風呂が、当地としては、珍しく完備されていた。これは英国から離れて帰国まで、風呂に浸かる事は、もう出来ない。と諦めていた仁八を偉く感動させた。また、食事に関しても、当時のオランダ(ネーデルランド)には、アジア中の香辛料や干し鑪の様な魚介類。
アジアだけでは無く北米植民地原産の野菜等が豊富で、これも、侍達を喜ばせた。
その様な館に、スペックスに伴われ、一見して高貴な身分と分かる若者が、翌朝、来訪してきた。
彼は、オランダ語だけでは無く、英語フランス語に精通しており、美亜を喜ばせた。名前はフレデリック(フレデリック・ヘンドリック)と言い、現国王のオラニエ公の異母弟にあたる人物であった。
年齢も宗右衛門に近く、彼は、毎朝のルーティンワークである、宗右衛門と儀輔の稽古(仁八と服部、眞乘は自己鍛錬)を来訪するや否や、食い入るように見入っていた。
眞乘が、軽い鍛錬を終え、ジンパチを抱いた美亜が、濡れた手拭いで彼の背中の汗を拭っている時、スゥっと近寄って来て、先ずは英語で尋ねた。
「侍と言う人種は毎朝この様な鍛錬をするのですか?」
「人それぞれでしょうが、まぁ我々は、この程度の鍛錬を何処に居ようと、欠かした事はありません」
噂には聞いていたが、眞乘の流暢なオランダ語は、彼を驚かせた。
「あの若者は、先生と思しき(おぼしき)侍と、より実践的な練習をしているように思えるのですが、如何なる素性の者達ですか?」
今度、彼は、フランス語で話しかけたので、美亜にも内容は理解できたので、彼女が(夫のフランス語は、まだ拙いかも知れないと気遣い)代わってフランス語で答えた。
「若い方は、夫の従者でムッシュ―金本、先生の方は夫の朋輩(親友)でも在られ、最高の剣士でもあるムッシュ江藤と申します」
彼女は、夫の顔を覗きながら、間違っていないかを促した。眞乘は、美亜を見やり頷きながら、
「我々は、先の朝鮮の戦で共に死地を乗り越えてきた仲間であります。あの若者は、その際、私の配下に加えた朝鮮出身の若者で在ります」
流石に、リシュリューと美亜に鍛えられただけあって、眞乘もこの程度の事は、フランス語で説明出来る様になっていた。しかし、眞乘が少なくとも三か国語を難なく操れる事は、彼を驚愕させ、お付きのスペックスも、亡きヨーステンから、彼等の背景に関する説明書きを事前に入手していたとは言え、この人物の教養は『唯者』では無いと実感していた。
そして美亜は、夫のフランス語の上達振りが、単に嬉しかった。
フレデリックは、眞乘が、自分達と同等か、それ以上の人種である。とはっきり認知し、学ぶべきは、彼からであると感じた。
「ではムッシュ兼本、貴方とムッシュ江藤は、朝鮮で実戦を経験されたのですね?」
「はい。彼は、実戦を、私は、主に兵站を担当させて頂きました」
「兵站?それはどう云う事ですか?」
「殿下、戦は、戦士又は、侍が個々にするモノではありません。お判りですよね?また指揮官の命に、戦士や侍は、駒の様に、単純、且つ盲目的に従うだけでも、ありません。『兵站』即ち戦略を持って、適材適所に、どの程度の物資を配剤し、どの様に戦えば、相手に、最大の損害を与える事が、出来るか?を将足る者は、事前に読み、計算し、適宜。その戦いに適した武具や、戦士が戦を継続できるだけの食料等を提供する様、各配下に指示しなければなりません。その様な戦略を将と共に立案し、兵や、各隊の指揮官に、徹底させる作業。それを兵站業務と我々は呼んでおり。其の際、将との相談相手役を参謀又は軍師と呼んでおります。某のオランダ語解りますか?」
眞乘は、出来るだけ、噛んで砕いた表現でフレデリックにオランダ語で説明した。
「なんとなくは、理解は出来るが、それだけか?」
フレデリックの言い回しは、徐々に自身の立場(殿下)を反映した様になってきた。しかし眞乘は、その様な事は、気にも留めず、自身の言葉が伝わっている事だけに集中していた。
「そうですね、現代の戦は、今も、述べた様に、個々の侍や戦士の戦いや、その能力だけでは無く、国力を掛けた総力戦になって来ています。結果、戦に直接参加しない、その領民は、真っ先に犠牲になる。そして奪い取った領土も疲弊している。という点にも着目頂きたい」
「と言うと?」
「はい、戦場になるのも、農民や、庶民の耕作地であったり、住居近辺であるという事です。戦争指導者が、その点に配慮を欠くと、戦に直接参加しない、兵として参加した領民だけでなく、相手方の領民が、真っ先に離反し、敵側に徹底して回る。という現実も忘れてはなりません。」
眞乘は、先の朝鮮の戦で、宗右衛門が自身の配下に至った経緯を思い出しつつ、フレデリックに将足る者の心得を説いた。この遣り取りは儀輔だけでなく、服部をも感心させていた。
「成程、勉強になります」
フレデリックは、眞乘の知識を数日間だけでも独占したい気持ちになった。其処へ、宗右衛門が儀輔の木剣を持って現れた
「江藤様、これは、如何致しましょう?」
美亜は、宗右衛門が手にした木剣が、自身の裏庭で作った木剣であることが懐かしかった。
「まぁ、ムッシュ金本、まだそれを使っていらっしゃるの?」
宗右衛門も、この程度のフランス語は、理解し、使い熟せたので
「Oui. Madame」とフランス語で答えた。
「奥様。と云う事は、美亜殿は、兼本様の奥方様なのですね?帰国されるに当たって、彼女はどうなるのですか?」
眞乘が、最もされたくない質問をフレデリックは、投げかけた。が、これは、彼が当地に長逗留せざるを得ない為の、彼一流の投げ掛けでもあった。しかし眞乘も、この件は、想定の範囲内で、
「殿下、彼女(妻)には、既に因果を『含めて』おります。当地から日本までの航海で、彼女そして、生まれて間もなき我が息子が、その道程を耐えられるとは、とても思えません。実際、貴国の、経験豊かな船乗りでもあった、ヤン・ヨーステンは、航海の途中、思いがけず出会った『嵐』で命を失いました。」
「左様か…」
フレデリックは、力なく頷くしかなかった。そして宗右衛門が手に持つ木剣に目を落した。
「その、木製の棒は、相当堅そうじゃの?」
言葉を変えた。今度は、先程迄、宗右衛門を相手にしていた儀輔が、これまたオランダ語で答えた。
「多分、今殿下の警護に付いている衛視達に甲冑ならば、へし曲げられるでしょうし、二太刀程度なら防ぐこともできるでしょう」
横に居た仁八が『また江藤様が挑発した』と俯いた。
フレデリックは、儀輔の流暢で丁寧なオランダ語を聞き、『此の武人も、相当、学識、がある。』と感じたが、それよりも彼の言葉が気に掛った。
「誠ですか?試す事は出来ますか?」
仁八は、フレデリックが、まんまと儀輔の罠にはまったと確信した。
「勿論」
儀輔のフレデリックに対する回答は、余りにも単刀直入であった。
スペックスも、この侍達の実力と言うモノを知りたい衝動があったので
「殿下、衛視の中で最も強い者は、誰ですか?」
と余計な、相槌を入れてしまった。
「あそこに控えし、アーサーが最も若く強かろう」
フレデリックが指さした先には、儀輔より二回りは大きな、兜と胴巻きを身に纏ったオランダ人の若者が居た。
「アーサー」
フレデリック!は、戸口で警護する若者を呼び止めた。
彼は。ガシャガシャと。金属が、擦れる音をなびかせて近づいて来た。
彼もこのオランダ語のやり取りは聞こえていた様であったので、儀輔を一瞥し、彼に対し『舐めた』態度を採った。
「最悪、殺す結果になっても、構わないのですね?」
儀輔も一瞥し、儀輔は、『同意』とばかりに、木剣を宗右衛門から取り、にわかに立ち上がった。
「ここでやるのは不味かろう、付いて参れ」
中庭に向かう儀輔の対応は、アーサー以上に尊大であった。
「三八郎!程々にな!」
眞乘は、この急展開に、そう日本語で、声をかけるのが一杯であった。この言葉の意図を理解したのは、服部以下、仁八と宗右衛門、あとは、日本語を解するスペックスであった。『負ける訳が無い』と言うのか!此の侍は。スペックスは。眞乘の言葉にこそ、驚愕した。
腰の脇差以外寸鉄も帯びていない、袖口こそ、紐で襷掛けをしては居るものの、足元も、雪駄姿で、アーサーより二回りも小さい、儀輔に対し、アーサーは、胴巻きと兜を着用し、両刃の本身を構えていた。
これだけ見れば、素人目ならば、誰が優位かは、ハッキリしていた。
フレデリック以下、オランダの衛視も皆そうであり、遺体の処理手順の事などを話していた。が結論は、その様な会話の途中で決まっていた。
アーサーの右肩の鎖骨と肩甲骨は、打ち砕かれ。胴巻きには一直線の凹みが出来ていた。ただその衝撃か?儀輔の木剣も折れてはいたが、雪駄の鼻緒は無事であった。アーサーの剣は、彼の足元の庭の土に,突き刺さっていた。
此処でも美亜に抱かれていたジンパチは、泣きもせず、寧ろ笑っていた。
「其の方の動きは鈍い!」
儀輔のオランダ語による一括が、アーサーに向けられた。胃袋の朝食らしき未消化の内容物を吐き出しアーサーは、痛みを堪えて唸る以外に仕様が無かった。
儀輔は、久し振りの実戦を経験したことに満足していた。
「宗右衛門。代わりの木剣は、未だあるか?」
呑気な、日本語の答えが中庭に響いていた。宗右衛門の目は笑っていた。
「兼本殿、一瞬の事で、よく解らなかったが、解説をしてはくれぬか?」
フレデリックは、この一瞬の出来事を完璧に把握しようと、務めていた。要は、動揺は見せたくは無かったのだ。眞乘も、その辺は心得ていて
「本来ならば、奴は脳天を勝ち割られて死んでいたでしょう」
とまずは、周囲に聞こえる様に、答えた。
「脳天を木剣で一撃せず、兜の縁を滑らせ、結果右腕の方に一撃を喰らわせましたが、決定打は、その前に、江藤が奴の内側に回り込み与えた、胴への一撃でしょう。それで奴は動きが止まりましたので、あとは脳天への止め。と言うのが、今の勝負の全てで在ります。」一息を置いた。
「敗因は、奴が剣を抜き、降り上げた事です」
明快な解説であったが、それを瞬時に、見切る事が出来る、彼等の眼力の凄さが、フレデリック以下、オランダ衛視には驚愕であった。
その様な解説に付け加える形で、汗一つかいていない儀輔が、美亜から手渡された手拭いで顔を拭きつつ、付け加えた。
「ショートレンジ(短い間合い)での戦闘に於いて、あの様に大きな動作を、貴軍では『是』としているならば、一刻も早く改めるべきです。」
「大きな動作は『威嚇』にこそ使えども、実戦では何の役にも立ちません。隙を見せず、素早く動く事が肝要です」
言い様は、先程とは異なり、師が、弟に話す様に威厳に満ちた口調に変わっていた。
フレデリックも恭しくこの言葉を承ったし、周囲の衛視達も、首を垂れて伺っていた。
仁八は、『これで、ここでも我々の存在は安泰だな。』と感じ、今晩も、美亜とジンパチ、親方夫婦と、ゆっくり出来ると安心した。
アーサーから脱がせた兜と凹みの出来ていた胴巻き、庭に刺さった剣は、既に検分が終わっていた。
服部はオランダ語で、アーサーの介抱に当たっていた。彼の処置の素早さは、彼も又、実践慣れをしていると、周囲に理解させるには『充分』であった。元々、後方で、情報戦に当たる事が多かった、服部に執って、骨折の処置は、容易い事ではあった。が、周囲に散乱するアーサーの吐瀉物をものともせず、フレデリックや、兼本と変わらぬ身分の者が、躊躇なく介抱に当たる。彼の姿は、その場に居た衛視達の心を射抜いていた。ただ、幕府方の代表と心得ていた服部にとり、此処で彼等の心証を害する事は、御法度であった。
