『ラック』
はじめに、この物語はフィクションであり実在の人物や団体などとは関係ありません。ご理解いただいた上でお読みください。
清真と真尋は、深い決意を胸に、岐阜県にある「徳」西巌寺の門をくぐった。都心の喧騒から一歩足を踏み入れたそこは、別世界のようだった。厳かな空気に包まれた境内には、線香の香りが静かに漂う。
2人は、荻野と平井さんの墓前(合同墓地)に立ち、静かに手を合わせた。見知らぬ2人だが自分たちの命を救ってくれた恩人。
墓石には何人かの名前の中に2人の名前もある。
その墓石を前に、清真と真尋の心は重く、そして感謝の念に満たされていた。
清真と真尋が手を合わせ敬意と感謝にを伝える。
すると後ろから優しく穏やかな声が聞こえた。
現れたのは、『徳』西巌寺の和尚さんだった。穏やかな眼差しの和尚さんは、2人の疑問に察したように静かに語りはじめた。
「よく来てくださいましたね」
「荻野も平井も、君たちがこうして会いに来てくれたことを喜んでいると思います……」
「何故私たちの事を…」真尋が和尚さんに尋ねると和尚さんは笑顔を見せた後、真剣な眼差しで返した。
「君たちが、彼らの『力』を受け継いだ方たちですね」
徳さんの言葉に、清真と真尋は驚き、顔を見合わせる。なぜ、この和尚が自分たちのことを、そして「力」のことを知っているのか。
「大切な客人様を寒空の下でお話していただくわけにはいけません」
「どうぞこちらへ」
和尚さんの案内のもと2人はお寺の横にある施設の一室に通された。
真新しい畳の香りが心地よく漂う和室の真ん中には、ひときわ目を引く高級そうな漆塗りの座卓が置かれていた。2人は静かにその前に身を沈めた座布団がふわりと沈み、しっとりとした肌触りが全体に伝わる。
和尚は大きな体をゆるりと、2人の前に腰を下ろす。 その所作には一切の無駄がなく、静かに衣擦れの音がするのみ。2人の視線が吸い寄せられるようにその穏やかな佇まいに向けられると、和尚は静かに、しかし確かな眼差しで彼らを見つめ返した。
「では改めまして、私、『徳』西巌寺で住職、管理責任者を務めさせていただいております、徳阿含と申します」
和尚の深く、しかし静謐な声が響く。その言葉と同時に、すっと背筋を伸ばしたまま深々と頭を下げる姿は、まさに絵になるようだった。つられるように、真尋と清真も慌てて頭を下げる。
徳が顔を上げたのを見て、真尋が口を開いた。
「私は須見で、彼は小田といいます」
真尋が紹介を終えるや否や、待ちきれないとばかりに清真が身を乗り出した。
「あの……なぜ、僕達の事をご存知なんですか?」
その問いに徳は、2人の心情を読み取り、深い息をつくと、ゆっくりと語り始めた。
「お二人は【特異点】と言う言葉を聞いたことはございますか?」
清真と真尋は聞き慣れない言葉に首を軽く傾げる。2人の間には困惑と、ほんの少しの好奇心が入り混じった沈黙が流れる。
「【特異点】とはある対象の中で、大衆とは異なる性質を持つ特別な人物の事を指します。遥か昔から、この世には【特異点】と呼ばれる存在がいます」
「彼らは、時間の干渉を受けずに過去に戻る事ができる、特別な能力を持つ者たち…」
「現在、日本にいる【特異点】それが貴方達2人なのです」
真尋の息が、思わず止まり清真もまた、信じられないという表情で徳さんを見つめた。あまりに衝撃的な内容に言葉を紡ぎ出すことすらできず、ただ茫然と、彼らは徳の姿を見つめ続けるしかなかった。
「特異点の能力は、血筋や遺伝で受け継がれるものではありません…それは、強い『想い』によって、受け継がれるものです」
徳さんは、真剣な眼差しで2人を見つめた。
「私達は……この力を、荻野さんと平井さんから受け継いだ、という事ですか?」真尋が、その言葉の重みに耐えかねるように、か細い声で問いかけた。その問いに徳は静かに頷いた。
徳はゆっくりと立ち上がると、仏壇の横に飾られた、色褪せた一枚の写真を手に取った。その写真を、何も言わずに真尋と清真の前に差し出す。2人の視線が、吸い寄せられるように写真に注がれる。そこには、若き頃の徳であろう人物と、数人の子供、優しい笑顔の年配男性が写っていた。
