表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/15

夜の黄昏亭4

 閉店間際。

 最後まで残っていた客はアレクシアさんだけだった。

 僕は皿洗いも終わって、あとは店内の掃除とゴミ捨てをするだけなんだけど……

 手持無沙汰でもう何もやることがない。

 カウンターの中にいる店長とエマさんは小声で何かをしゃべっている。

 アレクシアさんはいつまで経っても帰る気配がない。

 ずっとひとりでエールを飲み続けている。あんなにお酒を飲み続けているのに顔色は全然変わらない。

 表情にも変化がない。何を考えているのかちっとも分からない。

 もう閉店の時間だと伝えなきゃいけないけど、どうにも声をかけ辛い。

 僕がもじもじしていると、不意にアレクシアさんが立ち上がった。

 真っ直ぐカウンターに歩み寄る。

「ギリアムさん」

 アレクシアさんが店長の名前を呼んだ。

 店長が顔を上げる。

「何だ?」

「先刻は失礼しました」

「構わん。迷惑料はもらった」

「会計の前にひとつよろしいですか?」

「ロクな話じゃなさそうだが」

「至って真面目な話です」

「聞くだけ聞こう」

 アレクシアさんが姿勢を正した。

「どうか騎士団に戻っていただきたい」

「断る」

 即答する店長。

 一瞬だけ口ごもるアレクシアさん。

 沈黙が重たい。

 僕はエマさんの顔を見た。

 エマさんは僕を見て、小さく首を横に振った。

 アレクシアさんがカウンターに片手を置いた。

「魔族の攻撃は徐々に激しさを増しています。ここ2年ほどは特に。2ヶ月前にも西の平原で大きな戦いがありました。何とか撃退しましたが、騎士団の死傷者も少なくありません。人手が足りないのです」

「だからこそ参議会は傭兵組合と話をつけたんじゃないのか」

「彼らは所詮、烏合の衆です。個々の戦力はともかく、我々のように組織だって動くことができない」

「連中を使いこなすのもお前たちの仕事だろう」

「それができれば苦労はしません」

「さっきみたく、対立する度にいちいち殺していたら尚更だな」

 これはたぶん店長なりの皮肉だ。

 でも、アレクシアさんは退かなかった。

「口で言っても通じないのなら、力で黙らせるしかありません」

「本当にそうか?」

「無論です」

 店長がため息をつく。

「お前は変わらんな」

「あなたから教わったことです」

「さっさと金を置いて帰れ」

 アレクシアさんが懐から銀貨を取り出して、カウンターに置いた。

「また来ます」

「客としてなら、いくらでも構わんぞ」

「騎士団の中にはあなたが臆病風に吹かれたと蔑む者もいますが、私はそうは思わない」

「買い被りすぎだ」

「……私は諦めません。失礼します」

 アレクシアさんが踵を返して、店から出て行った。

 店長が小さく息を吐く。

「やれやれ」

 僕は何も言えなかった。

 エマさんも口を開かなかった。

 店長が僕たちを見て、小さく笑った。なぜだか少し寂しそうな笑顔に見えた。

「さて、片付けるとしようか」

「はい」

 僕はカウンターの壁に立てかけてあったモップを掴んだ。


 外のゴミ捨て場から戻ると、エマさんが笑顔で迎えてくれた。

「今日も一日お疲れ様、ナイル君」

「お疲れ様です」

「ねえ、本当に大丈夫?」

「え、何がですか?」

「だってあんなことがあって……ショックを受けてないかなって」

「……たぶん、大丈夫です」

 目の前で人が殺されたことは確かにショックだったけど、この世界じゃあまり珍しくないことなんだと思う。ショックを受けたというより、改めて思い知らされたというか……

 この世界では人の命が軽い。すごく軽い。僕のいた世界とは全然違う。

 それよりもあのドレイクって傭兵が本当に転生者だったのか、そっちのほうが気になって仕方がない。

 しかもその真偽を確かめる方法を思いつけないことが、とにかく歯痒い。

 僕は静まり返った店内を見回した。

「あれ、店長は?」

「もうあがったよ。私たちもあがろう」

 エマさんが店内のランタンや燭台の灯りを順に消していく。

 店内がどんどん暗くなる。

 最後の蝋燭が消えると、バックヤードの開いた扉から漏れる明かりだけになった。

 僕はエマさんに続いて、バックヤードに入った。

 エマさんが水差しからグラスに水を注ぐ。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 グラスを受け取り、一口飲んだ。