親方の女房が階下に降りて来て、皆にフランス語で声を掛けた
「昼食は如何致します?」
皆の顔に『安堵』の笑みが溢れた。その意図を彼女は解らなかったが、仁八は、美亜を見やりニヤッと笑いかけた。
「今日のランチは、スペックス殿が持参された日本の米を使った料理になります」
仁八は、コメの焚き方を、親方の女房と美亜に伝授していた。
「そして、久々の日本食を作ってみました」
そこには焼き魚と、やはりスペックスが持参してきた『日本の味噌』が、使われたスープ(具材を鑑み、味噌汁とは呼べないと仁八は考えていた)が用意されていた。
美亜やフレデリックには、初めての料理であったが、宗右衛門を除く、日本の侍達には懐かしく、スペックスには馴染みの味であったので、昼食時間、自ずと会話も弾んだ。
この会話の時間は、結局夜まで続き、その間、美亜と親方の女房は、片付けの後、ジンパチの世話もあるので自室へ引っ込んだ。しかし親方は、儀輔の好物をテーブルに供したので。話は、フレデリックやオランダ側にとって、非常に有意義な時間になった。
『惜しい』フレデリックは、再び彼等の存在を惜しんだ。
親方は、実は、フランス語以外にオランダ語も理解した(話はしなかったが)この会話を十分理解できたので、会話の間隙を縫う様にして、やわらフランス語で、切り出してきた。
「実は、リシリュー殿からの『ご伝言』が、兼本様にございます」
「何じゃ?」
眞乘もフランス語で返した。
「はい、美亜様(奥方様)と御子息様の事でございます。」
「なんと?」
「もし、御子息がある程度成人されるまで、当地に滞在されるお気持ちがあるならば、卿が、責任を持ってお世話させて頂きたい。との事です。勿論、場所は、パリでは無くビュルシャールが管理し、美亜様のご自宅もある、ツールーズでも構わない。との事でございます。」
と言うとリシリュー直筆の書面を懐から出し、眞乘の前に提出した。急な展開に一同は驚いたが、最も驚いたのは、フレデリックであった。『フランス側も、私と同じ考えを持っていたのか!しかし、我々には、彼を引き留める妙薬は無い』
儀輔は、この提案に少し躊躇した、親友が当地で、女房子供と平安に暮らせるが、子供が成長した後、彼が、妻子を伴って無事に帰国できる保証はない。いや彼自身も無事帰国できるか分からない。
儀輔は服部と目が合った。服部も同じ事を考えていた。
『もし自分が、この一行に居なければ、兼本殿の無事之帰国は、叶わぬだろう。』
そう判断していた。
眞乘自身この提案は、意外且つ、驚きであった。
「風呂に入ろう!」
儀輔は何を思ったか咄嗟に口に出た。そして宗右衛門が
「では湯殿を見て参ります」
と席を離れた。彼も、師が居なくなれば、帰国後の自身の安泰(四妓とは、どうすればよいのじゃ)や、身の処し方が分からなくなる、不安があった。
その顔色の変化を見た、仁八は、宗右衛門の後を追う様に、湯殿に向かった。
寝室で、ジンパチは、既に寝ていた。美亜は、以前にも増して色を成し、眞乘の入室を待っていた。
彼女の色香は、湯上り且つ多少の酒が残る上気した眞乘を狂わせるのに『充分』であった。久々の抱擁と接吻の後、彼は、美亜に耽溺してしまった。ふと、我に返った眞乘は、美亜に質した
「其の方、既にリシリュー殿の伝言を知っておるな?」
美亜は、嘘が付けない、特に彼女の愛する、眞乘の前では。目から涙が溢れたが
「oui」正直に首を垂れざるを得なかった。
「左様か」
眞乘は、ここは日本語で答えたが、美亜には、何となく、その意味は、伝わった様だった。ジンパチのあどけない寝顔は、眞乘に重くのしかかっていた。
同時刻、館内で、服部は、江藤(儀輔)の居室で兼本配下の村田(仁八)に酒を振舞っていた。
「これは多分、今は亡き大御所様からの、密命でもあるのだが」
服部はそう言って懐から、一通の書状を取り出した。
「ただ、伝聞が正しければ、既に大御所様は亡くなり、今は二代様(秀忠様)の御代じゃ。故に、此の扱いには、困っておる」
そう言うと、服部も杯を覆った。
「すでに其の方らも聞き及んで居ろうが、九州で、カソリック共の犯しておる反乱は、内容はどうあれ、カソリック、いや信仰と言うモノの怖さを上様(秀忠様)には『強く』植え付けたと考える」
その間、仁八は、服部が差し出した『書状』をまじまじと眺めていた、少なくとも最後の署名と花押から、本文が大御所により齎されたのは、事実であろう事は理解できた。唯、これは、記してある紙の質からして奉呈用では無く、下書き乃至は、服部の確認用であろう。故に本文を手に取り精読に励んでいた。儀輔は、仁八と服部による、解説を待った。
「大御所様の文とは言え、随分と遜った言い様ですな」
まず仁八から出た印象であった。
「して宛先は?」
儀輔は、仁八に問うた。
「はっ、何とオランダ国王(オラニエ公)宛てで、ご自身は、日本国王と記してございます」
「ふむ。左様か。して内容は?」
「はっ。搔い摘んで(つまんで)申せば、貴国と我との間で好を結びたい。故に、貴国にも我が国の商館の様なモノを設置し『その長』を常駐させたい」
との事でございます。
「それ以上の具体的な事は、述べておらんのじゃな?」
「はっ。」
「ポルトガル、スペインにも同様の『文』は送られていると思うのですが、この処の南蛮と、我との関係を鑑みるに、この両国と好を結ぶことは難しかろうと考えます。ですが大御所は、我が服部党に、御庭番の『責』を仰せでございます。それが、私が当地に派遣された理由の一つでも御座った。故に、南蛮の何れかに窓を置く事は肝要かと。しかし何南蛮の何れかと『好』を結ばぬ限り現状、我々には、当地に自力で至る脚(船)がございませぬ」
服部の悩み。実は、眞乘を当地に慰留する為の方便。と言う事は、明らかであった。これで服部の意志は確認できたが、さて我々は『どう考えておるのか?』と言うのが、今宵の趣旨と判明した。
しかし服部の唯一の悩みは、現(二代目)将軍の人柄も身近で見知っているだけに、もし眞乘を『大使』として当地に慰留させれば、眞乘が、一生帰国する事が適わなくなる。と言う『懸念』であった。
そう徳川秀忠は、家康と同じ世代とは、全く異なり、海外と云うモノに対して『知識』も『意欲』もほぼ無かったし、興味すら無かった。むしろ、今までの伴天連共の所業や、若い頃、義兄(結城秀康)経由で聞かされていた豊太閤の言葉から『南蛮』と、十羽一絡げにし、欧州全般に対する不信感すらあった。
そして、彼の傍には、三浦按針のような、異文化から来た、異なる見識で諫言できる相談役の様な存在も居なかったし『諫言』を受け止める度量も、なかった。三浦は、彼の父の側近という事で、彼の取り巻きにとっても、故意に煙たがられる存在でもあった。
其の上、妻の家系、要は、織田の価値観でもあった、商売の利益や貿易で、国力を上げ、国富を蓄えると云う事を彼は、無意識的に遠ざけ、武辺以外、彼の側近も、全く関心が無かった。
そして彼と彼の若い側近が、自由に、家康及び彼の側近にはない発想で、物事を決める事に、家康自身、口を挟むどころか、“良き事”と放任する環境も、あった。
しかし、其れ位。徳川の世は、安定を見せ始め、最強の外様であり、戦国の世を知り尽くしているはずの伊達は、老人が子供を慈しむ目を持って、その秀忠や、その子の竹千代(後の家光)の最も強力な、後ろ盾(力の源泉)を自認して居た。
今の日ノ本は、豊かで南蛮から学ぶ物も、奪う物等『無い』のも事実であった。
「今、御在所されている『フレデリック殿下』に本書を奉呈すれば、殿下は喜ばれると考えます。故に外堀は既に埋め立てられていると考えて構わないでしょう。…しかし」
服部は、これ以上の算段が出来なかった。
「戦略や戦術は、甚八郎(眞乘)の最も得意とする処。儂も、昔、奴とその面で戦ぅた事があるが『完膚無き』状態じゃった。」
儀輔も唸るように語った。その場の皆が天を仰いだ。
そんな空気の中、最後に風呂を使い、皆が江藤(儀輔)の居室に居る事を察した宗右衛門が、ディキャンタにワインを注いでやって来た。この行為は、室内の空気を和らげた。しかし仁八から事の次第を聞き及ぶにつれ、自身の立場(身分)や年齢では、口を差し挟む事は憚られるが。故に言い様もない不安感に襲われた。
要は、このままでは、彼は、彼の最も尊敬する上司であり指導者を失う事を意味した。
「仕方がない、奉呈用の本状は手元にあるのじゃろう?しからば、殿下に奉呈せざるを得まい」
儀輔の一言で、明日フレデリックに相談する事が決まった。
「しかし朝、フレデリック殿下に奉呈する前に、殿に内容はお伝えし、ご説明せねばなりません」
宗右衛門の精一杯の反抗であった。しかし皆は『うむ』と頷く以外の素振りは見せなかった。
儀輔の朝稽古は、何時も通りで、全く容赦が無かった。昨日の事等まるで無かったの如き指導であった。しかし宗右衛門には、明らかな動揺が見えた、結果、今朝、彼は、相当青痣を体中に作る仕儀となっていた。
それは眞乘にも、よく伝わった
「宗右衛門如何した?」
明らかなる彼の鈍い反応に聞かざるを得なかった。
「いえ、特に!」
と答えるのが精一杯であった。その場に居た、服部は、この機会を逃さなかった。
「兼本殿、ちと、相談したき儀が御座って」
服部は切り出した。しかし眞乘を除く全員が、今から何を話すかを知っている素振りを、眞乘は見逃さなかった。
「左様な文を其の方は、持参しておったのか」
此れが、最初に眞乘が服部に掛けた言葉であった。
眞乘の表情には、聊か(いささか)の動揺も見えなかった。
「して、三八郎は、如何思うのじゃ?」
いきなり儀輔は『話を振られ』彼には、はっきりと、動揺の色が見えた。しかし服部は、ほっと胸を撫でおろした。
「うむ、お主が、貴奴等に、求められるのは、筋じゃが、そうなると、お主は、二度と、帰国処か、帰参(藩に戻る事)は、敵わぬじゃろう。其処が、我々一同、引っ掛かる処じゃ。」
親友同士、忌憚は無かった。
「しかも今後、南蛮と日ノ本の関係は、如何為るかは、解りません」
冷静さを取り戻した服部が口を挟んだ。この服部の言質に、宗右衛門は、深く頷いた。
「少なくとも、自力で当地まで来る能力を当分、オランダを含め、南蛮諸国は秘匿し、耶蘇の連中の態度も改まりそうになりませんから、我々独力で此処に参る事は、出来ないでしょう。しかも、我国自身、此処に来る意味も、魅力も『余り』強く感じてはいない事は、この半年ばかりの時間で、実感しては居りますまいか?」
服部の言葉は、畳みかけた。
そう、眞乘を当地に残す事には、政府(幕府)側でもある服部自身が『反対』の旗幟を鮮明にした。
その様な中、仁八と親方が朝食の支度が調ったことを知らせに降りて来た。が、事情を知る仁八はともかく。この異様な雰囲気を察した親方は訝った。しかも眞乘の手には、手紙らしきものが握られていた。
「ムッシュ村田」
親方は、恭しく師と仰ぐ仁八に、ゆっくりとフランス語で質問しようと試みた。