「この子が荻野永二、平井音」
徳の指先には幼き頃の荻野さんと平井さんがいた。
清真と真尋は、2人の本名を聞き、改めて写真を見つめる。
徳はさらに続ける。
「あの日、永二と音が私の元を訪れました 2人の話を聞くと『2005年に起きたお化け屋敷火災事故』にタイムリープすると告げてきました」
徳さんの声は、少しずつ重みを増していく。
「今までは事件に対し干渉してきた彼らが、なぜ事故に干渉するのかと私は問いました すると彼らは、その日、同じ遊園地で別の誘拐事件があったと教えてくました…」
清真と真尋の心臓が、大きく脈打つ。
重い沈黙が、場に淀む空気をさらに重くした。しかし、徳はそれを打ち破るかのように、静かに言葉を続けた。
「荻野と平井は、誘拐事件の被害者を救うため、お化け屋敷の火災事故と同時に、そこに干渉する必要があったのでしょう……私は彼らの言葉を信じ、納得しました そして、2人は2008年からタイムリープしていきました……」
徳の言葉は、淡々としていながらも、その奥には深い悲しみがにじんでいた。
「……………2人は過去から現代に戻ってくることはありませんでした…ご存知の通り、2人はあの火災事故で亡くなりました」
真尋と清真は、ただ息をのむしかなかった。言葉にならない感情が胸を締め付ける。徳は、そんな2人の様子には構わず、さらに語り始めた。
「永二と音は、身寄りがありませんでした 彼らは、私の父がかつて経営していた児童養護施設『幸』で育ちました 永二は活発で正義感が強く、施設のリーダー的存在でした。音は物静かでおとなしく、本を読むのが好きな子でした 2人とも優しい子でね……施設を巣立った後でも、私の父のことを気にかけてくれていました」
徳さんの声は、どこか遠い昔を懐かしむような響きを帯びていた。その眼差しは、遠い記憶の彼方を見つめているようだった。
「父も2006年に病気で他界しそして、施設『幸』も今はもうありません 生前父は、身寄りのない永二たちのために、遺骨を引き取り、この本願寺の一角に共同墓地を作りました 施設はなくしてしまいましたが、私は亡き父の想いを受け継ぎ、その墓地を管理しているというわけです」
徳は、そう言ってゆっくりと息をついた。その言葉のすべてが、真尋と清真の心に深く刻み込まれていく。彼らが今、目の当たりにしているのは、単なる過去の出来事ではなく、現在と未来へと繋がる、途方もない運命の糸のようだった。
清真は、これまでの話の中で語られてきた、様々な人々の想いの根源を理解したいと強く感じていた。それは、徳の語る永二と音の生きた証であり、そして今、自分たちに受け継がれている、この理解しがたい力の源流でもあった。
「あの……荻野さんと平井さんは、なぜ、タイムリープの力を持っていたんですか?」
恐る恐る、しかし、その問いには確かな意志が込められていた。清真の視線は徳に釘付けになり、その答えを、真実を求めていた。真尋もまた、同じ問いを抱いていたかのように、清真の隣で固唾を飲んでいた。
徳は清真の問いに、静かに、しかし澱みなく答えた。
「永二も音もまた、【特異点】の継承者でした 私の家系は代々、【特異点】と呼ばれる存在と深く関わってきました 時には、自らが【特異点】となり、時には、彼らの活動を陰で支え、導く役目を担ってきておりました」
徳の口から語られる家系の歴史は、まるで遠い神話のようで、真尋と清真はただ茫然と聞き入るしかなかった。
「永二と音の前任者【特異点】は、私の父、『雲水』とその友人でした。正義感の強い永二と、誰よりも優しい音は、次なる【特異点】の適任だったのでしょう」
徳の言葉は、永二と音が、ただ偶然にこの力を得たわけではないことを示唆していた。彼らの人生は、生まれながらにして、この途方もない宿命に繋がっていたのだ。そしてその宿命は、今、目の前の真尋と清真へと、静かに、しかし確かに受け継がれようとしていた。
