夜の黄昏亭3
夜の歓楽街の大通りをスローペースで走る。
行き交ういろいろな種族の人たちの間を縫うように走る。
この1ヶ月、健康的な生活ができたおかげだろうか。
息に乱れはない。足運びもスムーズだ。1ヶ月前より確実に体力が増えている。
嫌でも部活の練習を思い出す。本当なら競技場のトラックを走っていたはずなのに。
でも、それは考えてもしょうがない。
それよりも、あのリザードボーンの最期の言葉……
『なに、が……てんせいだ……トカゲやろうなんかに、しやがって……あのくそじじい……』
あの人は、本当に僕と同じ転生者だったんだろうか。
あのくそじじい……誰のことだろう……ヒルコさんじゃないことだけは確かだけど……
分からない。でも死んだのは事実だ。
だとしたら、残りは僕も入れて6人になる。
いや、でも、他の転生者も僕の知らない場所で殺されたりしているのかもしれない。
もしそうだとしても、今の僕にはそれを知る術がない。
転生者があと何人残っているのかも分からないんじゃ、どうやって最後の一人になれたって分かるんだ?
ダメだ。ちっとも考えがまとまらない。
こんなことになるなら、もっと真面目に勉強しておけばよかった。
いや、勉強は関係ないか……
しばらく走ると、大きなゲートが見えてきた。
歓楽街の入り口だ。
ゲートの脇にはレンガでできた衛兵の詰所がある。
詰所の前に立った僕は、分厚い木の扉を叩いた。
扉が開いた。縦にも横にもデカいおじさんが出てきた。ハーフオークの衛兵だ。
「どうした、ボウズ」
「あの、うちの店で傭兵と騎士の人が喧嘩して、それで傭兵が死んじゃって……だから、死体を片付けてほしいんですけど……」
「ったく、しょうがねえなあ。どこの店だ?」
「夜の黄昏亭です」
「あー、あそこか。死体の数は?」
「ひとつです」
「分かった。少し待ってろ」
「はい」
扉が閉まる。
数分待つと、さっきの衛兵が出てきた。
大きな布袋を抱えている。
「よし、行こうか、ボウズ」
「はい、お願いします」
衛兵のおじさんと並んで歩き出す。
「ボウズ、一応そのときの状況を聞かせてくれるか?」
「はい、店で傭兵団の人たちが騎士団の悪口で盛り上がってて……」
「あー、なるほど。それを騎士に聞かれたんだな?」
「そうです」
頷く。
「ちなみに、死んだ傭兵の名前は分かるか?」
「えっと……ドレイクって呼ばれてました。リザードボーンの男の人です」
「ドレイク……知らんな」
「はあ……」
「騎士のほうは?」
「第五騎士団の副団長、アレクシアさんです」
「おいおい、よりによってフィンチ家の新当主かよ。おっかねえ女だって有名だぞ」
「はあ……」
確かに怖そうな人だった……いや、実際に怖い。いきなり人を殺したんだから……
「アレクシアはまだ店にいるのか?」
「さあ……いると思いますけど……」
「死体は店の中か?」
「店長が外に店の外に運んでおくって言ってました」
「ありがてえ。騎士団とは関わりたくねえからな」
「そんなに怖いんですか……?」
衛兵が軽く肩をすくめる。
「怖いっていうより、面倒くせえんだよ。騎士の誇りがどうの、規律や手続きがどうのこうの、とにかくうるさくて適わねえ。管轄の違う俺ら衛兵の仕事にまであれこれ口出ししやがるからな」
「はあ……あの……」
「なんだ?」
「……騎士と傭兵は、仲が悪いんですか?」
「そりゃ悪いだろ。仕事の領分がかぶってるからな」
「はあ……」
「魔族の攻撃から街を護ってきたのが騎士団だ。だが、ここ最近、魔族の攻撃がどんどん激しくなってきた。騎士団だけじゃ街の防衛に手が回らなくなってきた。そこで参議会は戦力を増やすために傭兵を雇った。騎士団はそれが気に入らねえのさ。傭兵の連中は連中で、騎士団に顎で使われるのが気に入らないらしい。まあ、そんなとこだな」