仁八も、親方が尋ねたき『儀』は察していた。
「なんじゃ?」
しかし、しらっ惚けて、オランダ語で、質問し直した。その仁八の態度で、親方は、何となく事の次第を察した様であった。彼は、それ以上、師に問い質す事は、失礼にあたると考え、質問を止めた。仁八も『股奴察したな』と理解した。
朝食は、日本式(今で言うハイブリッドなモノ)であった、この頃には、美亜もすっかり、此の日本式の朝飯に慣れ、しかも宗右衛門が、主人の奥方の為に、新たに設えていた『箸』の使い方を独力で練習した甲斐を見せ始めていた。彼女と息子を見る、眞乘の表情には、慈愛が溢れていた。
しかし、その場に居るはずの親方がおらず、給仕は専ら、親方の妻に指示された館の下僕が担っていた。
親方は、密に館を出て、リシリューが今いる遥かリヨン迄、馬を走らせていた。彼の計算では、巧く行けば、二日で到着できる筈で、あった。リシリューは、英国に戻った後の侍の動向を密に見張らせていた。
結果、眞乘への文を認めて、親方に依頼した後、アビニヨンから差し障りなく、直ぐ移動できる、最もオランダに近い当地に、美亜の道中警護と言う名目で、侍達により、育成された、フランス最強の手勢を連れて移動していた。卿からの依頼、ビュルシャールには、断る選択肢もなく、美亜も何の疑いも挟まなかった。
故に、この事実は侍達の与り知らぬことでもあった。
「相変わらず、当地の水が行けんのかのう?」
スペックスは、持参した日本茶が、日本で頂いていた『モノ』とは『微妙に異なる味』になっている事を訝っていた。彼は、毎朝朝食は、侍達と共に『摂る』事をフレデリックから下命されていた。
彼の話し言葉には、九州や中国地方の訛りが加わっていた。
しかし、当地の飲み物に飽き飽きしていた侍達には好評でもあった。大人達が朝食を摂る時間、ジンパチは、美亜の脇に置かれた篭の中で朝日を浴びつつ、すやすやと、寝ていてくれる。この子は大した人物になる。全員の一致した見立てであった。
そして、美亜自身、この日本茶の香りは性に合っていた。そう美亜は、再び懐妊している自信があった。
そう言った、全員、ほぼ食事が終わり、茶を啜っている時であった
「スペックスよ、殿下は今日、お見えになるのか?」
やわら眞乘が、質した。侍達は、皆、まさか!彼が仕掛けて来るとは予想だにしなかった。
「はい間違いなく兼本様の話をお聞きにお見えになる筈です」
九州アクセントが残る日本語で答えた。
「左様か。では、それまで暫し休息させて頂こう」
と言うと篭の中のジンパチを取り上げ、自室へ眞乘は、戻った。
勿論、美亜は、空に成って軽くなった篭を手に持ち、その後に続いた。残された侍達に、スペックスは
「兼本様と皆様の間で何かありましたか?」
と尋ねて来た。確かに、何時もなら、妻子より、皆の事を気に掛ける筈の、眞乘は、今朝は飄々と自分の事に勤しむ様に自室へ、そそくさと引き上げる様は、彼の為人を知る者にとっては少し意外であった。オランダ側も、この一行に関する最新の情報を得ている事は、明白であった。
「美亜よ、私に、いや我々の何れかに『当地に残れ』と言う指示が、実は、日本政府(幕府)からも出ている」
自室に戻ると、眞乘は、美亜を横に置き語り始めた。
「しかしその場合、ツールーズいやフランスでは無く『当地』とは、此処、オランダになる。しかもその後、日本への帰還の可否は読めん、最悪、私は、終生当地におらねばならぬかもしれぬ。」
美亜は、彼の、洗練されていないフランス語ではあったが、彼女に真摯に語り掛ける姿が、嬉しかった。しかし、距離は違えども、分かれ分かれになる事は確かであった。どう答えてよいのか判らないまま、吐き気を催してきた。
「如何した?気分が悪いのか?」
眞乘は、自分の言葉が、彼女には少し『きつかった』のだろうか?と訝った。
「旦那様、違います。もしかすると2人目の子供を授かったかもしれません」
美亜の表情は明るく、且つ答えは明快であった。
「なんと!2人目じゃと」
思わず眞乘は日本語で、叫んでしまった。
「多分サン・ジャンス・ド・リュズの時ではないか?と察しております」
美亜は、俯き加減に呟いた。
「左様か」
この日本語の意味は美亜も理解していた。
小一時間が過ぎると、屋敷の小間使いが
「殿下がお見えになりました」
と眞乘の部屋をノックした。
「うむ」
と言うと着物を整えるために美亜とジンパチの横たわるベッドを、眞乘は、後にした。
胸を 開け、ジンパチに乳を与えている、ほぼ裸の美亜は、心細げな表情で、夫が出て行くのを見送るしかなかった。
フレデリックは応接の上座に座り、横の椅子には、儀輔、服部、仁八、宗右衛門の順に席が設えてあった。しかし右側には一席、眞乘用の席を開けてスペックスが席に附いていた。
其処へ眞乘はさも当然とした体で就いた。
「殿下」
席に附くや、眞乘は、やわらフレデリックに向かい切り出した。
「服部殿が国書を持参して来ております。内容は、我々の内、誰かが貴国に残り、貴国が我が国に設置しているのと同じ種類の『商館』を開設する事が希望する。と言うモノでございます。しかし、我々は、当初の目的をスペインや、カソリック(耶蘇教共)に阻まれ、結果、フランスからイングランド経由で、貴国に至り。その間、様々な事物を、客観的な視点で検分(見分)する事が適いました。故に、この我国、国書の内容に、追い其れと従う訳には『参らぬ』と云う判断に至っております。ましてや、この国書を発行された大御所様(家康)は、既に他界され、この国書の内容を裏書きする新たなる命令も承っては居りません」
ここ迄を一気に眞乘は、フレデリックに述べた。侍一行は、眞乘は、共に帰国を希望すると受け取った。スペックスの顔には一瞬の曇りが見え、フレデリックは、苦悩の表情を見せた。
「では、貴方は、身重な奥方と共に、幼き我が子を当地に残し、帰国をお考えなのですか?」
フレデリックの問いかけには、その当事者が眞乘で在り、彼に残って欲しいという希望が、明ら様に出ていた。
「私が残るか否か、と言う事は、述べては、居りませぬ。妻子との生活と言う『私事』では無く、公の交渉で残るのならば、適任者は、政府(幕府)を代表する服部殿でしょう。しかも、私は、この地域に何ら、学ぶ事柄も、希望も持てませぬ。スペックス殿が理解できる日本語で言うならば“八尾萬百の神を有し、万物に対し畏れを抱く、我国と異なり、南蛮では、耶蘇か、否か、と言う白黒で異端を決めつけ、其処から、同じ人種でありながら、考えや、信心が『少しでも異なる』者達に対する寛容、否、許容すら、ございません。ましてや、同じ宗派に属していながら、異人種、少しでも、身形や容姿が異なる者は、奴隷として、其の生き様を完膚なきまでに否定し隷属させる。その様な地域に住む『蛮族』に何の希望が持てましょう。この畏れと言う概念は、恐怖ではなく、畏敬を全ての物事に抱き、貴ぶ。と言う事でございます」
「では其の希望が、此処では持てぬ『その様な当地に幼き我が子や愛する妻』を放置して置く事を厭わぬ。という事か?」
フレデリックも感情的に反応するしか、術はなかった。
「はい、私が、守らなければならない、幼い我が子や妻をもし放置せざるを得ぬ場合、私は一身を掛けて、彼等を守る為に、残る。と言う選択をしても当地では無く、ましてや、貴国と我国の橋立として、その様な公の役目には、就きたいとは思いません」
「と言う事は、我国ではなく、もっと強大な隣国で保護を求めると云う事か?」
フレデリックは、自身の手の内を明かした事に気が付いた
『しまった』と思ったが、後の祭りであった。左側に居た儀輔が、やわら口を挟んできた。
「殿下、客観的に武辺の者として申し上げましょう、兵の能力からして、貴国の兵士は、統率こそ取れてはいますが、私と服部殿が鍛えたフランスの衛視には勝てぬ。でしょう」
隣に居た服部は、深く頷いた。
「また海軍力だけを見ても、隣国のイングランドとは同等程度と判断しております。そしてイングランド海軍は、既に、我々が忌み嫌う、耶蘇の国の海軍力を戦略的に淘汰しようとしています」
儀輔は、更に畳み掛けた
「故に、兼本殿が申しあげるのは、尤もな現実でございます」
この言葉には、スペックスも同意せざるを得ない現実があった。以前、台湾で薩摩(島津)を中心とする日本の侍の攻撃により、倍以上の兵力を誇ったオランダの軍勢は、万全の備えと考えていた砦諸共、駆逐させられた事実を知っていた。
彼に頭の中で、日本の侍=最強と言う公式が成り立っていた。その中でも実戦経験や実力が一番の江藤(儀輔)が、裏打ちして言うのだから、説得力は強烈であった。
スペックスは俯くしかなく、フレデリックは、その彼の姿を一瞥した。
「我国の民に執り、南蛮(南から来た野蛮人)の民は、皆同じに見えまする。一方貴国を始めとする、南蛮諸国は、我々と同じ顔色をした種族を遅れた者として捉え、高慢にも耶蘇の教えで『教導』しよう等と言う『不埒』な考えを持っております。我々は、その様な南蛮人の挙動を多く見ております。その点だけを鑑みても、貴国を含むこの地域との平和共存など考えられぬ、と言うのが、我々の此の旅で得た教訓でございます」
服部は、ついに彼の本音を吐露してしまった。しかしこの言葉に、儀輔そして仁八は、大きく頷いていた。
「殿下、私は、個人的には、服部殿の見方とは少し異なります、イングランドやフランスでは、カソリックやプロテスタントを問わず、学ぶべき多くの蔵書や人物、様々な考え方と出会う事が出来ました。勿論、唾棄すべき浅薄な考えしか持たぬ為政者や教会関係者が、それらの国に君臨している事も事実では在りますが。人それぞれ、と言う我国古来の道徳を基に、方々や其の国の民草を捉えるならば、それは、それで、仕方がない現実。然らば、如何に、この腐った現実や為政者の頭を打破し、民草を、否、国(民)を教導出来るか?を考えれば、宜しいだけか、と、存じます」
眞乘は、宥め好かせる様な穏やかな口調で、フレデリックを導いた。この言葉は、フレデリック、スペックス共にストンと腑に落ちた様であった。故にフレデリックは眞乘の存在を貴重に思った。
「しかし我々にはお返しすべきモノが無い」
フレデリックは呟いた。しかしスペックスは。国家機密である。『航路』と『造船、操船法(航海術)』のみが彼等に足りない物=欲しているモノと言う、考えはあった。しかしそれを与え、日本人、特に侍が、自身が占領した地域に出て来て、活動する事は、危険な事も分かっていた。
「しかも殿の奥方は、同じ種族で、耶蘇でもある。しかも、貴殿らと同じプロテスタントと呼ばれる側に居り、カソリックと言われる側の坊主共から迫害を受けておった、しかし、カソリック坊主の偉い方であるリシリュー様は、信心を問わず、殿の奥方を大切に扱われておりました。故に此処に無事居られるのです」
仁八は、眞乘の言葉を受け、精一杯のオランダ語で、堰を切ったように話し始めた。
その言葉は、宗右衛門にも通じたらしく、彼は末席から大きく頷いていた。
スペックスは、仁八の技術面での能力や見識の高さも認めていたので、彼も又、大きく頷いた。フレデリックは周囲の空気を察し、義兄である現国王のオラニエ公
