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ナナツヨ

作者: 小羽 朔夜

愛しくて、恋焦がれてやまなかった、彼の顔がこんなにも近くに見える。

これは夢なんだろうか。私の願望が現実まで浸食してしまったとでもいうのだろうか。

もし夢ならばこのまま醒めなければ、朝なぞ2度と来なければいいのに。






私はずっと彼に恋をしていた。朝起きれば彼を想い、夕に褥の中で彼と会えるようにと願う。花を愛でれば彼にも見せたいと思い、些細なことで落ち込んだ時には傍に彼がいることを望んだ。

毎日毎日彼のことを考えていても飽きることはなかった。ただただ彼だけを求めていた。


しかしながら周囲、特に私の父は彼のことをよく思っておらず、私に落ち度があるたびにそのことを口にした。あのような者と親しくしているからお前の価値まで自ずと下降してしまうのだと。私はそこまで万能な人間でもないから粗相の1つや2つなどするに決まっているというのに、それらは全て彼に負わされてしまった。

その一方で、私が何か立派な行いをすれば、それは自分の教育の賜物によるものであるとし、彼はやはりお前のような女にはふさわしくないと糾弾されることとなった。

どうしても彼との仲を認めてはくれないようだった。


彼との逢瀬は毎年同じ日に1日のみ、と定められていた。

彼との仲を引き裂かれそうになりながらも、今まで反抗など考えられなかった父に対して必死で食い下がった結果だった。

母や兄は多少なりとも同情してくれていたようで、もう少し増やしてやってはどうかと進言してくれてはいたが父は頑なだった。この条件を呑まなければ付き合い自体を認めないと言い切り、従うほかに術はなかった。

そして、辛うじて許されたその日をただただ指折り数えて待つのみだった。あっという間に過ぎ去った逢瀬を回想し、何年も、何十年も、幾世霜待ち続けた。


私は一体どういう人となりになれば良かったのだろう。彼に似つかわしい女となれたのだろう。

どうすれば、父に、周囲に認められながら彼と結ばれる、幸せな未来を築けるのだろう。

その疑問は長い年月の中で徐々に私の中で膨れ上がり、やがて今日という日が訪れる。






その日は朝から沢山の人間が出入りしていた。それは私の衣装を決めるためである。

年に一度しか会えない彼のために、私はこうして事前に念入りに身支度を整えるようにしていた。

最高級の布地に繊細な刺繍。長く伸ばしている髪も、当世風ながらも私らしさが残るように細かく修正を加えながら結い上げられてゆく。着物に合わせ、小物を選び終わった時にはもう日も暮れようとしているころだった。


姿見に映る自身の姿に満足し、ふと何かを踏んだような感触を得て足元に散らばる見向きもされなかった布や小物を一瞥する。彼に見せるのに1番美しいもの以外はいらない。そしてそうではないそれらに興味はない。

途端に不機嫌そうになったためか、視線に気づいた侍女や商人たちが慌てて片付け始める。

それを見届け、私は誰に告げることもなく与えられていた部屋を後にした。どこへ、と問う声には答えぬままで。


そうして私は中庭へと赴いた。

やむを得ないとはいえ、普段静かな自室にあれほどの人間が入れ替わり立ち替わりというのは疲れるものだ。最初は自室に知らない人間を立ち入らせるのは癪だったので、店先に私が出向こうとしたのだが、侍女達に止められてしまった。どうやら彼女たちは旦那様、もとい私の父にそう言い含められているらしい。

すっかり籠の鳥扱いについ溜息をつく。確かに幼少の頃の私は体が弱かったけれど、今はそこまで悪くはない。皆、私を閉じ込め、深窓の令嬢という肩書を持っていて貰いたいだけなのだ。でなければ、こんなにも元気な人間をここまで過保護に扱う必要はない。

そう、このような場所に捕らわれている必要なぞないのだ。


何故今まで思いつかなかったのだろう。私はいつまでもここで彼を待ち続けていなくてもよい。私は。自由に彼の許へ行けばいいのだ。そうすれば年に一度という制約に縛られて毎夜枕を濡らさずとも済む。父に許して貰わなくとも構わない。彼以外はいらない。ならば、駆け落ちなり何なり、どこへでも行ってしまえば良かったのだ。






あぁ、苦労して通った甲斐があるというものだ。

約束だった、かの日まで待たずとも彼はこんなに近くにいる。


何を驚いているの、いとしいひと。

私は、あの苦難の道のりを貴方だけを想って耐え忍んで漸くここまで辿り着いたのよ。これがきっと愛のなせる業ね。さっきまで疲れてしまっていたのだけど、貴方の顔を見ただけで疲れなど吹き飛んでしまったわ。


あら、あそこにいらっしゃる女の方は?

