『悪魔』
新幹線は、東海道本線を西へ向かって快調に走っていた。窓の外を流れる景色は、真尋の心の中の混沌とは対照的に、穏やかだった。真尋は、隣に座る清真に顔を向ける。
「ねぇ、清真 私なりに、この間のタイムリープの事を振り返って考えてみたの 私たち、何でタイムリープできるのかって」
清真は、肘掛けに腕を置いて、真尋の言葉に耳を傾けている。真尋は、それから色々な可能性を口にしたが、結局は首を振った。
「でも、結局、思い当たる節はなかったのよね! 清真くんはどうなの?」
清真も困ったように笑った。
「俺も、全く分からないですね 気が付いたらできてた、みたいな」
「まぁ、考えてもしょうがないよね」真尋は肩をすくめた。
そして、ふと何かを思い出したように、真尋が口を開いた。
「あっ、そうそう 私、昔、お化け屋敷で起こった火事に巻き込まれたことがあるのよ あの時の記憶も断片的にしかないけど、気付いたら病院でね お母さんもお父さんも泣きじゃくってたことだけは覚えてるわ」
清真は、少し目を丸くして言った。
「へぇ〜 それなら、それがタイムリープできるようになったきっかけとか?」冗談半分、しかしどこか本気めいた口調だった。
「はは! それはあるかもね!」真尋は声を上げて笑う。「でも、それなら清真くんは何でタイムリープできるのよ?」
「まぁ、そうですね」清真が苦笑した。
そんな軽妙な会話を続けながら、二人の乗る新幹線は、目的地の兵庫県雨ヶ幸市へと到着した。
雨ヶ幸の駅に降り立つと、二人はすぐに柴田玲子の自宅があったという周辺に向かった。事前に調べた情報によると、当時の街並みと現在で大きな変化はない。だからこそ、現場の状況を肌で感じることが重要だと考えたのだ。誘拐現場からコンビニ、そして自宅へと繋がる玲子の日常のルートを辿っていく。見慣れない街を歩きながら、真尋がふと、妙なことを口にした。
「清真くん、実はね、私、『名護八シングルマザー殺人事件』の特集を組む前にね、『柴田玲子さん誘拐事件』を調べてた事があるの」
真尋の言葉に、清真は驚いて真尋を見た。
「え、そうだったんですか?」
「うん より読者に『衝撃』を与える事件の方が良いって部長に言われて、途中調べるのは止めたんだけど…」
真尋は少し遠い目をしながら続ける。清真は真尋の表情の変化に気づき、すぐに問いかけた。
「それで、何かあったんですか? なんだか、腑に落ちない顔してますけど」
「うん…私が貴方と会う前に調べてた時の記憶が確かなら、柴田玲子さんは誘拐現場から1キロ離れたあたりの国道の交差点で午前1時半頃に、男と玲子さん、そしてもう1人そこに女性がいた、っていうトラック運転手の目撃情報があったの」
清真は、息を呑んだ。
「…てことは、共犯者が…」
清真が言いかけた時、真尋が被せるように言った。
「でもね、今調べてもそんな情報は出てこないのよ」
清真は考え込むように呟く。
「情報が変わってるということですか?」
真尋は首を横に振った。
「うん そうなるわね そして、さっき清真が言った通り、共犯者がいるのかも知れない、私達はより気を引き締めなきゃいけないわ」
清真は真剣な顔で頷いた。真尋は、強い口調で続ける。
「犯人が二人いるのなら、私たち、必ず単独行動はしないこと!これだけは約束しましょ」
清真は真尋の目を見つめ、力強く答えた。
「はい!」
「じゃあ、行くわよ」
真尋が清真に手を差し出した。清真も真剣な顔で頷きながら、その手を握り返す。
その時、またあの、全てを包み込むような眩い光が二人を包み込んだ。
光が収まり、周囲の喧騒が遠のく。清真はすぐにスマホを取り出し、日付を確認する。
