01
俺の名は、アークトゥルス・ヘスペックス。ヘスペックス帝国の第一皇子。今年度からヘスペックス学院に通い人脈を築き、婚約者を卒業までに決めなくてはならない。己で婚約者を決めるのは理由がある。噂に流されず、家臣に耳を傾けて、目で見て、判断し、見極める目があるかどうかを確かめる決め手にもなる。
150年ぶりに聖女が現れたと聞きつけて、神殿が孤児院から引き取り、特待生として今年からヘスペックス学院に入学が決まった。
平民として育ってきた彼女にとって貴族社会は慣れないだろうから力になれるように気にかけてようと、この時の俺は思っていた。
入学式、当日。
俺の目の前で派手に転んだ女子を無視することは紳士としてあるまじき事。仮令、わざと転んだとわかっていても手を差し伸べることは紳士関係なく人としてごく当たり前のこと。
「君、大丈夫か?」
「えへ、私たら恥ずかしいわ」
恥じらうように赤い舌をだす女性。これを意図的にやっているのなら頭を疑う。
(ふふ、成功ね! アークたら私の可愛さに固まっているわ)
どこをどう捉えたらその思考になるのか理解に苦しむが、見たところ怪我はなさそうだ。
「大丈夫そうだね」
「っ痛! 足捻ったみたい」
痛み耐えるかのようにわざとらしく瞳にうっすらと涙まで溜めている。演技力の高さに俺は関心する。足元をすくわれないように身分が高くなるほど感情を顔に出さないように教育される俺らにとって、女性の涙を見ることはないぶん騙されてしまう男は多いではないだろうか。
(ほら、早く、お姫様抱っこをしなさいよ)
「そうか。では、女性を呼びに行こう」
無闇に女性に触れるべきではないと判断し、特にこの女性には警戒を緩めてはならない。有る事無い事を言いふらされそうで、それを想像して身が震えた。
王家には特殊な能力を持って生まれる者が稀にいる。俺のように他人の心の内が聞こえたり、何代前の国王は夢で未来を視ることがあったと訊く。その代に必要な能力が備わる。
王家の直系に特徴な能力が現れるということは、その代に国の危機が訪れる前触れでもある。極秘ではないが、俺のこの能力は父王と、俺の側近しか知る者はいない。
彼女を保健室まで肩を貸してくれそうな女性を呼びに行く為に立ち上がると、呼び止められた。
「このままじゃ遅刻してしまいますわ。あのー、何方かご存知ありませんが肩を貸してくれませんか?」
潤んだ瞳で上目遣いで俺を見る。
俺の事を知らない? 俺の名前を愛称で呼んでいたが知らないふりをするとはな。
「無闇に女性に触れるべきではない。誤解を招くことになる」
「私は気にしません」
(早く私をお姫様抱っこしろよ。攻略できなくなるだろうが)
こうりゃくが何を意味するか分からないが、彼女とは関わらない方が良さそうだ。
彼女の対応に困っていると、救世主と言ってもいい声が聞こえた。
「どうかなさいましたか?」
(……え……!)
心の底から驚く声がシュミーデル嬢から聞こえた。この変な女と知り合いなのか?
