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波濤  作者: 河崎浩


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波濤(フランス編)

【登場人物】

主人公:兼本甚八郎眞乘(さねのり)(藩主と直接目通りが適う召上・理論派、語学や理論に優れ拳法が出来る。体がデカイ、朝鮮語など各国語が使える、頭脳派)

主人公2:江藤三八郎儀()(すけ)(一番座で足軽・鉄砲組頭/武闘派、剣術と兵法(用兵)のに優れる。)

副主人公:金本宗右衛門(帰化朝鮮人で元白丁身分。ソウォン、眞乘の配下で士分となる)

村田仁八:伊達藩の眞乘麾下の足軽大将(剣や武術も達者で、料理や刀の修理もできる)

仙台の高僧(帰化朝鮮人で賎民階級出身・白丁) 早暁元三禅師 朝鮮渡来僧(虎哉宗乙高弟)

四分シフン帰化農民(人参栽培で元白丁身分)

彼の妻は四派シハ、娘は(四妓/金本紀野)シキと四阿シア

服部稲造(幕臣・伊賀者) 向井忠勝配下の元忍者

後藤又三(仙台藩士・朝鮮役経験者:後藤信康配下、江藤三八郎の上司)

片倉小十郎重長:兼本甚八郎眞乘(さねのり)の直属の上司

イエズス会宣教師ルイス・ソテロ

答礼使セバスティアン・ビスカイノ スペイン人メキシコ総督

イギリス人ウィリアム・アダムス(三浦安針)

ヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン(耶揚子)

東インド会社タワーソン(ムンバイを開拓しに来た初めての英国人)

服部稲造(服部半蔵麾下・伊賀者)

ミア(眞乘のフランス人妻)

モリスコ=ニハル (スペイン語morisco)キリスト教に改宗したイスラム教徒を指す名称。

領主ビュルシャール(ツールーズの領主)

リシリュー(後のフランス宰相ルイ13世の育ての親、カソリック司教から枢機卿になるがプラグマティスト)

フランス国王ルイ13世

支倉常長

シャルル・ダルベール・ド・リュイヌ(後にリュイヌ公)


【目次(その2)

(くのいち)

(リシュリュー)

(妻帯、バンブローナーへ)

(親方)

(謀)

(フォンテーヌブローへ)

(再び、バンブローナーへ)


挿絵(By みてみん)

(くのいち)

まさか、ミアの家で、もう一夜を過ごすことは、想定外であったが、服部以下、宗右衛門までの三人は、その死体を乗せる馬車に便乗し、ツールーズ(Toulouse)の街の見学(実際は、酒場や、街の様子を体験し)に、繰り出す事に決めた。勿論、ニハルは、通訳として、そして遣いの者は、財布として、儀輔の無言の圧力の下、同道せざるを得なかった。ただ彼等には、この三名の日本人に逆らうバカ者が、街には、もう居ない事も分かっていた。ツールーズの街は、彼等の想像以上に華やかで、ミアが製法を独占する、藍染の一大生産地でもあったが、宗右衛門の目を引いたのは“印刷物”(書籍)であった、特に、宗右衛門の生地(朝鮮)では、権力者に独占されていた“印刷技術”が、当地では既に、広く庶民の手に行き渡り、結果この様に書物が、街に氾濫している事に、驚きを隠さなかった。

仁八は、相変わらず、この街の製鉄技術や刃物などに専らの関心があった。服部と儀輔は、専らニハルを介し、此の街の権力構造が、どうなっているかを調べる。という名目で、先程会った。街の領主は、ビュルシャールと言うそうだが、彼の邸(領主)宅を訪ねた。日本の屋敷とは異なり、総石造りの邸宅は、非常に立派で、彼等を驚かすには充分な威容を誇ったが、その様な驚きは、おくびにも出さず、彼等はこの邸宅の主に、勧められるが儘に、屋敷の門をくぐり、当初の予定とは異なり、彼の歓待を受ける仕儀となった。

ただ問題なのは、この広大な屋敷には、所謂、雪隠(厠)が無い事で、ニハルに尋ねると、日も暮れたので、広大な庭の好きな場所で隠れて用を足して構わないという事であった。

武士の嗜みとして、懐紙を懐に持参しているとはいえ、これは意外な驚きであった。

正直、ビュルシャール家の夕食は口に合うか?と問われれば、昨晩の、ミアの食事の方が口には、合ったが、日もすっかり傾き、連れの仁八と宗右衛門、彼等の財布としてアンリから差遣わされた者を回収せねばならないので、遅くなる前に、彼の邸宅を去る事を決めた。ビュルシャール家側が、夜は、暗いので、宿所の前まで送ると言うので、馬車を用意してくれていた。この街出身の初老に見える御者は、慣れた手つきで夜道に馬を駆り、仁八と宗右衛門達が屯って居そうな酒場を回り、見事に小半時も経たず彼等の回収に至った。


皆が街に繰り出すのを許したが、麗ら若きミア一人を家に残す事は、物騒と云う事で、結果、家には、ミアと眞乘の二人だけが取り残される形となった。ミアは、昨晩の夕食が皆の口に合ったという確信があったので、早めの夕食を眞乘の為に用意した。

眞乘は、今日までの仔細を、書面に認める為に、硯用の水をミアに求めた。ミアはその水が何のために必要なのか?が気になったので、眞乘の元へ水を運んだ。“黒い石”同志を、こすり合わせる事で、水はみるみる黒みを帯びて行った。彼は、持参した旅行李の中から油紙に包まれ、糸で綴じられている帳面を取り出した。

表紙には“南蛮道中諸事”と書かれてあるのだが、ミアに読める訳は無かった。

マルセイユからの一連の事故事件を彼なりに纏め始めた。

「ミア、なんじゃ?」片言のフランス語で眞乘は、肩越しから彼の所業を不思議そうに覗き込むミアに尋ねた。

「これは日記ですか?」ミアもゆっくりとした口調で答えた。

「いかにも」詳しい説明をすることは、煩わしかった。

「私の事は何と書くのですか?」尤もな質問が返って来た。

眞乘は“ふと”気が付いた、ミアと街の相克は、宗教だけ?であろうか。確か、司祭は『街の発展に尽くす事をせぬ故』と申して居ったな。その事を問い質そう。

「ミア、司祭が申すに、其処下は、街に非協力的である故に成敗する。と申していたが、子細を言い訳して見よ」ミアは、かなり驚いた表情を見せた。

しかし意を決したように、此の、拙いフランス語しか理解できない異邦人に説明を試みた。

「彼等、街の人間は、私の、私の家族の努力の成果を認めてくれないからです」

「成果?を認めぬ?どう言った事じゃ?」

「はい、布地に、このような見事な青地を発色させる為に、私たち家族は、色々と試行錯誤を繰り返しました。この色は。ですから、国中で認められました。私たちも、街の皆さんの協力の下、もっと、この技術で、皆で儲けたいと考えましたが、彼等は、その対価を認めず。“技術・製法”をタダで教えろ。と強要して来たのです。」

うむ、これは本邦で言う“藍染め”じゃな。こんな他愛もない技術をこの娘は、独占している訳か。

眞乘は、徐々に全体像が見えて来た。

「左様か、その先鋒が、先ほどの司祭と街の有力者。と言う訳だな?」

「はい、私や家族がユグノーだから司祭は、気に入らず、司祭と共に街を牛耳る金持ちが、ユグノーは、金に汚い拝金主義者だ。と街の衆に説いて回った結果、私の両親は、街に商品を納めた帰りに殺されました。」

「でも、何故ユグノーになったのじゃ?」

「私も分かりません。只、私が生まれた時に、既に両親はカソリックでは、ありませんでした。そして牧師様やユグノーの教会に比べ、司祭の身形(みなり)やカソリックの教会の豪華さは、それこそ拝金主義ではないか?と感じています」

「ムッシュ兼本が、向かう、アンリ様は、私たちの味方で、私たちを保護してくださると聞いています。どうか、私も同行させて頂けないでしょうか?」意外な展開に、眞乘は、戸惑った。正直、この様な“異邦”で、足手纏いは“断りたい”というのが本音でもあった。しかし、当に色白な彼女は、ブルーネットの髪を束ねた、顔にある青い目で眞乘をじっと見据え、懇願している。

「その方、我々の様に湯あみは、如何じゃ?」眞乘は、彼女の視線を逃れる術を思い付かず。思わず、先ほど宗右衛門が改造した湯屋を指し示し、感じたままを口にしてしまった。

「私、臭いですか?」彼女は、はにかんだ様に呟いた。応える術も無かった。

彼女は、眞乘達が拵えた湯屋へ飛び込んでいった。正直眞乘は、安堵した。しかし暫くして外を見て、宗右衛門他の作った物干しの布巾を見て、ハタと気が付いた。

「待て!手拭いを持て、湯は、満ち足りているか?」こう言って、湯屋へ追いかけるしかなかった。

湯屋には湯気が籠ってはいたが、ミアは既に、裸になって大きく設直された盥に湯を張っていた。

南蛮の着物は、本邦の着物に比べ、脱着が容易な事は、経験上、既に理解していたのに、『しまった』と思った時は、遅かった。

暖かい湯屋の中で、麗ら若きミアは、眞乘に、その美しき体、全てをさらけ出していた。故に、眞乘自身もミアの、為すが儘に、我が身を晒すしかなかった。万事休すで会った。

異国で情を通じた、美しく若い女。無下に扱う事は、眞乘の道徳観が許さなかった。肌を露にしていたミアは、その寝台の上で、満足した表情を浮かべていた。もし彼女が“くのいち”ならば、眞乘は、まんまと!彼女の術中にハマった事になる。その事実が、彼を苛めた。

日が暮れてきていた、眞乘は、遠の昔に我を取り戻していたので、ミアを寝台に残し、僅かに窓から漏れる夕日の下、“南蛮道中諸事の執筆を続けた。

そんな中、儀輔達一行が、差し回された馬車に乗って、戻って来た。ニハルと遣いの者は、服部と共に、明朝には、出立をせねばならないと考えていたので、降りるや否や、馬の基に走り彼等の調子を伺っていた。

部屋に入って来たのは、儀輔であった。彼は、暖かい部屋の空気を吸い、ニヤとしつつ、眞乘を向いた。

「やったのか?」非常に直裁な言葉であった。故に眞乘も答えやすかった「まんまと術中に嵌った」

此れでこの幼馴染の間では、何があったのかが阿吽で理解された。

「して如何する、所存?」儀輔の言葉は、何時もストレートだ。

「訳は分かった」

「で?」

「有無、故に文に起こして考えを巡らせておる」眞乘は、儀輔に、ミアからの伝聞を短く纏めた記述を見せた。

「儂等が捌く事では無いの」此れが、眞乘の“道中諸事”を一瞥して、儀輔の出した答えであった。

しかし、一旦、情を通じてしまった眞乘に採っては、ミアを放置しておけば、いずれ遠くない“将来”、彼女は、両親と同じ運命を辿る事は、推察できた、故に悩んだ。

外の、仁八と宗右衛門は、急拵えの湯屋にまだ湯気と火が残っている事を訝った。出立前にこの仮設の湯屋は、釜戸を残し元の様に(分解し更地に)して置かねばならないが、残り火が、完璧に鎮火しない限りは、現状に戻す事は、不可能であった。こんな作業は、出立前にしたくはない。と言う気もあった。

殿は、昼間、湯あみをしたのだろうか?しかし、その痕跡で、妻帯者である二人は、何かが、そこであったのかを理解した。二人は、顔を見合わせ、含み笑いを堪えていた。

「殿も隅には置けませぬなぁ」笑いながら二人は、部屋の中に入って来た。

部屋に火が灯る時間までには、眞乘とミアの関係性を知らぬ者は、居なくなっていた。ミアは皆の為にワインを用意していた。喉を潤す酒がある。結果は、自ずと皆での話し合いとなった。

結論としては、服部と、遣いの者が、明日朝出立し、アンリ王に事の仔細を話し判断を仰ぐ。その答えを持って彼等は、行動を決める。それまでは当地に眞乘以下、ニハルたちは残り、ミアの身辺の安全を守る。という事になった。この決定を最も喜んだのは“ミア”であり、最も複雑な気持ちになったのは、眞乘であった。ミアにとって、この中で、唯一の独身者は、眞乘だけで。と、云う事実を知った事は、非常に大きな喜びでもあった。「期限は三日じゃ」と告げるのが、眞乘にとって、唯一の抵抗であった。


翌朝、服部と遣いの者の出立を見届けたのち、儀輔は仁八とニハルを伴い、馬で、領主宅へ赴いた、間もなくしてそこに司祭がやって来た。儀輔は、ミアとこの街の者達との実相を第三者の目で把握すべく、ここを訪ねたのである。

「領主殿、ミアの家族を殺いた、と云うのは誠か?」ニハルが訳して問い質した。

「私が直接命じた訳ではありませんが、事実です」領主は正直に答えた。

「では下手人の目途は付いているのか?」

「はい、街の織物業者です。」

「そ奴達に対する処分は?」

「特に何も?」

「特に何も措置は講じておらぬ。という事じゃな?」

「はい」

「何故じゃ?当地では、殺人は罪ではないのか?」儀輔としては、戦以外での、権力者や有力者、金持ちによる、欲得に関る私的理由の殺人。と言いたかったのだが、そこまでの語学力を彼は、有してはいなかった。

「殺人…」領主は、このニハルの訳した言葉に”詰まった“

「司祭殿、殺人は、カソリックでは、許される罪なのか?」儀輔の言葉とニハルの翻訳が、司祭にも向けられた。

「異教徒に対する、殺人は、神が許しています」ニハルは、訳しながら違和感を覚えた。

「ホウ、では異教徒である儂が、其方(そち)()いても。わしは、其方達の神に許されるという事じゃな?」

儀輔の実力を皆が認識しているが故に、彼の言葉には、無言の圧力があった。しかも、彼はこの言葉を発した時に、腰から外し、手に持っていた太刀の鍔に手を掛けていた。この態度の前に、司祭は、顔色を失っていた。又も、横で伺候していた仁八は、笑いを堪えるのに苦労をしていた。

「誰か!」領主は、手を叩き家人を呼んだ。

「オーギュストをひっ捕らえて参れ」

「ムッシュ江藤、今家人に、ミアの家族の殺人を命じた織物業者の責任者を呼びにやらせました。暫しお時間を頂戴出来ないでしょうか」ビュルシャール(領主)にとっては、最大の譲歩と言うか、苦肉の策であった。まさか、ここで、司祭様が惨殺される事態など引き起こしてはならなかった。小半時は、経っただろうか?彼の手持ちの若い護衛(衛兵隊)は昨日、ほぼ全員が、彼等の手により使い物にならない状態にされていたので、初老の衛兵達によって、下手人は、引っ捕らえられて来た。

オーギュストと呼ばれた、此の恰幅の良い。身なりが整っては、いたが、異常に臭い、職人の長は、初老の武装した家人達によって、領主宅の前庭に引っ立てられた。

「オーギュストよ。其方が、ミアの家人を殺すように命じたのじゃな?」ビュルシャール(領主)は、慇懃な口調で尋ねた。

首根っこを棒で押さえつけられて下を向いている、この臭い職人は、黙って頷いた。

「理由を申してみよ」褐色の異邦人であるニハルのフランス語が、間髪を置かず、続いた。

この言葉に職人は毒着く様に言い訳を話し合始めた。

「あの家族は、技術を独占して教えてくれやしません。そして法外な技術料をあっし達に要求し続けたので、辛抱溜まらず、纏まった量を納めた後に、やっち(殺)まったんです」

「法外な額とは如何程か?」儀輔の拙い英語が続いた。ニハルがそれを受け流暢に訳し直し質した。

なんで?こんな異邦人からの高圧的態度で、取り調べを自分は受けなければならないのか?心外で在ったが、ふと目を上げた時、昨日、衛兵隊長の首と胴を真二つに割いた、異邦人からの質問という事が、解ったので、観念せざるを得なかった。

「ヘイ。売り上げの三十%は、技術料だと…」「あっし達は。せめて十五%程度に収めてもらうよう懇願したのですが、できれば十%と言うのが妥当だとは思うのですが」力なく答えざるを得なかった。

「材料費の内訳は?」仁八も尋ね、ニハルが訳した。

「ヘイ。生地が十から二十%、職人の手間賃が十%から二十%。」

「販売の為の人足代が二十から場所により三十%」手間賃が、最も高い割合で推移し、比率が固定のままとすれば、織物業者には儲けは無い、いや、寧ろ持ち出しになる。業者に利益が出んのも尤もな話だ、という事が、仁八やニハルには理解できた。

「事情は、分かった領主殿。儂等は、当分当地に逗留する事となったので、明日は、ミアを此処へ連れて参り、双方の言い分を照らし合わせ判断をしよう。」儀輔の一言で今日は、お開きとなったが、その前に、ニハルを通し、皆の者に触れが出た

「その方達、臭過ぎる。明日、此処へ参集する前に体を洗って参れ。特にオーギュストよ、その方から醸し出される異臭は異常じゃ」

ニハルを通した、仁八からの、強い口調で、一同は、目を見開き、お互いを見つめるしかなかった。仁八は、彼等から発せられる体臭に、そろそろ、我慢の限界を迎えていた。儀輔とニハルは、笑いを堪えるのに必死であったのは言うまでもなかった。


ミアの家の支流に面した南側斜面に家庭菜園と呼ぶには広大な菜園と、馬小屋には、鶏舎と豚舎が併設されていた。言って見れば、ここは完全な“自給自足”が可能な家でもあった。菜園は、自給用の野菜の倍の面積で、日本の藍とは異なる、半身位の高さがある菜種の様な草が植えてあった。

ミアは、これが、この染料の原料となる草で、これを天気の良い日に干し、磨り潰して発酵させ、石灰水に混ぜれば染物の原料になる事は、もう隠さず街の職人には、伝えてあるのだが、彼等が同じ事をすると、藍では無く、くすんだ黄色や灰色に染め上がるので、怒っているのだ。とミアは説明した。

つもりだが、眞乘が、どこまで彼女の言葉を理解出来たかは、分からなかった。

ただ川から、結構な勾配である、この畑に登って来るのは、重い武装を身に纏った人間には、しんどかろう事は、解り、ここに防御線を構築する必要は無かろうと、眞乘は、判断した。ミアと出会った彼女の脱出ルートである、起伏に富んだ北側の森、東側の川にかかる橋。ここには、既に何人もの人間が引っ掛かった罠が、未だ、そのまま“仕掛けて”あった。眞乘は、ミアがその罠に引っ掛からぬよう彼女の手を引いたり、腰に手をやり彼女をエスコートしたが、それは、彼女にとって至福の時間であった。

残るは西側の林だけである。ここは、専ら薪や樫木の様な硬木が生えていた。ここにも新たな“罠”を仕掛けるべき。と言うのが判断で在った。

ミアは、多少言葉の障害があっても、眞乘と二人切りで、こうして、家の周りを歩き回れる事自体が、非常に嬉しかった。

その気持ちは、眞乘にも十分伝わってはいた。故に、彼は困惑していた。

家を守る宗右衛門は、湯屋の改造(改良)に励んでいた。仁八に命じられてもいたので、ミアの家にある全ての鉄製の器具を調べており、調理器具と農耕器具にある刃物類は、特に念入りに調べていた。

昨日フランス人を使い、大きく頑丈にした、湯屋の竃は、盥に湯を満たすためだけのものではなく簡易的な鉄材を溶かすための炉としての機能を持たせるように改造が命じられていた。要は、簡易的な(ふいご)の新設を命じられていたのである。彼は、ミアから予め貰っていたブタの膀胱を利用し鞴を作っていた。これが完璧に乾燥する迄の時間、鞴の骨格材のために集めた硬木の一辺と、背面に(やすり)のある笄を器用に使い、櫛を国で待つ新妻の四妓の為に作っていた。