に、彼等の望むモノを我々が与えられなければ、我々は、彼の知識(見識)を失う事を強く進言し、その事態は、国益を損なう。と確信した。その様な充実した話し合いの場に、息咳を切って、ここ数日、姿を消していた親方が飛び込んできた。
「殿下、我が主リシュリューからの『親書』を承って参りました」
たどたどしいオランダ語で、親方は、フレデリックの前に傅き、書状を奉呈した。
「なんと!」
書状はリシリューが来訪したい。と云う内容であった。既にリシリューと言う司教は、将来のフランス国政にとって有力な存在になるであることは世に知れていた。
其の文面には、日本の侍の事は、一言も触れず、只、彼等の足止めだけが依頼されていた。会談は、基本的に仏蘭を代表する王では無く、その有力な補佐役であるフレデリックと、近い年齢の自身による、意見の交換(誤解の解消)のみ。唯、侍は『第三者的立場』での介添えとして居る事が、希望である旨が書かれていた。
「如何する?」
フレデリックはスペックスに問うたが、彼も眉間に皺を寄せるだけで、答え様も無かった。しかし、眞乘以下侍は皆、意見の交換の後、誤解の解消を『すべき』と考えた。故に服部が
「殿下、大丈夫フランスと言う国家には、我が国に行く為の足がございません」
と、核心を付いた『端的な答え』をいきなりフレデリックに浴びせた。そう、大西洋の対岸大陸(北米大陸)に、微々たる植民領土を有しているとは言え、オランダを脅かす程の、然したる海軍力や、海運の利益は、今のフランスは、維持していない事。彼等に対する周辺国の恐怖感は、其の陸軍力のみである事は、常識であった。
「そうであった」
フレデリックの呑み込みは早かった。
三日後にリシュリューが来訪し、皆で会談を持つ日程が組まれ、その間に、彼は、義兄であるオラニエ公と話す内容や方向性を討議する(決める)事とした。
彼等侍の出航は、今週は無い事が、これで、はっきりとした。しかし二日後に日本に向けた、2本マストの大型スループ船(貿易船)が出る事(本来は、これで帰国する予定で在った)は、決まっていたので、フレデリックの差配で眞乘と服部は、各々、幕府と伊達藩宛てに簡潔な書状を認め、其の船長に託した。
(リシリュー再び)
フランス陣営の到着は、想定外に早かった、しかも、リシリューの引率して来た警護、いや元衛士達は、ツールーズに居住する、プロテスタント(ユグノー)で再編成されており、彼等は、今やビュルシャールの配下、又は、ツールーズに新たなる居を構えた者達であった。要は、此処に来た『カソリック』は、リシリューのみ、以外は、当地のオランダ人と同じ宗派を信じるプロテスタント。彼等が、カソリックの司教の護衛任務に当たっていたのである。彼は、眞乘の為、ヨーハン・ヴァイヤーという医師の書いた本の一部を写本したノートを土産に持参していた。
「ムッシュ兼本、お久しぶりです。今日は、このノートを持参しました。多分、貴方のお眼鏡に適う内容です」
リシュリューは、並み居るオランダ人の眼前で、眞乘を抱きしめ、親愛の情を示した。
美亜は『嬉しく』思い、フレデリック以下他のオランダ人は、あっけに取られていた。
「リシリュー殿、これは?」
彼が手渡した手書きの冊子を眞乘は、訝しげに眺めた。
「はい、これは、ヨーハン・ヴァイヤーという医師の書いた本の一部で、内容を『かいつまんで』申し上げると『カソリックの愚かさ』を論じた本のエッセンスです」
リシリューは例によってフランス人独特の茶目っ気たっぷりの言い様で言い放った。フレデリックもスピックス以下、或る程度教養あるオランダ人は皆、その著者や著作が、分かっていたので、この大教区を治めるカソリック司教の土産としては意外でもあり、この事で彼に対する猜疑心は、少し失せていた。
「左様で御座ったか。では有難く拝読させて頂きましょう」
眞乘は、リシリューの土産を頂戴し、懐に仕舞った。
その間、リシリューの警護の任に当たっていた、衛視は、儀輔や服部、宗右衛門を見つけ、懐かしそうに旧交を温め始めていた。勿論、服部と儀輔に対しては、師弟の関係を崩す様な事は無かった。
この姿が、フレデリック麾下のオランダ兵には、奇異に映っていた。『侍とは、それ程“凄い”存在なのか?』彼等の率直な印象であった。リシリュー卿の警護の任に当たっていたフランス人衛視は、それ程、周囲に威圧感を漂わせてもいた。
「おお!こちらの天使が、貴殿の息子ですか?」
リシリューは、美亜が抱いていたジンパチに十字を切って挨拶をした。この姿は、確かに、カソリックの司教『然』とした物であった。
美亜は片膝をつき、リシリューに礼を表した。
「司教、私はキリスト教徒でもなく、息子もそうするつもりはござらん」
眞乘は、笑いながらリシリューに語った。
リシリューも分かっていますよ。というジェスチャで、その言葉に返答をした。この姿で、周囲の空気は一気に和やかなモノに代わって行った。既に、厳つい装備のフランス衛視達は、武具を外し壁に掛け、隊列を崩して、日本の侍達と歓談をし始めていた。オランダ兵も、この姿と、今の空気感を見て、警護の手を完璧に緩めていた。
「ムッシュ・リシリュー、遠路遥々お越し頂き恐縮至極でございます。私、オランダ国王のオラニエ公の異母弟でフレデリック・ヘンドリックと申します。本日は、兄王の意向を貴殿にお伝えすると共に、我国の存念もお伝えし、貴殿のお考えを吟味する命を受けて此処におります」
「ムッシュ・フィレデリック。そう改まらずに。私は、現フランス国王の代理でも、何でもございません。単なる、無位無官のフランス人で、アヴィニョン教区のカソリック司教に過ぎませぬ。ただ、貴国と我が国の今後の関係は、如何に在るべきかを、国を代表する当事者では『無い』立場で、率直に語り合いに参りました。従って大層な、おもてなしも無用。気軽に、ワインとチーズを食しながら互いの存念を語り合い、懸念が在れば晴らしましょう。丁度、此処には、ムッシュ兼本とムッシュ江藤。そして全くの第三者である、ムッシュ服部もいらっしゃいます、彼等には、公平公正な立場でお互いの存念を判断して頂きましょう。只、私が引き連れてきた警護の者共が、ムッシュ江藤と、ムッシュ服部を我々に預けてくれるかは、解りませんが?」
リシリューは、フランス人達に囲まれて、質問攻めにあっている服部と、儀輔、宗右衛門を横目でチラッと看て、フレデリックに、ウィンクをして見せた。眞乘は、この自身と歳端が左程変わらぬ人物が、食えん奴なのは、変わらんな、と心の中で呟いた。
「我々にとって、眼下の敵は『誰か?』という事を明確化しましょう。其処に、カソリックも、ユグノーも関係はない」
此のリシリューの言葉で、オランダと、フランスの会談は始まった。
「貴国にとって最も大切な事は、スペインからの『完全な独立』ではありませんか?」
リシリューは本題をズバッと投げつけて来た。この言葉にフレデリックは、『事実故』たじろがずには、居られなかった。
「我国が、如何なる陸上や沿岸部でスペインの通行を、手段を択ばず阻止し、其処へイングランドが、ドーバー付近を海上封鎖という形で、呼応すれば、貴国の独立と、安全な通行は、先ず、保障されます。」
リシリューの配下は、イングランドに於ける眞乘達の動向を完璧に把握していた。その情報を基に、リシリューは、オランダにとって、魅力的な提案をして来たのだった。
「しかし、リシリュー殿、貴殿の存在も、ましてや、我々が貴国に滞在していた最中も、貴国が我が国の様に一枚に統一されているとは、思えなかったぞ?」
オランダ語で眞乘は、質問をぶつけてみた。
「左様、故に過日の貴国での滞在中や先程も、貴殿の配下は、儂に忍びの術(諜報技術)を仕切りに尋ねて来た」
服部が、眞乘の言葉にオランダ語で、遠くから呼応した。流石に彼に耳は、良く届く。
「うむ、貴殿達は『我々の話し合いにコミットをしない』と云う、約束で、殿下との会談を申し込んだのだが、こうなっては、仕方が無いですな」
リシリューは“しめた”という表情でフレデリックを見遣った。
眞乘以下侍達は『仕舞った!又、嵌められた!』と感じたが、もう後の祭りで会った。話は、リシリューの筋書き通りのペースで、進んでいく事となった。
「我国王は、貴国の宗教である、プロテスタント(ユグノー/カルビン派)とは対極のカソリックを信奉しておる。故に、カソリックを『国教』と定め、斯く云う私目も司教の職に在ります。しかし我が敬愛する前王(アンリ4世)の勅書により、国内でユグノーに対する弾圧は『してはならない』事にも、なっております。又、カソリック司教の身では在りますが、我国の問題は、ムッシュ兼本が、ご指摘されたように、宗派を所以(言い訳)として、王の指導の下、フランスが一致して、行動が、採れない事で、貴殿等にも、ご迷惑をお掛けしていると思います。」
「それは貴国が、我々に比べ“柄(領土)”が大きい。と云う事も起因しているのではないでしょうか?」
フレデリックは、質問の形で呼応した。
「如何にも。スペインや、ムッシュ兼本のお国の様に、為政者が強権を維持できていれば、国土の大小は、関係は無いのですが、それが出来ない。維持をさせない勢力が存在しているのが、問題です。しかし、そのおかげで、今回私が引き連れて参った警護の様な存在も、一定数おり、私が、彼等の存在を支持し理解している様に、彼等もそうであります、このおかげで、殿下の配下の皆様に猜疑心を持たれず、私が、私の立場のままで、当地に於いて、此様に話が出来ているのも事実では在ります」
リシリューは、フランス語では無く、一気に、大きく、周囲に聞こえるような流暢なオランダ語でまくし立てた。
「リシリュー殿、そして殿下、イングランドの宰相ベーコン殿の考えに此の様なモノが御座います。『人間の知識と力は一致する、とは謂うものの、原因を知らなければ、結果を生み出す事もできない』この御仁、ベーコン殿が、イングランド政府で健在な限り、イングランドは、貴国の友足り得ると存じます。然るに、今回の、彼等を追い出す方法は、頂けなかった。しかし、そのお詫びと言う『体』で、イングランドへ行く方便は出来ました」
眞乘は続けた
「友ならば、誤りを正すのに遅過ぎる事はない、しかしその素振りや気配を見せない事で、相手との関係を永遠に失う『愚』は、犯すべきではありません。置かれた立場や立ち位置で、モノの見え方は変わり、誤解は生じ易いものですが、人それぞれに立場や環境で、考えは『異なる』と云う事実を受け入れ、其の上で、お互いが妥協できる点で、一致しましょう。先ず、明確なのは、この地域に於ける、我々の言う南蛮。スペイン・ポルトガル(ハプスブルグ)の勢いを如何にして弱体化させる事でしょう」
そこに居る全員が頷く話であった。軍師としての眞乘の存在。彼の持つ知識(叡智)は、リシリューやフレデリックにとっては、棄て難いと感じさせる、瞬間であった。
しかし、この言葉で、彼等は、完璧に、この問題に、コミットせざるを得なくなってしまった。
「然るに、ムッシュ兼本。我が国で、王権を伸長させるには、どの様な算段があるかのう?」
相変わらずリシリューの質問は、率直であり、彼等が、今、問題の一方の当事者になる事は『想定済み』と言う格好の質問であった。
