酔いどれ通り1
陽が落ちた街の路地をとぼとぼと歩く。
どうしてこんなことになったんだ。
これからどうすればいい。
考えても考えても答えが出ない。
1ヶ月前の俺は普通のサラリーマンだった。車を売る仕事をしていた。
仕事は楽じゃなかった。いつも営業ノルマに追われていた。
でも、確かにやりがいを感じていた。
37歳、独身。趣味らしい趣味もなかったから、ずっと仕事に打ち込んできた。
トップセールスも何度か獲った。昇進も順調だった。
あの日の夜、目をかけてくれる専務に誘われ、居酒屋で呑んだ。
専務は笑顔で、来年はいよいよ部長だなと言ってくれた。
酔いも手伝って気分がよかった。
帰り道、自宅のマンションまであと少しのことだった。
道の端にスーツ姿の若い男が座り込んでいた。泥酔しているようだった。
バッグの口が開いて、中身が道に散乱していた。
普段なら、何もせずに通り過ぎるところだ。
でも、その日の俺はそうしなかった。
俺は男の脇にしゃがみ込み、声をかけた。
「大丈夫ですか?」
男はむにゃむにゃと口を動かした。ひどく酒臭い。
視界の隅に車のヘッドライトが見えた。
せめて散乱している物くらい拾い集めてやろうと、バッグに手を伸ばした。
そのとき、不意に男が動いた。
「触んじゃねえよぉ!」
肩をどんと突かれた。
「えっ……?」
中腰だったせいで踏ん張りがきかなかった。
道路の真ん中に背中から倒れた。
車のヘッドライトで視界が真っ白になった。
気がつくと、会社の事務所にいた。
誰もいなかった。窓の外には何もなかった。ただ白一色の景色が広がっていた。
そこで出会ったのは、鹿を連れた少年だった。
年寄みたいなしゃべりかたをする気味の悪い子供だった。
少年は鹿の頭を撫でながら言った。
俺が死んだこと。これから別の世界に転生すること。そこで他の転生者6人を探し出して殺さなければならないこと。そうすれば生き返ることができること。
その結果が、現状だ。
俺はドワーフの工夫になっていた。
この1ヶ月、ずっと心が沈んだままだ。物事に集中できない。
仕事でもつまらないミスを連発した。親方のルーファスには怒られっぱなしだ。
肉体的には辛くない。若いドワーフの身体はとにかく頑丈だからだ。
樽のようなシルエットで身長も低いが、胸板は分厚く、腕も脚も太い。全身筋肉の塊。
今日も親方にぶん投げられたが、もう痛みは残っていない。
でも、心はまったく晴れない。
自分以外の転生者を探して殺せと言われたが、何ひとつ始められていない。
他の転生者たちはもう動いているのだろうか。
この街のどこかで、すでに転生者同士の殺し合いが始まっているのだろうか。
あの鹿を連れた少年に言われた期限は残り149日……
俺はいったいどうすれば……
「クイン! こっちだ!」
名前を呼ばれた。
クイン――こっちの世界での俺の名前。本当の名前は大園樹なのだが……
1ヶ月も呼ばれ続けると、さすがに慣れた……
慣れか……嫌な感覚だ……
まるで自分という存在が書き換えられていくような気がする。
顔を上げると、歓楽街の入り口にルーファスが立っていた。周りには他のドワーフたちもいる。
どうやら俺が最後らしい。
親方のルーファスを始め、職場の同僚たちは揃って口が悪いが、基本的にいい人たちだ。
俺がミスを連発するせいで怒られっぱなしだし、呆れられてはいるが、今日も仕事終わりに声をかけてくれた。
みんな心配してくれている。俺が転生する前のクインはやる気に溢れた真面目な若者だったようだ。
真面目さなら負けるつもりはないが……問題はそれと別のところにあった。
「よし、揃ったな」
ルーファスがみんなを見渡し、大きく頷く。
「今夜は騎士殿の財布をすっからかんにしてやろうじゃねえか!」
ルーファスの言葉に、みんなが歓声を上げた。
酒か……酒には嫌な思い出が……酒に溺れたあの若者に突き飛ばされたせいで、俺は……
「クイン」
ルーファスが俺の肩に太い腕を回す。
「何に悩んでるか知らねえが、好きなだけ呑み食いして、きっちり切り替えろ」
「はい……」
ルーファスが離れた。
「よぉし! お前ら、行くぞ!」
親方の号令に、工夫一同が再び歓声を上げた。
親方たちの背中を追いかけ、歓楽街の大通りを行く。
夜の歓楽街の賑やかな空気は、元いた世界とそれほど変わらない。
嫌いじゃないが……この1ヶ月は酒を避けていたせいもあり、西地区の歓楽街に近づかないようにしていた。
それ自体は俺たちの工房や住居が東地区にあるおかげで簡単だった。
でも、今夜はさすがにひと仕事終えた後の打ち上げだ。つきあわないわけにはいかない。
親方たちと呑むのは初めてだが……いや、初めてじゃない……いや、俺としては初めてなんだが……
くそ、この感覚はいまだに違和感がある。
自分の脳みそとは別の領域にクインの記憶が保管されていて、必要に応じてそれが浮かび上がってくるような感覚……
あの少年は転生と言ったが、これは本当に転生なのか……?
いやいや、だから何だっていうんだ……
そんなことが分かったとろで、この状況がどうにかなるわけじゃない。
駄目だ。考えれば考えるほどドツボにはまっていく。
ルーファスの言うとおり、酒でも呑んで切り替えるべきなのかもしれない。
とはいえ、どう切り替えればいいのやら……結局、堂々巡りだ。
「おう、着いたぞ」
大通りを半ばほど過ぎた辺りで、みんなが立ち止まる。
「あ? なんだこりゃ?」
頭を掻くルーファス。
灯りが消えた『夜の黄昏亭』。扉に貼られた羊皮紙。書き殴られた文字――本日、都合により閉店。
「なんだよ、休みじゃねえか」
「親方、どうするよ?」
「どうするって、お前……別の店探すしかねえだろ」
ルーファスがため息をつく。
「どうかしたのか?」
背後で女の声がした。
振り向くと、昼間現場に来たエルフの女騎士と人間の男騎士が立っていた。二人ともラフな服装をしていた。
ルーファスが親指で背後の扉を指した。
男騎士が首を伸ばして店の扉を見る。
「……店、休みみたいですよ」
女騎士が扉に歩み寄った。扉を少し強めに叩く。店内から反応はなかった。
「当てが外れたな。まあ、止むを得んか」
女騎士が振り返ってルーファスを見た。
「ルーファス、他にいい店を知っているか?」
「あるにはあるが、あんたらのお気に召すかは分からんぜ」
「構わん。案内してくれ」
「んじゃあ、行くか」
そして、騎士二人を加えた一行は再び歓楽街の大通りを歩き出した。
俺はまた最後尾につき、みんなの背中を追いかけた。