図書室で潜むモノ。3
俺は今、鉄板の上で焼かれるのを待つ食材のように、第3図書室の扉の前で燻っている。
「ここで合っているんだよな……」
図書室と記された銘板は、この場所にある必要性を久しく欠いているせいか、誰かの手になぞられたかのように古ぼけている。
『すぐ行動、すぐ集合、遅れたら━━━ 』
そんなイメージのあるアニスの目に、遅れて来た格上はどう映るのだろう。別にいつまでに来い、なんて、時間の指定はなかったのだが、ファナヘッタが伝え忘れていなければ。
そもそも、本当にこの部屋の中にアニスは居るのだろうか。
図書室は異世界だろうがなんだろうが静かな物だが、それが、あの女の存在感を覆い隠せるほどの物だとは思いもしなかった。
「ここまで来て今更ひよってどうする、今の奴の温度を測る絶好の機会なんだ。行くぞ」
これ以上、ここでぐだぐだやっても埒が明かない。
左手を伸ばし、扉を横に滑らせる。
肘に伝わるのは流れが詰まったような異物感。
……隙間に挟まっているのは本の頁か?
所々にあるそれが、扉が端に近づくごとに強まっているのを感じる。
……居るな。
こんな場所に用のある、本を引き裂ける馬鹿力の持ち主は一人しかいない。アニスだ。あの女は間違いなくこの中に居る。
それにしても管理はどうなっているんだ管理は。中が俺の思った通りの有り様ならどうせ、管理者など居ないだろう。
だったらせめて施錠をしろよ。生徒会は何をやっているんだか。
気を取り直して図書室に入る。
「俺だアニス、来てやったぞ。……あっぶね。……どこだ? おい、ふざけてんじゃねぇぞ。こんな場所に呼びつけたんだ、しょうもない話だったら承知しないからな」
図書室の中は想像よりも異様だった。敷き詰められた、と表現しても良い程のぱっと見、足場の見つからない、本が乱雑している床。
どうにかこうにか足を捌きながら進んでも、ところどころにある適当に積まれた本の山に視界を阻まれる。
「なんなんだよ、マジで。アニスのヤツ、俺をイラつかせて殺すつもりか? 」
ちゃんと図書室らしく本棚はあるが、向きも種類も無視して無理矢理に詰め━━━━
「こっちよ」
声が聞こえた瞬間、聴き馴染みのある声なのに、見ていた物が物だからか体を硬直させてしまった。
………思考を回して、放棄。アレも気にはなるが今はアニスだ。
俺は目玉焼きをひっくり返す時のように、意を決して声のした方向、後ろに体を向ける。
「こんばんは。私に勧められそうな本、何かある? 」
アニスだ。声の主はやはり、アニスはここから少し奥にある、これまた傷まみれのテーブルの縁に腕を組みながら腰掛けていた。
「コホ、コホ、……失礼、目のつく場所に居るつもりだったのだけど、気が利かなくてごめんなさいね。にしても遅かったわね貴方。道草でも食べてたの? ここの本も紙で出来てるけどダメよ? 他の紙なら……はい、資料。これも、食料じゃないわ。食べちゃダメよ」
どっちにしろダメじゃねーか。
なんだコイツ。居るならとっとと声掛けろよ。
てか、どれだけ居たんだ? 咳き込みやがって。
「残念だ。見れば見るほどうまそうだったのに。……遅れてすまん。そっち行くからそこで待ってろ」
アニスは資料を受け取るために俺が近づく間、意味ありげに、目をずっとこちらに這わしてくる。
「ほら、取って? 今は貴方の物よ」
やはり、触れるべきか?………けど気づいていない可能性は? そしたらどうする。どうするべきだ。
落ち着け。落ち着け。
まずはアニスのここに呼びつけた真意を探らないと、それからだ。全ては、
「……ああ、ありがとう。昨日のと……うん。うん? ちょっと違うな、早とちりした。これは2ーA代表のプロフィールってところか? 」
なんで? こんな物の為に、わざわざここに?
