『不穏』
はじめに、この物語はフィクションであり実在の人物や団体などとは関係ありません。ご理解いただいた上でお読みください。
事件概要
「雨ヶ幸柴田玲子さん誘拐事件」2010年11月22日深夜、兵庫県雨ヶ幸に住む16歳の柴田玲子さんが一人の男に誘拐された。玲子さんの他にも3人の友人がいたが、玲子さんのみ誘拐された。
【事件の経緯】
事件前日、柴田さんは期末試験を終え、自宅で女友達4人と泊まり会をしていました。日付が変わった午前0時過ぎたあたりで柴田さんと友人たちは、自宅から数キロ離れたへコンビニへ自転車でお菓子を買いに行った。買い物を終え、自宅へ戻る途中の午前1時頃、柴田さんが自転車で転倒。そこに男が寄ってきて、「補導員」を装って柴田さんに声をかけました。男は「18歳未満が深夜に出歩くのは青少年保護条例に違反している」と凄い剣幕で言い、柴田さんに1人でついてくるよう命令。友人たちには「お前らは先に帰れ」と告げ、柴田さんの自転車については「後でトラックで運んでやる」とだけ言い残し、柴田さんと共に小道へ姿を消しました。これが柴田さんの最後の目撃情報となった。
柴田さんの友人たちは、1時間半経っても柴田さんが戻らないため不審に思い、それぞれの親に連絡しました。連絡を受けた保護者たちが警察署に捜索願を届け出をした。警察は事件性が高いとみて捜査を開始しましたが、柴田さんは現在も行方不明。犯人の特定できておらず2025年未だに解決されていない。
序章『不穏』
「いやあああああああ!」
真尋は飛び起きた。全身から嫌な汗が噴き出し、心臓が耳元でけたたましく鳴り響いている。ぼんやりと天井を見上げれば、そこにあるのは見慣れた自室の白い壁。しかし、脳裏には依然として、暗闇、煙、炎の赤、そして助けを求めるような叫び声が鮮明に残っていた。幼い頃の断片的な記憶。お化け屋敷で火事に巻き込まれ、死の淵をさまよったあの日の夢だ。目を覚ましてもなお、その不穏な残滓が、彼女の心を締め付けて離さない。
重い体を起こし、真尋は洗面台へと向かう。冷たい水で顔を洗うと、少しだけ現実に戻った気がした。時計を見れば、出社の時間にはまだ余裕がある。だが、今日の彼女は、いつものように軽やかな足取りで家を出ることはできなかった。
出版社に着くと、真尋は足早に自分のデスクへと向かった。彼女が所属するオカルト雑誌編集部の「未解決事件特集」は、ここ最近の人気企画だ。デスクの上には、取材中の資料や、読者からの投稿が山と積まれている。その中でも一際異彩を放つのは、日本の警察史に名を刻む凶悪な3つの未解決事件の資料だった。
「須見! 日本3大未解決事件の特集、どうなってるんだ!」
背後から、部長の太い声が飛んできた。真尋は思わず肩をすくめる。
「は、はい! 現在、最終的な詰めを行っています!」
真尋のデスクには、『神枕スーパー強盗殺人事件』、『甲辺風山殺人事件』、『阿里祀一家殺人事件』と書かれたファイルが、彼女の頭を悩ませるかのように重なり合って置かれていた。これらの凶悪な事件の資料を読み解く日々は、真尋のメンタルを確実に削っていた。時折、未来を変えるために過去に干渉した自身の行為が、本当に正しかったのか、という疑問が胸をよぎることもあった。
その時、編集部の入口から、見慣れない一人の女性が尋ねてきた。部長が応対し、真尋のデスクへと案内する。
「須見、こちらの方は、柴田正子さんだ。君の『未解決事件特集』を見て、会いに来たそうだ」
案内された女性は、年の頃なら50代後半だろうか。疲労困憊といった様子で、その顔には深い諦めと、しかし消しきれないかすかな希望が同居していた。彼女は、真尋の目の前に座ると、力なく話し始めた。
「…私の娘、玲子は、15年前の『雨ヶ幸、柴田玲子さん誘拐事件』で、行方不明になったんです。当時、玲子はまだ16歳でした…」
柴田正子の話は、事件から15年もの間、娘の生存を信じ、あらゆる手を尽くしてきた壮絶な道のりだった。警察の捜査は行き詰まり、世間の記憶からも薄れていく中で、彼女だけは娘を見つけることを諦めなかった。そして、今、最後の希望を胸に、人気のある真尋の「未解決事件特集」を組んでいるこの会社を訪ねてきたのだ。
真尋は、正子の話に深く同情した。目の前の女性の絶望と、それでも消えない親としての愛に、胸が締め付けられる。あの時、自分たちは須藤咲紅さんの子供を救うことができた。この事件も、もしかしたら…。
清真に連絡を取るべきか。真尋は迷った。再び、過去に介入することの重さ。しかし、この憔悴しきった女性の最後の希望を、無視することもできなかった。