「…11月22日」
真尋も自分のスマホで確認し、時刻を見る。
「時刻は午後4時 よし、大丈夫」
二人は顔を見合わせ、深く頷いた。
「気合い入れていきましょう!」
清真は、覚悟を決めたような顔で言った。真尋は、彼の言葉に力強く頷きながらも、ふと彼の体つきの変化に気づいた。
「そうね! …そういえば、少し気になってたんだけど、清真くん、少し身体、筋肉質になってない?」
清真は、少し照れながらも嬉しそうな顔で答えた。
「わかります? 最近、ボクシング始めてまして!」そして、真尋の目を見て純粋な笑顔で付け加えた。
「須見さんと被害者を守りたくて」
真尋は、その言葉に胸が温かくなった。
「ありがとう なるべく危険な目に合わないようにしたいけど、その時は期待してるわ」
二人は近くのファミレスに入り、事件と今後の作戦について最終確認を行うことにした。席に着くと、真尋はメモ帳を開き、声を潜めて話し始める。
「被害者は柴田玲子さん、16歳。友人と4人でいたところに、男から『青少年保護条例違反』と声をかけられ、柴田玲子さんだけが連れて行かれた。後の3人は、男によって先に帰るように指示されてるわ」
清真は腕を組み、疑問を投げかけた。
「でも、どうして玲子さんだったんでしょうね? 他の3人を帰すのはまだ分かるんですよ 分断支配の手法ですよね?」
「あら、詳しいわね」真尋は少し驚いたように言った。
「はい、そりゃもう勉強してますから」清真は照れながら答えた。
「確かにそうね なぜ玲子さんを選んだのか…でもその辺りについては、突き詰めようがないわね」
「そうですね 犯人捕まえて吐かせるしかないか」
清真のその言葉を聞いて、真尋はふとっ不安な気持ちに襲われた。
これから未解決とされた凶悪な事件に向かうというのに、清真からは先ほどからの笑顔、そして妙な自信が感じられる。それが頼もしくもあり、同時に一抹の不安を覚える。真尋は、気持ちを切り替え、作戦の話に集中することにした。
「もう一つ、私が気になっている情報を話すわ。ある情報筋からなんだけど、犯人と玲子さんは国道の交差点でトラック運転手に目撃されている…でもそこからの目撃情報が一切ないわ!モンタージュ画像に似た男は午前2時頃、さらに1キロ離れた場所で目撃されてる!その時、その男は一人だった」
清真は、真剣な顔で答える。
「と言うことは、やっぱり共犯者の可能性がありますね」
「そうね もしくはその道のりの間に男の自宅があるか、どこかに匿う場所があったのか、ということになるわね」真尋は腕を組み、考え込む。
「玲子さんは、男から『ついて来い』と言われた後、近くの脇道に入っていったと友人が証言しているわ」
さらに真尋は自分達の動きを確認する。「私たちはその脇道に入ってすぐの墓地に隠れて、二人の姿が見えたら尾行する」
「はい…墓地は怖いですけど」清真は少し顔を引きつらせて言った。
「以前と同じように、事件が起きてからじゃないと犯人を警察に捕まえさせることはできない だから、事前の準備から失敗は許されない」
真尋は遠回しにも清真に喝を入れるように言った。清真は、その言葉の重みを理解しているかのように、真剣な顔で頷いている。
「清真くん、何度も言うけど、勝手な行動はとらないこと! 必ず単独行動はダメよ!」
真尋の強い言葉に、清真は真面目な顔で答える。
「分かってますよ」
清真が時計を見る。時計の針は午後11時をさしていた。
「真尋さん、そろそろ墓地に向かいましょう」
「そうね」
二人はファミレスを出て、身を隠すための場所、墓地へと向かった。街灯の明かりも届かない、漆黒の闇が広がる墓地の入り口に差し掛かったその時、真尋がハッと息を呑み、小声で清真を止めた。
