ビクトリアを包む温もりは死体よりも暖かい。2
人を初めて殺したのに、思ったより平気だ。
かつての人生では、あの神社の存在にとても助けられた。
どんな時も出向いて、小銭を響かせ手を合わせる。
頭を下げた屈辱の分、祈りを終えた後の、あのなんとも言えない達成感。
そして、神社の近くにある土産屋のアイス。格別だった。夏も冬も、俺の舌の上で蕩け、脳を唸らせる乳の甘み。
冷たさもちょうど良くてコーンの小気味良いサクサク感。
また食べたい。いや、もう別に良いか。
思えば、食う前に心の中でまで手を合わせたのは、二人居る母の手料理を除けば、あのアイスだけだった気がする。
こっちにある氷といえば、魔法によって生み出されたパチモン。変に冷たくて、とても食えたもんじゃない。
あのアイスは、俺の足元で冷たくなっていく死体より──触れたら温かかった筈だ。
「すまない。脳が日和り出した。嫌なことをしているとつい別のことを考えてしまう。お願いだ頼むよ。ゆっくりでいいんだ」
……祈るという行為は、人の動作の中でも抜きん出て良い行いだと思う。
死者の安寧への祈り、旅立つ生者の無事を願う祈り。見えない物を重視する在り方はとても好ましい。
ヘモスタットに転生してから、かれこれ十六年。
今でも手を合わせるという行為には、どこか安心してしまう。
飯を食う前、つい癖で手を合わせてしまうほどに。
だから、目先の生き残り……
正確には、壁に寄り掛かり、腹から血を流しながら命乞いをする彼に、ついつい共感してしまう。
本当にどうしようもない時は、お願いするしかないもんね
「命乞いもいいが、それには対価がいるんだ。分かるか? 迷宮の情報が欲しいんだ。寄越せ。助かりたいんだろ? 」
「謝る。謝るから……背後から、いきなり襲って悪かった。アンデットだと思ったんだ! 」
俺がクロムを振り切り、迷宮に潜ってすぐのこと。
背後からいきなり斬りつけられた。
痛かったのを覚えてる。
「迷宮の構造……謝罪は求めてないがそれも大事か。俺も君の友達を殺した。許してくれるか? 」
「エッ……も、もちろん。許すから……だから、だからここから助 グブッ」
許すか迷ったな。許さない。
靴の踵で喉を潰し、死体からアイテムポーチを回収する。
中身はゴミばかりだったが地図を見つけた。
それを眺めて進む方向を考えていると、血が一段と、熱くなり始めた。
視界を占める紙切れのせいじゃない。俺にはどうやら、人間らしく迷うことは許されていないようだ。
音は前から、顔を上げる。
燃える骨。映える瞳。宝石像。カマキリ。
やはり魔物だ。ここより下の階層から、追い立てられたんだろう。
「多いな。集団疎開か? 」
奥の通路を埋め尽くし、血と奇声を撒き散らしながら、雪崩のように俺目掛けて突っ込んでくる。
魔物に備え、迷宮で拾ったショートソードを投げ捨てた。
こんな安物じゃ、俺についてこれない。
ただ拳を握る。
それで充分。これで殺せる。
1番戦闘を走っていたカマキリ型の魔物が、鎌を振り上げる。
これは予備動作。かち合う流れで俺を斬り捨てるつもりだろう。
躱す必要は無い。俺の方が速い。
カマキリの頭に生えている、引き抜きたくなる触角を引き抜く。
気持ちの悪い悲鳴。
虫の分際で声を発せばこうもなるのか。
ムカついたから岩で出来た壁に頭を打ちつけて黙らせた。
ベチャッとペンキをぶちまけたみたいに、辺り一面が俺を除いて緑に染まる。
狂躁に染まっていた魔物どもは停止した。
いや、停止したと表すより、諦めたの方が適切か。
こいつらはもう魔物ではなく供物。
唯一出来ることは俺かあいつ。どちらかに、マシな最後を迎えられるよう祈るだけだ。
「気配がする。引率のご登場か。疎開先は地獄って感じだな」
そう呟きながら、俺は血で濡れる足を半歩引いた。
選択肢は無い。殺す。
俺の後ろには、ビクトリアに続く階段。
辺りには、なぜだか人気は無い。
俺がやらないと。街を、人を、守らないと━━━あれ、でも、さっき。
音が響く。倒す。
姿はまだ見えないが、足音を聞いているだけで、迷宮の鼓動だと勘違いしてしまいそうになる。
音は止んだ。あらゆるモノが終わったと同時に。
気づけば目の前。お互い声は発さない。
分かり合えないから。
ただ、分厚い鱗に覆われた目を見つめる。
何千年も前から生きている知性がある。
人を殺す術を蓄えた魔物だ。生かしてはおけない。
向こうも察したらしい、殺せると。
随分と乾いた音が鳴る。関節か? どっちの?
ゴング代わりにしては、随分と淡白だ。
ありがとうございました。