そんな時に、家の西側から、殿が戻って来た、ミアは、殿の後ろから歩いて来ていた。躾として。

当地の習慣では、彼女は並んで歩きたかったのだが、眞乘は、ミアにその様な行為は、決して許さなかった。

ミアは、それが、彼等の習慣という事で、納得を自身にさせていた。

ただ、宗右衛門の手にしていた櫛を見て、ときめきの感情は隠せなかった。夫の部下、それが宗右衛門。と言う図式が、彼女の心の中では、既に出来上がっていたのだ。

ただ眞乘は、これが、彼が日本に残した新妻の四妓の為に彼が作ったものと言う事が直ぐ理解できたので、ミアを注意した。

「それは、奴の物じゃ。すぐ返せ」ミアは、眞乘の言葉には、絶対的に従ったが、その理由が聞きたかった。しかし、宗右衛門は

「殿、構いませぬ。この様なもの何時でも作れますから」と日本語で、言って、返された櫛を再びミアに手渡した。ミアは、部下が、上司に対し忖度をした。

即ち、少なくとも、彼の部下は、私を彼の妻として看てくれている、と勝手に解釈した。眞乘の、異性に対する面倒臭がりな点が、この結果から、この後の不幸を呼ぶ原因となった。

「左様か」眞乘は中へ入った。

「殿、湯殿の支度は間もなくできます」宗右衛門の言葉が彼を追った。

「左様か、すまぬ」

今迄、髪の毛を洗う事は、憚られた。彼女のブロンドヘアーは。ナチュラルにウエーブが元々掛かっていたので、単に洗うだけだと、幾ら後から油を塗っても、収拾がつかない事になっていた。しかし夫の部下から渡された“櫛”を使って髪の毛を鋤洗い出来れば、乾かした時点で、纏まらなかった髪の毛は見事に纏める事が出来る。寝る前に、湯あみをする習慣が、すっかり気に入っていたミアは、宗右衛門が作ってくれた櫛は本当に有り難かった。これで夫の顔に自らの頭を近づけても、嫌な顔をされずに済む。

それが全てであった。

昨晩からミアは夫(眞乘)と同衾していた。これは、自らが望んだものでもなく。夫に呼ばれたからでもない。そう、彼の部下が、その様に強いた結果なのだ。この措置が、彼女を非常に幸せな気持ちにさせていた。

ただ結果、儀輔と服部は、部屋を広く独占する事が出来た。

『悪く思うなよ、甚八郎(眞乘)。紅毛女など、街で、いくらでも買える』

これが偽らざる、彼等、既に、妻帯している者達が、昨晩“街”の探索の結果、得た気持であった。

滞在3日目にして、既に彼等の朝は、早かった。日が射す頃には、着替えを終え、ミアは、朝餉の支度を、眞乘は、書き物をしつつ、今日の行動を案じていた。宗右衛門も、同様に早く目覚め、指図を受けた訳ではないが、主君夫婦の手伝いをしようとしていた。

彼は、殿と上役である仁八の為の、洗顔や口を濯ぐ為の水を井戸から汲み、同時にミアの為の水も用意し、ミアを驚かせた。夏前とは言え、未だ肌寒い朝に、自身の身体を絞った手拭いで、摩擦するように拭き、完璧に身体共に目覚めた事を確認した後に、湯屋と共に簡易的に設えた厠へ員数分相当の手洗い水を桶に入れ、配置した。ニハルと仁八が目覚め、最後、ミアが朝食の支度が整った頃、儀輔と言う順番、これが2日目で確立された、ルーティーンと成っていた。仁八がインドで入手した“茶”は既に貴重品となっていたので、朝は、井戸で冷やして置いた、温め直した牛の乳、と言うのが、彼女の定番の朝の飲み物であった。故に侍は皆、朝食後は厠へ直行し、結果、朝は体が軽くなっていた。厠の排泄物は、初日に周囲を視察した眞乘の指示で、掘られた溝を通り、南側斜面の畑の中を通って支流に至っていた。が、川に着く前に、固形物以外は全て、畑の土に吸収されていた。

昨日の儀輔、仁八と、当地の領主や司祭との話し合いで。今日は、うち揃って、領主宅に行く事が決まっていたが、その事に対する、ミアへの説明は、眞乘の仕事であった。昨晩は、その様な事を話す余裕は、無かった。厠から戻った眞乘は、仁八に命じて、茶を一服所望し、ニハルを介して、ミアに語り掛けた。

「昨日、江藤殿(儀輔)と村田(仁八)が、街に向かったのは、存じておるな?」

「はい」ミアの返答は小声であった

「街のビュルシャール(領主)殿の屋敷に向かい、江藤殿は、その方の御父上と御母堂を殺いた下手人に関して尋ねた。そしてその訳を司祭にも尋ねた。」

「・・・」ミアは下を向き、返答は、なかった。

「端的に申そう。ビュルシャール殿は、この件に直接的な関与が、無い。それが、江藤殿と村田の調べた結果だ。ただ、貴奴は、下手人が誰か、貴奴の知る範囲で、その理由は、何であったかを話したそうじゃ。其の上、貴奴は、下手人を江藤殿の前に引っ立て、両名で下問し、訳を質したそうじゃ。」その言葉を聞き、ミアは、キッと一昨晩とは、全く異なる眼差しで、眞乘を見た。

「儂のフランス語の意味は、解した様じゃな?」眞乘は、ニハルを見やって同意を求めた。

「ミアよ。正直に申そう。儂等には、この件は、どうでも良い事じゃ。出来れば、知らず、関わりたくもなかった。しかし、こう成った以上、無碍には出来ず、関っている。と言う事実を忘れるな。」

「特に、儂以外の者は、そうじゃ」ミアは少し嬉しかった。彼等は、そして夫は、私の為に、この件に関与してくれている。その言葉が嬉しかった。

「その様な訳で、今から領主殿の屋敷に、儂達と共に参る。良いな、異存は、あるまいな?」

依存など在る訳もなく、しかも、屈強な彼等と共に行く事で、身に危険が及ぶ事も無いのは明白であった。

「貴奴達と、その方の言い分を聞き、その違いを質し、解を導き出す。それでこの件は仕舞じゃ」此れが、眞乘のミアに対する決別の言葉とは、ミアは理解できなかった。勿論、その場に居た、フランス語を解さない、侍達にも理解は出来なかったが、ニハルだけは、その予感を感じた。

眞乘は、服部が、アンリ王を連れて来る、乃至は、何らかの判断を仰いで戻ってくる時間を出立から五日と読んでいた。今日は、当地滞在三日目、全工程の四日目あと二日の猶予はある。

これが彼の判断であった。今日、白黒の決着を付け、明日、それを証文として残せば、ミアの身の安全は確保できるだろう。

それが眞乘の読みであった。

今日は、彼女と彼等の和解を醸す日。であった。

午前中に、うち揃って領主宅に参集した時、既に、司祭も、ミアの親の仇であるオーギュストも邸宅には居た。

仁八は、彼の“言いつけ”が、彼等に守られている事に安堵した。部屋には風が通され、其処に異臭は、無かった。侍達は、服に香を焚き染め。其の爽やかな香りだけが、部屋に漂っていた。

司祭は、彼等が蛮族では無い事を改めて、身に染みて、分かった。

「その方が、オーギュストなる者か?」ニハルの訳に、彼は深く首を垂らし応じた。

侍たちは全員、ニハルが、理解できるように基本英語で下問をし、肝となる相談は、日本語でした。

よって眞乘の言葉をミアは、全く理解できなくなった。

「その方の言によると、ミアの取り分をそのまま渡せば、その方には、利益が残らぬ。それで正しいのじゃな?」

「へい、その通りでございます」このやり取りはミアにも理解できた。

「ミア、如何じゃ?その方の言い分は?」ニハルがフランス語でミアに質した。

「販売代金の三十%を私の取り分とするのは、私の仕事量や、今迄家族が研究してきた事の対価としては、良心的な数値と考えます。」ニハルは、英語で、眞乘達にミアの言葉を伝えた。

「オーギュストよ!」眞乘が、フランス語で直接質問した。

「その方、各々の販売の台帳を付けているか?」この自らの、拙いフランス語の言い回しで、オーギュストに、正確に意が伝わらない事を惧れ、真意を日本語で言い、それを儀輔が、英語でニハルに伝えた。

「お主が、販売や仕入れをする際に、その内容に関して、逐一正確な記録を残しておるのか?とムッシュ兼本は尋ねておる。返答せい!」ニハルは、少しキツイ口調で、フランス語で詰問した。

「いやその様な帳面は付けておりませんが、その都度の販売や儲けに関しては、間違えようもございません」オーギュストは、ブスっと答えた。

「では、其の方の言を客観的に証明する物は、何もないではないか?」尤もな、質問が、ニハルを通じて飛び出た。ニハルは、自身の言った言葉を侍たちに説明し、皆頷いた。

「領主殿、当地では、皆が読み書きや計算は、出来ているのか?その様な教育の責務は誰が負うているのじゃ」眞乘の質問が、ニハルを通して発せられた。

「はい、読み書きや簡単な算術は、専ら教会の仕事のはずです」

ビュルシャールの答えであった。

「司祭よ!どうなのじゃ?」司祭は、答えに窮していた。

実際、子供達の洗礼などで、お金(お布施)を集める事には熱心でも、単に、教会の持ち出しになる“教育”に関しては、無頓着であった。讃美歌を覚えさせる為の教育を極少数の裕福な、家庭の子女に、施している。と言うのが実態であった。

「ちなみに問う。オーギュストよ、其の方、計算は出来るのか?文字は書けるのか?」この当時のフランス国内の識字率は、日本の半分にも満たない事を彼等は、知らなかった。

「お金の計算位は出来ます。ただ文字を正確に書けと言われれば…」

「ミアよ、その方はどうじゃ?」

「勿論、読み書きや計算位は、出来ます。出ないと、この染め物を失敗してしまいますから」

これらの問答を聞いていて、眞乘以下、侍達の中で答えは、ほぼ、出来ていた。彼等は、日本語で解決策を認め、それを儀輔が英訳した。

「そもそもの騒動の根本は、領主たるビュルシャールの、領主としての責務の怠慢にある。其の方は、司祭に強く命じ、基礎的な教育の徹底を領民に図らなかった事が、今次問題の根本である」

ビュルシャールは、最初、恐懼したが、言い換えれば、この言葉は、教会に対する、領主権の優越を認めている事を意味していた。

司祭は、その言葉の内容(真意)に直ぐ気が付いた。

「ムッシュ兼本、では教会は、領主の命に従えという事ですか?」

「如何にも」ニハルを通して彼は答えた。

「申し訳ございません、教会は、ローマ教皇の支配下にございます。ローマからの指令が絶対で在り、世俗の支配を受けないのが、教会です」司祭は、杓子定規に答えた。

「では、其の方らは、今後、一切、子供の教育には関わらぬ。と云う事じゃな?」ニハルを通して眞乘が質した。

「いえ。其れは、違います。神の御心に沿い、子供たちの教育は、教会が責任を負わねばなりません」

「しかし、実態として、その様な事は、今まで一切しておらぬ、その証拠が、この男の姿であろう?」

司祭は、言い逃れが出来なくなってきた。

「然るに、此の街を治めておる、領主殿に、街の教育を始めとする“管理”を任せ、その方も街に存続する限りは、その下命に従うのが“通り”と言うモノであろう?」眞乘と儀輔は、若い頃、片倉から聞かされていた太閤の言葉や、治世の根本。そして江戸に於ける、三浦や伊達の殿様の姿を思い出していた。

この時になって、ビュルシャールは、自身が咎められているのではなく、むしろ自身の権力と権威をもっと強くしろ。と、この異邦人たちが説いている事が解った。

ニハルは“通り(WAY)”という言葉の意が、正確に理解できなかったので、侍たちに再質問をした。

答えは、それが”自然であり当然ある“という事であったので、再度、訳し直し。強く司祭に言い放った。

言葉のやり取りだけならば、教会は、領主を篭絡して、多勢に無勢な環境下で、この異邦人を消去すればよい。それが、今迄のやり方であったが、彼等の無類の強さは、既に街の人間をして誰一人として逆らう気を失わせていた。特に、このリーダー達は、その中でも双璧に強い事は、身に染みていたので、司祭は、反論する事が出来なかった。しかも間もなく、バンブローナーから、今ここに居ないもう一人の弓の使い手がアンリ王を(もしかするとその軍隊も)連れて来るという噂もある。万事休すで会った。

「ムッシュ・ビュルシャール」眞乘は、拙いフランス語で訥々と話し始めた。

「其方、この地の領主として、責任を持って、この件を解決する気はあるのか?」

ビュルシャールは、少し躊躇があったが「勿論です」と答えた。

「しからば、我々より斯様な提案がある」ニハルに書かせたフランス語の文書を、彼の前に提示した。

これは、昨晩皆で話し合った内容をニハルが書き写した物であった。

領主は、熟読(内容を完璧に理解する為に)した後、ニヤッと笑い。特に質問する事もなく了承する旨、侍たちに伝えた。

ミアは、このやり取りを聞いて、少し不安が持ち上って来た。自身は、ここを絶対に離れる事が出来ない様な取り決めをして、この件が解決すれば、夫は、ここに居る必要が無くなる。やっと彼の朝の言葉の真意が見えて来た。

宗右衛門は、この文章を再び4冊程度の本にまとめ。各々教会、領主、ミア。そして、アンリ王の手元に渡る様に、手配する必要があった。(昨晩中に眞乘と儀輔から下命されていた)

其の段取りの為、宗右衛門は、ニハルを伴い先に領主宅を退出していた。今回は、宗右衛門の提案もあり、直ぐなくなる、又は改竄される恐れがなく、増刷すれば、読み書きが出来る街の人間も手軽に入手可能な、当地で流行りだした活版印刷で、これらの細目を文書化する事とした。宗右衛門は自身の知識と提案が、蟠り(わだかまり)なく、上役に採用される事に喜びを感じていた。

「昔では考えられない事だ(思わず朝鮮語で呟いていた)」

ニハルと共に戻って来た宗右衛門の言葉では、製本に三日欲しいという回答であった。これは眞乘の読みと“ズレ”が、生じる事を意味した。彼は、支倉が再びマルセイユに寄港する余裕は“一週間”と予測していたので、十日近く、この内陸部に居ねばならず、その事は、本来の目的から逸脱する事に繋がった。

その日の夕は、ミアの落ち込み方は、傍目にも見て悲壮であった。彼女は、夫が自身を捨てて行く事を悟ったが、覚悟は、出来ては、いなかった。

眞乘は、その様な姿を見せる彼女に、やはり、傍目から見て、全く“冷たかった”。

そう、彼にとっては、女の気持ちを慮るなんて殊より、自身の任務の遂行に関して算段を考える事の方が、遥かに重要な事であった。印刷所との交渉を終え帰って来た宗右衛門と、帰りしなに、今朝から、先程迄の、眞乘の考え方を自身の感じたままに、宗右衛門に話していたニハルは、そんなミアと共に同じ部屋にいる事が憚られた。仁八と儀輔のみが彼女の傍で、ワインを傾けていた。

その日の夕食は、仁八が仕度し、四日振りの干し魚とニハルの用意した米で、久々に、乳ではなく、茶が供された。ミアは全く口を付けなかった。その夜、眞乘と同衾したミアは、彼に背を向けて寝た。

翌昼前に、服部が馬を飛ばして、バンブローナーのアンリ王の元から戻って来た。彼は早速、仁八に茶を所望した。アンリ王の一行は、服部と、時を同じく本朝、城を出立し、百名程の軍勢を引き連れ、当地に向かっているという事であった。

服部は、ミアの妙に、よそよそしい態度には全く気付かず、宗右衛門は、製本を依頼している協定書が、急いでも明後日に出来る事を服部に伝えた。

「まずいな!」

服部は呟いた。

「やはりか。」

儀輔と眞乘は、応えた。

「如何にも。」

服部のこの答えで仁八は察しがついたが、宗右衛門は、彼等のやり取りが、何を意味しているのか?が理解できなかった。

その表情を見て、眞乘が、噛んで含む様に彼に説明をし始めた。

「よいか、アンリ王が、百名足らずの供を引切れて、当地を訪れる。という事は、威嚇はしても、戦をする用意ではない。戦などをする気は、毛頭無い。という事じゃ。当地は、アンリ王とスペイン王であるフェリペ王との緩衝地。そしてフランス国内には、アンリ王と敵対する勢力がまだ残っている。と言うのが、今まで我々が入手している当地の状況じゃ。左様な場所に、アンリ殿が、少数とは言え、軍勢を引き連れて参陣すれば、それ即ち。スペイン王国との戦の準備と採られても仕方がないのじゃ。分かるか?」

宗右衛門が頷くのを見て、眞乘は、言葉を続けた

「当地が混乱すれば、その情報は、日を待たず、ローマに伝わり、支倉殿の出立日時や、当地を経由するかも分からなくなる。それ以前に、儂等に正確な情報が入って来るかも判らぬ様になる。それは非常に困った事態ではないか?」

「今日夕刻前には、王は当地に到着し、明朝には出立する予定を立てておった。儂等も、明朝には当地を立ち、明日中に(バルセロナ)港に戻る算段では無かったのか?」

服部は解り切った事を再度尋ねた。

「うむ」

眞乘は、そう答えるしかなかった。ここまでの、全てのやり取りは、日本語でなされていたので、男達が何を騒いでいるのか?ニハルは、彼等の言葉尻から、凡その予測は、出来ても、ミアは、さっぱり理解は出来なかった。

そうこうしている内に、領主からの遣いの者が、訪れた。王が到着したのか?全員が立ち上がり領主邸へ向かう、刻限となった。ミアは、嫌々乍らに、仁八に促され、馬上に登がった。

一昨晩認めた、下書き(すべて日本語で書かれたもの)が、眞乘の懐に仕舞われていた。邸宅の周囲には武装した、明らかに一昨日の昼間とは異なる“若い武人”が列をなして、彼等を迎えていた。そこへ領主が彼等を出迎えた。

「お客人は、皆、既にご到着され、お待ちになっています」

慇懃な(風に聞こえた)フランス語で、彼は、一行を出迎えた。

「お待たせしました」

ラテン語で眞乘は、玄関扉を開けるなり、辺りに聞こえる様に、怒鳴った。

司祭の奥に、司祭と似たような佇まいを持つ若い男が立っていた。

これがアンリ王か?眞乘は思った。

彼は、この異邦人が教養ある人間しか使う事の出来ない、ラテン語を話す事に、内心驚きを隠せなかった。

彼は、踵を返し、奥へ彼等を誘った。席次は、やはり庭に面した、上座がアンリ王と思わしき人物、その右側に司祭、その横に領主、左側に彼等の席が用意されていて、正面上座から見渡せる庭の外には、武装した衛兵に囲まれたオーギュストが伺候していた。彼等が


(リシュリュー)

「申し訳ない。儂は王ではなく、家宰のリシュリューと言う。実は、王は、一昨年、殺され跡を継いだ(新)王様は、まだ僅か12歳に過ぎぬ。故にこの地の統治は、私に任されておる。其方達の依頼その仔細は、王の名で承って存じておる。」

非常に流暢で上品なラテン語で、彼は言葉を紡いだので、内容は、眞乘の十分、解する事であった。司祭は、内容をフランス語に訳し領主に、ニハルもその訳で、この貴人の言葉を理解した。

服部は、予め今回裁定に来る人物は、フランスの宰相であり、王ではない事を知っていた様だった。

「宰相って何じゃ」

儀輔は、服部に尋ねた。

「ウムまぁ“首席家老”の様な者じゃ」

当を得た答えであった。

日本人は皆、この服部の解釈に納得した。彼等の解釈では、王は、大名、宰相は、家老。領主は、代官か名主であった。日本の習慣を知っていたので、彼の年齢の事は、気にならない様だった。