ここでフランス人警護の元から離れられた、江藤(儀輔)が割って入った。
「リシリューよ(彼は年功序列を貴ぶ人間であった)儂の見立てでは、貴国の兵は、大した事は、ない。しかし、儂等の鍛えた弟子達は、そこそこの能力を示すであろう。(と後方を見遣った)勿論、練兵に関しては、だらだらと『鍛える』のではなく、計画を逆算し、期限を定め、幾何かの脱落者が出る事は、予め想定しておかねばならぬ。練兵が適った兵等を使い中央軍を整備する事が肝要じゃ。そこに、其処下の様な、まともな指揮官が指揮さえできれば、それ等が、地方の領主の兵を倒す事は、朝飯前である。ただし、美亜の住む街、そう、ビュルシャール(ツールーズ)の街、儂の弟子共の守る街は、そう簡単では無いぞ!」
儀輔は、笑いながらワインを煽った。
しかしリシュリューは笑っていなかった。
「では、ムッシュ江藤が指揮官ならば、どのように攻めます?」
「そうさなぁ、王命で、先ずは、有力な、貴殿等に取って目障りな、領主共に、居城や砦の破却を命じ、王命に、従うか、従わぬか?を判断する。勿論、これも『期限を定めて』な。その様な事から始められるとよいであろう」
儀輔は、事も無く言い放って、又一杯煽った。
「『策』には、遠交近攻策。と言うモノが御座る。まずは何処から攻めるかは、確と吟味せねばならぬ。一気呵成で、全てを一気には、得策ではない」
短く、やっとの事で、警護の元から離れられた服部が、補足を言い放った。戦術レベルでの話し合いは、この二名の方が長けているが、実際『その通り』とリシリューは、感心していた。
「反抗的な領主共の支配下にある街の『選択』に際し、王の、好き嫌いや宗派が『同じ』『異なる』と言った、恣意的な観点を混ぜては、損をするぞ。あくまで公明正大。誰もが納得する形で、フランス語を話す同胞に、その理由を広く伝え、公平公正に決定過程を公開し、攻め滅ぼすべき街(領主)を選択する事を忘れてはならぬ。しかも服部殿が、申した様に先ずは、王城から最も遠くに在る街から始められるのが肝要じゃ。しかし、その際、無関係な、同じ言葉を話す市民に犠牲を強いれば、そこに、新たな恨みが生まれ、虐げられた奴らが、新たな敵に成り代わり、下手をすれば、王に代わって台頭して来る事は、忘れてはならぬ。あくまで、この戦いでは、一般民を傷つけず、味方にする事が、肝要じゃ。が、破城に際しては、周囲の領主共を震い上がらせる効果を期待して徹底的に、完膚無き迄にする事も肝要じゃ」
織田の一向宗対策や、伊達政宗が奥州を統一するに当たって、心掛けていた事を、儀輔は、恰も我が事の様に語っていた。
これには、眞乘は、苦笑するしかなかった。しかし、服部は大きく頷いていた。
「リシリュー殿、王権の伸長では無く、フランスという地域にとって、如何に振舞えば、此の地でフランスと言う総体の『意』を通す事が出来るのか?結果としての『王権の伸長』こそが、目指すべき方向性でしょう。其処に地域の安寧(平和)と言う絶対的な信念を掲げねばなりません」
眞乘の意見は明快であった。
「服部殿の頂く『徳川』が、日本を統一し、我が伊達すらも、徳川の総意に従っているのは、その結果でござる」
この言葉には、服織も大きく賛意を示し補足した。
「実に、絶対では無く、相対的に、域内に於ける最適解を見出すこと事こそ、肝要でござる。」
「正に『小異を捨てて大同に付く』じゃな。」
儀輔も相槌を打ち。日本語で、懐紙に
「極意」
と認め、リシリューに渡した。服部も、懐紙に
「覇道と王道」
と認め、覇道にはX印を付け、リシリューに渡した。そう、彼等は、この哲学(漢字)の意味を彼の部下であるチェン(程)と『語り合え』と言っているのであったが、フレデリックにとっては、懐に忍ばせている紙は、この様にも使える事、それにも増して、侍達が、ベルト(帯)に吊り下げている、筆記用具が、斯様に素早く使える事に、驚きを隠せなかった。このスタイルは、我が軍でも採用すべきと考えた。
『彼等には、この様な些細な事でも、学ぶべき点が多い』呟かずにはいられなかった。
「リシリュー殿、貴殿の敬愛するアンリ王のご子息は、貴殿の目から見て、フランス語を話す民を統べるに相応しい御仁か?」
眞乘からは、リシリューの心眼を問う問いが発せられた。この答え(方)如何で、彼は、リシリューの存念を判断しようと考えた。
「ムッシュ兼本。難しい質問ですね。確かに我が国は、異なる宗派を信じる民が『混在』しており、各々世俗の安定と、経済的伸長を捗る両輪のような存在です。我が、敬愛するアンリ様は、故に両者に等しく権利と平等をお与えに成った。然るに、現王は、純粋な、カソリックで在り、プロテスタントではありません。しかし彼は、父の教えに従うならば、例え、彼の妻が熱心なカソリックであろうとも、ユグノーの民の信仰の自由は、奪う気はない。と考えます。信仰とは、心の拠り所であって、行為の選択に際し、全てを成すものではない。全知全能では、在ってはなら無い。と『私』も『現王』も、考えております」
リシリューは噛み締める様に、ゆっくりと考えながら話した。
眞乘は『やはり貴奴は、現実主義者だ』と安心した。
「では貴国(王)は、我国と宗派は異なれども、お味方頂けるのですね?」
フレデリックは、直裁に話した。
「oui」
リシリューも簡潔にフランス語で答えた。
「但し、私が、中央政界に無事に戻れれば、の話です」
エクスキューズも、付け忘れなかった。実際、彼が宰相として中央政界で、完璧な権力を把握するのに、あと数年の年月は必要であった。
日も暮れて来て、リシリューが、手土産で持参した、鴨が焼き上がっていた。そうビュルシャールは、ツールーズで仁八の薫陶を受けたシェフを護衛の中に紛れ込ませていた。
「うむ。得も言われぬ『此の香しい』香り、ムッシュ江藤、自慢のワインも持参しております」
この、リシリューの言葉は、儀輔の心を射抜いていた。二人は、並んで食堂へ向かい、その後を皆が、ゾロゾロ付いて行くしかなかった。
銀製で、磨かれていた『カテナリー類』も、リシリューは、既に、人数分用意してあり、その中には、美亜と眞乘の分も当然含まれていた。
仁八は、ロンドンで自身が作らせたモノとしっかり比較吟味していた。
「ムッシュ宗右衛門。如何かな?貴殿が母国で貴族階級が使用していた銀製品の食器、これで毒の有無が分かる。と言う言葉を覚えていたので、ビュルシャールが、ツールーズの職人に命じて作らせたものです。使い心地はどうかな?」
リシリューと傍に立っていた親方は、宗右衛門を向いた。
「私の様な者の言葉を覚えていて下さるとは、感激です」
宗右衛門は、拙いフランス語で懸命に礼を言った。リシリューと、親方に『その言葉』は通じた様で、二人は、にこやかな表情を向けた。白丁(奴隷階級)であった自身が、日本以外に、当地でも此の様に言葉や、考えを採ってくださる、方々がいる。自国の教条主義に凝り固まった為政者との差を宗右衛門は再び『しみじみ』と感じていた。
「さてマダム美亜、お主の加減は如何かな?」
今晩のホストは、リシリューであった。
美亜は悪阻こそ、まだ出ていない物の、味覚が変わった自覚があった。この鴨の油の匂いは、残念だが頂けなかった。
「はい、以前は、鴨は好物でしたが・・・」
と言うと美亜は、席を立ち上がり、陰で戻していた。
この様で、独身で経験の無いフレデリックを除く全員がミアの変調の意味に気が付いた。
「兼本氏」
スペックスは、眞乘に問い質す様な口調で、日本語で問いかけた。
「奥方は、もしや懐妊されているのでは?」
「はぁ、左様に儂も感じておった」
眞乘も仕方なく答えた。
「では、奥方は同道できぬのでは、ないのか?」
服部の質問は、明らかにそう望む。というトーンがあった。
フレデリックや、リシリューが怪訝な顔をしたので、儀輔が、ここ迄の遣り取りを掻い摘んでオランダ語で説明した。
「お主も、なかなか好きよのう」
ニッパチの間柄を垣間見せる儀輔の言葉に、眞乘も俯くしかなかった。
この言葉と意図を服部が意訳すると、周囲には、笑い声が広がった。
「さればで、御座る」
スペックスは、日本語で眞乘に問い質した。
「服部殿の申す、当座の商館長の大役は、兼本殿しかおらんのではないかな」
この日本語の凡その意味は、リシリューにも伝わった様で、すかさず
「Non」
という掛け声が掛かった。
やはりリシリューの来訪目的は、ここに『在った』という事が、フレデリック以下、この場の全員に、伝わった瞬間であった。
笑い声が響いていた、食堂の空気が一瞬で静まり返った。
江藤、服部は、兼本(眞乘)の留任に関して、異議は、全く無かった。
寧ろ、美亜やジンパチの事等を考えれば、彼しか適任は、居ないと考えていた。
しかし眞乘配下の村田(仁八)と金本(宗右衛門)の胸中は
「甚八郎よ、其の方の麾下の面倒は、儂が、責任を持つ。安心せい」
と儀輔が、言葉を掛け、服部も横で頷いては、いたし、心情的には、『殿は残るべき』とは、解っていながら『複雑』であった。
「リシリュー殿」
フレデリックは、リシリューに相対していた。
「貴殿及び貴国と日本との間には、正式な国交は無く、ましてや、行くためのルートも商館すらない」
「然るに、貴殿が『否』と申す理由は如何なものか?」
尤もな質問が、フレデリックから出た。もう、こうなると、兼本眞乘は、当地に残る『者』としての話し合いに成っていた。
「殿下。仰せの通りでございます。もしムッシュ兼本が日本の代表として残るならば、当地意外に適地はございません。それは道理でございます。」
リシリューの答え方は、『慇懃』だったが、フレデリックの言葉を全く否定はしていなかった。
「しかし、マダムは、当フランスの民であり、我が配下の元に生活の基盤と、本拠が御座います。ここをどう算段するかが、私目の来訪の意図でございます」
リシリューは、フレデリックの“思いも寄らぬ”方向から攻めて来た。
「私としては、宗教的にも、貴国の国教である宗派を信じるマダムを、カソリックが国教のフランスに長居させる気等、毛頭ございません。しかし、直裁に、事を荒立てるのは、『愚の骨頂』か、と存じます」
リシリューの言は尤もであった。
「ムッシュ兼本は、数年で任地を離れ帰国するとも思えません。然るに時間を掛けて最適解を話し合うのが、賢明かと存じます」
既に、眞乘の意向など無視して、彼の存在の取り合いを話そうと云うのか?眞乘は、少しむっとした表情を見せた。彼の表情の変化をリシリューは見逃さなかった。
「Ouムッシュ兼本、申し訳ない。貴殿のご意向を無視して話を進めてしまいました」
リシリューの人誑し足る一面が、此処でも発揮された。
「しかし、貴殿は、マダムをどの様に処そうと、お考えなのか?そこは、私の、最も興味のある処です。どう見ても、マダムは、貴殿のお子様を再び懐妊されている御様子。放置されてしまうのですか?これは、キリスト教の司祭として、お答え様に依っては、態度を改めなければならない点でも、あります。」
リシリューは、超現実主義者のくせに、都合の良い時に、カソリックの司祭と言う立場で発言をする。しかし、此処にいる南蛮人にとって、カソリック、プロテスタントを問わず、女性、しかも妻そして、胎児の存在と言うモノは『尊重されるべき現実』である事は、知識としても、イングランドでの経験上でも、常識である事は、眞乘も十分認識していた。此処で、彼女を放置する選択肢は、眞乘にはなかった。