(嫉妬に駆られて私を虐める悪役令嬢が来た。哀れよね。私の為の世界なのに可哀想に。私の幸せの為の踏み台になりなさい)
醜く笑う声が耳障りに響く。気持ち悪くて吐き気がする。
(ちょっと待って! この子、乙女ゲームのヒロイン!? ヴィーナスちゃんじゃない! ウソ。私は、ヒロインを虐める悪役令嬢だわ)
嬉しそうに弾む声。悪女令嬢は喜ぶことではない気がするだが。少し呆れつつ、俺は、妹の話を思い出していた。
三つ下の俺の妹は、読書が好きでよく俺におすすめの本の話をしてくれる、可愛い妹が居る。その中で気になったワードが彼女たちの心の声から聴こえた。
市井で暮らしていた町娘がある日、男爵の私生子だと知る。引き取られて貴族が通う学院に入学する。そこで運命的な恋に落ちるが、相手は王子で政略で決められた婚約者が居る。ふたりは隠れて逢瀬を重ね、王子の婚約者の令嬢に暴露て、王子の婚約者から虐められる。王子の懇意を受けている男爵令嬢を虐める令嬢を現す言葉が悪役令嬢。
婚約者が居る男に手を出す女に碌な奴はいない。男の方もそうだ、婚約者が居るにも関わらず別の女に腑抜ける奴が王に相応しいとは思えない。ハニートラップに引っかかり国が滅びるのが目に見える。浮気しておいて、どの面下げて公衆の面前で断罪できるだ。恥を知れと言いたい。
現実でこんな事をしたりでもしたら追放か幽閉される。国王が決めた婚約を勝手に破談したら王子といえども叛逆罪になる。
俺は気を取り直して、シュミーデル嬢に彼女を頼むことにした。男の俺より、女性のシュミーデル嬢の方が誤解は招きくい。
「足を挫いたようだ。頼めるか?」
「ええ、私にお任せください」
(え? ヒロインちゃんをお姫様抱っこしなくてもいいの? 断るのも不自然だし)
快く受け入れてくれるシュミーデル嬢に対して、彼女はそうでもなさそうだ。汚い言葉を並べて聞くに耐えない。
(悪役令嬢に運ばれても意味がねぇだよ! 醜く暴言を吐き断りなさいよ。ヒロインであるあたしの邪魔するなよ)
「肩に捕まりください」
「ご迷惑かけてごめんなさい」
(悪役令嬢に感謝しなくちゃならないのよ)
「いいえ、困っているときはお互い様ですわ」
「ありがとうございます。助かりますわ」
(アークの前だからって悪役令嬢がいい子ちゃんぶりやがって。心の中じゃ醜く歪んでいるくせに。あたしみたいに心も、顔も美しく可愛いあたしがアーク様とお似合いなのよ)
否、君の心の方が醜い。気持ち悪いこと思わないでくれ。鳥肌が立つ。
(アークトゥルス殿下の婚約者候補から外れなる為には、ゲーム通りヒロインを虐めればいいだわ。断罪されて、平民に落ちる! 完璧ではなくて!?)
ん? 何を言い出すんだ!? 嬉しそうに声が弾んでいるが、何故!? そういう思考になる。虐めは良くない。家格の名も傷つけることを知らんのか。
この際、ゲームやヒロインはどうでもいい。知らない単語に頭を悩ませても時間の無駄。
今、俺がすることはシュミーデル嬢のよくわからない思考を止めることを優先するべき。
俺が一日中監視することは不可能。側近の彼らにも手伝って貰わねば。俺はこうして、スピカ・シュミーデル嬢を監視することになった。俺の側近の彼らにも理由を話し協力を求めた。
ヴィーナス・ラピノヤ嬢には王家の影をつけ、何か危険があった時に助けられるように。
俺は、オトメゲームが何を意味するのか探る為にも含めて、ラピノヤ嬢の虐めを未然に防げるようにとシュミーデル嬢を監視する項目で近づいた。
「君は確か、スピカ・シュミーデル嬢だね」
(流石、乙女ゲーム! イケメン。肌が綺麗。まつ毛が長い)
また、オトメゲームか。
知らない単語は増えた。イケメンとは、何を意味する言葉だ? 後に続く言葉が褒め言葉だから悪い意味はないと思うが。
「名を覚えて頂けて恐縮ですわ。アークトゥルス・ヘスペックス殿下」
「シュミーデル嬢の事はよく知っている。君の兄に世話になっているからね」
「まあ、お兄様が私の話を?」
「いつも、妹の君が可愛いと話を聞いていたから気になっていた。思ったとおりに可愛いらしい女性だ」
(か、……可愛い!? アークトゥルス殿下ってこんなキャラだったっけ!? 闇を抱えたクールなキャラクターだった気がするだけど!? 明るくて優しいヒロインに出会って、心を開く過程が魅力的だった)
闇を抱えたキャラクターって俺の事か。ヒロインが何を意味するかはわからないが、先の女性だよな。
(アークトゥルス殿下の運命の相手のヴィーナスちゃんが結ばれるように、私、頑張るわ)
ちょっと待ってくれ。俺とラピノヤ嬢を運命の相手にしないでくれよ。
心の底から毒つつ、微笑みを向ける。
「先程は助かった。お礼をいう」
(そう言えば何で? 私に頼んだのだろう。あそこで、ヒーローがヒロインを保健室までお姫様抱っこで送るはずなのに。……バグ?)