「宰相に申し上げます」

眞乘は、再び首を下げ。従って、何時もよりは、大きな声で懐からの巻物を取り出した。この装丁は、彼等に取っては、非常に高価なモノに写った。

「これは、昨日迄に、この地で取り決めた領主、司祭、織物業に関る者達との協定書の原本(下書き)でございます、今この内容を当地の言葉、ラテン語で記載し当地の製本業者に委ね、四冊製本し、各々に、ここに参集頂いている皆様の裏書を持って正式な約定と定め、各自で保管を定めたく画策しております。」

「して、その内容とは?」

リシュリューは、彼の最も得意な言葉(フランス語)で尋ねた。眞乘は、やはり、

この高貴で教養ある人物のフランス語、故に、意味を解する事が、容易だ。と感じた。

ニハルは、他の者に分かるように“英語”で訳した。当代きっての教養人でもあったリシュリューは、此の代表者以外の異邦人も英語を理解する事に驚きを隠せなかった。

彼も少なくとも、欧州域内の複数の言語を解する教養人であった。

眞乘は、ニハルに命じて、凡その骨子をフランス語で説明させた。宰相は、驚きと共に感銘した。その内容は、彼の敬愛する先代(アンリ4世)王と、今後のフランスの統治形態に関して、よく話していた内容に全く“沿う”モノで、この東方から来た異邦人。しかも、この自身と、そう変わらない歳端の人間(に見えた)が、この様な案で、この件をまとめようとしている事に感動すら覚えた。

『問題は王母だけだな』彼の頭の中では、その様な計算が為された。

司祭は、若いリシリューが、カトリックの大教区である、リュソン司教でもある事を知っていた。故に今次案の中身を“骨抜き”にしてくれるだろう事を期待していた。

しかし、宰相の答えは、司祭の希望を木っ端微塵に砕いた。

「儂に異存はない。」

「ビュルシャールよ」

「その方が、しっかり『励み』この地の文盲を司祭の協力を得て、除去せよ。しかる後、その中の教養ある者が、かの者達の云う様に。しっかり帳面を付けさせ、お主の手で、それを確認し、しかるべき対価を各自へ支払う様に算段せよ。其の方の責務は、大きくなるぞ。」

ここで領主の司祭に対する支配権は、完璧に保障された。

リシュリューとアンリは、フランスは、各地の領主権が、教会の介在により、搔き乱され、国としてではなく、お互いの利害のまま、国(王)は、その“調整のみ”を任される存在に過ぎない事が許せなかった。

教会は、その時々の都合で、此の混迷の炎に、油を注ぐだけの存在であり、害はあっても何ら益をもたらさない存在であった。

この体制が、隣国に対する国力を相対的に弱める根源だと認識していた。

世俗権、特に王権の強化こそが、この国には、絶対に必要な体制で在り、教会は、権威付けの為の、精神安定剤程度で在り、地方行政には、王権の補完以外の権能は、必要ない。と考えていた。

国からの指示徹底の為には、識字率の向上は前提であった。この協約は、その考えに準拠した取り決めである、リシュリューは、この東方から来た人間に非常に興味を持った。

「有難うございます宰相」

眞乘は、拙いフランス語で謝辞を述べた。是もリシリューを驚かせた。

「しかしながら、でございます、我々の本邦に居る理由は、既に、ご存じの事と存じます。私は、国の求めに応じ、ローマへ伺候している同僚の者を助け、国へ連れ帰るのが、本来義務でございます。故に当地に、そう長くは居れず、一刻も早く、彼等の帰国時の中継地である港に戻らねばなりません。」

眞乘は、懸命にフランス語を駆使して懇願した。

「ニハルよ、儂のフランス語は理解できたかのう?」

眞乘は、後に控えていたニハルに英語で尋ねたが、その横に居たミアの顔を見て、意味が通じていると確信した。彼女の碧い瞳には、涙が溢れていた。

その顔をリシュリューも見逃さなかった。

「其方、何故泣いておる?」

リシュリューは、異邦人の後ろに座り、俯いている若い女性に尋ねた。

横に居た領主が、すかさず、彼女が、この件の一方の当事者である事を宰相に説明した。

「私が、夫と定めた人には、私よりも大きな役目があり、私が、その役目を果たすのに、障害になる。その事実が悔しいのでございます。」

ミアは、嗚咽交じりに、絞り出すような声で答えた。

この声は、意味と事情を正確に把握できなくとも、宗右衛門の心には響いていた。

プロテスタントの女の言など聞く必要もない。とばかりに、司祭は制止しかたが、それを振り切るように宰相は、再び問うた。

「どういう意味じゃ」

リシリューの声は非常に優しかった。

この間のやり取りは、ニハルを通して、侍達も把握する事となった。

「情け多き宰相様、私如きの言をお聞き頂き有難うございます。」

ミアは、頭が混乱しつつ、未だ嗚咽交じりの声で謝辞を述べた。

「夫と、その御仲間達が、私や我が両親の名誉の為、考えて頂いた内容に、何ら不満など有りません。むしろ感謝を致しております。又、領主様や、此の街の織物に関る皆様が苦しむ様な協約を結ぶ気持ちも、毛頭有りません。私も此処で生まれ育った身ですから、皆様と仲良く、そして皆様と共に、豊かに穏やかに暮らして行くのが、望みでございました。しかし私は、夫を愛してしまいました。彼の居ない世界で生きていく事など、想像が出来ぬ位に」

再びミアは声を詰まらせた。この言葉は、司祭を除くフランス語を解する者の心を打っていた。

リシュリューは、自身の仕えていた王の過去を思い出していた。

王は、愛する者と生きて行く事を世間に遮られ、苦悩していた。

それは立場故仕方がないと諦めていた、王の心を何度慰めたか記憶が蘇っていた。

「ミアよ。」

ここで初めてリシュリューは、ミアを名前で呼んだ。

「ムッシュ兼本は、其方に会う前に、既に大命を配して、当地に赴いている事は、其方も理解している。これは絶対で在り、如何ともし難いのじゃ。ムッシュ兼本との生活を真ん中に置いて仕舞う事は、それが、許されぬ時、何をしていても、寂しさが、付きまとう。まるで自分が値打ちのない捨てられた存在と感じる。故に涙が溢れている。しかし、其方には、親から受け継いだ、技能がある。それはこの街を、云やフランスを豊かにする手助けともなる。それは其方が、ムッシュ兼本の為に生を受けたのではなく、神(主)が、己の為に此処に。其方を生かしている。とは思わぬか」

リシュリューの言葉も又フランス語を解する者の心を打っていた。

ニハルは、この言葉の意味を侍達にも伝えた。

眞乘は、この宰相が、何故この若さで亡き王の信頼を得、宰相足り得たのか、理解できたように感じた。宗右衛門は、日本人の上司とは異なる事、現実的、且つ、誰も(どの階層も)が理解できる様な『解』を示す南蛮人を羨んだ。

『なんと自国の両班(支配階層)と違うのだろう』率直な感想であった。

「主体的に、利他的な振る舞いを『私達フランス』は、其方に求める」

リシュリューは、こう括ってミアの事を仕舞にした。彼女は、溢れる涙をもう止める事は出来ず、横に居た仁八や宗右衛門は、懐紙をミアにそっと差し出す以外に、術は無かった。

「宰相様」

ビュルシャールは慇懃に質問した。

「なんじゃ?」

「二日前の戦闘で、ここに居る異邦人の手により、私の武力は悉く潰されました。宰相様の命や、この異邦人が、提案された、権威と権力の行使の裏付けとなる力が、私には、ございません」

司祭は、未だ、この領主は、私の力を必要としていると感じた。

「判った、儂が連れて来た騎士を、その者達が回復する迄、半分当地に残そう」

宰相の解は、明快であった。ビュルシャールは安堵の表情を表し、司祭の顔は曇った。

「しかしビュルシャール、横の者たちは僅か五名。通詞のニハルを入れても六名、儂が寄越した遣いの者は、者の数には入らん。その方の武力は、左様に弱かったのか?何名で襲ったのじゃ」

尤もな質問が出た。

「はい三十名程で」

小声で答えた領主は、面目を失った。

「ムッシュ兼本、其方達は、その様に強いのか?」

儀輔は、この遣り取りをニハルから訳して貰い

『またインドと同じ事か?儂の出番だな』と思った。

「宰相様、わが国は、先頃迄、約百年近く、戦に明け暮れており、海を隔てた、明や、ここに控えし宗右衛門の故国でもある朝鮮も、もし将軍が、事を治めなければ“制圧”していたでしょう。カソリックの名を借りたスペインの侵略から、本邦を守るためとは言え、我々には、対外的な暴力から、本邦を守る力は、ございます。ただ、今や、将軍様の御威光の下、明・朝鮮とも和平が、そして、国内も平和が保たれております。スペインの先兵たる宗教集団も本邦から、駆除することを決めております。故の我々の渡航が実態です。十数年前は、宗教に関しては、我が国でも、現将軍の先任者による弾圧に近い所業がございました。そう、先の為政者は、民の平和な生活を阻害し、己の利権の進捗にのみ、専心した寺社仏閣、其処に巣食う武装し腐敗した僧侶も皆殺しにし、像や建物も悉く焼き払い、老若男女を問わず信徒までも皆殺しにしたのでございます。」

眞乘は、敢えてラテン語で、本邦の最近の歴史を『()(つま)んで』この若い宰相に説明した。

この件は、カソリック教会は、報告を受け、司祭も既に事実として知っていた。故に日本ではカソリックの布教が容易くなると、安易に考えていた。

今ローマに向かっている彼らの仲間は、その為にも、来ている。とも聞いていた。彼らは、それを阻害しに来た、日本人だと云う事が分かった。

「左様か」

王権が絶対的な権威となる為には、同時または事前に、宗教勢力を睥睨し威圧して置く事。いざと成れば弾圧すら必要かも知れない。

この時、自身もカソリック大教区の司祭の身ではあったが、リシュリューは、感じた。

司祭は。これらの遣り取りに“生理的に違う”と言う感想を持ったので、敢えてフランス語に訳すことを憚った。

「通事ニハルよ、其の方が感じる此の中で最も強い侍は誰か?」

リシュリューは、ニハルに向かって、直接フランス語で問うた。領主と司祭は“江藤”だと確信していたが、ニハルの回答は違っていた

「それはムッシュ兼本でございましょう」

「左様か?」

「誰か衛兵隊長を呼んで参れ」

リシュリューは、手を叩き、外で隊列を組んで伺候していた騎士の中で最も屈強な若者を呼びつけた。

「ビュルシャールよ、庭を使わせてもらっても構わぬか?」

「勿論でございます」

領主と司祭は“江藤”と、この屈強な騎士の戦いは、見ものだと湧々した。

「ムッシュ兼本、貴殿達をよく観察していた“この者“によると、貴殿は、この中の指揮官なだけではなく、最も強いとの事じゃが、その腕前を見せては、頂けぬか?」

唐突な提案『はぁ?』と言うのが眞乘の率直な感想であった。が、無碍に断るのも大人気ないと感じた。

「宰相、それは、その者を殺しても構わない。と言う意味ですか?」

彼は、拙いフランス語で答えた。

故に侍(日本人)を除く全員が、相手は江藤殿ではなく兼本殿だ。と理解した。

「侍が戦うという事は、生死を掛けた“戦い”を意味します」

眞乘は、敢えて英語で付け加えた。

『本身で戦うことは、試合ではない』この事を皆(侍達)に周知する意味もあった。

「構わぬ」

宰相も英語で答えた。

「しからば」

眞乘は、敢えて日本語で答え、袖を襷掛けし庭に出た。

仁八は、今晩の刃毀れ修繕は面倒な事になるが、宗右衛門が(ふいご)を作っていてくれた事を思い出していた。

儀輔と服部は、何かあればミアを連れて逃げ出せる算段をヒソヒソと日本語で話し始めていた。眞乘が、負ける訳は無いが、その事で彼等を怒らせることは必定であった。

宰相の従者は、中では大柄な眞乘よりも、更に一回り大きな体を有していた。

彼は、自身よりは、小柄な異邦人を舐めていた。それは、傍からも分かっていたが、彼らの実力を真に知る、ビュルシャールと司祭は、下手をすると、また首が飛ぶ=庭や壁が血で汚れることを覚悟した。

眞乘は、刀を抜くと同時に、嶺打ちで済ますことを考えて相手の弱点を探した。刀身で、相手の刀より

“かなり重そう”な剣をまともに受ける事は、単に、仁八に労をかけるだけと言う事も解っていた。

かと言って、儀輔の様に一刀の下、胴と首を分ける様な仕儀は、この屋の主に迷惑を掛けるだけ。穏便に、此奴を動けなくするしかあるまい。と言う事で、庭に降りる前に。部屋から庭へ降りて行き途次(すがら)、相手の騎士をまじまじと睥睨していた。

それが相手には、好戦的いや挑発と映ったのかも知れない。

敵(衛兵隊長)は、眞乘が、石段を下り切って庭に、踏み入れるや否や、剥き身を翳して挑みかかってきた。しかし、それは、実践慣れをしている戦国の侍にとっては“余りにも遅い動作”であり、振り翳された重い剣は、眞乘により“意図も容易く”躱され、眞乘の左肩を遥か外れ、庭に剣が刺さる前には、騎士の右手の自由を奪った眞乘により、庭と部屋の境界を示す石段に(騎士の)体(頭)を力強く叩き付ける事となった。結果、眞乘は、太刀を抜く必要もなく、脇差を少しだけ、鞘から抜き、相手の首に当てるだけに留めた。しかし、既に相手は気を失っていた。僅か数秒の事であった。

侍達や、ビュルシャールと司祭には、当たり前に光景であったが、宰相の傍で警護に就いていた部下、いやリシュリューにとっては、青天の霹靂的な衝撃を与えていた。

仁八は、庭に刺さっていた“剣”が、やはり若干曲がっている事を見逃さなかった。

『やはり』という感想が残った。儀輔と服部は、何も感じず、ただ、宗右衛門のみが、朝鮮の役以来、殿が自身に教えていた柔術は、このような時の為の、護身術である事を改めて身に沁みさせ、感動の面持ちでいた。

ミアは、唯ただ、夫の頭だけではない“凄さ”を感じていた。 

リシュリューは、益々、この兼本眞乘という人物と夜を徹して話をしてみたい衝動に駆られ、考えをフル回転させていた。

「ムッシュ兼本、大変無礼な依頼でした、改めてお詫び申し上げます。」

リシュリューは、騎士の首に、脇差が向けられるや否や、席をさっと立ち、階段を下りて、膝付いて、眞乘の手を取って、非礼を詫びた。

其のまま脇差を腰に仕舞った眞乘は、やや“ムッ”とした表情を向けながら、この若き宰相の、侘びの意を受け入れた。

ニハルが、傍に呼ばれ、リシュリューは、眞乘と差しの話をし始めた。

皆は、その話を聞き逃すまいと耳を欹て(そばだて)ていた。

「ムッシュ兼本も私も、明日には、本拠に戻らなければなりません。時間が無いので、この様な形を採らせて頂く事をお許し頂きたい」

リシュリューは、慇懃なのか、謙虚なのか?分からぬが、ニハルを通じフランス語で語り掛けて来た。

「私は、貴方に、その将軍や彼の指導者だった以前の為政者に関する事をもう少し丁寧に教えて頂きたい」

「その為に、今晩、夜通し話を続けても構わないと考えています。勿論、貴方が許してくれるならば」

眞乘は、リシュリューと言う若い宰相は、謙虚な人物かも知れないと錯覚しそうになった。

「ムッシュ・リシュリュー」

この言葉を受けて、服部が、口を挟んできた。幕臣故、当たり前と言えば当たり前の事であった。

「某は服部と申し将軍の直参の家来でございます」

少し、たどたどしいオランダ語で、ニハルに通訳を促した。

「某は、彼等の目付(監視役と言うオランダ語を使っていた)として、政府(幕府と言う適当な言葉を彼は思い付かなかった)から、同行を命じられております。将軍家に関する質問の場合、某に、お尋ね頂きたく存じます」

儀輔と眞乘は、目を見合わせて含み笑いをし、同意の意思表示をリシュリューに向けた。

「しからばムッシュ服部、将軍とは、日本ではどのような存在なのですか?」

リシュリューは、尋ねた。

「帝に政(政治)の一切の権能を与えられた人間でございます」

「Oh,では帝は、誰に権威を与えられているのですか?」

「帝は、その存在自身が権威で在り、誠に申し訳ないですが、御仏を含む、いかなる存在より、上位に位置する権威でございます」

眞乘は『仕舞った!』と思った、この言葉は、司祭を含めカソリック全体を敵に回す言葉であった。思った通り、司祭の顔は、みるみる赤調して来た。

しかし、リシュリューは、彼の言葉を“平然と受け止め”た。

要は、受け流した。そして眞乘は改めて、このリシュリューと云う若者は、ただ者ではない。と感じた。

司祭は、未だ、顔面を紅潮させていたが、リシュリューは、話題を眞乘の事に振った。

「ムッシュ兼本、貴殿は、今晩、どこに投宿されるおつもりじゃ?」

『ミアの家』と応えるしか“術”は、無かったが、黙るしかなかった。

リシュリューは、畳みかけた、

「ミアの家しか無かろう?」

頷くよりなかった。

司祭の興奮は、この周囲に含み笑いを興す“遣り取り”で、醒めた。

「ミアよ、其の方の家に儂が寝泊まりできる部屋はあるか?」

リシュリューはミアに、尋ねた。

「汚い家ではございますが、部屋は、ございます」

ミアは恐縮して答えた。

「騎士が野営できる場所もあるか?」

この問いには、ニハルが答えた

「全員は無理でございますが十名程度なら。畑の下の支流の河原で野営が可能だと思います。家の前は、侍が仕掛けた罠が、そこら中に未だ残っておりますから、敵に攻められる心配はございませんし、もし襲って来ても、彼等がいれば、返り討ちに会うでしょう。で、この場は、野営には不向きと存じます」

ビュルシャールが大きく頷くのをリシュリューは、見落とさなかった。

話は、決まった。

リシュリューは、日のあるうちにミアの家、そして、侍達が仕掛けた“罠”と言うモノを一刻も早く見ておきたかった。

そそくさと、人選を済ませ、若くて教養が、ありそうな騎士を十名警護に選ぶと、残りの一切は、年長の騎士に任せ、

「領主ビシャールよ、宜しく」

と一言だけ述べて、侍達と、ミアの家へ向かった。

若い武装を解いて軽装になった騎士は、リシュリューと共に、その罠一つ一つを見て回り、其の説明に、服部と眞乘は、ニハルと共に当たった。

ミアの家への行き途次、眞乘は、仁八に、

「吾奴の稽古“今日は、無し”じゃな?」

と、話していると、儀輔が

「儂が代わって稽古を付けてやるから安心せい」

と眞乘に伝え、宗右衛門を見やった。宗右衛門は、今日は、休みと思っていたが、

「今日は大変だ」

と覚悟を決めた。

眞乘は、少なくとも十五名近い大所帯の世話をミア一人に任せるのは、心許なく、仁八の助けは、必要と感じていた。

全ての罠の所在と仕組みを見せ(説明)終わった、日が暮れる少し前、玄関前に整列している騎士に、リシュリューは、完全なる武装解除を許し、河原に野営地の設営を命じた。リシュリューは、玄関前の壁に囲まれた部屋を指し示し、この湯気が出ている壁は、何か?を眞乘に尋ねた、その横では、儀輔が、宗右衛門に稽古を付けている最中であった。

風呂の説明は、ニハルが器用にリシュリューに説明すると、稽古が終わったばかりの、儀輔が、宗右衛門に命じて風呂の支度をさせた。ニハルの説明は、その様の説明だったので、明快であった。