(八百万の神)
「儂は、貴殿等、当地の考えに立つ者では無い、貴殿等の常識は、我々には、常識としては通用せぬ。この一点を先ずは、念頭に置かれ、以下に我が存念を述べる。これが、現状で御座る事を認識頂きたい」
眞乘は、先ず頭に、この言葉を持って、皆を沈めた。そして以降の言葉を聞き及ぶに至り、リシリュー及び、此処にいる侍以外、
『兼本殿が、オランダに残る覚悟を決めた』と錯覚した。
「もし誰かが残らねばならぬ場合、儂が残るのが、順当だろう事は、理解している。」
「しかし」
この言葉以降を聞き、皆は、眞乘を残すべきか迷いだした。
「我々は、貴殿等と異なり、神や真実は『一つでは無い』と、考えておる。それぞれの立場や思惑で、其処には『貴ぶべき』モノがある。それをして、儂等は『神』として祭り讃える。」
「故に、儂等は、木々に宿り、石を貴び、動物にさえ惧れを抱く」
「『八百万の神』の存在を認めておる。神はイエス(ゼウス)や御仏だけでは無いとな。この世には、絶対神など『在りはしない』全て相対的、相対で考え、捉えなければならぬと考えておる。故に、儂に執り今最も大切な、美亜が、そして子供達が、儂を必要とするならば、此処に残る事は、吝かではない。しかし、それは、貴殿等の為ではない。貴殿等が、我々にとって、些かなりとも、有益ならば、利用させて頂く。その程度の力は、持合わせておると、この期間に判断できた。」
「では、ムッシュ兼本は、奥方の為に残ると考えてもよろしいのですね?」
リシリューは、彼の『主』の命令と、彼が抱えている現実。何れを選ぶか、値踏みをした。
「儂がおらぬでも、三八郎と服部殿が正しく当地の値踏みはし、上様に報告をするじゃろう。その内容に、些かの迷いは、ない。只、上様、及び伊達家が、その報告を如何様に捉えるかは、儂の関知する処では無い。が少なくとも、南蛮貿易に際し、当地か、イングランドが、窓口足るべき。と言うのが儂の結論じゃ。貴奴等が、この考えに、些かでも疑念があるならば、儂も戻らねばならぬじゃろう。スペイン・ポルトガル、そして耶蘇は、排除すべき、怖ろしき『教え』を内在し、掲げる『夷狄』で在り、残念ながらリシリュー殿、フランスも、その仲間と看ておる。其方は、良い奴じゃが、耶蘇、それも、カソリックは、いかん。」
リシリューの口元には、うっすらと笑みがこぼれた。
「ムッシュ兼本、お褒めに預かり、光栄です」
「では、少し私の我が身の致す処をご説明させて頂きましょう」
リシリューは、ゆっくりとした口調で、『此処』での共通語である、オランダ語を使い始めた。
「カソリック。と一言で申し上げても、今、日本に布教と称して、潜入してくる連中は、イエズス会と言う。スペインやポルトガルの国力(武力)を背景に、教えを進める『教団』で在り、私の属するフランシスコ会とは、真逆の性格を有する者達です。」
「我々は、神(聖書)の教えに従順に従う、結果、個人としての、一切の所有を禁じ、不足する部分に関しては他者からの喜捨を頼る事としております。そう、カソリックと、一言で括る事は、お控え頂きたい。我々もそれぞれ、信じる『道』を進む者なのです。」
「我々は、何故、プロテスタントが、我々から、派生したか(その理由を)を存じているが故に、物欲に走った教団の存在を深く恥じており、ですから、彼等ユグノーと呼称された方々の存在も認めております」
此処で、リシリューは、静かに唱えるように説明した。
「足らざる部分を喜捨に頼る。悔い改める事を本質としております。故に、知己を得る事を大切に考えております。友を殺す様な、愚かで、惨い(むごい)行為を誰が出来ましょう。そして、友に人種や国境の違い等は、在る筈も御座いません」
リシリューは、きっぱりと言い放った。
「左様、一旦、友と成れば、争う事は無く。共存する為に、お互いの知恵を働かせる」
儀輔が、珍しくリシリューに同意する台詞を吐いた。
「それが『極意』で御座る」
フレデリックに向かい、儀輔はゆっくり懐紙に書いた言葉の意味を伝えた。
「では耶蘇の司教としての、リシリュー殿に問う。これは将軍の先代に当たる太閤と言う方が、布教に来ていた耶蘇の坊主に問うた質問のうちの一つだが、貴殿ならば『どうお答えになる?』」
眞乘は、皆が、リシリューに篭絡され始めた。と認めた、頃合いを見計らって質問をぶつけてみた。
「なぜ南蛮人は、多数の日本人を買い、奴隷として国外へ連れて行く様な事をするのか?これは、我が、主君が、亡き太閤殿下から、直に聞かされた言葉でもある。お主ら南蛮人は、異教徒、異人種を自らより、劣った種であり、キリスト教の力で教導してやるのだから、多少の荒事は構わぬ。と言う、奢った考えが根本に、在るのではないか?笑止。」
珍しく、最期の言葉は日本語を使い、眞乘が儀輔の様な振る舞いをして見せたので、スピックスも、驚きを隠せなかった。『笑止』と、侍が、最後に言い放つ場合、これ以上の論議は無駄である。と、話を打ち切る場合の用いるのが常道。という事を彼は知っていた。
これはリシリューの返答次第では、兼本の様な人格者でさえ刃傷沙汰=偉い事になると、怖れを感じていた。
「ムッシュ兼本。それは、二百年前のローマ教皇ニコラウス5世が、当時のポルトガル王に許可したサラセン人(イスラム教徒=異教徒)を攻撃、征服そして、服従。要は、人として扱わなくても構わない。為の『道徳的な許し』を与えるのに発した言葉を彼等(スペイン人やイエズス会の信徒)が、未だに、都合よく活かして於いた為でしょう。そうスペイン、ポルトガルの王は、自身の“野蛮さ”に道徳的な肯定感を持たせるために、その詔勅を活かし続けているだけです。しかし、その様な、『大昔の勅令』は、我々(フランシスコ会)にとっては、無意味です。」
流石に司祭だけあって、リシリューの知識に基づく解説は、鮮やかであった。
「我々は違う」
リシリューは、最後に付け加えた。
「真。左様か?」
珍しく眞乘が日本語で呟いた。
「イエズス会とフランシスコ会は、宗派は異なれど、同じ様にローマに忠誠を尽くす身では無いのか」
眞乘は、ここはオランダ語で畳掛けた。
「儂等は、貴殿等と事を構える事が出来るほど『暇』ではない。只、貴殿等が、その気ならば、駆逐できる力がある事は、この度、確信した。が、その様な時間と体力があれば、将軍が我々の前に見せた理想である『厭離穢土欣求浄土』即ち、百年にも渡った、戦で荒廃し疲弊した民の世を(穢れた現世を)清らか(平和)に致すために儂等は、生かされておる。儂はこの理想の為に生きたい。と云うのが望みじゃ。然るに貴殿の『望み』と、儂のそれに、重なる部分は在る也、無し也」
この言葉に服部は頷かずに、そして儀輔、仁八は、感心せずには、いられなかった。
フレデリックとスピックスは、この目の前に居る、日本の侍の知識と見識の深さに『その様な事は、考えた事も無かった』と思わざるを得なかった。
「ムッシュ兼本」
しかしリシリューは、目に涙を浮かべながら、眞乘の手を握り
「oui」と頷いた。
「貴方の、その英知と経験を、私共にお貸し頂けないか。実の事を云えば、我国の人々の心は、貴殿の国に、百年は遅れていると感じています。『教え』も然りです。未だに、互いは、己の正当性『のみ』を主張し、互い(の存在)を認め合わず、些細な差に拘泥し、互いに、その『存在』を消したがる。と言う『愚か』な行為を『是』としております。私は、聖職者として、その様な『悪意』から少しでも離れたい。と考えては、居りますが、置かれている立場と環境が、稍々(やや)もすると、ある種の立場へ、立たせ様とします。そう孤独です。ですから貴方に、貴方の英知が、私の傍に居て欲しいと強く念じる事が、儘在ります。友として師として、貴方の存在は、既に私の中では小さくは、無いのです」
『この人たららしめ』眞乘、儀輔は、お互いに目を合わせながら、このリシリューの演技を受け取っていたが、この言葉は周囲を納得させるには十分な力を持っていた。その中には、ジンパチを寝かしつけて階下に降りて来ていた、美亜もいた。
オランダ語の演説故、完璧に、その内容を把握したとは言えないが、夫の手を握りしめ、目に涙を浮かべた、フランスでの自身の『守護者』の姿は、感動を覚えざるを得なかった。フレデリックも、人としての眞乘を此処まで買っている、隣国の大物の姿には感動すら覚えていた。
「皆様。我が国の船の出航を数日ずらす事は、今の時期ならば、私にとっては、造作もない事です。暫し、皆様のお時間を某に頂けませんでしょうか?」
フレデリックは、いきなり、会話に入り込んできた。
「して如何程所望じゃ?」
尤もな質問が、服部から発せられ、スピックスが、それを訳しフレデリックに伝えた。
「そう経緯を書いた書状を認め、発送後、国王に拝謁し、相談させて頂きたいので七日程」
順当な時間であった。
「一週間か」
仁八は後方で唸っていた。『航海の為の準備期間としては十分』と言う考えがあった。しかし、リシュリューは困った。
「殿下、一週間当地に滞在する事は、引き連れて来た者共だけでは無く、私めにとっても少々差し障りが御座います」
「差し障りとは何ですか?」
「はい、彼等の当座の路銀が枯渇します。又、私は、一週間と言う長きに渡り、教区であるアヴィニョンを留守にする事は、出来兼ねます。」
尤もな理由であった。従者の費用に関しては、当方が工面する事が出来ても、リシリューの教区の司教と言う立場は『絶対』である事は、常識的にフレデリックやスピックスには、理解できた。
「ほう?リシリュー殿。其の方、拙者には『無理を言い立て』ご自身は、その立場を揺るがす事は出来兼ねる。と申すのじゃな?」
眞乘は、ここぞとばかりに慇懃な態度で、リシリューに問うた。
此の言には、流石のリシリューも、冷静では居られないと考えた。
「はい、ムッシュ―兼本。貴方の仰る通りです。この言い様は、私の『我儘』をお聞き入れ頂きたい。との申し出に外なりません」
リシリューの返答は、眞乘の予想に反して神妙であった。
「貴方の存在は、私には非常に大きく、アンリ王亡き後、余人を持って替え難い存在です。しかし、私は、私を待つ人々にも、責任が御座います。此処で私が、彼等の信頼を裏切るような場合、もし、貴方との関係を彼等より優先させた場合、貴方の存在自体が、彼等を裏切らせたという事になります。それは、私の選択肢には、入りません。これは、司教と言う立場以前に、人としての在り様の問題でもあります。」
この人誑しが珍しく、本音を吐いた。と儀輔は感じたが。手を握りしめられ続け、相対していた眞乘の受け止め方は、少し変わったようにも見受けられた。
「三日ですか…」
フレデリックは困惑した表情を漏らしていた。今から、自身で馬を飛ばしても北の首都アムステルダムならば、半日で着く、明日一日兄上と話す事が出来れば、二日目の夜には、戻って来られる。
「判りました。では三日は下さい。三日目の朝この件に関して最終的な判断を致しましょう」