「力を受け継いだ永二と音も、最初は戸惑いがあったでしょう……」
徳は、遠い目をして語り続ける。
「しかし、彼らもまた、人を助け、その喜びも悲しみも知り、次第にその力と向き合っていきました そして、彼らは自らのチームを作ったのです」
徳の言葉に、真尋と清真は息をのんだ。
「『奪われた時間を埋め直す者』、通称【Lack】として、彼らは時を超え、理不尽な事件によって歪められた過去を修正してきました。私もまた、そのサポート役として【Lack】の一員として共に行動しておりました」
その声は、かつて共に時を駆け抜けた仲間への、深い敬意と愛情に満ちていた。
徳さんの口から語られる壮大な真実に、清真と真尋はただ茫然とするばかりだった。
徳の話が終わり、真尋と清真の胸には、2人は自分たちの存在、そして背負うべき運命。そのすべての重みを感じていた。
「本日は、ありがとうございました」
真尋と清真が、深く頭を下げる。徳は静かに頷き、二人を優しい眼差しで見送った。
『徳』西巌寺からの帰り道、清真が隣を歩く真尋に語りかけた。
「須見さん 俺、昨日 須藤蓮さんに会って話をしたんだ」
真尋は驚いて清真を見た。
「須藤蓮さんに?どうして…?」
清真は、須藤蓮から聞いた亡き母の話、そして「正しいことをしなさい」という言葉とその言葉が蓮に与えた意味を語った。清真の言葉は、迷いを振り切ったかのように力強かった。
「須藤蓮さん須藤咲紅さんの言葉、両親の想いが俺の気持ちを大きく変えてくれたんだ そして今日また荻野さんと平井さんの想いを聞いて俺は…あの事件の失敗から過去を変えることに意味がないって諦めかけてた、でもそうじゃない俺たちは、理不尽に奪われた時間を埋め直す『Lack』の意志を受け継いで最後まであきらめたくない…諦めちゃいけない」
清真の目に宿る強い光に、真尋は息を呑んだ。
「だから、やっぱり…俺は、柴田玲子さんと正子さんのことを、諦めきれない この事件を、解決したいんだ」
清真の言葉に、真尋はゆっくりと頷いた。彼女の心もまた、同じ決意で満たされていた。
「私もだよ、清真!私も、諦めきれない!どんなに辛くても、あの二人を救いたい!それが、私たちに託された使命だと思う」
強く強く決意する2人、だが、2人の間に新たな問題が立ちふさがった。
「でも…どうすれば…俺たちは、同じ時間に戻れない…」
清真は頭を抱えた。真尋もまた、眉間にしわを寄せ、深く考え込んでしまう。同じ時間に戻れなければ、玲子が命を落とすその瞬間を狙って干渉することは不可能だった。
しばらくの沈黙が続いた後、真尋がハッと顔を上げた。その目は、何か閃いたかのように鋭い。
「清真…」真尋がゆっくりと問いかけた。「あなただけが、間近であの男を見ている 怖いかもしれない…でも男の特徴を思い出せない?」
清真の顔から、一瞬血の気が引いた。あの日の記憶が、まざまざと蘇る。男の凶暴な目つき、振り下ろされるナイフの光。全身が震え出しそうになるのを、清真は必死でこらえた。
清真は、恐怖と戦いながら、記憶の断片を懸命に繋ぎ合わせた。喉の奥から、乾いた声が絞り出される。
「男は…立ち振舞いから空手をやっていたと思う…それから、身長は…俺と同じくらいの、170前後…」
そして、最も印象に残っている特徴を、清真は震える声を抑え付け加えた。
「あと…口を大きく開けて、ガチッ、ガチッ、ガチって、歯を鳴らし音を立ててた…」
真尋は、清真の言葉に強く引っかかり、考え込んだ。口元に軽く握った拳を当て、集中するように目を閉じる。
しばらくの沈黙の後、真尋は目を見開いた。
「ちょっと待って……!」
彼女は自身のバックの中を慌ただしく探り始めた。資料の束をかき分け、まるで宝を探すかのように指先を滑らせる。
「これだ…!」
真尋がバックから勢いよく出した資料には、大きく、そして不気味な文字が書かれていた。
「甲辺風山殺人事件」
日本3大未解決事件の1つとして扱われるこの事件は、2人の深い闇の扉と希望の扉を同時に開いたのだった。