「待って」
清真が怪訝な顔で尋ねる。
「どうしたんですか?」
「誰かいる」真尋の目が、闇の奥を射抜くように凝らされる。
清真も目を凝らすと、確かに墓地の奥に、チロチロと揺れるタバコらしき小さな灯りが見えた。暗闇で見えづらいが、大柄な男らしき人物の影が確認できる。二人は、咄嗟に近くの大きな木陰に身を隠した。
「まさか、犯人?」清真が囁く。
「うん、もしくは共犯者か…」真尋の声にも緊張が走る。「ただ、3人の友達の証言によると、犯人の身長は玲子さんより少し高い160センチから165センチくらいのはずよ」
真尋は、墓地にいる男の影に目を凝らす。「暗がりで判断しづらいけど、結構な大柄ね…可能性で考えたら、共犯者かも知れないわ」
二人が男を見つめながら息を潜めていると、男は辺りをキョロキョロと少し確認した後、ゆっくりと墓地からでた。そして誘拐現場とは逆の方に歩いていった。
真尋と清真は、男が戻ってくる可能性も考慮し、墓地での張り込みをやめ、そのまま木陰に隠れて、男と玲子が来るのを待つことにした。
時間が刻々と過ぎていく。周囲を包む静寂が、二人の緊張を一層高めていく。清真は、目の前の暗闇の奥に意識を集中させる。もし、本当に共犯者がいるのなら、今回の事件は前回よりも複雑で危険だ。しかし、彼の心には、恐怖とは異なる、どこか高揚した感情も湧き上がっていた。須見さんや被害者を守りたいという純粋な思いが、彼を突き動かしている。彼のボクシングで鍛えられた身体が、微かに震えている。真尋は、隣の清真の横顔を見つめる。
彼の瞳の奥に宿る、あの事件解決への熱意は、彼女の不安を打ち消し、再びこの危険な道へと足を踏み入れさせたものだった。
刻々と迫る犯行時間。しかし、時間になっても、玲子さんと男の姿は現れない。清真と真尋は、不思議に思うと同時に、次第に焦りが募り始める。
犯行時間から5分を過ぎたあたりで、真尋が焦れたように呟いた。
「どうして来ないの…」
すると清真が、何かを閃いたように言った。
「とりあえず、誘拐現場に行きませんか?」
真尋は一瞬考え込んだ。失敗できないという言葉が彼女の脳裏を過る。しかし、清真はそんな真尋の躊躇を促すように、言葉を続けた。
「俺、行きます!」
清真は、真尋の制止も聞かずに木陰から飛び出し、誘拐現場の方へ走って行った。
「ちょっと!」
真尋は叫んだが、清真の背中はもう遠い。彼女もまた、清真を追って走り出した。
清真は、焦っていた。あの時、須藤さんと蓮くんを救えた。今度もきっと救えるはずだ。その一心が、彼の足を突き動かす。
誘拐現場に到着すると、そこには三人の女子高生が、恐怖からなのか啞然として立ち尽くしていた。清真は、すぐに彼女たちに駆け寄る。
「どうしたの? なにかあった?」
すると、女子高生の一人が震える声で答えた。
「友達が…男の人について行って…」
「どっちの方に行ったの?」清真が焦った表情で聞く。
その問いかけに一人の女子高生が、その男の異常性、恐ろしさを思い出したのか『ガクン』と膝から崩れ落ち、震えて座り込んだ。そこから続くように、残りの二人も涙ぐみ、その場に座り込んでしまう。
後から駆けつた真尋が、優しく声をかける。
「大丈夫、大丈夫よ」
清真は、自分の焦りが彼女たちをさらに怖がらせてしまったことを悟り、
「怖がらせてごめん もう一度聞かせてほしいんだけど、二人はどっちの方に行ったか分かる?」
すると、一人の女子高生が、震える指で墓地とは真逆の方向、暗い田んぼ道を指差した。
清真はそれを見ると、躊躇なくその方向に走り出した。