と言うと、フレデリックは、数名の警護と共に、慌ただしく、ロッテルダムのゲストハウスを後にした。警護の内の一名は、より足の速い馬に跨り、大まかな事情を認めた、フレデリック直筆の短めの書状を持って、国王の元へ向かった。この書状が、兄の元へ届き、只でさえ決裁事項に追われ多忙な兄が、私の為に時間を作って貰える事を祈りつつ、彼も続いて馬を飛ばした。
一連の、慌ただしい空気の中で、自然と午餐の時間は、散会となり、各々が、赴くままに行動をし始めた。
真っ先に、部屋を出た服部の元へ、フランスのリシリューに引き連れられた、ビュルシャール麾下の、ツールーズ兵が、集まって来た。こう成ると、服部教室の再開校であった。中でオランダ語が堪能な兵が、主に、服部と兵達の通詞として彼等の仲立ちに入っていた。
そうなると、オランダ兵も同じで、儀輔が、因果を含めようと伴って来た宗右衛門共々、オランダ兵が、取り囲み、二日前の事件に関して、解説をせがんで来た。彼等は儀輔、宗右衛門共にオランダ語が、フランス語より流暢である事。しかも、ここには、日本語が達者のスピックスがいたので、質問の仕方にも、配慮こそ有っても、遠慮が無かった。
此処で、江藤教室しかも宗右衛門とスピックスと云う、完璧な助手が付く。も再開校する事となったのは、自然な流れであった。
仁八は、親方が離れなかった。しかし、仁八自身、帰国迄に、準備しなければならない物が、当地で?どの程度入手可能か?を一刻も早く調べたかったので、此の腰巾着を振り払う様に、ゲストハウスの使用人に此の街の市場への同道(案内)を強く依頼(ほぼ強要)し、此処で入手できる物は何か?を調べたかった。
そう、彼も、唯の使用人ではなく『屈強な侍』の一人である事は、知れ渡っていたので、ゲストハウスの使用人は、その申し出を断る『選択肢』は、持ち合わせていなかった。
静かに成った食堂で、リシリューは『未だ』眞乘の手を離さず、じっと彼を見つめていた。勢い、横の椅子には、美亜がいた。
この『粘ちっこさ』が、人誑し足る所以でもあるのだが、眞乘は、敢えて、その手を振り解こうとはしなかった。
故に、美亜を除く周囲の人間は彼等を放置していた。
仕方なく、眞乘は、握られていない左手で杯を取り、残ったワインを一口、口に含んで言い放った。
「其の方」
珍しく眞乘はリシリューを代名詞で呼んだ。彼はリシリューとの関係をあく迄、客観的に捉えようとした。
「自身が、他から、どの様に見られ、捉えられるかを演出しておるな」
眞乘には、ほんの少し悪意があった。
「佳かろう。しかし儂は、儂の今迄、積み上げてきた経験と知識を通して其の方を見ておる。確と心得えよ」
「然るに、其の方の申し出は、有難く受け止めては居る。しかし、其の方が属する『団体』全てに、懐疑的な裏心を感じずには、居られぬのも事実じゃ」
「故に、其の方を『友』として遇して佳いのか、胸襟を開くべきか、悩んでもいる」
リシリューの目には、既に涙は無かった。そして顔が、徐々に紅潮しているのが自覚できた。
「ムッシュ―兼本。貴方には何も隠せませんね。仰せの通り、私の第一義であり何を於いても、達成しなければならないのは、亡き先王の意志を継ぐ事です。それは、フランスと言う国をこの地域で、第一の国に仕上げる事で在ります。その為には、教義等、どうでも良い。先王は、そもそもが、ユグノーでした。しかし国を纏め上げる為に、カソリックに改宗した。其処に、教義への敬意等、一片も無かったのです。私が、司教職。しかもフランスでも大きな教区の司教職に固執しているのは、カソリックの為でもなく、ただ、我国を一つに纏め上げる為『のみ』であります。貴殿が私にとって必要なのもその為と申し上げても過言ではない」
眞乘は『やはり』と頷き得心した。
「では、儂が其の方に示唆を与える事が出来れば、儂の居場所は、何処でも構わぬ。という事じゃな?」
リシリューが、珍しく、一瞬だが、逡巡の表情を見せた。
「しかしムッシュ、それは物理的には難しいと思うのですが」
と言い返すのが、精一杯で在った。
「その昔、漢の国に諸葛亮公明と言う賢者がいた。彼を自身の軍師に迎え入れる為に、時の権力者、劉備玄徳は、三顧の礼を要したという。貴殿の部下のチェンも良く知る、我が地方では、常識となっている故事じゃ。帰国後、チェンに詳しく内容は尋ねてみるが良い。然るに其の方は、三顧の礼は、尽くしたとは思えぬ。依って、このお話は、ここ迄とし、預からせて貰う。全ては、殿下がお戻りになってから決める」
其処で、眞乘は、リシリューの添えた手をそっと解き、後ろに座っていた美亜を伴い自室へと引き上げた。
その後ろ姿を目で追う事しかリシリューには、出来なかった。
(アムステルダムにて)
フレデリックが、兄王マウリッツ・ファン・ナッサウの居館に到着したのは、夕方前であった。兄王は、既に彼のメモを読んでおり、事情の凡そは把握していた。フレデリックは、数年前、イングランドとフランスの間で結んだ軍事条約の結果、スペインを抑え込ます事を達成したこの『異母兄』を尊敬していた。同様に兄王も、彼が立場上、持ち合わせない、義弟の鷹揚さが好きであった。兄王が、今自国軍の強化に熱心な事を巧く着いた彼のメモの内容が、故に、マウリッツ・ファン・ナッサウに執って、優先順位が高くなっていた。彼も又、弟の説明を今か今かと待ち侘びて居たのである。
フランスとの軍事同盟に際しては、先代のアンリ4世の間で結ばれた条約であり、その際の宰相は若きリシリューがいたが、今、彼は排斥されている。そのリシリューが絡んでいる一件であることも、彼は気になっていた。
「現ルイ13世は、カソリックで在り、彼の妻は、その中でも原理主義的なカソリックだったな」
思わずフレデリック到着までの間に余計な事も詮索してしまった。彼自身は、厳格なカルビン派のプロテスタントでもあった。
「兄上」
国王ではあるが、当時からオランダは、スペイン王国との対抗上、プロテスタントのオラニエ公をして国王として推戴しているに過ぎず、実態は、世俗主義であり、共和制にかなり近い政体の地域(国家)で在った。故に、彼自身、自分を国王とも思わず、今風に言えばリーダー(国の舵取り)程度の者と捉えていた。
弟にも公式の場以外では、兄弟としての関係で構わなかった。その様な関係性を持つ二人が、今。眞乘に関して意見交換をしようとしていた。弟として、此の向学心の強い、兄の元に。博識で、諸々の経験を積んできた、見識が高い兼本氏を相談相手として措く事は、リーダーとしだけではなく、この地域の正確な舵取りを任せるには、必要な要素と捉えていた。
当初は、スペインとの対抗上、インドや、インドシナ地域の香辛料入手や、大陸との交易に際し、中継基地程度の扱いでは、あったが、兄は、兄で、立場上、産物だけでなく情報等諸々が入手できる、東方の地区で、最も強く関係性を維持しておかねばならない、対等な、貿易相手国であり武力を持つ国。且つ『国際情勢』を考える相手は、日本しかいない。と判断していた。
そこから来た人物を弟が、どの様に評価しているのかは、何を置いても質さねばならない一件であった。スペインは、国家機密として秘匿していたが、既に、彼の『耳』に入っていて、正確な状況判断も済んでいた、スペインの最高の植民地であるメキシコに於いて、僅かな数の、日本人。しかも半数以上が、商売関係者(戦闘がメインの者ではない)、それがスペインの正規軍が中核をなす勢力。(しかも、人数は倍以上で、城壁を有していたにも拘らず)と相対し、蹴散らしてしまった事件は、衝撃で在り、しかもそれを交渉で、引き下げさせたのは、日本の『侍』。彼等の持つ、軍事力と、統率力は、オランダ国軍の軍事革命と、後に称される事業を強力に進めている彼に採っては、この目で、実物の日本の侍。
しかも弟の報告によれば、同じ地域(伊達)の、その中でも、弟の判断では、最高・最良の人物の能力は、その判断が事実であるならば、是非とも傍に置いて措きたい素材でもあった。彼は、矢も堪らず、階下に弟を出迎えていた。
マウリッツ・ファン・ナッサウはフレデリックをしっかりと抱きしめていた、そして肩を抱きながら、階上の執務室へ招き入れた。
此の所作で、フレデリックは、兄が自身を待っていた事が確信できた。
「そうか、フランスのリシリュー殿までも直々に来て、彼を欲しておるのか」
オラニエ公に執っては、それで、全ては決まりであった。しかも弟の言によれば、引き連れて行った衛視の中で最も屈強な兵が木片の一撃で、当分使い物にならぬ程、打ちのめされた。しかも、此方は、真剣と武具を装着していたにも関らず。とか、イングランドの賢人である、フランシスベーコンの書籍は、既に、頭にある上に、そのベーコン卿とも、知己がある事実。其の上イングランドの、政府中枢にいる人物とも関係が深い事。
そして、何よりも、彼自身、日本に於けるカソリックの布教活動を見て、又、植民した地域の『現地人』に対する、連中の悪辣な扱いをも知っている事から、カソリックいや我々欧州人に対して非常に懐疑的、いや、スペインに対して全く批判的な姿勢の持ち主で在り、彼の妻らしき、フランス人女性も、我々と同じ、カルバン派のキリスト教徒である点。
しかも二人の間には、既に男子が生まれ、今、もう一人を身籠っている。という事実は、彼が当地に残る(いや残す)強い動機付けになるという事を兄に説明した。
唯、問題点は、リシリューと、当地に残したい『兼本眞乘』と言う人物の関係性。
そして、彼の妻をフランス国内で『守護』しているのが、リシリューであるという事実であった。
「兄上、急遽、まかり越し足る『理由』は、彼等を帰国させる為の、東インド会社の船を、あと二日、遅らせたのですが。その間に我が国として、日本の貿易商館を『当地』に設える許可、そしてその商館の初代館長を兼本殿にして欲しい旨の勅許状の発行を認めて欲しいと云う事です」
「その件に関しては、余に、異存はないが、二日遅らせる?とは、如何なる仕儀じゃ?船は明日出航の予定なのか。其の許可は、其の方が出したのじゃな」
「はい、私の独断で、船の出向を三日後に順延させました」
「して?その理由は」
「はい。リシリュー殿が三日だけなら、我々の回答を待てるという事からです」
「おかしいではないか?貴奴は、個人、然るに我々、この『オランダ』と言う国の判断を『待つ』と云う言い様は!貴奴が、フランスと言う国を代表して、兼本殿の処遇を求めている訳では、無いのだぞ」
マウリッツは少し気色判で、弟の対応を質した。
「仰せの通りで、しかし、故に、此処で、兄上の勅書を奉じれば、兼本殿も後には引けぬと考えました」
フレデリックの意図はマウリッツに理解できていた。
「そうか、では、国書と云う形で、日本国王に依頼文を認めれば、良いのだな。暫し待て。直ぐに対応しよう」
兄の決断の速さは、その立場故か、何時も迅速且つ適確である事が、弟には誇らしかった。
「兄上、此処に日本国王(徳川将軍)からの国書が御座います」
机上に座り、既に国書の執筆にとりかかっていたマウリッツは少し上目遣いに
「して内容は?掻い摘んで申せ」
と弟に命じた。
「はい、今後とも我が国との友好を由何という事と、訪れている侍達に帰国の便宜を図って欲しいと云う内容です」
「うむ?では兼本殿も帰国させねばならぬのか?」