鍛え抜かれた上半身を見せ、儀輔は、湧いたばかりの湯を絞った布巾で、体を拭きだしていた。流石に一国の宰相の前で素っ裸になる事は、差し控えたのだ。

周りに居た、騎士達は、儀輔の鍛え抜かれた体や、先程迄、眼前で広げられていた『稽古』の様を見て、儀輔も、唯者でない事は理解していたが、いや稽古を付けられていた宗右衛門も、下手をしたら、自分達依りも『達者』な武芸者で在るかも知れないと感じていた。

リシュリューが部屋に入ると、素早く壁の中に隠れた儀輔は、素っ裸になるや否や気持ちよく、湯を全身に浴び体の汗を洗い流した。中から

「宗右衛門。お主は、如何する?」

と言う問いが日本語で来たので、宗右衛門も間髪を入れず、

「では」

と答えていた。周囲に居た騎士たちもこの様子には興味津々であった。

菜園で収穫したトマトは、ぎりぎり人数分の夕食に間に合う量があったが、肝心なのは、それをよそう皿が足りない事実であった。

仁八は、匕首を手に薪を収納してある裏手に回り、何本かの“太め”の枝を伐採し、彼が手入れし直した、ミアの家の、斧と(のこぎり)を使い粗方成型した木の輪を彼が手にする匕首と笄で、器用に皿の様なモノに仕上げ、それを10枚ほどササット作って見せた。

周りでその様子を見ていた、武装を解いた騎士達は、仁八の持つ刀(匕首)や笄の切れ味の鋭さ、そして見慣れた斧や鋸を器用に扱う様に、驚嘆していた。

作られた皿は、湯屋の竃で湧いている、お湯の中に数秒放り込まれ、良い香りを醸し出していた。

仁八は、竃から皿を、自作の長火箸の様な物で、サッと取り出すと、乾燥させるべく、竃の縁に器用に並べていた、濡れていた皿は、みるみる乾き、割れる物が、現れると、再び仁八は、薪を器用に削って追加の皿を作った。削り出した木っ端は集められ、屋内の窯にくべられると、竃の炎の勢いが増したので、ミアは、汗だくで鍋底を丹念に焦げ付かせぬようかき回す事となった。

彼女も今晩は、風呂に入りたいと感じた。

全員に夕食が行き届き、腹を満たすと、リシュリューが持参したワインとチーズが全員に振舞われた。

実は、このチーズと言うモノが、儀輔と仁八は、苦手であった。

彼は、隠し持っていた烏賊の干物を、焼いてワインの当てにしたが、この匂いが、一部の騎士には不評であったが、リシュリュー以下、数名の騎士の鼻をくすぐった。

最初彼等が忌み嫌う、蛸に似た“ゲソの部分は、敬遠されたが、一人が口にして身の部分より美味い事に気が付くと、リシュリューが、その味を追認したので大変な事となった。ここで、リシュリューの提案で力試しの勝者と勝者を当てた者が、このゲソを手に入れるという事となり、代表にまだ風呂に入っていない仁八と一名の騎士が指名された。ミアは、この幸せな夜は、今宵限りと考えると、この勝負には入り込めずワインに、自身が耽溺していくのが分かった。

想像通りと言うか、当然、結構酔っている仁八の前に素面(しらふ)に近い若い騎士は、全く歯が立たず。あっという間にねじ伏せられていた。しかし仁八は、彼にゲソを分け与えた。ここで今宵の宴は、お開きとなり、騎士達は、野営地に下って行った。仁八は、即、湯屋へ飛び込み此の勝負で出た汗を流した。

この様子を見ていたリシュリューは、自分もこの湯屋を経験してみたい衝動に駆られていた。

侍達と、リシュリューは、杯を交わしながら、全く、酒を嗜まないニハルは、茶をすすりながら、彼等の問答に付き合わされていた。

「ミアよ、醒きておるか?」

リシュリューは、酒が強い様だ。ミアは、頷いて返答をした。

「其方とムッシュ兼本の件は、このニハルを通し、ムッシュ江藤やムッシュ服部から詳しく聞いた。」

「彼の大義は、其方との事より先じゃ。よって其方は、ムッシュ兼本殿を此処に引き留める事は出来ぬ」

「判るな」

ミアは黙って頷くしかなかった。

「ただ儂は、ムッシュ兼本に、其方の事も尋ねておる。安心せい、ムッシュ兼本も其方の事は、憎からず思っており、ここで別れる事は辛いと感じている。」

この言葉だけでミアは、嬉しかった。リシュリューは、続けた。

「これからは、其の方が主体的に街の者をリードし、この地域、街、国を豊かにしなければならない。領主ビシャールにも、その事は、噛んで、含めて、話はしてあるし、戻り次第、書状も認め、二度と、其方を教会が、襲う様な事が、起きぬよう、念を押すつもりじゃ。」

「儂も元々は、カソリックの枢機卿じゃ、その儂が言うておる。安心せい。」

ニハルは、彼のフランス語を侍達に説明しつつ、感じ入っていた。

服部が、この訳を受けて、口を挟んだ

「将軍以前の為政者、特に織田様や豊太閤と言う、モノ凄い権力者が、十年前迄、日本にも居ました。彼等が、苦心したのが、一向宗と言うに仏教門徒でした、実を云うと、我が(あるじ)(将軍)も若き頃、彼等には、散々酷い目にあわされました。ただ仏教徒は、この弾圧を経て、将軍以下、世俗の権力に負けを認めて、彼等の権威権力を脅かす存在ではなくなり、今や学問や道徳の洗練にのみ専心する様になりました。結果、今や僧侶達は、将軍家以下、下々の者からの尊敬こそ集めておりますが、弾圧される様な事は無くなりました。我々が、ここに来た目的は、今カソリックを使い、スペインが、我が国に一向宗に代わる新たな神。宗教権威を持ちこみ、将軍家を脅かす様な権力を持つ事を阻止する事だけでございます。故の、カソリックの弾圧が、今の我が国の実態でございます。」

服部は、リシリューを信じ、全てを曝け出した。

言葉を直接やり取りできる眞乘に、リシュリューは、裏書を求めた。

「Oui」

彼は、事実だと認めた。

この言葉を端緒に、ミアは、席を外し、外へ出て湯屋へ向かった。

リシュリューは、目で、彼女を追わんでも構わぬのか?と、眞乘に督促合図をした。

これは服部と儀輔、仁八もニヤ付きながら『この宰相は、話が分かる人物』と言う感じで、眞乘に、追う事を督促しているようだった。眞乘は、仕方なく席を立った。湯屋のお湯の調整の為、宗右衛門が。その後を追った。

髪の毛を布巾で束ねたミアは、軽く会釈をして寝室へ消えて行った。彼女の手には、眞乘の腰の物と思える脇差が、しっかりと握られていた。しばらくして、夜風で体を覚まし、すっきりした表情の眞乘が、その後、部屋に戻って来た、皆、軽く含み笑いをしているが、悪意は、そこにはなかった。

ニハルの横に座った眞乘が口を開いた

「さて、ミアを含め教会、領主、織物業者の4者による協定書だが、儂も宰相殿もその本が出来上がる迄、当地に居る事は出来ない。如何すべきか?」

儀輔と服部の方を見て儂の英語は分かるか?と尋ねた。

二人は頷いた。そこで眞乘は、ニハルとリシュリューの方に向き直し、英語で問うた。

ニハルは頷き、リシュリューは、考えを巡らせている様だった。

リシュリューは

「では、どうしてもマルセイユに明日中に戻らねばならんのですね?」

眞乘は“(くど)い”と思った。しかしリシュリューは、侍達に自身の城の防備などに関して意見を聞きたかった。

こんな小さな家の備えが、五倍の敵を蹴散らす効果があった、それを実地で見て確かめたのだから。この衝動は、仕方のない事であった。

「では、ムッシュ村上に金本を付け、指揮官としてムッシュ服部に先にマルセイユに戻って頂き、私の部下を彼等の手足、要は、伝令として付けるので、数日間、私に、ムッシュ兼本と、ムッシュ江藤のお時間を頂けないだろうか?」

リシュリューは、既に人選をし、侍の中で強力な人間が、この3人であると見抜いていた。服部と江藤のトレードオフで、兼本がいれば服部は、要らないと云う形から、江藤(儀輔)を選んだ。

「して?」

服部が、オランダ語で尋ねたが、ニハルを差し置いて、リシリューがオランダ語で答えた。

「お二方には、我が居城を見学頂き、至らぬ点をご指導頂きたい」

リシリューは本音を出してきた。

「それは兵士も見て欲しいという事か?」

儀輔が尋ねた。

「Ja」

オランダ語でイエスと言う意味だ。儀輔、服部、眞乘は、お互いの顔を見合わせた。そもそもが、戦闘マニアともいえる儀輔には、その提案は魅力的であった。

服部も実は内々に、『まだ戦が続いている、南蛮で、何か先進的な武具などがあれば、調べてくるように』に、との密命が下されていた。

「それはいかん。」

服部が、はっきり拒否反応を示した。

「某は、この者達の監視やお守が主命。ローマに行った一行は、彼等の家中の者、故に、彼等が責任をもって帰国させねばなりません」

尤もな、話である。

リシュリューは、服部の話に理が通っているので、再びワインを煽りながら、考え始めた。

仁八は、いずれにせよ、明日には、再び、魚貝にありつける(もう肉料理とサヨナラできる)ので、この提案には、異論はなかった。只、ニハルがいない場合、現地人とのやり取りは困るな?と懸念していた。

「では、某が服部殿に代わろう」

眞乘が申し出た。

「いやその場合、通事がいなくなる」

リシュリューは、答えた。

「ニハルを通事として連れて行けばよい」

眞乘の答えは、明瞭だった。

「ムッシュ兼本、貴方が、我が城へ来れば、帰り道に再び此処に寄れます。明日マルセイユに行けば、今宵が最後ですぞ」

リシュリューは、かなり酒が回ったらしく、彼らしくない言葉を吐いた。

この言葉には、一同苦笑いするしかなく

「さも在り何無」

と日本語で儀輔は、含み笑いをしながら呟いた。

此処で、眞乘を除く一同は、大笑いをし、ワインを煽った。宗右衛門も朝鮮語で

「正に(バロ)」

と呟いていた。

この夜は、これでお開きとなり、眞乘は、そそくさと、ミアの待つ寝所へ向かった。

リシリューは、服部達に促され、与えられた寝所へ渋々入って行かざるを得なかった。

しかし諦め切れぬ彼は、仁八に向かい

「貴方達が、先程から使っていた湯屋とは、どのような物ですか?教えて欲しい」

とフランス語で話したので、ニハルが、その言葉を仁八に伝えた。皆が湯屋を使った後なので、最後に湯屋を使おう。と考えていた宗右衛門は、面食らったが、仁八がすかさず

「これから、あの者が、湯屋を最後に使いますので、あの者に案内させましょう」

と宗右衛門を名指しした。宗右衛門は、英語はある程度解しても、フランス語は、全く自信が無かった。

が上役の“命”と有らば、と腹を括り、拙い英語でリシリューを案内した。これが正解であった。


(妻帯、バンブローナーへ)

「ミアよ」

眞乘は、ミアに寝台の上で、寝ずに彼女と正対していた。

「もしその方と儂の間に子が生まれれば、それは儂の子じゃ。しかし、彼に会う事は難しい、いや、もう出来ぬかも知れぬ。よって、その子が男子ならば、儂の名を与えよ。儂の名はこう書く。」

と彼は、懐紙をと矢立から筆を取り出し、アルファベットと楷書で自分の名前を書いて彼女に渡した。

「Kanemoto,Jinnpachirou Sanenori/兼本甚八郎眞乘(さねのり))」

「兼本が、家族の名前、甚八郎が、呼び名、眞乘が、名じゃ。女子ならば、其方が当地流の名を付けるが良。」

「では私は、これからマダム兼本と自身を呼んでも構いませんか?」

「うむ、構わぬ。先ほど与えた儂の脇差は、代々兼本家に伝わる由緒ある刀じゃ。これを其方に託す。」

「故に、明日から一人にするが、以降、宜しく頼む。」

眞乘は、深々とミアに頭を下げた。

ミアの頬に涙が流れ、彼女は、彼にしがみついた。今生の別れの夜であった。


滞在6日目の朝も、彼等は、早かった。日が射す頃には、着替えを終え、ミアは、朝餉の支度を、眞乘、宗右衛門も、主君夫婦の手伝いをしていた。この物音に気が付いたのか、リシリューと仁八が、目覚め、仁八に従い見たリシリューは、彼等の習慣が物珍しかった。

最後にミアが朝食の支度が整った頃、服部と儀輔が、おっとり刀で起きて来た。その頃には、河原で、野営していた衛視たちの声が聞こえていた。

眞乘らと共に起きていた、ニハルは、馬小屋から戻って来て、馬の支度が調った事を伝えた。昨晩の話し合いで、儀輔と服部、そして通訳としてニハルが、リシュリュー等と共に、バンブローナーに向かい、眞乘、仁八、宗右衛門が、マルセイユへと向かう朝であった。

ミアは吹っ切れてはいないが、一昨日の朝の様に塞ぎ込む様子は無かった。

マルセイユの荷物を預けている宿からの知らせも無いので、夕方迄にマルセイユに着けばよいという事で、逆算して、昼までの僅かな時間、眞乘は、ミアと褥を共にしようと決めた。その様な算段もあり、仁八と宗右衛門は、ミアに対し湯屋と、厠をどうすべきか尋ねさせ、その介在を専ら眞乘が引き受ける事で、儀輔と服部、リシリュー一行を早々に旅立たせようと画策した。

全ての行為が終わったのち、眞乘は、再び湯屋にミアと共に行き彼女の肢体を目に焼き付けていた。

ミアもその気持ちが分かるだけに、全てを夫に晒していた。

仁八と宗右衛門は、その様な殿夫婦の気持ちを汲んで、彼等から離れ厠から畑への濠の拡幅整備に勤しんでいた。

いよいよ昼も過ぎ、眞乘は、宗右衛門に身支度を仁八に馬を玄関まで引かせるよう命じると、旅立つ仕度を整え始めた。ミアの目には涙が溜まって居たが、振り返らず、仁八が馬を引いて来るのが窓から見えたのを境に、ミアを厚く抱擁し、机に立て掛けてあった大小を差し、旅立った。

マルセイユには、馬を飛ばしたせいもあり、日が暮れる前に宿に到着した。宿の主人に馬を預けると、中から宿屋の妻が、飛び出してきて、仁八の帰りをたいそう喜んだ(と思う)なんせ、仁八は、フランス語、特に訛のある早口言葉は、皆目判らなかった。

翌朝、仁八は、早々に港に出向き、釣り針を垂れ、短時間で掛かる、適当な魚を数匹吊り上げ、宿屋に戻り、早々に朝食の支度にとりかかっていた。しかし近所のおカミさん連中は、何時の間にか、彼が戻って来ている情報を得ていたらしく、早速、宿の台所は(かしま)しい状態になっていた。宗右衛門は、この状況に驚き、急いで眞乘を呼びに行った。

「殿、如何致しましょう?」

仁八の嬉しさ半分の『参ったなぁ』と云う声は、眞乘の“落ち込んだ気持ち”を少し和らげた。そして、一人ずつ落ち着いて、と眞乘はフランス語で、女性陣に語り掛けると、中の一人からとんでもない情報が入って来た。

「何!」

思わず日本語で叫んだ眞乘は、その情報を発した、浅黒い顔の女を引っ立てる様に、食堂の方へ同道させた。曰く、『ローマを立った支倉一行は、既に“スペインに到着し逗留している。』という事は、彼等は、当地を経由せず、直接海路でスペイン領内に行ったことを意味していた。

目算が、完全に外れた。そうなると当地に長逗留している意味は、ない。かと言って、ここから陸路で、スペインの首都バルセロナか、どこに居るのか『わからない』、支倉一行をやみくもに探し出すのは、無駄足の虞があった。

仁八は、眞乘に、思い切った提案をしたが、それは、眞乘も同意せざる内容だった。

「バンブローナーに向かいましょう」

そう。それ以外、手は無かった。ここはフランス王国とスペイン王国の外交交渉で、彼等は、機会を作るしかないのだ。しかし、交渉相手は“宰相”と“国王”

宰相の外交能力が試される。しかし彼等は、リシリューの人となりを既に知っていた。では、どう算段を付けるかであったが、それも仁八の案は、眞乘が首を縦に振らざるを得ない内容であった。

「先ずは、宗右衛門が早馬を飛ばしバンブローナーに向かいまする。然るに休みを入れたとしても三日は掛かりましょう、往復で六日、これが、猶予期間でございます。然るに拙者は、当地で少なくとも四日間は滞在可能、その間に出来るだけ干し魚を作りたく存じます。殿は宗右衛門と共に旅立って下され。しかし、奥方の元で留まっていて下され、其処へ拙者も参りますし、宗右衛門も着て、そこからバンブローナーに共に向かいますれば、良いかと存じまする。」

ミアは、突然の眞乘来訪に喜びと共に感涙した。しかも今回は、彼一人である。しかも事情は、承ったとはいえ、離れて二日と経たずの再来訪であった。

「ミアよ、四日ばかり、金本(宗右衛門)か村田(仁八)が戻って来る迄、逗留させておくれ」

なんの!問題もあろうか。

「そうそう、例の本は、出来たか?そろそろ出来る頃であろう?」

と言うと、眞乘は、街の方へ向かおうとしたが、

「街から、出来たらば、知らせが参るはずです」

と、尤もな理由で、ミアは、眞乘を強く引き止めた。

「然も在りなん」

眞乘は、馬を馬小屋に引き立て、部屋に戻ると、腰の大小を、机に立て掛け、ミアを強く引き寄せた。ミアは、その手を柔らかく押し止めると、台所の火にかけていた鍋を下ろし、其の元火を、外の竃に移した、この様を見ていた眞乘は、井戸に水を汲みに行き、盥を竃にかけ、手を洗って家の中にミアと共に入って行った。

夕刻前に、ミアの家には、領主ビシャールではなく、司祭に雇われた、街の腕っ節のある男が三名程やって来た。しかし彼等は窓越しに、眞乘の刀を見るや否や、ホウホウの体で街に舞い戻っていった。

寝所に居たミア達が、その様な事を知る筈もなかったが、暫くして、領主ビシャールの遣いの者、要は、眞乘も知る、リシュリューの配下の者が、礼儀正しく、ミア宅へ訪れた。勿論、出迎えたのはミアではなく、眞乘であった。

「サインすべき協定書が出来たのじゃな?」

英語で眞乘が質問すると。

「Yes」

という英語が、遣いの者から発せられた。

「では参ろう」

英語で眞乘が答えると、ミアは、どうすべきか眞乘に訴えた。

「其の方も参るか?」

優しくフランス語で答えると。ミアは、ニコッと笑って、彼の後に続いた。

司祭にとっては、最後の機会であったが、領主ビシャールにとっては“これで完結した”感があった。

玄関から眞乘一行が、領主の館へ入室すると、机の上には四冊本(協定書)が置いてあった。

各書籍に、領主、司祭、そして、矢立から筆を取り出すと眞乘が署名した。

「手違いがあり、拙者は、これからバンブローナーに向かう、然るに、この一冊は、拙者の手からリシリュー卿に手渡そう」

と言い、二冊は眞乘の懐へ仕舞われた。

「何時御出立で?」

司祭は慇懃な態度で、しかもラテン語で質問して来た。

「適当な時期に(at the suitable time)」

同様に、しかし、皆が理解できる様な簡単な英語で眞乘は答えた。

ミア、領主、そして、リシュリューが残した兵士は、司祭の配下が、眞乘が旅立った後、ミアを襲う可能性を察知した。眞乘は、それを言葉で未然に防いだ。

「ムッシュ兼本、私のモノは、しかるべき安全な場所に“保管”させます。そしてこの本は、皆の教育の為のテキストとし、簡易版を増刷させます」

領主の言葉は、ミアと眞乘を安心させた。

司祭は、“むっ”とした面持ちで一冊を手に取り屋敷を後にした。

領主は、ささやかな“宴”の準備をしていた。

「ムッシュそしてマダム」

ここで初めて領主は、ミアを見て“マダム”という言葉を使った。彼女は、正式に眞乘の妻として街に認識された。

「そしてガスト隊長。宜しければ、ささやかな夕食にお付き合い頂けませんか?」

領主の言葉に、誰も断る理由は、無かった。

領主も又、今後、この街の維持発展のための方策を兼本と話したかったのだった。領主の傍には英語とオランダ語が理解できる、秘書が控えていた。眞乘は、フランス語と比較的まともな英語とオランダ語で、領主とリシュリューが残した若い隊長の質問や、要望に、食事の間中応えていた。