「当然のことですわ」
「隣りいいか?」
「もちろんですわ」
俺は、シュミーデル嬢を監視する為に隣りに座る。
(やっぱり可笑しい。アークトゥルス殿下が私の隣りに座ることはなかったはず。スピカだったら喜んだだろうな。アークトゥルス殿下のこと好きっぽかったし)
まるで他人事のように心の中で思い浮かべるシュミーデル嬢に違和感を抱いた。
(スピカが最初にやったことは、ヴィーナスちゃんの本やノートを焼却炉に捨てる)
本とノートを全教科用意し、それから、ラピノヤ嬢の教室にも影をつかねばならないな。シュミーデル嬢が考えていることはさっぱり理解できないが。ラピノヤ嬢を俺の妃にしたいことだけはわかった。
シュミーデル嬢を監視できないときは王家の影に頼むことになるが、できる限りシュミーデル嬢の近くには側近の彼らをそばにおきたい。
ラピノヤ嬢のことは王家の影から聞くのが一番。
今、これが最善。
アークトゥルス殿下は、直ぐにスピカに見張りをつけた。常に俺の側近の誰かがそばに侍っていたら虐めなど諦めるだろうと。
「移動の時間ですね。一緒に移動しても宜しいですか?」
スピカに声をかけてきたのは、アレン・オリオン。
「ええ、オリオン様」
(うーん。アークトゥルス殿下や側近が常にそばに居て最初のミッションが実行できない)
スピカは、一つめミッションである虐めを実行にできずにモヤモヤしていた。このままでは平民になる夢が叶わなくなると悩んでいた。
(このまま何もできずにいたら……)
※
シュミーデル嬢を監視して一ヶ月が過ぎた。シュミーデル嬢の変な考えは防止できているが、別の問題が起きている。一番の難問。
俺とラピノヤ嬢の教室は距離があるが毎回、俺や側近の周りを彷徨いている。
学院の間は身分を問わないと教えは得ているが、あくまでも最低限の礼儀は弁えるべきだ。
「アーク様、みんな酷いですぅ。あたしを無視するです」
「愛称呼びを許していないだが?」
「そんな事どうでもいいじゃないですか。あたしとアーク様は運命の赤い糸で繋がっているだから」
そのような戯言やめてくれ。
話しが通じないラピノヤ嬢に困っている。脳に綿毛でも溜まっているのではないかと思うほど恐ろしいくらいに話が通じない。頭がヤバそうなやつでも、国民を守る義務がある。義務感で「困っている事があれば頼るといい」とは言ったが、愛称呼びを許した覚えはない。被害が及んでいるのは俺だけではなく、側近らも同じ被害に遭っている。側近らとも赤い糸で結ばれているらしい。一体、何人と結ばれているんだ。
唯一、安らげる場所となった生徒会室。
「ハァ……」
心の底からため息が漏らす。
「疲れているね」
乳兄弟でもあり、俺の護衛騎士のイザク・ランベールが哀れむような目で見ている。
「疲れもするだろう」
「気持ちはわかる」
保護者である神殿にお触れを出しかが一向によくならない。話しが通じないラピノヤ嬢のことだ、聞く耳を持たないのであろうと想像は容易い。
俺がもう一つ悩ませている人物がいる。
「シュミーデル嬢の動きは?」
今、名前が上がったシュミーデル嬢のことだ。
「諦めていない」
「また何故、そのような馬鹿げた考えになったのかね」
「俺に断罪されて、平民になりたいらしい」
「……変わっているね」
「だろう?」
「殿下も楽しそうで」
意味ありげに笑う側近のイザク。
「何が可笑しい」
「いいえ」
地位に寄って来る令嬢は多くいた。
平民になりたいが為に俺に断罪されたいなど考えるやつに出逢ったのは初めてだ。俺を巻き込まないで欲しいのが本音だ。
放課後、生徒会室。
王家の影に頼んでいたラピノヤ嬢の一日の報告が上がる。俺は、その報告書を確認するのが日課になっている。
「はやり始まったか」