マウリッツは、顔も上げずに弟に質した。
「いいえ、其処は、抜かりなく。侍達の間で、話は付いております。私も、その言質は、彼等から採っております。従って返答の国書には、兼本殿を日本の商館長に任命し、当地の適当な場所に、商館を設置する旨を一筆、行間に認めて頂ければ、十分かと」
「判った。直ぐに書き終える。其の方は直ちに、ロッテルダムに戻りなんとしても兼本殿を当地に引き留めよ!」
マウリッツは、顔も上げずに弟に命じた。しかし時間は、既に深夜に差し掛かろうとしていた。
「兄上、明日朝一番で、私は出立し、明日中に決着を付けようと考えております。仕儀は、遣いの者に、報告させます。私は、ロッテルダムで、兼本殿以外の、他の侍達の出航を見届けたく存じます。」
「判った上手くやれ。となると、この証書に、もう少し時間を掛けても構わぬな?」
「如何にも」
兄弟の笑い声が、フレデリックの居室に響いていた。居室の扉前に控えていた国王の執事は、証書用の用紙を腕に抱えて、控えていた。もう一人の執事は、美しい漆器(紫色の袱紗に包まれた、黒塗りに金字で葵の御門が描かれた桐箱)に収められていた、日本国王からの国書を倉庫へ仕舞い、見合ったマウリッツの返書を収納する、適当な箱の準備に掛かっていた。
フレデリックは、暫しの休息を取りに階下へ静かに引き下がって行った。しかし、その間、マウリッツは、机上の国書に向かい、考えを巡らせていた。書き終えて、推敲の為に弟の意見を聞き、もしかしたら、再び、書き直し作業が、在る也も知れぬ。その様な仕儀だけは避けねばならない。猶予を貰えたのは、有難かった。
(ロッテルダムにて)
アムステルダムを出立して僅か二日目の昼過ぎに、国書を持って、フレデリックは、眞乘と、リシリューの前に立って居た。まさかこの様に早く、彼が戻って来る、しかも国書と言う国の正式な返答を携えて、等と云う事は、服部以下侍にとっても、いや昔の自国を知っている宗右衛門にとっても『青天の霹靂』的な迅速な決断であった。国書の内容を掻い摘んで書けば以下の通りであった。
1)貴国のお申し出は有難く承る、我がオランダとして、貴国の申し出でに対し何ら異存
はない。
2)我国の『東インド会社の商館長』を御上が国の正式な代表と見做して頂き構わない
3)また、貴国の商館を当地に置く事も一向に構わず、寧ろその便宜は、オランダ国王が
責任を持って処する
4)故に、今回の遣欧使節団の中から一名をその任に当たらせる事を提案する。
5)強いて言えば我が国としては、兼本甚八郎眞乘殿が、適任であると推挙す
る
6)もし貴国に異論があるならば、代替の人材を派遣して欲しい(と言う事は、それ迄は、
兼本殿が、此の任に当たる)
オランダ国王のオラニエ公御名御璽
国書は宝石が散り嵌められた、金属とガラス製の箱に仕舞われており、一見して、日本側から送られた国書が仕舞われていた金字(金箔)の葵の御紋が質されていた漆器の桐箱に対応したものと分かった。フレデリックは、この箱を服部に手渡し、スペックスが通訳として
「由何」
と服部に伝えた。内容に関しては、別紙に同文が書かれており、それは、改めてフレデリックが読み上げ、内容は、皆、確認した。この別紙はフレデリックの手により、眞乘に直接手渡された。
「おお、殿下御自ら、忝い」
眞乘は、スピックスが居る事を前提に、日本語で返答をした。
スピックスの目は笑い、フレデリックも、その言葉に軽く会釈で答えた。リシリューは、下を向かざるを得なかった。その下を向いたリシリューに対し眞乘は、
「リシリュー殿、司教、申し訳ない、ここ迄、国王にさせて、しかもこの迅速な対応。私としては、この依頼を断る術を知りません。ご理解ください。」
眞乘は腹をくくった様であった。
「出航は、明日で御座るな。それまでに取り決めたき『儀』が御座る、構わぬか?」
スピックスに対し眞乘は、日本語で依頼した。
「無論」
スピックスの回答は明確であった。
スピックス、フィレデリック、そして周囲の兵士たちを広間に残し、眞乘は、儀輔、仁八、宗右衛門そして服部を伴い、自室へ引き上げた。美亜は、ジンパチを抱え、リシリューと共に、やはり広間に残っていた。
「済まぬ。このような仕儀となった」
眞乘は、先ず、自身の配下である、村田仁八と金本宗右衛門に頭を下げた。
仁八は、帰国の為に準備した物が(行きの便/船旅の経験上)十分では無いと思ったが、帰国後、脱藩する訳でもなく、領地(食い扶持)も妻子もいるので『どうとでもなる』と、嵩を括っていた、しかし宗右衛門は、『敬愛』し『尊敬』する指導者でもあった、殿との別離は、不安しか『湧か無かった』ので、肩が小刻みに震えていた。
しかし、後ろから宗右衛門を見ていた、儀輔が
「宗右衛門よ、安心せい、其の方や四妓/金本紀野の面倒は、儂が後見する。また国元では、片倉(小十郎重長)様が、おるではないか」
この儀輔の言葉は有難かった。正に、その件を、儀輔に依頼しようと考えていたが、先に儀輔は、気づき、諭してくれた。流石。我が心の友である。
彼との別離の方が、実に、眞乘には、余程辛かった。
「甚八よ!」
儀輔は、その様な気持ちを素振りも見せずに、眞乘に相対した。
「儂は、服部殿と、この件を話し始めてから、ある程度は想定をしておる。安心せい」
この心の友は、何から何迄、儂の先回りをして居る。眞乘は有難かった。
「然るに、其の方の領地、そうそう、母上と、あの飯炊き女は如何する?」
此れは眞乘も全く考えてはいなかった。
美亜との幸せな時間がそうさせたのか、迂闊であった。
「まぁ、お主が、美亜と共に戻って来る確率は、かなり少ないと、服部殿と共に見ておるが。まぁ十年だけは、諸々、待ってやろう。それ以降、領地は、片倉様に預けるぞ」
儀輔の目は、笑っていた。
「御母堂様と、あの者に関しては、某も目を配らせたく存じます」
仁八も答えた。
「済まぬ。迷惑を掛ける」
眞乘の答えは、従者への其れに対するトーンとは、異なっていた。
「然るに、上様(将軍)と殿(伊達)には、この旅に関して如何なる方向で伝送する、おつもりで在りましたか」
眞乘は服部の方を向いて質した。
「左様。先ずは、耶蘇に関しての見解は、全て、兼本殿お考えに、違い御座いませぬ。南蛮共の植民政策に関しては、注意を怠っては、ならぬと感じております。」
「と言うと?」
「はっ。我々がインド(天竺)で経験してきた状況は、彼の地の香料や産物をイングランドは、独占しようと考えておる。と言う前提で、今は、イングランドと南天竺の藩主との関係は『対等』でしょうが、そのうちにメキシコの現地人に対するスペインのそれと同じ扱い。をするや?も、知れぬ惧れは、伝えます。故にイングランドとの関係には、慎重になるべきでしょう。」
服部は、正に試験官の前の生徒の様に、言葉を選びつつ慎重に答えた。
「しかし、私が見た限り、イングランドもインドも木炭の使用を知らず、故に奴等の鉄は、非常に鈍っておりました」
仁八が、ここで、彼の印象も付け加え出した。この件に関しては、服部も深く知りたい処ではあったので、仁八に話を促した。
「はい。香辛料の使い方も、教えましたが、彼等は、これを単に、肉類の保存の為の材料としか見ておらず、非常に『野蛮な輩』と感じております。そもそも、食事を楽しむという『文化の欠如』我々が、それを、いちいち説いても、理解できない点は、如何ともし難いと感じました。」
「その点、フランスでは、殿の奥方も、そうでしたが、植民地から持ち帰った、植物や油の種類。それらを『巧く』取捨選択の上で、利用する。そして、木炭を作る技術への理解等、イングランドよりは、フランスの方が、文化的には、優れているという印象を持っております。」
「はい。其れに関しては、拙者も少し感じる処が、御座いました」
宗右衛門の日本語は、もう皆と変わらぬレベルに達していた。
「印刷技術か?」
眞乘は心当たりがあった。
「如何にも。それに染色や織物に関しても奥様の持つ様な同種の技術は、イングランドでは見かけませんでした」
宗右衛門の解析も、なかなか信頼に足る水準まで達している事が、眞乘には好ましく思えた
「そうか?貴奴等は、我が日ノ本が、唐・天竺に劣らぬ産物があるとみるや、その毒牙を剥いてくるのではないか?と儂は、感じておる。例えば、金銀じゃな。儂等の武力は、その様な謀は、簡単にはさせないことも、儂は、示したつもりじゃ、また、スペインもその事実は、痛切に感じたはずじゃ。故に、支倉殿の一行をメキシコで切り離したのじろう。又、奴等は、我々に利用価値が無いと看るや、同じ人間とは看ず、単に物として扱う。儂は、そう見ておる」
儀輔が、その様な観点を持っていた事は、眞乘には意外であったが、服部も同様の観点を持っていたようであった。
しかし、此れまでの儀輔が、フランス、イングランド、そして此処オランダで見せた能力(戦闘力)は、それが理由であるならば、全て合点がいった。また、服部もフランスの兵士たちが質問してくる様や、内容から、南蛮人は、全て、己の『利益』が、優先であり、他人、ましてや、異民族に関して、無碍で、寛容な訳ではない。
一旦、相手が弱いと、見下せば、『とことん』相手から『甘い汁を吸い尽す』性向がある。事は、今迄、無茶な航海をしてでも、日本に布教をしに来ていたカソリックの坊主共の態度からも、合点の行く説明である。フランスから、イングランド迄の帰り道、彼等が感じ、話し合っていた内容は、『是』であったのか。眞乘は、全てが、腑に落ちた。しかるに、儂を当地に残し、漬物石の様な“重し”(日本は、貴様らに簡単に占領されるような生易しい地域ではない。と言う事を体現できる存在)にしようという魂胆も納得できた。
「三八郎、服部殿、貴殿等に左様な思慮が在った事。この兼本眞乘、見抜けませんでした。当に不明の至り」
「当に、ここオランダは、国力と技術力、そしてスペイン(南蛮)との関係を勘案すれば、南蛮への目としては最適な地でござる」
眞乘は、この二名に向かい首を垂れた。
「いや兼本殿、某の考えではない、我が主『服部半蔵』から言い含められて居っただけの事。強いて言うならば、この見方は、亡き大御所様、そして貴殿等の主君である伊達殿のお考えが、『基』でござる」
「左様でござったか」
眞乘は改めて、戦乱の世を勝ち抜いてきた人物達の慧眼に、慄いていた。
「左様、甚八よ。儂もこの見方をし始めたのは、服部殿から上様の言葉を聞いてからじゃ。しかし結果的にそうでは、あったが、奴等に『侮られぬ』事は『肝要』という意識は、絶えず持って居った」
儀輔も服部の言に続いた。
「貴奴等は、儂等の様な『道徳感や、倫理観』が、欠如しており、自己中心的な世界観を持って居る」
儀輔は、吐き捨てる様に言い放ち、宋右衛門が注いでいた、酒を飲み干した。
この夜で、リシリュー(フランス)に対する姿勢は、決まった。そして、益々、我が真の友である、儀輔との別離が、辛くなった。
しかし、仁八は、深く頷き。宗右衛門は、敬愛し尊敬する『師』との別れを観念した。
階下には、未だ、ジンパチを抱いた美亜、その横にはリシリューが座っていた。
「夜も更けた、司教も自室に戻られ床に就かれよ。美亜、参るぞ」
眞乘は、上の階から妻子をフランス語で呼んだ。