彼等の眞乘に対する敬意は、益々増幅されていた。

驚いたのは、ミアが自身より十七歳も若く、彼女の両親と、自身が、さして歳端が変わらなかった事、そして、領主と自身も十歳も年が離れておらず、リシリューも自身より若干、若いという事実であった。同様に、彼等は、武力だけではなく、この哲学的深さや知識に溢れた東洋人が、自身等より、かなり若く見える事に、驚いていた。ミアは、眞乘に対する信頼と愛情が、従来にも増して行くのを実感し、益々離れ難くなって行く気持ちを堪えるのに、とても苦労し、通訳の秘書も、その言葉を適確に“訳す事”に窮していた。

結果、翌朝から、領主の秘書は、最初にミアの下に尋ね、眞乘の言葉の意味を正確に把握しておかねばならなくなった。

それからと言うモノ、ミアの家の外の竃から煙が出ている日(湯屋を使う=眞乘が居る)に、ミアの家には、領主、リシリューが残した衛視たちが、入れ代わり立ち代わり押し寄せて来た。領主の秘書は、いつの間にか、眞乘専属。

要は、バンブローナーに行った“ニハル”の代役を務めていた。

結果、秘書の性格的なものもあるが、眞乘の言葉は、正確に伝わり、ニハルが適当に訳していた概念は、正されていった。

初日の夜は、眞乘が寝所に戻る頃には、すっかり疲れていた。昼間に、するべきことを済ませておいたのは良かった。寝台に着くなり、吐息を出していた。

ミアは、この幸せな時間が、永遠に続く事を神に祈った。


眞乘達は、よく言えば充実した時間を過ごしていたが、四日目に予告通り、仁八が、干した魚と塩蔵した魚等を詰めて、マルセイユの街からやって来た。

宗右衛門が、戻って来るまで、彼も眞乘と共に、押し寄せる街からの来客主、衛視たちへの対応に、当たった。

五日目の夜、宗右衛門が服部からの書状を認めて、バンブローナーから戻って来た。

マルセイユではなく途中のツールーズにした事は、宗右衛門には、有難かった。

久々に自身が設えた湯屋で、体の疲れを癒し、宗右衛門は、出立の刻限を主に質した。

眞乘は、宗右衛門にも暫しの休息が、必要と考え、二日後の出立を皆に下知した。

ミアは、夫と共に過ごせる時間が、あと二日しかない事が寂しかった。

しかしその言が、押し寄せる客足を増やす結果となった。

領主ビシャールは、それ以来、毎日、時間を惜しむ様に、秘書を伴って来訪した。

いやそれは『出勤』に近かった。

結局、滞在は、もう一日増え、三日目の朝、早々に彼等はミアの元を後にした。

バンブローナーの城門には、馬に跨るリシュリューが満面に笑みを浮かべて、以下同様に馬上の儀輔や服部、もうその部下と言う感じの衛視達は、整列して眞乘一行を迎え入れてくれた。こう言う出迎えをされると、眞乘も“一肌は、脱がんと行けない”という感慨が込み上げてきた。

リシュリューの“まずは旅の疲れを癒す”休息の勧め、を断り、儀輔を捕まえ、日本語で今まで観察してきた、この城(要塞)の概要や、弱点に関して質した。

これに関しては、服部の見識の方が、事の正鵠を得ており、儀輔は衛視の教育に専ら当たっていた事が分かった。攻められ難い造りではあるが、いざという時の、安全な抜け道が無いこと、リシュリューの指揮所と、各砦間の連絡が密に出来ない事、そして、儀輔が最も強く訴えたのは、全衛視、特に、その部隊長クラスが、リシリューの指示が無ければ、次善策を全く考えない(考えていない)事であった。

これは、朝鮮の役で過小な兵力で二十五倍以上の敵兵を見事に“釣り野伏”という戦法を使い、最小の損害で、排除撃退し、その後、味方の救援に向かい敵将、李舜臣を討ち取る戦までこなした島津。

関ヶ原に於いては、見事な撤退戦、その際、島津の主だった武将の指揮行動や、兵一人一人の行動を常識として持っていた、当時の侍にとっては、驚きであった。

その日は、リシュリュー主催の晩餐を共にしなければならなかったが、その場で、はっきりと眞乘は、彼等に、明日以降の講義内容に関してニハルを通して語った。

この余りに早い、侍達の行動は、リシュリュー以下場内のフランス人を感動させた。

ただ驚いた事に、リシュリューは、中国人の通詞を三名ほど用意していた。

ニハルの翻訳に若干の不安を持っていた、眞乘。服部と目を合わせ、先ずは、眞乘が中国語で彼に挨拶をしたが、眞乘の中国語(多分北京語)は、広東や福建語(客家語)を話す彼等には、通じなかった、しかし漢文で筆談が通じる事が解り二人は喜んだ。

眞乘と服部の考えを文書化すれば、彼等が、自動的にそれをフランス語に正確に翻訳してくれる。

これは非常に助かる。二人は目を見あって喜んでいた。問題は、このような僻地に充分な紙と筆があるか?“だけ”である。

が、宰相が呼び寄せた中国人も、ニハルが用意し、仁八が湧かした湯で入れた久々の茶と、肉以外の食料に感動していた。彼等も元々内陸ではなく、沿岸に住む中国人であった。

仁八は、塩蔵したエビ以外に、あらかじめ蒸してから、乾燥させておいた貝類も大量に持参して来ていたのだった。マルセイユの四日間を仁八は、周囲の女性陣の協力の下、主人の為に一刻も無駄にはしていなかった。

眞乘と服部は、儀輔を呼び寄せ、宰相麾下の衛視たちの育成方法に関して、話し合いの場をその晩一晩掛けて持った。要は、衛視一人一人の武力を鍛える前に彼等の中で指揮官たる人物を再度、選び出す事。

まず彼等に、隊長としての自覚を持たせる事を儀輔には求め、この案は、宰相にも共有した。

衛視の中で兵隊にしか足らん者は、宗右衛門と仁八が、その戦闘力を見極め、向上させる武術指導に当たる事とした。

こうしてあっという間に、バンブローナーに於ける、二日目の夜は過ぎて行った。

到着三日目の朝、各兵団の長が、宰相により指名され彼等の首実検が、服部と儀輔そして通訳の中国人の手を借り実施された。

残りの兵隊(衛視)は、場内中庭に於いて、眞乘と仁八の監視の元、宗右衛門と一対一で模擬戦闘(立ち合い)が開始されていた。この模様を場内の窓からリシリューは興味深く眺めていた。

本身を打ち据えて来た5人を軽々と受け流した上で、素手で投げ倒したところで、宗右衛門は、肩で息をし始めていたので、仁八が代わって十五人を、木剣を使い軽々と打ち据えた。此処までに二十人で、彼等に怪我を負わせる事が出来た衛視は、一人も在らず、且つ彼等は、本身、宗右衛門達は、木剣を使用していたにも拘らず、彼等の本身は、手から叩き落され、地べたに折れ曲がって転がっていた。一方、宗右衛門が、用意しておいた木剣は、3振のみが、深い太刀傷を受け、使い物にならなくなっていた。

残りの衛視は、もう充分、投げ飛ばされ、打ち据えられ、壁際で(うずくま)る二十名の様な事態は、コリゴリという風情で、大人しく、彼等より小柄な宗右衛門や仁八の意のままに動くようになっていた。

仁八は、通訳の中国人を通し、彼等の武具は、何処で入手した物であるか?それらの普段の整備は、どの様にしているか?を打ち据えられなかった衛視達に尋ね始めた。仁八にとっても、この中国人通訳に筆談を使い質問する事は、慣れぬ英語やオランダ語でニハルを通して質問するよりも、かなり、気楽で、事態の把握も正確であった。

「宗右衛門、仁八。此処は、お主らに任せて、構わぬな?」

眞乘の質問に二人は頷いた。眞乘は、ニハルを伴い、宰相の元へ参じた。

「より詳細な弱点は、服部殿と江藤殿が調べ上げており、両名は、この件に関しては先達でありますが、宰相殿にまず知って欲しいのは、この城の脆弱性であります」

眞乘は、まず、オランダ語で本題からリシュリューに食い込んで言った。

そこから彼は滔々と、泗川の戦いに於ける明(中国)朝鮮(韓国)連合軍に対する、寡兵であったが生き残った(勝った)島津の戦いに関して知りうる知識を吐露した。

その頃、儀輔と服部は、隊長足る人材の見極めを粗方済まし、その中で、使えなさそう

(脱落させるべき)長の一人に、君たちが使用しているマスケット銃(火縄銃を此方ではマスケットと呼ぶ事を知った)の能力を見せてほしい旨、指示した。

彼等の隊長クラスに対する見極めは主に、言葉=正確に読み書きが出来る。即ち伝達能力の査定。そして、戦術レベルの理解力に関して、で在った。

まずニハルの指示に対して、部下への伝令、上司(この場合ニハルに対して)伝達に対し言葉や、その内容が、あやふやな人間が篩にかけられ、脱落させた。

戦術レベルの確認は、ある不利な戦闘条件に陥った時、彼等が、どのような指示判断をするか?の口頭試問であった。服部や儀輔もニハルより、彼等に付いた中国人の方が、余程役に立つことを認識していた。

驚いた事に、ケーススタディーで出した問題の中に、中国人通詞が、実際に加わった戦闘があり、彼により、その際の、明の指揮官の無能さ、彼が所属していた隊の規律の緩さも暴露された。彼も、元々は明の軍人であった。故に意思伝達は非常に、捗った。

二日目の夜、儀輔が、仁八から聞いた話で得心が行ったのだが、当地の鉄は、基本鋳鉄であり錬鉄や鍛造という技法(その理由)が、城の付近にある鍛冶屋にすら、行き渡っていない事が、驚きであった。日本刀や火縄銃の銃身は、基本異種類の、(はがね)と銑鉄を鍛造し組み合わせる手法で作られるのだが、彼等は鋳鉄の形状を整える為だけに、ハンマーを使用していて、鉄を鍛える。と云う(すべ)を知らなかった。故に、重量のある剣は、すぐ折れ曲がり、マスケット銃に充填する火薬の量も、彼等の常識(火縄銃)の七割方に止めていた。眞乘は、馬の蹄鉄がどのようになっているのか?

明日質してみようと考えていた。馬に関しては、今迄、乗っていた馬に比べ、当地の馬は、身体が大きく筋骨が、逞しい。故に速度も速い様に感じていた。しかし、その割に脚部が細いのが、気になっていた。不整地を疾走する際、蹄鉄が外れると、この様な馬は、二度と使い物にならなくなる。ニハルと砂漠を掛ける際は、気にならなかったが、足元が見え難い森林が多い当地で、この問題は重大であった。

バンブローナー到着後三日目の朝、眞乘は早速、ニハルと宰相を伴い、場内の厩舎へ向かった。そこには、馬の蹄鉄を作る鍛冶工房が併設されており、早速、そこに、仁八と儀輔が行き、怪訝な様相で、彼等の作業を見入っていた。三名の中国人通事、特に元軍人上がりの中国人も、その様の見学は、初めてだったらしく、複雑な表情を見せていた。

「如何じゃ?」

眞乘の日本語による質問に、仁八は、素直に答えた。

「はっ、正直、不安ですな」

横に居た儀輔も、無言で頷いた。この様な蹄鉄を付けた馬で疾走していたのか。というのが正直な、彼等の感想であった。ニハルも当地の蹄鉄が、この程度なのには“驚いた”様子だった。馬の蹄に食い込ませる蹄鉄用の釘は、脆い鉄材であり、それ以上に蹄鉄は、全く鍛えられた鉄では無かった、要は単なる鋳物であったのだ。

蹄鉄が薄くなれば交換、これは変わらなかったが、頻度と、途中で蹄鉄が割れる危険性を鋳物の蹄鉄は孕んでいた。

眞乘は、怪訝な表情をしていた元武人の中国人を呼んで彼に、漢文で懸念点を伝えた。

彼も、この意に同意した様で、すぐさまフランス語で眞乘の懸念を皆に分かる様に伝えた。しかし親方然として、この作業に従事していた恰幅の良いフランス人は、ハンマーを投げ出した、それをすかさず、仁八は受け取り、彼の前で日本の蹄鉄づくりを見せた。しかし如何せん、“鉄”を熱する熱量が、足りない事に、彼(仁八)は気が付いた。

「宗右衛門は居るか?」

仁八は、柄が折れたハンマーを手に、日本語で宗右衛門を呼んだ。遠くで兵士(衛視)達を鍛え様としていた、宗右衛門は、すっ飛んで工房内にやって来た。

「すまん鞴が要る。それに炭も作らねばならぬじゃろう。殿には、儂から伝えるので手伝っては、くれぬか」

日本語で話したので、眞乘も儀輔も意は、理解した。

すかさず眞乘は、ニハルに、儀輔は懐から懐紙と矢立を出して、隣の中国人を通し“意”を宰相に伝える様に督促した。

が、この様をつぶさに観察していた、リシュリューは、言われる前に、すぐさまこの鍛冶職人と、数名の衛視を仁八達に貸し出す旨、眞乘に伝えると、フランス語で彼等に此のことを厳命した。衛視の鍛錬は、儀輔が宗右衛門に代わって担い、服部は、隊長連中の教育、そして眞乘は、リシュリューの相談に当たる役割分担が、すぐさま決まった。

兵士(衛視)の中で読み書きが出来る比較的屈強な者が、仁八の麾下に組み込まれていた。リシリューは、彼等が作ろうとしているものは、ツールーズ(Toulouse)郊外のミアの家で使った湯殿の様なモノであろう。彼の記憶の中でも、湯殿のお湯は、すぐ沸いたが、ここの竃の熱では、同量の湯を沸かすには、倍の量の燃料(薪)と時間が必要であろうと感じていた。彼等は、それを改造してくれようとしていた。

「神に感謝だ」

リシュリューは、思わずつぶやいた。

早速、宗右衛門と仁八は場外の山を散策に出かけた。途中、竃を大きくするのに必要な、『石』にも目星を付けていた。引き連れた十名の若い兵士に、炭を作るのに適当な木片を背負わせ、両手には炭焼き窯の土台とする石を持たせていた。早速彼等は、場内に炭焼き窯を設え始めた。宰相の部屋からその様子を覗いていた眞乘は、彼(宰相)が、単に炭焼き小屋だけでなく、湯殿をそこに併設する事を望んでいると感じていた。

これは渡りに船である、ニハルに耳打ちして、仁八たちに意を伝えた、宗右衛門は、少し面倒な素振りを見せたが、仁八もそろそろ熱い湯で体を拭いたい。と考えていた。

場内の北側の城壁を利用し、炭焼き窯は、僅か1日で出来上がっていた。出来たその日の夜、早速、宗右衛門と仁八は、衛視が集めた木片の中で十分に湿気が抜けているモノを選び、窯に入れ火を焚いた。

ここから明日の朝まで竃の日の晩を交代で見張らなければならなかった。

翌朝、煤だらけの黒い顔をした、宗右衛門が、顔を洗ってきた、仁八の前に出来上がったばかりの炭を見せ、早速、炭の火力を確かめた。

次は、炭を焚く窯も製作が待っていた。旨くはない(口に相変わらず合わない)当地の朝食を取り敢えず腹に詰め込み、煤だらけの顔の宗右衛門と仁八は、服部と眞乘、儀輔の前に伺候した。

「炭の目安は、付いたというのじゃな?」

「分かった」

と云う服部の言葉を聞いた、眞乘は、ニハルに命じて中国人通詞と宰相を呼びに走らせた。

中国人通詞は、服部が手に持つ炭を見て、二つを叩き合わせ、音や硬度の差を確認し、何も言わずに全て理解したが、宰相は理解が出来ない様なので、中国人通詞が、フランス語で炭と薪の違いを説明したように思えた。

その訳を待って、眞乘は、ニハルを通じて宰相に屈強な若い衛視全員の貸し出しを求めた、『いよいよ』銑鉄を作るための窯の製作が始まろうとしていた。ただ鞴の説明が、巧く行かなかった。仕方が、無いので”見本を見せる。“という事で眞乘は、宗右衛門とニハルに、ミアの元にある鞴を借りて来る様に命じた。

しかも往復で1日という厳命が出た。朝食を取って置いてよかった。両名は思った。

「では」

という言葉と共に両名は、蹄鉄を新調したばかりの、若い駿馬を選んで跨った。

馬を飛ばし、夕刻前にツールーズ郊外のミアの家に到着した両名は、ニハルが、ミアの説得に、宗右衛門が“鞴”の取り外しに掛かった。しかし、不覚にも、昨晩、余り寝ていない宗右衛門は、足を踏み外し、“鞴”を守る為、受け身も取れず、体を竃の石壁に強打した。

是では、直ちに帰る事は、誰が見ても、おぼつかない。ニハルは、単独で戻り眞乘の『命』を守るか、暫しの間悩んだが、明日、朝、宗右衛門の状態を確認して戻る方が安全と考え、ミアに宗右衛門の介抱を依頼した。と同時に、未だ日のある内に、領主ビシャールの元に居る、リシリューの衛視の協力を求めるべく、ミアの馬を借りツールーズの領主館へと向かった。

彼の見立てでは、宗右衛門の完治には、未だ2~3日は掛かる。と云う感じがした。

ビシャールは、ニハルの突然の来訪に驚いたが、宰相の部下の1人位が、抜ける事は、構わなかった。既に儀輔達に打ち据えられた何人かの配下は、回復していたし、宰相による指示の結果、街での司祭との立場は、完全に逆転しており、その力の源泉である宰相や、眞乘の為ならば、一向に構わないと考えた。

ニハルと“鞴”を乗せた馬車を御していた、衛視がバンブローナー城に戻ったのは、服部や眞乘の下命の刻限から半日以上過ぎた2日目の夕方前であった。眞乘は、まさかミアが、同乗していないか?を懼れたが、その懸念は、杞憂に治まった。

ニハルの説明を受け、宗右衛門が、ミアの家で看病されている訳だから。当然であったが、その事実を持って、この遅延は、うやむやになった。

宰相は鞴を見て、直ちに城下の食肉業者ブッチャーを城内に参集させ、鞴用に適した牛や豚の膀胱を明日中に用意するように下命した。御者だった衛視も含め総勢21名の屈強な若いフランス人衛視は、儀輔の指示の下、窯の製作に入っていた、一方、宗右衛門が居ない前提で、中国人通詞と仁八は、城の北側の炭焼き小屋で、衛視が集めてくれた、冬の乾燥した森林で越し、十分水分の抜けた薪を、せっせと炭に変えていた。窯の奥で取り出し忘れていた幾つかの硬木が炭化した物は、完璧に近い状態で水分が抜け。蒸し焼きされていた結果、硬質な音を出し軽い、良質な炭になっていた。これを発見した時、仁八は思わず喜んで声を発してしまった。

