"Thank you for."
「良い夜だな」
事務所の窓からの夜景を眩しそうに視ながら、父は葉巻に火を付けた
明かりの消えたこの部屋の中では、それが唯一の光だ
外の通りからは、新年のカウントダウンのために集まった人々の喧騒が聞こえる
その間も父の利き手は書斎机の下に隠されたままだ
僕も右手を上着のポケットに隠したまま、立って父と向かい合っていた
こんな状況になってもなお、本当は父に「どうして」と問いたかった
父は僕とは血が繋がっていないが、それでも彼がこれまで僕に対して向けてくれていた愛情は、実の親子と比較しても遜色のあるものでは無かった
彼に拾われ育てられていなければ、僕はこの歳まで生きる事すら叶わなかった事だろう
「僕はそうは思わない」
ポケットから拳銃を引き抜き
父の眉間に狙いを定め
躊躇いなく引き金を引く
それらが繋がった一つの動作として一瞬の内に行われた
銃声が、部屋の中に響く唯一の音として僕の耳を塗り潰す
時を同じくして外の通りでは楽団による演奏が始まった
銃声は楽しげな旋律の中に、コーヒーにミルクが混ざるように吸い込まれ、そして消えていった
老いによるものか
迷いがあったのか
本当は僕から消される事を望んでいたのか
父もまた銃を抜いていたが、総てが僕より遅かった
本来、銃を抜く速度で僕に遅れを取る人間では無い筈だった
父の死に顔に眼を向けると、僕はその表情に何らかの意味を探し出そうとした
だが、いくら見詰めてもそこには何の感情も見受けられなかった
「父さん」
返事が有る訳も無いが、言葉が口から溢れた
気が付けば冷たい涙が僕の頬を伝っていた
僕は父の亡骸にしがみつき、胸に顔を埋めた
涙が静かに溢れていった
嗚咽が繰り返される中で、胸を満たしていくのはただ血の臭いと、あとは火薬が残した煙の臭いだけだった
石のように冷たい抱擁だった