「清真、待って! 単独行動しないで!」真尋が叫ぶ。
「大丈夫!」清真の声だけが残響のように聞こえ、彼の背中は闇の中に消えていく。真尋も後を追おうとするが、目の前の女子高生3人が心配で、すぐにはその場を動くことができない。
男の後を追う清真は、田んぼ道をひたすら走った。夜風が頬を撫でる。彼の胸には焦燥感と、玲子さんを救いたいという強い衝動が渦巻いていた。一秒でも早く追いつかなければ。その一心で、彼の足は止まることを知らない。
すると、清真は、木が生い茂った小道に入っていく男と玲子さんと思われる影を見つけた。清真は、一気に距離を詰め、男に声をかける。
「待て!」
男と玲子さんが振り返る。玲子さんの顔は、恐怖で蒼白になっていた。男は、清真に鋭い眼光を向けると、低い声で言った。
「なんだお前 ?死にたくないならさっさとここから去れ」
清真は、男から溢れ出す圧倒的な悪の雰囲気に、一瞬たじろいだ。しかし、すぐに自分を奮い立たせ、叫んだ。
「もう警察には連絡してる! 玲子さんを離せ!」
男は「くっく」と不気味に笑い、口を大きく開けた。
「ガチッ、ガチッ、ガチ」
と、骨が軋むような奇妙な音を立てた後、玲子さんに「逃げたら殺す」と言い放ち、その腹部を殴った。玲子さんはその場に蹲った。
そして男は、再び口を大きく開け「ガチッ、ガチッ、ガチ」としながら、今度は清真の方に向かってくる。
清真は反射的にボクシングの構えを取った。
「ボクシングか いいねぇ」
男が清真の間合いに入る。清真は牽制するようにジャブを放った。
「ボフッ」
しかし、清真のジャブではなく突き刺さったのは、男の蹴りだった。男の蹴りは清真の腹部に深く突き刺さる。
「グフッ」
清真の身体がくの字に曲がり、呼吸が止まる。そして男は、人差し指と中指を立て、そのまま清真の目を狙いに来た。清真は辛うじて避けようとするが、右目をかすめる。「いっ!」
「ガチッ、ガチッ、ガチ」
笑顔の男の顔は狂気に満ちている。
男は右拳を握り、清真に向けて突き出した。清真はあえてワンテンポ遅らせ、交わしながら男の突きに合わせて右のストレートを打ち込む。
「ドゴォ!」
しかし、その瞬間、またしても男の蹴りが、今度は清真の頭部をとらえていた。「ズザァァ…」清真は意識朦朧とし、そこに倒れ込む。男の声が、遠くから聞こえる。
「くっくっ。上段回し蹴りは初めてか?」
男は続ける。
「おい! お前もよう見とけや! 俺に逆らったらどうなるか!」
清真は、薄れゆく意識の中で、真尋の顔を思い浮かべた。
(………須見さん…)
(清真くーん)
(清真くーん)
真尋は心の中で叫びながら清真を探した。夜道を走り、しばらく道を進むと、「どさっぁ」真尋は足を滑らせて転んだ。すぐに立ち上がろうとするが、自分の腕に妙な違和感を感じる。腕を触ると、「ベチョッ」とした粘り気のある感覚があった。スマホのライトを自分の腕に当てると、そこには血痕がついている。
(えっ、怪我した?)
そう思ったが、すぐに違うことに気づく。ライトを地面に当てると、点々と続く血痕が見えた。真尋は嫌な予感がした。迷わず、血痕の続く小道の中へ入る。小走りで少し進んだ所に、人らしきものが倒れているのが見えた。真尋はすぐにライトを当てる。
そこには、驚愕の光景が広がっていた。
清真が仰向けで倒れていたのだ。
「清真!!!」
真尋は悲鳴に似た声を上げ、すぐに清真に駆け寄る。
清真の片方の目は抉られ、顔は原型を留めていない。そして、胸部には、鈍く光るナイフが深く突き立てられていた。
「いやぁぁああああああ!!!」
真尋は絶望の叫びを上げた。