既に炭を作り始めて6日が経ち7日目を迎えようとしていた。

宗右衛門がバンブローナー城に戻って来るのに、4日が掛かった。そして、眞乘が驚いた事に、彼に、ミアが付き添って彼女が御する馬車に乗って、彼の騎乗していた馬は、それに繋がれる形で戻って来た。

「旦那様済みません、ムッシュ金本は、どうしても帰ると云うのですが、未だ一人で馬に乗せる訳にも行かず、領主様の許可を頂けましたので、参りました」

ミアは、口元が緩んでいた。

リシュリュー以下誰も、その言い訳を咎める者は居らず。

リシュリューに至っては

「マダムようこそ御出で下さった」

とミアを慇懃に労った。

この程度のフランス語は、既に儀輔も服部も理解できるだけに、彼等も腹を抱えない訳には、行かなかった。宰相の下命で、衛視達は、眞乘の部屋を一回り大きな場所へ移し、眞乘とミアは、そこで数日間は、過ごせる様に、設え直した。鞴用の牛や豚の膀胱は、既にしっかり乾いていた。

「宗右衛門、骨格を作れるか」

そう命令するのが、眞乘の精一杯であった。彼の答えは明快で

「勿論」

足を挫いただけで、上半身には全く問題は無かった。リシュリューは、城内外で、手先が器用な数人を選び出し、宗右衛門の補助に付けるよう傍らの衛視に伝えた。

翌日、完成した竃には、場内の井戸の傍にあり、水を満々と溜めた大鍋が3つ乗る竃と、鉄を挿入する炉の部分の横には、両側に鞴が設えてあった。大鍋側は、勿論湯屋であり、早速炭に火入れをし、竃に積まれた石に漏れや、その隙間に詰めた粘土に、ひびが出ないかが確認された。

片側の鞴を仁八が噴く度に、火勢が上がり、3つの大釜に満水になっていた水は、時間を置かず湯気を発していた。鞴の力、従来の薪から、彼等が作り直した炭の火力の強さ、その違いは明らかであった。

服部が周囲を検査し、儀輔は、用意した樫木で出来た木剣で、隅々を叩いた。

問題は無かったが、リシュリューは、立ち上る湯気を見て、早くも湯殿を試したい風情を全身から醸し出していた。

「ムッシュ兼本。せっかくだから、この湯殿をマダムと共にお試しになって見ては?」

リシュリューの言葉には、使用後は、私が、という言葉が溢れていたが、

「宰相其れは、なりません、では、お言葉に甘えて、私共は、宰相の後に使わせて頂きます。が、この湯殿の使い方や、維持の方法をここに居る皆様に、お教えする必要がございます」

と眞乘も慇懃なフランス語で宰相の勧めを丁寧に 断った。

そう幾ら大釜3つに滔々と湯が溜まっているとはいえ、ミアの湯屋の3倍の規模はある、この湯殿では、絶え間ざる給水が無ければ、あっという間に、湯は枯渇する。為に、この竃は、城内の最も深く大きな井戸の横に設えたのだ。

仁八が、火の番をする方法も、城内のフランス人達に教えなければならない。

先に眞乘が湯殿に浸かる事は、単純に憚られた。

リシュリューは

「解った」

と一言いい、傍にいた数人の衛視と蹄鉄の管理をする、親方然とした、恰幅の良いフランス人を指名し、各々仁八と眞乘の動きを学ぶ様に厳命し、湯殿に入った。

既に、仁八の知識や実力は、この親方の比ではない事を親方自身が、十分判っていたので、粛々と彼の作業を見習った。

汗だくの仁八を見て、服部は

其処許(そこもと)も、頃合いを見計らって、この湯殿を使え。遠慮はいらん」

と優しく耳元で囁いた。

「忝い(かたじけない)」

伊達と徳川は真に和解・協力している事実を仁八は。改めて実感していた。

竃からは、使い古され、凹んだ部分に砂鉄が盛られていた蹄鉄が、真っ赤になって、仁八の手にする玉箸で引き抜かれ、金床の上に玉箸でしっかり固定され、横に控えた宗右衛門の手にする大槌は、おもむろに蹄鉄を叩いた。火花が赤く熱せられた蹄鉄から飛び散るのを諸共せずに、仁八の左手には、一昨日親方が“柄”を壊した、ハンマー(小槌)が樫木の柄に付け替えられた状態で握られており、それが、持参した砂鉄((たたら))と儀輔が衛視との戦闘訓練時に刃毀れさせた剣の欠片を藁で結び、鑪が盛られていた部分を中心に、振り下ろされた。

『大槌』を追う様に“コンコン”と二回軽く蹄鉄を叩くと、鑪が盛られ膨らんでいた蹄鉄は、徐々に平らに変わって行った。形状が整えられた蹄鉄を、仁八の横に置かれた水槽の中に落とすと、ジューっと音がした。再び水槽で冷やされた蹄鉄を炉に戻すと、ハンマーを横に置き鞴を引き、再び戻した、その度に炉の反対側に設けられた弁からは、肺病病みの男が深呼吸する時の様な『()えた』音が掻き鳴らされていた。その都度、炉からは、今まで見ていた“赤い炎”ではなく、青白い炎が沸き上がっていた。仁八は、一枚の蹄鉄、その頃合いを見計らって元通りに平らな形に仕上げると、やわら中国人通詞を手招きし、懐の懐紙に

「想要更換(交換の要あり)」

と書いて手渡した。そして

「明白我技術嗎(私の技の意味が分かるか)」

と書いた書面を見せた。彼はコクリと頷くと、振り返り『親方』と仁八が勝手に名付けた大柄のフランス人に、懐紙に書いた言葉の5倍の量のフランス語で、説明をし始めた。


(親方)

『奴は理解している』仁八は安堵した。親方と呼ぶ人物に『我称“親方”』と書いた文章を見せ、親方という部分を『OYAKATA』と発音すると、彼は、嬉しそうな表情を見せ頷いた。

中国人は、親方の意味をフランス語で説明したらしく、彼は仁八に、汗臭い体を寄せキスをして来た。思わず

「臭い」

と跳ね避けたが、仁八の表情も笑っていた。

それから夕刻まで、親方は、忠実な仁八の弟子であり、親方の弟子は、宗右衛門の忠実な部下になっていた。

宰相、眞乘夫婦、時を開けて衛視達を引き連れて、服部は、さっさと湯浴みを楽しみ、その間、儀輔が、湯殿と湯で体を拭くことを衛視達に教え、最後に日が暮れる直前に、仁八が親方に、体を拭う事を教え横で宗右衛門が、せっせと自身の体を湯で温めた布巾で拭っていた。

これは、“殊の外”気持ちが良かったらしく、鍛冶職人の弟子たちも、日が暮れるのを忘れる位、竃から零れる明かりを頼りに、体を拭っていた。

さて明日は、奴等の剣を少し鍛え直そう。仁八は心に決めていた、種火を少し貰い、仁八は持参した魚の干物を焼き、干した貝類と海藻を出汁にした汁をすすり、宗右衛門と共に、夕食を楽しんだ。

眞乘、ミア、儀輔、服部は、宰相主催のフランス式の宴席に座っていた、相変わらず彼等は、食卓の食べ物を手づかみや、大柄なナイフで『切り分け』口にしようとしていたので、儀輔が、それを押し止め。笄と、仁八手製の木剣を作った際の端材の樫木で作成した箸で、それらを器用に切り分けサーブした。相伴に預かっていた中国人も、同様に箸を器用に使いこなし。宰相、高官たちは驚いていた。

笄は、その小さい割に、彼等の切り分け用の『鉈』に近いサイズのナイフより切れ味が鋭く、硬い肉も難なく切り分けられる事が、彼等には、不思議であった、思わず高官の一人が中国人を通し質問してきたが、モノを口に入れていた中国人は、即座に答えようがなく、フランス語が分かる眞乘が答えざるを得なかった。

「明日、これと同じような小刀を作らせましょう」

仁八の仕事が、また増えたな。儀輔は苦笑いをした。眞乘も咄嗟だったので、思わず得意な英語で答えてしまった。宰相がそれを引き取り、高官にフランス語で再説明した。

儀輔の一隊は、若手の衛視が、服部の一隊は、その隊長クラスが各々城内と城外に分かれて、行動をしていた、服部の一隊は、その度々中国人通詞が呼ばれ、隊長クラスの一人一人に、色々な条件下でどう対処すべきか?その都度、口頭試問を受けていた。

よって、駄目な隊長クラスの人間は、どんどん脱落していった。その様な中で、プライドだけは高く、腕っ節に多少也とも自信がある、彼より大柄な、服部の回答に納得の行かない三人の衛視が、途中に設けた僅かな休息時間を狙って、集団で服部に襲い掛かった。

しかし残念な事に彼等は“命を長らえる事は”出来なかった。服部は、その時、木剣は持たず、腰の帯に、脇差と太刀帯(たちお)の要らない小振りな本身(打刀)を差していた。リシュリューの部下は確実に減ったが、生き残った彼等は、服部の怖さも、身に染みた。

この事情は、生き残った衛視の説明で把握された。

従ってリシュリューも眞乘、儀輔も、服部を咎める事は無かった。

しかし服部は、彼等に、朝鮮の役での戦法、最小の損害で、排除撃退し、その後、味方の救援に向かう戦術や戦法まで説明し、その上で必要な事を話していた。

なのに『門弟達』に『歯向かわれた』事は、服部にとって衝撃であった。

笄(食事用ナイフ)を作るために、端材を準備していた仁八、宗右衛門、そして親方とその弟子は、思いがけず、刃毀れを生じている可能性がある服部の刀の整備をする事になった。

彼の指物は、眞乘や儀輔、そして自身が、普段身に着けている太刀に比べ、やや小振りで宗右衛門と同じ所謂『打刀』と呼ばれる(なかご)が、(つか)の奥まで入っている、馬上から一刀の下、相手を切り倒す太刀より、狭い間合いの切り合いの際『耐久力』を持たせた、小振りな物であったが、設えには、太刀とは異なり、茎の逆に『銘』がある、中々の業物であった。

一太刀だけ、大柄な剣の重みを受けたのは、()(まち)では無く、(むね)(まち)であり、最終的には、(しつら)え((つば))であったので、これは刀身を研ぐだけで済みそう。であったのは、幸いであった。又、身幅に影響が出るような痕跡も無く、切っ先から僅か三寸の個所、樋の中央部分で三裁ち程切った跡が残っていた(樋に血糊の香りが残っていた)

炉の中の笄(小柄に近い物を仁八は、作ろうと考えていた)の材料と考えていた『使い古された蹄鉄』は、そのまま火中に、暫く放置して、持参の砥石で、服部の腰の物を丁寧に研いで行った。この砥石で研ぐ行為も又、

「なんて平らな石だ!」

という感じで、フランス人の興味を引いた。

従来、彼等は刃物(ナイフ)を牛の皮などの厚手の滑石(なめし)(かわ)で軽く擦り刃先を戻す程度で在った。

作業開始から小一時間も研ぐと刀身は、真っ新な状態に戻り。早速服部は、試し切り用に、骨を抜いた肉の塊を吊るさせ、両手で持った『打刀』を軽々と一振りし、肉塊を両断にして見せた。その後、懐紙で刀身を拭い、見事に鞘に刀を収めて見せた。この所作もまた、彼等を驚かせた。

此れで、此処に居る異邦人(日本人侍)の武器は。どれも凄まじく。彼等は皆、もの凄いこの刃の使い手である事が、彼等に十分認識させられた。もう彼等を疎かに扱う者は、誰一人として居なくなった。


仁八は炉の中で、赤く変わった古い蹄鉄を、其処にある『有り合わせの道具』を駆使して、二つ折りにして、槌を使い、まっすぐ伸ばし始めた。

親方に同じ様にしてみよ。

「倣同様」

と書いた懐紙を中国人通詞に渡し、彼を通して命じた。

彼は、炉の中で降り曲がった蹄鉄を取り出し、仁八から受け取った槌で上から叩いて見た。ものすごい量の火花が散ったが、折れ曲がった蹄鉄は、飴の様に伸びていった。

真っ直ぐに伸びた蹄鉄を器用に、再び折曲げ、横の桶の水で冷やし、再び炉に突っ込んだ。

「重複工作(その作業を繰り返せ)」

と懐紙に書いたものを見せ、彼は数回同様の作業を繰り返した。徐々に叩いても火花が飛び散らなくなった頃合いを見て。親方の肩を叩き、仁八は、作業を代わった。彼は刃付けをする部分と切っ先の処理をし始めた。親方と弟子は、その作業を食い入るように見つめていた。しかし横に居た、宗右衛門が弟子の肩を叩き、

「我要出去(さぁ出かけるぞ)」

と書いた文字を見せ、宗右衛門専属の通詞の中国人と衛視も伴って、砥石の代わりになる物は無いか、城の近辺の散策に出かけた。

宗右衛門は、自身の片言の英語と、漢字で彼等に、この辺で砥石の原料となる粘板岩や、城の建物に使われている屋根や壁の材料をどのようにして調達しているか?を質問した。

又衛視には、腰に差す剣の普段の整備方法なども、歩きながら尋ねていた。目指すは城の北壁に聳える山裾(川の源流域)であった。

親方は、刃付けの方法が、自分たちのそれと左程差が無い事に安堵したが、強い火力で熱せられた蹄鉄が、叩かれながら、見る見るその切っ先部分を鋭く変えていく槌の打ち方には驚いていた。また、周囲の不純物が振動で落ち、結果、火花が飛び散らなくなることで、蹄鉄から不純物が無くなって硬い『鋼』に代わってく事も理解した。

ただ折り曲げ、叩く理由は、それだけだ。と感じていた。しかし、刃の芯に当たる部分は、作り方が異なっていた。予め、仁八が用意していた親指の先程度の少量の鉄の塊を同じ様に炉に落とし込み、これはひたすら、細く、平たく、長く、自身の持つ道具の中で、最も小振りの硬い槌で、器用に打って整形して行った。折り曲げは、しなかった。この作業は、仁八が自ら全てやり、親方には任せなかった。と云うより親方は、その間も、小刀の本身部分の製作を担当していた。

弟子が、宗右衛門と連れ立って以降、鞴の拭き手は何時の間にか、仁八専属の通詞の中国人が担当していた。

仁八が、芯部分に使う、持ち込んだ薄く細長い形状に変えた鉄をいよいよ叩いても火花が出なくなった蹄鉄の先端部に挟み込み、叩き込んで蹄鉄と一体化させた。切っ先に挟み込んだ鉄は、我々の従来の鉄とは異なる物であろう事は、十分推察できていた。

彼等の言葉の発音でこの鉄は

「TATARA」

と呼ぶそうだ。

仁八から手渡され、持った感じは、彼が知る鉄とは、少し違う感じがした。こうして一振りの(小柄)笄が、出来上がった。

このペースならば一日に二本は、製作可能だろうと仁八は、考えた。

少し粗目に研いだ時に。衛視の指導にひと段落を付けた、儀輔が炉に顔を出した。

「如何でございましょう?」

仁八は、笄を儀輔に手渡すと、やおら、彼は、それを手裏剣の様に投げ、後ろに控えていた衛視の横の木の柱に、笄は見事に刺さった。その衛視は、瞬きもできなかった。

「良い出来じゃ」

儀輔は、打ったままの形状を保った笄を柱から抜き、仁八に手渡して言った。

柱に残った刺し傷の深さは、凡そ人差し指の第一関節程度、笄を抜いた痕跡を見た衛視は、儀輔の凄さに『改めて』驚かされていた。仁八は、それを受け取ると、食器として使用するのに丁度良い程度に、砥石を使って刃先を仕上げた。

「尓負最終的工作(後は任せた)」

と書いた懐紙と、見本となる笄を通事に渡し、仁八は、立て掛けてあった自身の差料と着物を手に、この暑い炉が在る『鍜治場』から、外に出た。

仁八は、また夏前で肌寒い事もある当地だが、上半身は、火の粉避けの前垂れ以外は、下着一枚であった。湯は、十分沸いていた。

「済まぬが先にご相伴に預かろう」

と湯殿に消えて行った。

こうして、1週間以上の時間が、あっという間に、当地で過ぎて行った、この間、眞乘は、リシュリューを通し、フランス国王名で、スペインで逗留(足止めされて)されている?支倉一行との面会を求める書状の発送を依頼した。

此の書状の作成を依頼するに当たって、将軍(家康)と政宗の花押が記してあり全面日本語で記載してある書状を、リシリューを通してフランス国王に、献上(添付)した。

しかしこの書状には、実際、大した事は、書かれていなかったが、素晴らしい装丁の金字の巻物で、家康の実の花押が記されていた事で、これはブルボン王家でも保管がれ、王政消滅後も、フランスで、百年以上、大切に保持され、共和制を経た、第二帝政時代のフランスが、幕府に食い込む為の重要な書面になる事は、未だ誰も推し量る由は無かった。

スペインからの返答は予想通り、散々な内容であった、眞乘や服部が、周囲の状況(環境)を取材把握した上で、推察した様に、この頃の両国の関係は、同じカソリック国とは言え犬猿の仲であった。

眞乘の支倉宛の書状も日本語=要はスペイン側が理解できない=と云う理由だけで、未開封のまま送り返されてきた。しかも日本側の侍がスペイン領内、一歩でも入った場合は“容赦なく打ち取る”と云うおまけまで付いて来た。

リシュリューは、眞乘から聞いて、なぜ日本でカソリック。いや、キリスト教の布教が妨害されているのか、その訳を熟知していた。

一方でスペインも、そのネットワークを駆使して、支倉一行は、もう彼等にとって、無用の長物だ。と言う事も分かっていた。

ただ、彼等(侍達)が団結して、フランス側に着くことは、メキシコの一件(『侍』個々の戦闘力の凄まじさ。彼等が、集団になると、無敵になる事実)を熟知するスペイン側としては『避けたい』だけであった。

スペインの判断は、早かった。眞乘からの手紙が届いて程なく、支倉一行は、追い出される様にして、スペインを離れる事を求められた。しかも、帰りの旅は、行きと異なり、全く冷遇されていた。

属国となったポルトガル領を通る(アメリカ大陸を通さない)、かなり大回りな、帰国を求められた。

しかしその訳を支倉一行は、知る由もなかった。

彼は、その時は既にすっかりスペイン国王以下と同じローマ教皇に祝福されたカトリック教徒の、ローマ市民であったので、同朋のカソリック教徒の言葉に何ら疑いを持たなかったのだ。

風の便りで、支倉一行が欧州を旅立った、と云う情報が、バンブローナー城に(もたら)された。

こう成ると、眞乘一行も当地に留まる理由は、無かった。

ただミアに、かすかな異変が起きていた。

そう彼女は眞乘の子を身籠っているかも知れなかった。

服部は、幕府。いや正確には2代将軍から直に、次善の命を受けていた。それは、幕府が、唯一、外交の窓を開けても構わない。と見做していたオランダの現状。その観察であった。

故に、彼はオランダ語が、英語より堪能であった。

一方、眞乘と儀輔は、三浦按針より、江戸で、ロンドンに居住する彼の妻子に対し事付けと幾許かの金子(きんす)を預かっていた。

日本へ即、帰国、という点を考えれば、服部の案に乗らざるを得ないが、服部以外の人間は、三浦から学んだ事が、今回の南蛮行きで『如何に、活きたか』を身に染みているので、その依頼を無下にする事は、偲びなかった。