「しっかり見て、確かめてちょうだい。替えて欲しい所が有ったら、何度でも調整してあげる」
アニスは俺の混乱する様を楽しむかのように、白い紙の先で微笑んでいる。
その様を見て俺は、より一層、視線を下に落とした。
資料を見る。資料を見る。資料を見る。
これは、アニスの主観がめちゃくちゃに入っている物のようだ。ファナヘッタとかアニスのこと慕ってそうなのに単細胞って書かれているし。
なんだよここ……自分のことをリーダーたる器って……
ここで俺に渡す必要性があるとは、やはり思えないが、それもこんな、今にも本の山が堕ちてきそうなクソみたいな場所で。
まぁ、それを差し引いてもこれは良い物だ。
日頃からクラスメイトをちゃんと観察していなければこんな物は作れない。俺の特記事項は特に。
ありがたく受け取らせてもらおう。
やっぱ、アニスを内に入れられるの熱いな。けど距離感がなぁ、エグいこと言っちゃったし。また擦れ合っても傷つかない、仕切りみたいなものがあれば良いんだが。
「どう? 私から見た彼らと貴方から見た彼ら、違いはあった? 」
「別に、俺に弱点があるってこと以外は。………あーわざわざここに呼んだのは今日は話し合いが無いから俺と少しでも接点を持ちたくてってところか? 水入らずの秘密の会議、って感じだな。」
見た感じ誰かを忍ばせているわけでも、何か武器を隠し待っている、なんてことも無さそうだ。目についたのはあの、キモい魔導書だけ。
「そうね。本当に話をしたい相手には、自分から行くことにしているのよ私は。……でも、今日は待ってみるのも良いかもね」
さっきから随分含みのある言い草だ。言ったのがオルフェリアならグッとくるが、相手はアニス。
それだけで、ただの思わせぶりが焦げ付いてくる。
………やはり、なんか変だ。今のアニスは。燃え盛る炎で暖を取っていたら急に寒気を感じたような、そんな違和感。
「どうしたの? 気になる、教えてほしいって顔に出てるわよ? …………貴方にとって、変に感じる物が、近くにあるの? 」
スカートから覗いた太腿が、やけに白くて、厚くて、細い。そして触れたら、多分、冷たい。
アニスのテーブルの傷をなぞる美しい指先に、おれも
「いや、別に」
アニスは今も、足でトントンと床を無造作に鳴らしながら、埃被った宝の地図、もといプロフィール表を読み込むふりをし続けている俺を、微笑みながら見続けている。
「……どう? 良く、出来てるでしょ。負けてからもう一度洗ってみたの、時間はあるわ。じっくり見てみて。………それともあそこをみて回る? 」
「いや………」
……もう踏み込もう。俺達のいつもの日常のように、これ以上この空気には耐えられない。
「なぁ、それでいつになったら暗殺するんだ? ………長話になるんだったらここを出て話さないか? 息苦しいったらありゃしない。それとも何、ここじゃないとダメな話? 」
「━━━そう、そうね。今すぐ本の角でも使って貴方を殺してやりたいところだけど、私もこれ以上、この場所にゴミを増やしたくないの」
元に戻った? それともさっきのが
「今から話すのはここじゃないと出来ない話よ。誰も近くに居ない。貴方と私、二人っきりの、在ることが忘れ去られたこの場所でね」
視線を逸らし、アニスの背後にある窓を見る。太陽はもう堕ちきり、窓から差すべき月光は、鬱蒼とした木々のように立ち並ぶ本に遮られて、なんとかこの場を取り持つ有り様だ。
「大丈夫よ? 」
「い、いや何が、」
腰が抜けた。アニスの肉艶のあるぷっくりとした唇に、俺の魂が啜られたかのように、囚われて逃れられない。
「とても美味しい話よ? お互いに」
脳がカリカリして手の中央が、なんかジュージューする。
腰抜けてんのに立ち上がれそう。オルフェリアで、
「……もしかしたら、だけど、M2ーCと合同稽古が出来るかも知れないわ」
ありがとうございました。