きっと、妹さんよね。今まで貴方から聞いたことはなかったけれど、そうね。あまり顔が似ていらっしゃらないからてっきり私は浮気相手かと思ってしまいそうだったわ。

そう、父上が貴方が私を裏切ってるだなんて言って私を脅すのよ。可笑しいでしょう?

でも安心して。大丈夫よ、貴方のことを疑ったことなんてないわ。そんな、ばつの悪そうな顔をしていないで笑って頂戴よ。貴方が愛してるのは私だけの筈でしょう?


あそこで遊んでいるのはきっと姪御さんね。やっぱり血縁だけあって貴方にとてもよく似ているわ。お名前は何ていうのかしら。

別に取って喰いなんてしないわ。そんなに必死に妹さんと姪御さんを追っ払おうとなんかしないで。照れていらっしゃるの?

とても感じのいい方達だと思うし、将来私の義妹さんと姪御さんになるわけだから仲良くしておきたいじゃない。

待って頂戴。今、きちんとご挨拶するから。

あら、私ったらこんな身なりで。恥ずかしいわ。簪も櫛もどこにやったのかしら。

いえ、貴方から貰った物ですもの、望んで失くしなんかしないけれど。少し道中で必要に迫られてしまって。

ちょっと婆や!

あ、そうね、供の者は着いてきていないんだったわ。やっぱりこの格好でいるしかないわね。ごめんなさい。

え?この染み?いやね、そんな心配そうな顔しないで。

これは動物に襲われそうになって自己防衛した時のものよ。私の血ではないから安心して。そんな怯えた顔しないで。


あ、あら?力が入らないわ。ごめんなさい、少し休ませて。すぐ、起き上がって礼儀正しい淑女として振舞うから。気を遣って遠くへなんて行こうとしなくていいわ。私は貴方といるのが一番安らげるのよ。

愛してるわ、私のいとしい貴方。眠る前に貴方の顔が見られるなんて、これ以上の幸せなんてないわ。






約束の日まではまだ時間があったから安心しきっていた。

彼女には知られていないつもりだった。

ひょっとしたら彼女は俺の言動に疑いを持ってここまで来たのだろうか。

あの場所から、長い長い道のりを経て。


今はもう冷たくなっている彼女の亡骸を見遣る。

そこには大小様々な傷に加え、明らかに血痕と見て取れるものがあった。返り血、だろうか。動物という線も想像には難くないが、監視の者を連れていないということは、恐らく彼女がそれらを振り切って来たに違いない。それほど傷が深くなければいいのだが。

ともあれ、彼女が最早生気を失っているということに安堵する。最愛の妻、そして娘に何も起きなくて本当に良かった。彼女の濁った瞳がそちらを向いた時には思わずぞっとしたものだ。

いくら頼まれているとはいえ、こちらの生活まで脅かされては困る。そういう契約で成り立っているのだから。1年に1度だけ、深窓の令嬢の夢物語に付き合う。その代わり、残りの364日は俺の好きなように過ごさせてもらう。そこに契約の齟齬はない筈だった。


だが、致し方ない。そちらがそうするのであればこちらも動くまでだ。

袂に隠し持っていた小型送受信機を取り出し、慣れた手つきでそれを操作する。掛ける相手はそう、いまそこで冷たくなっている娘の父親だ……


 七夕の由来に憧れて、それを題材にしようと思い立ちましたらこんな風になりました。夢見がち、というのは狂気と紙一重ですね。

 本当は途中、残酷な描写を挿入しようかとも考えていたのですが、私には力不足でした。もし、この作品を読んで、尚且つ幕間が欲しいと思われる奇特な方がいらっしゃいましたら、なけなしの想像力で頑張ろうかと思います。


 ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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