そこに来ての、ミアの懐妊騒ぎである。

其の上、リシュリュー以下、周囲の期待値が、非常に高い事は、この十日許の滞在期間で、皆もひしひしと感じてはいた。

リシュリューは、摂政でもあった、母候マリー・ド・メディシスにも、彼女の夫でもあり、彼の主君でもあった、故アンリ4世と同様に、目を掛けられている人物であった。

しかし同様に、アンリ4世の息子である、ルイ13世にも、頼れる兄貴分として、何かと相談を受ける身でもあった。この立場が、彼の苦悩の源であることを、眞乘以下、侍達は、未だ知らなかったが、彼等の国の歴史や、信長、秀吉、大御所の歩んで来た道をリシュリューが知る事で、彼の中で漠然とフランスが辿るべき道筋が見えて来ていた。

「まだ、彼等を帰国させる訳には、行かない」

彼は、眞乘や儀輔、服部の経験や力を必要と感じていた。

その様な思惑を持った中で、彼等の当地への滞在目的の一つが、消えた事は、由々しき事態であったので、ミアの懐妊騒ぎは、その様な中での光明の一つでもあった。


(はかりごと)

当時のフランスの成人年齢は、十三歳、新国王ルイ13世は、既に十六歳になり、母マリー・ド・メディシスからの権力収奪を望む年頃になっていた。

彼は、母の影響力の源であり、言葉が、よく通じない、イタリア人のアンクル侯爵コンチーノ・コンチーニ元帥が“邪魔”と強く感じる様になっていた。

そう、リシュリューと、新国王ルイ13世は、合理的では『ない』注文に、納得がいかない質であったのだ。

感情や思惑で判断された決定。理詰めで、理解・納得できない指示に“従う事”に納得が、いかなかった。

しかしコンチーノ・コンチーニは“元帥”の肩書が示すように、国軍の統帥権を握っていた。

全てを晒し、相談をする信頼関係が、眞乘や服部との間には出来ていた。とリシュリューは、感じていた。

彼は、新王に対し、今までの経緯を書面に起こし、親書を奉じた。返信は、すこぶる早く帰って来た。

リシュリューは、服部と、眞乘の、オランダ行きか否か、の問題に乗じて、彼等を、新王の下、パリ近郊のフォンテーヌブローは、ここよりオランダに近いという言い訳で、連れ出す画策を始めた。

しかし、そこは海には、面していなかった。

服部と眞乘は、宰相の言葉、フランス独特の発音。

特に、固有名詞(名前)が『正確に把握』できなかった。

従ってリシュリューは、マリー・ド・メディシスではなく『新国王の母』。コンチーノ・コンチーニではなく『摂政元帥』と云う肩書を使い、通詞の中国人に関係性の説明をさせた。

彼等は、要は、淀君と秀頼、そして徳川将軍家の様な?類似な関係と判断した。

そして宰相は、徳川方に与したいと考えていると判断し、その助力を我々に依頼している。と考え、捉えた。

新国王は、しかも、母と摂政元帥の命で、父と敵対していた家の娘と政略結婚をさせられる。と受け取った。

しかし実態をその目で判断しなければ、その判断が、正しいのか?否か?は、分からない。

故に、宰相に同道して『品定め』の助力を得たい。その後、新国王に、依頼し、オランダやイギリス迄の、交通手形の様なモノを発行してもらえば良い。という結論に至った。

眞乘と儀輔、二人に、この申し出を断る具体的な理由は、無かった。

ミアの懐妊は、事実の様であった。彼女の悪阻は、眞乘と宗右衛門以外の侍には、見慣れた光景であったが。当事者の眞乘は、唯々、オロオロするばかりであり、其の従者である宗右衛門も、どう対応してよいか分からなかった。4人の子持ちの親でもあった、仁八だけが、頼りであった。

仁八のバンブローナー城内での地位は、相対的に重要度を増し、今や服部、儀輔そして眞乘と、差して変わらなかった。しかも、この4名の中で最も年上なのが、仁八であった。

其の上、城、内外の女性からの支持は、マルセイユの場合と変わらず、彼が、ミアの担当になる事は、必然であった。

従って、リシリューも、眞乘以下の侍を新王の元へ同行させる『具体的』算段は、彼と、せざるを得なかった。

先ずは、眞乘が、傍に居なくなった際の、ミアの不安感の解消から仁八は、取り計らった。彼女に適当な侍女を付けなければ、ならないが、その人選は、彼に一任された。

早速彼は、親方の女房をその任に充てた。既に、仁八に心酔している親方は、その命に逆らう事も無く、仁八の上司のマダムの世話を一任されることは、嬉々として受ける『名誉』と感じていた。其の上、都合の良い事に彼ら夫婦もユグノーであった。

又、彼女の家には、城内にある窯の小型のものが、既にある事。そして、宗右衛門が持ってきた鞴を再度付け直す作業も、親方と、その弟子が居れば盤石であった。

次に、彼が採り掛からなければならないのが、儀輔に鍛えられていた、リシュリューの配下衛視の剣を、片刃の、今でいう『サーベル』に近い形に直す作業を進めなければ、ならない事であった。

リシリューは、少なくとも彼の配下の内、百名は、フォンテーヌブローに同行させ、彼の武威を周囲に示して措く、特に、元帥麾下の国軍に対しては、圧倒できる武力である事を示す必要性を感じていた。

従って百振りのサーベルの改造が求められた。しかし、現状親方とその弟子の改造能力は、一日二振りが限界であった。結果、城外(街)の鍛冶屋が、総動員され、僅か、二〇日ばかりで、百十名分の馬の蹄鉄と―仁八にとっては、満足、行かなかったが―何とか、百振りのサーベルが、準備された。

今回の遠征に参加する衛視達の防具は、従来のモノとは異なり儀輔や眞乘の持参した火事装束や帷子に似せた、防刃対策を主眼とした、動き易く、軽い物。に変わっていた。リシリューは、相当な出費を強いられたが、この事が、バンブローナーの街を潤し、加えて彼の街に於ける名声を確固たるものにした。

此の二十日ばかりの日数で、親方の女房の助力もあって、ミアの悪阻は、何とか制御出来る様になっていた。

眞乘は、その間ミアに、付ききりでいる事が、周囲から求められたので、ミアに彼女の名を日本語で書いた場合の文字と、生まれてくる子供の名前を与える事で、彼女の安定を取り戻す事に成功した。特に彼女の名前の由来を説明した時に、彼女は、夫に愛されている事を心から信じ、息子と娘の名前を与えられた時、それが確信に変わった。

美しい自身(夫)の生まれた地域の人。

『美亜』それが、彼女の名前の日本語の意味だった。娘には、それぞれ、『美しい』の後に『幹』の意味である『樹』を。息子ならば、眞乘の子供なので、ジンパチと名付けよ。と云うのが彼の言葉であった。この様な、時間を眞乘は、費やさねばならず、結果、服部が、フォンテーヌブロー行きの算段をリシリューと共に立案した。

儀輔と、宗右衛門は、残る守備隊の訓練、及びバンブローナー城に仕掛ける外敵から守る罠の製作を指揮し、それが、益々リシュリューの配下の敬意を惹起し、増幅させるきっかけとなっていった。

信頼できる上官。しかも腕が立ち、自身より経験や知識のある上司の下、今や異邦人という偏見は、全く無くなり、服部や儀輔、仁八や宗右衛門の号令の下、衛視達の統率は、見事に執られる様になっており、この様は、宰相リシュリューを感激させた。

つかさとは、こういう人物を云うのじゃな」

彼も又、儀輔達の態度から率直に、学んでいた。

この二十日間は、その様にして、瞬く間に過ぎた。出立の前に、設え直されたサーベルの試し切り(使い方のレクチャー)を儀輔の指導の下、宗右衛門が、同行する衛視と、残る街の鍛冶屋と守備隊達の前で見せ、宰相が、フォンテーヌブローに行っている間の『課題』が何か、を残る人間達に叩き込んだ。

ミアは、これが眞乘との今生の別れになる事を自身に納得させていた。眞乘一行は、東に。ミアを乗せた馬車は、親方夫婦とその弟子が付き添い、南に下って行った。

ミアの手には、夫から与えられた子の名前が書かれた懐紙と共に、ツールーズの領主ビシャール宛ての、リシリューの署名入り命令書が握られていた。




(フォンテーヌブローへ)

フォンテーヌブローには二日目の日がある内に入城する事が出来た。

国王は、驚いた事に“すっかり”カソリック信者だった。

故に、リシリューは、カソリックの枢機卿の立場を固持していた。その意味を眞乘は、国王との拝謁に際して、理解した。

リシリューは、完璧な『実用(プラグマ)主義者(ティスト)』であり『現実(リア)主義者(リスト)』であって、妙に『観念的』で、宗教的道徳感や権威主義的な装いは、持ち合わせていなかった。

侍達も、特に眞乘、儀輔と服部は、『郷に入っては郷に従え』と云う表面的な態度を国王の前では、絶対に崩さなかった。

リシリューが選抜した衛視達も同様で、カソリックではあるが、その前に完璧なリアリストであった。故に彼等は、王の気紛れな命令よりも、リシリューのいや、儀輔達を信じていた。

此の国王の権威とそれを裏付けする権力を如何に彼に持たせるか、結果、フランス王国をスペインや隣国に対し、如何に優位な立場に置くか?だけが、リシリューの興味の中心であり、彼の目指すべき方向でもあった。

国王ルイ13世も、その点に関して異論はなかった。

要は、ここに侍達が同行させられた意味は、若き国王の権威を損ねるだろう相手の排斥であった。敵は、国王の実の母候と元帥であった。

滞在二日目にして、その事は、リシリューにより、侍達の共通概念として『認知』されるようになった。

服部と、彼が選んだ衛視の索敵により、元帥と、その兵力の配置や具体的人員が正確に把握されたのが三日目。

儀輔と服部、眞乘により、それらに対する隠滅の手段が図られ、リシリューが納得したのが四日目。

五日目は儀輔、宗右衛門、そして、仁八により、百名のリシリュー麾下の衛視達の図上演種が繰り返し行われ、六日目にその実地演習(閲兵式)が、王や、母候、そして元帥の目の前で挙行された。

しかし元帥麾下の国軍兵士は、その一糸乱れぬ行進や、演習を面白可笑しく見物する『体』であった。実際、演習は、その様に、一般人を面白がらせるパフォーマンスを多く含ませ、彼等を安心させる事が、主眼であった。ここでは、儀輔以下、侍の実演は、全く無く、彼等の実力は、隠匿された。

実際のフランス国王軍の最高指揮官であったシャルル・ダルベール・ド・リュイヌ(後にリュイヌ公)は、自分の上位者然に振舞う、母候と同郷の(素人)元帥コンチーノ・コンチーニの存在を面白くは、感じていなかった。

従って、この異邦人が指導したとされる、リシュリューの衛視達の完璧なドリルには、彼の、単なる臣下として、国王達への閲兵ではなく、別の意図がある。と感じていた。

この閲兵式の夜、彼は、リシリューの元を、予告なく訪ねた。結果、彼は、リシュリューと侍達の関係を知る事となった。

侍の中でリーダーと思える人間は、なんとラテン語を話し、片言ではあるが、フランス語も解した。

それ以外の異邦人(侍)も英語か、オランダ語を解し、彼等の通訳として、屈強な、フランス語が出来る中国人が、その部屋には居た。そう日本人の侍は、筆談で細かいニュアンスをこの中国人に説明する事が出来る事にも、彼は驚きを受けた。この人物は、未開人でも野蛮人でもなく、数か国語を操れる、寧ろ我々こそ『未開な野蛮人』と看ているのかも知れない。

彼は、漠然たる畏怖の念を彼等に感じざるを得なかった。

シャルルは、彼等の戦略や戦術考え方の根本が、完璧な現実主義に基づいている事に驚きを隠せなかった。

「シャルルよ」

この異邦人の中の指揮官(眞乘)はフランス語で彼を呼びつけにした・

「何か問題が起きるとそれを隠匿し。隠匿し消えぬとなると関係者を処断する。その様な考えを持つ人物と、儂は、国王の御母堂に取り入る『今の』取り巻き連中を見たが、その方は、どう思う?」

僅か、二日半ばかりの滞在と、短い面会時間の中で、そこまで人物を観察し判断している事に驚きを覚えた。

「リシュリューが言うには、其の方は、この様な問題ある者達を『実は』国王の下から、排除したい。と、聞いている。如何か?」

眞乘等を理解するにつけ、一歩下がり、伺候して彼等のやり取りに参加するしかなかった。

そして、最後に、この異邦人の中の指揮官(眞乘)はフランス語で彼に尋ねた。

「候、ここ迄の企みで、何か疑問や懸念があれば、遠慮なく申せ」

始めて呼び名ではなく、肩書で自身を呼んではくれたが、それは、依頼ではなく、上官が、部下にする命令であった。

しかし彼は、黙って、了解を意味する“頷き”以外に仕様が、なかった。それ程、彼等の考え方や、企みは完璧であった。

シャルルに課せられた課題は、七千名程度の、元帥の私兵を彼から遠ざけておく事であった。しかし、リシュリューは、完璧を期すために、儀輔に、自身の衛視の中で、腕に信頼に足る者、五十名程、選別を依頼し、シャルルの兵に付けた。元帥の暗殺は三十名もいれば、ましてや、その中に儀輔などが加われば、ほんの十名もいれば十分な、環境下で実行される事が、リシュリューには、解っていた。

リシュリューの引率した衛視の中で頭の切れる隊長クラスは、国王軍の説得役であった。残りの数名と仁八、宗右衛門の麾下は、最も衛視が面白がった、万が一に備えて、七千名の私兵を足止めする、罠を仕掛けて置く仕事が、任された。

罠の種類は、彼等に任されたが、仕掛ける場所と、その場所の罠の目的は、予め、服部が選択し、各隊に指示が出ていた。全員が、太刀や打刀ではなく、脇差一本。

衛視達も、移動時に音が出ない、ナイフのみが、持参を許された、自衛用の武器であった。侍達は、手持ちがかなり少なくなって来たが、踏ん張りが効く、足袋の下に草鞋を履き込み、足音も全く消していた。

衛視達もそれを見て自身の靴底の金属部をナイフで剝がし始めていた。

全員が、今日の目的を理解している証左であった。

クーデターとも呼べる、コンチーノ・コンチーニ元帥の排除は、モノの数分間の出来事であった。

儀輔のフランス人の一番弟子、とも呼べる衛視は、儀輔に借りた脇差で、元帥の首と胴を一刀の下で、両断した。儀輔は、彼が、返り血を浴びていない事に満足し、彼から刀を取り上げ、刀に残る血糊を拭き取り、悠然と鞘に納め、彼の肩を抱いた。

彼は興奮が止み、師範である儀輔に、抱き着いていた。

周囲の衛視は、

「ミシェルさぁ、後片付けだ」

と彼を誘い、まざまざとその切れ口を覗き込んでいた。

周囲には、持参していた砂が撒かれ、暗殺の痕跡は、跡形もなく消えた。戸板の様な板の上に載せられ、血が噴き出すのを止めた、首と胴が分離した元元帥の死体は、其のまま、シャルルの元へ行き、彼を先頭にしてシャルルの兵の下へ向かった。

という事は、元元帥の私兵(国軍兵士)は、この時を持って彼等の上司(指揮官)の死を知る事となった。その様子を仁八と宗右衛門麾下の衛視達は“しっかり”監視していたが、残念な事に、私兵は、反乱らしき事は『素振りさえ』見せず、彼等は『大人しく』将軍シャルルの指揮下に入った。

無念と云う表情を見せながら、宗右衛門麾下の衛視達は、仕掛けた罠の解除に向かった。彼等は、会得し、始めて仕掛けた罠の効果が見たかったのだ、仁八と宗右衛門は、そんな彼等の表情が、おかしかった。

服部は、リシュリュー、眞乘と共に、今夜の結果を報告する為に、その足で中国人通訳を伴い若き国王に、今宵の首尾を奉呈しに王室へ向かった。

この若き国王は、眞乘や服部の『真の』実力を知らないが、リシュリューが、何時も、傍に伺候させている事で、只の、異邦人では『ない』事は、理解していた。

故にか?今晩、彼等へは、具体的な『下問』は無かった。

翌日、簡単に、母候を排斥(幽閉)し、彼は、真の意味で、国王になった。

リシュリューは、自身の年齢(当時まだ三十代は“若かった”)を鑑み、見た目だけは、第一の功労者である、シャルルを国王の側近として重用する様に、推挙すると、彼自身は、

「国王妃になるカトリック国のスペイン、フェリペ3世の娘のアナの引率(お出迎え)の任は、カソリック枢機卿である、私が適任である。」

と願い出た。婚姻が正式に決まって一年以上、彼女は生地を離れておらず、新王女を生地から当地まで、迎えに行く事は、喫緊の課題の一つでもあった。

最悪、彼等の『尋ね人(支倉)』が、既にスペインを離れていても、これで、リシリューは、眞乘一行に対する恩返しが、出来る。と考えていた。国王の裁可が出ると。

「これで誰、憚ることなく、彼等をスペインに引率が出来る」

彼は、呟かない訳には行かなかった。

眞乘と服部に事の次第を伝えると

「しかし貴殿より、支倉一行は、追われる様に、既にスペインを立ったのでは?」

と云う素朴な疑問が、眞乘より出た。

「ムッシュ兼本」

リシュリューは、船便、特に、メキシコやアジアへ向かう船便と云うのは、発令後、準備から出港迄一ヶ月や二ヶ月は、十分掛かる。と説明した。

しかし、彼(支倉)をそのまま日本に帰す事は、彼が帰国後、殺されることを意味する。その為にも、一刻も早く彼等に、事の次第を伝えるべきだ。とも説得した。

兼本、江藤、服部は『リシュリューの言葉は、嘘ではないが、裏が在る』故に、彼の話に、そのまま乗るべきか否かを思案し、兼ねていた。お互いの顔を見合わせ、

「暫し相談させてください」

と服部が、その場を引き取った。服部にとって、帰国後、支倉が、どうなろうと構わなかったが。眞乘と儀輔には、各々思惑があった。朝鮮の役で、自身の上官でもあった支倉が、むざむざ殺される為だけに帰国させる事は、儀輔として、武家として、止むを得ない仕儀ではあるが、人として、心残りがあった。

眞乘の場合、カソリックの教義に洗脳されている、支倉をそのまま本邦へ帰す事の“影響”を慮っていた。

リシュリューを見て、カソリックにも実際を“見て判断する人間”が、いる事は解っていても、藩に於ける中堅で在り、藩命で旅立った人間が、そのまま何も、藩内で影響を及ぼさない事は、考えられなかった。情と理の問題であった。

しかし、ここは、幕府の命を受け、皆を束ねている、服部の意見を『立場上』通さざるを得ない。という判断に至った。

要は、支倉に会い、彼が今まで得てきた知見を見定め、少しでも、現状の体制に害がある。と感じた時は、問答無用で誅する。という結論が、公儀としての服部の判断で在った。


(再び、バンブローナーへ)

彼等は、翌朝リシュリューと、彼が引き連れてきた全衛視等と共に、フォンテーヌブローを後にした。

行きの行程と同程度で、バンブローナー城に再度入城し。早速、皆、風呂を楽しんだ。

(フォンテーヌブローで湯浴みをする事は、出来なかった)

親方は、早速、仁八に、この一週間の成果を見せ、城内に残って居た衛視達は、遠征した衛視と、新調したサーベルを見せ比べ合っていた。

親方は、中国人通訳を通じ、自身の女房が、ミアに付き添ってツールーズに居続けている事を報告すると共に『奥方様の警護の為』何人かの衛視がツールーズの御自宅に、交代で常駐している事も報告した。