ラピノヤ嬢への苛めが始まった。
ラピノヤ嬢の行動は目に余る。
婚約者の令嬢から注意を受けても、涙で訴えて「酷い」「そんなつもりでなかった」「意地悪されている」などなど、意味のない言い訳を並べ喚く。
報告書と魔石映像記録で確認するたびにため息が溢れる。
本やノート、机や椅子にラピノヤ嬢に対する暴言を書き始めた。机や椅子の落書きは浄化魔法で消せても、本やノートはそうもいかない。何度も取り替える事はできない。困った。
そんな矢先に事件は起きた。
「ヴィーナスちゃんの机は此処ね。……本とノートもあったわ。あの子、もういじめられているの? こんなに早くから? 知らなかったわ」
シュミーデル嬢がラピノヤ嬢の本とノートを焼却炉に投げ捨てた。
その知らせは直ぐにアークトゥルス殿下の元に届いた。
「遂に一つめのミッションをクリアできた! 平民に近づける第一歩」
スピカは、拳を握ってガッツポーズし、るんるん気分で鼻歌を歌っていた。
スピカが焼却炉の前でミッション達成に喜んでいる頃――。
アークトゥルス殿下に報告が上がっていた。
俺や側近もシュミーデル嬢に一日中張り付くのは難しい。学院内ならまだしも、放課後や校外は難しくなる。俺や側近が見張りができない間は、王家の影に頼むしかない。その王家の影からの報告。
「ミッションクリアが何を意味するかは知らないが、……誰かに脅される……? 否、それはないか。平民になりたいとか思っていたからな」
オトメゲームの"おとめ"が何を意味するのかしらないと話しが見えてこない。チェスやトランプといったゲームとは違うだろうか。今、流行っているゲームの類か何か。流行りに敏感なディアナならもしかしたら何か知っている可能性もある。そうと決まれば、今日は早めに切り上げて帰るとするか。
「今日は、切り上げる」
アークトゥルス殿下は生徒会の仕事を切り上げて帝宮に帰る。
※
「おとめげーむ?」
「ああ、知らないか?」
「聞いたことありませんわ。その、オトメゲームがどうかしたのですか?」
誰よりも流行りに敏感なディアナが知らないとなると、市井で流行っているゲームなのか?
オトメゲームとは何なのか。本人たちに聞くべきか? 否、今はまだ聞けない。その質問を彼女たち訊くにあたり俺のこの能力の話をしなくてはならない。秘密にするものではないが、情報を聞くには隠しておいた方が何かと都合がいい。
目星情報を得ることができなかった俺は、保管庫に足を運んだ。
もしかしたら過去に似た事例が起きていた可能性もある。
保管庫には、ヘスペックス帝国の歴史の全てを記載がされている本が幾つもある。今来へ続く子孫たちへの道しるべになるようにと、文字や魔法映像で残されている。その一つに気になるタイトルを見つけ手に取ってた。
「異世界から来た少女か」
本の内容によると、異世界から来た少女には特徴的な見た目をしていた。
漆黒の髪と黒い瞳。美しい顔立ちに魅力され、王侯貴族の令息が少女を巡って争いが起きた。少女は、自分の事柄で起きた争いに心を病み姿を消した。実際のところ令息の親族や、彼らの婚約者の関係者に消された可能性も捨てきれない。
数百年以上の昔の話だが、後に魔性の悪魔だったのではないか伝えられている。たんなる己の非を認めたくない身勝手な連中が考えそうなことだ。
俺は、本を元の位置に戻した。
「これは違うな」
それらしき本や魔法映像を見てみたが、俺が欲しい情報は得られなかった。
「オトメゲームとは何を意味するのか」
本人に訊くのが一番手っ取り早いが、今はその時ではない。
「どうしたものか」
俺は頭を悩ませた。
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