 ふう。一息つく。

「少し裏庭で涼んできます」

「うん」

 僕はグラスを持ったまま裏庭に出た。

 ベンチに座って、グラスを横に置く。

 夜空を見上げた。たくさんの星が瞬いていた。

 この世界にも星座という概念はあるみたいだけど、僕の知っている星座はひとつもない。

 今日も一日が終わる。明日になれば、期限まで残り149日。

 まだ149日もあると考えたほうがいいのか、もう149日しかないと考えたほうがいいのか……

 それすらも分からない。

 ただ、このままじゃダメなことだけは分かる。行動しないと。

 たったひとつの手がかりを何とか手繰り寄せないと。

 明日、傭兵組合に行ってみよう。

 あの傭兵のリーダーに会って、話を聞いてみよう。正直怖いし、何をどう切り出せばいいのかも分からないけど。

 こうなったら出たとこ勝負だ。やってみるしかない。

 僕はグラスを掴んで水をゴクゴクと飲み干した。

「ふぅ……」

 なんだか少しだけすっきりした気がする。やるべきことが決まったからだろうか。

 どうなるかはまだ全然分からないけど、上手く転がってくれることを祈るしかない。

 夜風が肌を撫でる。

 グラスを横に置こうとして――

 にゃあ。

「うわっ」

 びっくりして、思わず小さく声を上げてしまった。

 ベンチの上に黒猫がお座りしていた。じっと僕を見ていた。

 いつの間に……物音ひとつしないから全然気がつかなかった。 

 にゃあ。

 黒猫が鳴く。かわいい。

 僕は黒猫の顎を撫でた。

 黒猫がゴロゴロと喉を鳴らす。

「うん……」

 もう部屋に戻ろう。

 僕はゆっくりと腰を上げ――

 ドクン!

「あっ……ぐぅ……」

 なんだ。胸が苦しい。これ、なんかヤバい。普通じゃない。視界が狭まる。

 手が震える。膝が震える。立っていられない。足が前に出ない。身体を支えられない。

 倒れる。

 次の瞬間、側頭部に衝撃が走った。

 地面に頭をぶつけた。頭の中がぐらぐらする。

 動けない。指一本動かせない。

 何だよ、これ……もしかして、毒か……毒を盛られたのか……?

 何に……? 水に……? でも水は、エマさんが……そんなの、ありえない……

 それとも、何か、別の……呪文か……夜の闇に紛れて、僕に呪文で攻撃を……

 黒猫がにゃあにゃあ激しく鳴いている。

 視界がどんどん狭くなる。

 黒猫が勝手口に走る。扉をガリガリと爪で引っ掻く。

 にゃあにゃあと大きく鳴きながら、扉を何度も何度も引っ掻く。

 瞼が重い。

 扉が開く。

 エマさんが飛び出してきた。

「ナイル君!? どうしたの!? ねえ、大丈夫!? ねえ、ナイル君!?」

 エマさんの声と足音。

 苦しい。

 声が出ない。

 息ができない。

 エマさんに身体を抱き起されたような気がする。

 ぼやけた視界の中で、エマさんの顔が近づいてくる。

「――! ――!?」

 何か声をかけてくれているけど、もうエマさんの声も聞こえない。

 ああ……もしかして、僕もここで死ぬのか……

 今なら、あの傭兵の言葉がよく分かる……

 人生で二度も、死ぬことに、なるなんて……

 なにが転生だ……ほんとうに……ふざけてる……

 だけど……いつ、どこで、だれに……バレた――

 なんで、こんな……

 視界が暗転した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