「はあ……」
その辺りの事情は初めて聞いた……
「お前、夜の黄昏亭で働いてるのに何も知らねえんだな」
「その……僕、1ヶ月前から働きだしたばかりで……」
「にしたって……まあいいか。あそこのマスター、元騎士団の団長だぞ」
「え、そうなんですか……?」
「ああ。確か……第五だか第六だったか……細かいことは憶えてねえが、えらく腕の立つ騎士だったって噂を聞いたことがあるぜ」
「へえ……」
あの寡黙な店長が元騎士団の団長……
確かに店長は背が高いし、筋肉ムキムキでがっしりした体格をしている。裏庭で筋トレしている店長を何度も見たことがある。さっきの騒ぎでも全然動じていなかった。
あの人が鎧を着て剣を振っている姿も簡単に想像できる。でも……
「なんで騎士団を辞めてお店をやってるんだろ……」
「んなこたぁ本人に直接聞いてみな」
「はあ……」
僕は衛兵のおじさんとたわいもない話をしながら、『夜の黄昏亭』に戻った。
というか、ほとんどおじさんの仕事の愚痴ばかり聞かされていたような気がする。
衛兵の仕事もいろいろと大変らしい。
店の脇の路地に衛兵のおじさんを案内する。
地面にはリザードボーンの死体が転がっていた。顔には布巾がかけられていた。
「これです」
「やれやれ、呪文で胸を一撃かよ。エグいもんだ。ケンカ売る相手を間違えたな」
衛兵のおじさんが死体を布袋に入れ、ひょいと肩に担ぐ。
「確かに回収したぜ。マスターにもよろしく言っておいてくれ」
「はい。ありがとうございます!」
「じゃあな、ボウズ」
衛兵のおじさんが歩き去った。
僕はしばらく衛兵の背中を見送った。
ひとつ、思いついた可能性……
あのリザードボーンが住んでいた部屋を調べれば、何かが分かるんじゃないか……
でも、どうやって……
結局、方法が思いつかない。いや待てよ、さっきの傭兵のリーダーに直接掛け合うとか……
いやいや無理だ。理由を聞かれても、まともに答えられる自信がない。絶対に怪しまれる。
ため息をひとつ。
僕は店の中に戻った。
店内の客は4分の1くらい減って、随分と静かになっていた。
さすがに目の前であんなことがあったら、食事どころじゃないのも分かる。
店にとってはいい迷惑だ。だからケンカは嫌いなんだ。みんなが嫌な気分になる。
殺し合いなんて、もっての外だ。さっきだってあんなに血が……
床を見る。血はきれいに拭き取られていた。
店の奥にちらりと目をやる。
アレクシアさんはまだ残っていた。相変わらず、ひとりで静かにエールを飲んでいた。
僕はカウンターの内側にいる店長とエマさんに声をかけた。
「外のアレ、衛兵の人に回収してもらいました」
「お疲れさん」
「ありがとう、ナイル君」
僕は小さく頭を下げた。
「あの、店長……」
「どうした?」
「店長って騎士団にいたんですか?」
「ああ。6年ほど前の話だがな」
店長が僅かに視線を逸らした。あまり深く話したくなさそうな空気を感じる。
「ナイル君、急にどうしたの? あっ、もしかして君も騎士になりたいとか?」
「いや、別にそういうのじゃなくて……」
「お父さん、せっかくだから今度ナイル君に剣の稽古をつけてあげたら?」
「まあ、少しくらいなら構わんが……」
店長がエプロンを脱ぐ。
「少し休んでくる。注文が入ったら呼んでくれ」
そう言って、店長はバックヤードに消えた。
エマさんが僕を見て、小さく肩をすくめた。
「さあ、閉店までもう少しだから頑張りましょ」
「じゃあ、僕、お皿を洗います」
「うん、お願い」
僕は頷いて、カウンターに入った。