彼は、仁八の薫陶を受け、ほんの短期間で、非常に有能な職人に成長していた。

眞乘は、彼が、有能な指揮が執れる、考える事の出来る、家臣と成長していると感じた。

故に、リシュリューに対し、此の率直な親方への感想を述べ、彼には、もう少し、指揮官足るべき、平民ではなく『騎士』としての教養を付けさせるべきだと進言した。

リシュリューは、眞乘に付く仁八や宗右衛門を見ていたので、この意見具申には、素直に同意の意志を見せた。

今度は居残り組が、眞乘らと共にリシュリューに引率されスペイン(マドリード)へ向かう事となった。

この間、彼等の下着や足元は、バンブローナーの街の職人が腕によりをかけた、靴などが纏われていた。しかし服部や儀輔、宗右衛門は、どうもボタンを使う洋装が気に食わず、和装の上着を頑として譲らなかった。故に、彼等の服装(和装)の洗濯に慣れた女性が、自ずと彼等付きの女性となっていた。

彼女達は、絹や綿で出来た、彼等の装いが、今まで慣れ親しんできた服地より繊細な事に、最初は戸惑ったが、其処は、何でもできる仁八のおかげで、要領を学び、事なきを得る事が出来る様になっていた。

其の上、妙に品行方正な、仁八(実は、彼は,元来体臭にとても敏感で、結果、当地の一般主婦や女性全般に対して異性としての興味が、全く持てなかった)は、マルセイユに続き、此のバンブローナーでも、城下の街に住む、主婦を含む女性達から東洋から来た騎士(紳士)として人気を集めていたのだった。

勿論、仁八の弟子でもあり、新婚の宗右衛門も師匠の態度に倣っていた。

二日間の準備期間を持って一行は、再び慌ただしく城を後にし、今度は西マドリードに向かった。

マドリード迄は三日の行程であったが、旅立って直ぐ。スペイン王フェリペ3世の伝令なる人物が、一行に追いつき、王女一行は、既に、バンブローナー北方の“ビダゾア川にて一行を待っている”との報が伝わった。

ビダゾア川は、スペインとフランスの自然国境でもあった。

スペインは、何としても、日本人の侍を領内に招き入れたくは無い。との強い意思が感じられた。

また服部と儀輔は、バンブローナー城内には、あれ程手を尽くしたにも拘らず、敵の間者スパイが居ると実感した。

支倉は、この動きを察知した、スペイン側の策略で、もしかしたら、やはり、既に、スペインを出国させられている?のかも知れない。眞乘達は、そう考えた。

ビダゾア川のスペイン側の領土でもあるスンビリャという小さな村で新王女を迎え入れた一行は、王の命で、結婚式を、宮殿があるフォンテーヌブローではなく、中間地点であるボルドーでする。との伝令を受け取った。

そこまで侍達は、同道する義理は無い。との判断が、儀輔と服部より出され、彼等は、リシュリューと別れ、バンブローナー経由で、マルセイユに戻る事とした。

これは、ニハルの伝手(つて)を使い、本邦に自力で戻る算段と、服部の、本来目的でもある、オランダ視察からオランダ船を使用しての帰国、また三浦からの言伝でもある、ロンドンの彼の妻子に金子を渡す。という眞乘、儀輔の別の願いに対する、三つの可能性を測るには、あの港町の方が、都合が良いと云う算段。しかも、あの港町迄の行程にある街は、全て、今は、リシュリューの息の掛かった領主が治めており。彼に採っても其処に侍達が居て暮れる事は、都合が良かったので、すんなりと話は纏まった。

若き国王ルイも新王女アナも共にカソリック、しかも王女は、スペインハプスブルグ家出身で、ゴリゴリのカソリック。

新国王も、この結婚や、最近の彼の治世が招いた結果だが、プロテスタント(ユグノー)を信頼足る臣とは思っていなかった。

唯、ユグノー達には、経済力があり、彼等を蔑ろにした事が、今のスペインの国力低下の源である、とリシュリューは、見抜いて(判断して)いて、その情勢判断は、若き新国王と共有していた。

リシュリューにとっては、身近な処では、ムッシュ兼本(眞乘)の、結婚や、彼の家臣であるムッシュ村田(仁八)が、教育した城内の鍛冶職人の成長が、その『見解』を『確信』に変えていた。

この様な条件を総合的に勘案すると、侍を此処で放して置く事は、得策で在った。

侍達のおかげで、彼の衛視、近習は、現状、どのフランス兵よりも有能で、強力に変わった事も、その自信を裏打ちしていた。

城を出て2日目で、眞乘一行は、バンブローナーに帰って来た。

彼等の領主でもあるリシュリューは、ボルドーに向かった事を伝え、旅の汚れを落とし、一行は、翌朝、ツールーズに、親方と中国人武将でもあった通訳のチェン(程)を同道して向かった。チェンは、会って直ぐに儀輔と眞乘の弟子となったので、少しでも彼に付いて、武術の習得を図りたかった。

ツールーズの街にチェンと儀輔、服部、そして仁八が向かい。美亜の家に、親方、眞乘とニハル、そして宗右衛門が逗留する事になった。

美亜のお腹は、かなり大きくなっており、親方の女房と衛視の手助けが在る事は、心強かったが、其処に突然、夫が帰って来た。

美亜は、彼に手料理を食べさせる幸運が、神のご加護の元、再び訪れた事を、そして、あと何回この幸運を享受出来るか、神に祈りながら、畑のトマトを使って彼に夕食を振舞った。

奥方の意図を察していた、宗右衛門は、畑から頃合いの良さそうなトマトを四つほど選んで、奥方に渡した。

この様子を親方夫妻とニハルは、微笑みながら、しかし決して二人の邪魔にならぬ様に、見つめていた。

そうニハルと親方は、バンブローナーから持参した炭を使って、外で湯の支度を整えていた。ここまで、誰も、眞乘から命令は、受けておらず、自発的な行動であった。

だが眞乘達は、彼等に先に湯を使うよう促し、彼等は、その間、二人だけの時間を、美亜にとっては、夢のような時間を過ごしていた。

そう美亜は旦那様に通じなくても、話したい事が、沢山、湧いて来て、フランス語で、彼に言葉を紡いでいたのだった。眞乘は、それを優しく受け止めていた。

ビュルシャールの領主邸の前に馬を並べた、チェンと儀輔、服部、そして仁八は、儀輔を先頭に勝手知ったる、領主邸の玄関先に手綱を結わい、すたすたと中へ入って行った。

外国語を解す、領主の秘書が、まず驚きの声を上げ、と同時に、ビュルシャールが、満面の笑みを湛えてやって来た。

「content de te revoir」

“おかえりなさいませ。”という意味です。秘書が英語で、儀輔と服部に伝えると、儀輔も『謝謝』と書いた懐紙をチェンに見せ、チェンがフランス語に訳した。

早速、儀輔は、司祭や街のモノに不穏な動きなどないかを尋ね、領主にとって不都合が在れば、滞在期間中に成敗する旨伝えたが、それは杞憂であった。

今までの経緯等の全情報は、全てリシュリュー配下の衛視の何れかが、ミアだけでなく、領主ビュルシャールにも共有しており、彼は、マルセイユに、行くついでに、彼等が当地に立ち寄るだろう、という算段は、していた。

当地のカソリック司祭に関しては、すっかり成りを潜め、領主からの監視指導が強化された事もあって、粛々と初期教育の任にあたる様になっていた。

この半年ばかりで劇的に街の力関係が変わり、領主ビュルシャールは、正に、領主としての仕事を真剣に担い始め、遣り甲斐を感じていた。

彼は、眞乘から学んだ、日本の商業政策『楽市楽座』の考え方を街で、実験的に実践しただけであったが、その効果か?元々、印刷技術が、普及発展していた街には、リシュリューの考えに沿った学究畑のカソリック聖職者が、欧州各地から流入するようになっていた。比例する様に、スペイン(カソリック)の思惑を帯びた、派閥や、修道会系の現世利益を専ら追求したカソリック司祭は、肩身が狭くなって行った。

新規に流入してくるカソリック聖職者は、基本的に、ユグノーや、ユダヤ系に関して寛容、と云うか、無関心であり、教育環境に関してのみ、煩かった。

この様な、領民に対する政策の方向性からか?親世代が、識字率を争う様に成り、結果、学校に通う子供の数が劇的に増え、算術を基盤とする公正で公平な環境が整っているとの噂が、他地域の商工業者の流入を促していた。

街(領主)は、彼等の活動を保護・助成する為、街自体が、活気づいていた。

要は、好循環が起きていた。

教育環境に関しても、学究型のカソリック聖職者の存在は、初等教育だけでなく、様々な、研究を進める人材の流入を呼んでいた。

将来的に、此の街が、フランス第一の学究都市となる下地は、この頃から萌芽し始めたのかも知れない。

儀輔や服部は、ビュルシャールの自慢話に成り兼ねない、この半年間での、街の変わり様の解説をワインを傾けながら、面白おかしく聞いていた。

とは言え秘書=通訳が消えた頃は、半分意味が分からなくなっていた。

仁八とチェンは、その間も筆談で、製鉄や刀剣の事を話している様だった。

「皆様、今晩は、当館でのご宿泊で?」

秘書は、全員分の寝具とタオルを手にして、英語で話しかけた。そう、ビュルシャールの館にも湯屋と厠が、増築されていた。


朝食の準備をしながら、宗右衛門は、奥様は、この食事が口に合うかを気にしていた。仁八からは、しっかり干物が、人数分託されていた。親方夫婦、主人夫婦以外は、ニハルだけが、独身者であり。立場上、朝は、宗右衛門が仕切る者だと考えていた。

しかし妊婦とは言え、美亜の朝は相変わらず早く、眞乘も、次いで起きて来た。

ニハルも台所で茶の準備を始め、外では、親方夫婦が湯を沸かしていた。

「皆様朝が早い」

宗右衛門は、苦笑いをしつつ。美亜を台所で出向かえた。

美亜は

「旦那様が、貴方との朝の稽古の準備をしている」

と?多分言ったのだろうフランス語が、聞こえたので、窓から外を見やると、眞乘は既に、稽古の準備を整えていた。

「有難い」

宗右衛門は、儀輔や仁八の稽古より主人との稽古の方が、近頃では、より実践的だ。と思えるようになっていた。美亜は、悪阻後、干物の匂いを好ましく感じる様になっていた。

「多分この子のせいね」

彼女は、かなり大きくなってきた、お腹をさすりながら香ばしい、魚の焼ける臭いを楽しんでいた。

ついつい長居をしてしまった、それだけ、ツールーズの街は居心地がよく、街の人間も皆、彼等を知ってからは、特に儀輔と服部には、良くしてくれるように、なっていて、親方は、街の鍛冶屋に技術の伝承を求められ、仁八と武人のチェンも、その手伝いが楽しかった。一番若い宗右衛門には、印刷工場が刺激的だったので、誰一人、街の生活に何不自由を感じなかった。

しかも、眞乘は、美亜との時間が、愛おしかった。

しかし、一足先にマルセイユに向かったニハルが、悪い知らせを持って、戻って来た。

ナントの勅令と、今は呼ばれている、前王が新旧対立を治めるべく発布された“王直々”の命令により宗教対立は沈静化していたのだが、新王ルイ13世は、結婚を機に、カソリックへの帰依を深めていた。

其考え方の急先鋒だったのが、彼等によって推薦され、今は、リュイヌ公と呼ばれているシャルルと、スペイン人の新妃にとって唯一のフランス人の、最高の相談相手となっていた、彼の妻であるリュイヌ公爵夫人であった。

カソリックの司教の身分があったが、若く、有能で、眞乘等からの影響により、最も現実的な選択をし、国王や公爵個人の意向よりフランスの国としての利益を追求する、リシュリューは、リュイヌ公夫婦にとっては、『原理主義的存在』として『目障り』となっていた。

彼等の採る、現世利益追求の守旧的姿勢により、ユグノー等の新教派と、カソリックの旧教派の王宮内。いや国内の貧富の格差対立は、要は富めるユグノー等の資産を没収し、貧しき者=カソリック教徒に、問答無用で分配する、という、今なら『社会主義的』と、開き直れる様な愚かな政策による弊害が、抜き差し難い状態になっていた。

その弊害が、現実のものとなって、彼等の前に現れた。

異邦人(東洋人)である彼等、『モリスコ』の出であるニハル。フランス語が堪能とは言え、見た目が完璧に異なる中国人であるチェン。彼等の、フランス国内での活動は、中心部に近づけば近づく程、難儀な、情勢になっていた。

またフランス(カソリック)と敵対する船は、理由の如何を問わず、入港禁止。又は、海賊的行為で、拿捕され、積み荷は、悉く没収される様になっていた。従って、現状では、ニハルの伝手で、帰路を確保する事が難しくなった事を意味した。

未だ、此の街には、其の惧れを感じさせる兆候は、出てはいないが、そう遠くない将来、此処ツールーズの街は、ルイ13世が王国である限り、フランス中心部の街と同じ環境下にならない。とは、言えなかった。

この事態をビュルシャールに伝えない訳には行かない。と眞乘は、感じ、服部と儀輔は、バンブローナーのリシュリューと彼等の弟子(衛視達)の事が気になっていた。

ニハルの言葉を聞き、美亜、親方夫婦、チェンは、眞乘の判断に、従う旨を誓った。

早速、眞乘と服部は、馬を飛ばし、チェンとニハルを伴い、ビュルシャール邸へ向かった。

その間、儀輔の指揮下で、仁八と宗右衛門は、バンブローナーへ向かう算段を協議した。

領主として、ツールーズの街の運営に自信を持ち始めていたビュルシャールは、近況の情勢の報告と、それに伴う彼等の判断を信じた。彼等の滞在期間。当初こっぴどく叩きのめされた彼の兵達も、その経験故、儀輔の弟子と言って良いほど、彼等に鍛えられていた。

又、街の鍛冶職人は親方の手ほどきにより、日本式刃物の鍛造法や、木炭と鞴を使った鋼の精錬技術を身に付けつつあった。

故に、ビュルシャールには、ちょっとやそっとの事で、街の自治権や姿勢を崩す事は、考えられなかった。が、多勢に無勢の場合と、最も恐れるのは、カソリック教会の動きであった。

今、街のカソリック教会の司祭は、半数以上が、学究畑の司祭が、占めているとは言え、何時、ローマの命令で、旧態然とした、教団派閥の司祭達の再台頭を招くかは、予断を許せる事では無かった。

相手は、幾ら学究畑とは言え『司祭(カソリック)』ローマの命に従う事に、何ら疑問を挟むような人種では無かった。

再び、スペインや、ポルトガルの思惑を帯びた、教団派閥や、修道会系の現世利益を専ら追求した司祭連中に、街の教会が占有される事態を如何に避けるか?が、今回の題目の中心を成した。

彼等の出した答えは、今で言う『大学』を街に復活させ、その運営を教会(学究畑の司祭達)に委ね、街に分散している教会機能を大学(機能)に集約させると言うモノであった。ビュルシャールと、彼等の弟子及び秘書に、眞乘の家族(美亜)の安全を依頼し、眞乘と服部は、ビュルシャール邸を後にした。

美亜の元に戻ると、早速彼女に、街での次第を説明し、因果を含ませた上で、男達は、バンブローナー城に向かった。しかし、時、既に遅く、リシュリューは、国王一派に、教順の意志表示をした後で在った。

彼には、今、事を動かす事に躊躇があった。と云うよりも、もうその力を失っていた。

彼は自室に眞乘と服部を呼び、自身の見立てと、現状、そして考えを説明し始めた。

彼は、新妃を若き国王の元へ連れては行ったが、ボルドーでの国王の結婚式に出席する事は、叶わなかった。国王の最側近になっていた、リュイヌ公からは、彼が預かっている、故コンチーノ・コンチーニ元帥の遺体を、カソリック枢機卿である彼が、その身分故、責任を持ってパリに埋葬する王命が下された。

その時点で彼は、フォンテーヌブローでの決断―シャルル・ダルベール・ド・リュイヌをリュイヌ公として国王の相談相手(側近)に推薦した判断―が『甘かった』事を悟った。ビダゾア川のスペイン側の領土でもあるスンビリャの手前で、眞乘らと別れて四日目の事であった。

パリで、コンチーニ元帥の埋葬を算段している時、コンチーニが、市民から、如何に反感を買っていたのか!を体験する事となった。彼は、彼の馬車に、押し寄せて来る群衆に、

「国王に対する忠誠である」

と、彼らの行為を称えて、腐り掛けてはいたが、見事に胴と首が別れ、彼又は、王命により『殺された』と判別できるコンチーニ元帥の遺体を、押し寄せる群衆に預ける事で、難を逃れていた。この経験は、彼に強烈な教訓を残した。

この事件が、王やリュイヌ公の耳に入るやい否や、彼は、宮廷のルイ13世側近という立場を追われた。そして、スペインとの最前線である、ここバンブローナーから、実は間もなく、マルセイユよりも東側のアヴィニョン(Avignon)と云う、カソリック司教としては相応しい、が、しかし政治や軍事の中心からは、遠く離れた街に、赴任する事が求められた。要は、対外(スペイン)との戦いの矢面から、追放(左遷)されたのであった。

従って、その事実は、彼には今後、政治的権力が無くなる事を意味し、眞乘達を守る事は出来なくなる。という懺悔に近い告白であった。

彼の判断は、『私が此処で権力(実力)を行使できるのは、残り僅かである。故に貴殿らが帰国をする場合は、既にムッシュ服部から聞かされていた“手順”しかない』と云うのが彼の見立てであった。

要は、バンブローナーから最も近い、フランス領の港からオランダに向けて脱出する手段しかなく、その段取り位しか、自身では、もう出来ない。と云う申し出であった。港町としては、サン・ジャンス・ド・リュズという漁港が、最も近く、其処には、自身の息の掛かった貿易船が今停泊している。というものであった。

しかも船の都合が在るので、一両日中の決断を迫られた。この港に行く場合は、馬を使って半日と言った行程である事が付け加えられた。

「仔細は、理解した、して、お主は、今後、如何にするのじゃ?」

眞乘も混乱したので、こう質問を英語で返すのが一杯であった。

「この城の衛視は、私の個人的な臣下ではなく、国王の臣下なので、城に留まるでしょう。しかし何名か、特に信仰がカソリックでは『無い』者は、私が、この国の現状を包み隠さず、全て話せば、当地を離れ、もしかすれば、ビュルシャールの治めるツールーズの市民となるかも知れません。特にムッシュ村田(仁八)の薫陶を受け、貴方が、私に良い臣下に成長したと、お墨付きをくれた親方夫婦は、間違いないでしょう。」

リシュリューは、既に算段を始めている。か?の様に落ち着いた口調で説明をし始めた。

「そう、私に従うのは、警護を除けば、個人的に雇用している、貴殿方に付けた、中国人達位では、ないかと思います。」

あっさりしたものだ、服部は、リシュリューの潔い語り口に、カソリック枢機卿と云うより、武人としての誇りを感じていた。『我が身位、我が身で守って見せる』そう捉えたのだった。

「ニハルよ、その方は如何する?儂等と共にオランダまで来るか?」

眞乘の懸念はニハルの処遇だけであった。彼の今までの功労を考えると、無碍に放り出す事は叶わなかった。

「私は、これだけのお金を頂いたので大丈夫です。」

ニハルも経緯をすべて把握しているので回答は明確であった。『助かる』眞乘は心の中で呟いた。

躊躇している暇は、無かった、眞乘は、服部が幕府から受けていたもう一つの命(算段)を実行する為に用意してあった、書(幕府公認の依頼書・手紙)を(しか)と所持している事を確認し、各自も持てる物を持ち、リシュリューの手配した馬に跨り、彼の認めた紹介状を手に、皆との別れも、そこそこに、バンブローナー城を後にした。到着翌朝の事であった。幸いな事に、サン・ジャンス・ド・リュズ港に、停泊していた件の船は、掲げられた旗こそフランスのモノであったが、船長以下、全乗組員はフランス人でもスペイン人でもなかった。

彼等が到着後の出向は早かった。まるで彼等の乗船を待っているかのようであった。

(イングランド編へ)




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